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異世界のごはん事情

作者: 小林左右也

 ユーノキュイアス王国という、わたしが持っている世界地図には載っていない国にやってきてから半年が過ぎようとしていた。

「レイン、食事できたよ」

 夕食の支度を終え、恋人兼雇い主の籠る書斎の扉を小さく叩いた。

「レイン、ねえレインってば」

 何度か呼んだものの、返事はない。痺れを切らしたわたしは、仕方がなく書斎の扉を開いた。

「う……!」

 開けた途端、鼻を突く異臭に思わず顔を背ける。

 天井からぶら下がった黒ずんだ何かの干物や薬草が放つ臭気もさることながら、部屋中に立ち込めている苦くて生臭い蒸気。空気も薄らと緑がかっているような気がして、すぐにこの扉を閉めたい衝動に駆られる。でもここで引き下がるわけにはいかない。

「レイン!」

 大声を上げると、彼はようやく気付いたようだ。のろのろとこちらを振り返ると、たちまち渋面になる。

「お前……書斎に無断で入るなと言っただろう」

 伸び放題の銀髪を無造作に束ね、銀縁の丸眼鏡を掛けた青年が、気難しそうな表情でわたしを睨む。身ぎれいにすればそれなりにカッコ良いのに……と思いながら、わたしも負けじと眉を吊り上げる。

「そんなに書斎に入られるのが嫌だったら、呼んだらすぐに出てきてください!」

 没頭すると周囲の音が耳に入らなくなる性質だと、本人が自覚をしていないのが厄介だ。

「……悪かった」

「じゃあ早く来て。冷めちゃうよ」

 うん、と無言で頷いた彼が可愛らしいなんて思ってしまうわたしは、結構重傷かもしれない。こんな研究馬鹿な魔法使いを可愛いなんて思うなんて、この世界でわたしくらいだろう。


「……美味しい?」

「ああ」

 そうはいいながらも、あまり美味しそうには食べていない。無表情のまま、まるで苦行のように口に押し込んでいる。

 もしかしたら、彼が好きな味付けではないのかもしれない。食卓に並べたスープもどき、畑で採れた野菜の炒め物。家にある食材でなんとかしている料理には肉や魚は登場していない。唯一肉らしき干物は、扱いがわからないためスープの具になっている。

 パンやお米や麺といった主食はこの世界にはあるのだろうか? レインに訊ねても食に関心が薄いのか「あるにはあるが……」と、遠い目をしたままろくな答えは返ってこないから諦めた。

 自分で調理しておいて言うのもなんだけど、野菜ばかりで少々物足りない。野菜自体は畑から採れたて美味しいけれど、さすがに肉や魚が恋しくなってきた。

 ああ、ハンバーグが食べたい……でもこの世界にはハンバーグなんてあるのかな? もしかすると、肉や魚を食べる習慣がないのかもしれない。でも、あの干物は肉っぽいし……。

 ここ最近、ずっと食べ物のことばかり考えているような気がする。でも考えても答えを知らないから、結局堂々巡りになってしまう。


 実はわたし、この世界の料理を口にしたことがない。こっちに迷い込んでからレインに拾われるまで、何一つ口に出来なかった。もう少し彼に出会うのが遅ければ、きっとわたしは野垂れ死んでいたかもしれない。

 しかもレインは家事を一切しない、というかできない人だった。家も見事なゴミ屋敷。唯一口にしたこの世界での食事といったら、色んな食材がぶち込まれたスープのようなものだった。味は……よく覚えていないけれど、とても美味しいとは言い難い。

 でも慣れない料理を一生懸命作ってくれて嬉しかった。そんなところに惚れしちゃったんだけどね、えへへ……一人で色惚けている場合じゃなかった。


 よーし、この世界の料理を学ぼう!

 まず最初に知りたいものは、やっぱりレインの好きな料理からだ。だって、やっぱり好きな人の喜ぶ顔を見たいじゃない?


「あのね、レイン。教えて欲しいんだけど」

「ん?」

「レインの好物って何?」

「俺の好物か……」

 約十秒の沈黙の後、視線を遠くしたままレインは呟いた。

「ウムニマの、リャドンナ風かな」

 ウム……ド……って何?!

「後はケメンナ」

「……」

 駄目だ。どんな料理なのか、さっぱりわからない。途方に暮れていると、レインは控えめに期待を込めた目でわたしを見つめる。

「もしかして、作ってくれるのか?」

 期待に応えたいところだけど、絶対に無理だ。

「ごめん。わたし……こっちのお料理ってどんなものか知らないの」

 事実を正直に告げると、レインはあからさまに落ち込んでしまった。

「だからレインの好きなもの、食べに連れて行ってくれないかな?」

「料理の本を見ればいいだろう」

「写真もイラスト……挿し絵が載っていないからイメージ、想像がつかないの。それに食材の名前が意味不明だし」

 レインの魔法のお陰で会話もできるし文字も読める。でも、やっぱり世界が違うせいか、単語の、固有名詞の意味がわからないこともしばしば。

「それに、食べたことがないと、味がわからないし。一度ちゃんとこの世界のお料理を食べてみたいの!」

「食べたこと、なかったか?」

「ない。一度もない。ちなみに一緒に外出したこともない」

「わかった。明日の夕食は外へ行こう」

「やった!」

 初めてのレインとのデートだ。はしゃぐわたしにレインは呆れていた。



「レイン……これは?」

「ウムニマだ」

 これがウムニマ……と繰り返しながら、気が遠くなってきた。

 何というか……小綺麗なレストランには似つかわしくないビジュアルだ。ウムニマ、それは巨大な昆虫だった。姿焼きの殻を外し、器用に肉をほぐしてくれるレイン。その昆虫の姿はカブトムシとゴキブリを足して二で割ったうえに、十倍大きいものだからたまったものじゃない。

 そんなウムニマは茶色い殻の中にはぷりぷりした白身肉が詰まっていた。結構美味しそうな匂いがしてくるものだから……何だか嫌だ。

「この店では残念ながらリャドンナ風は無いが、キリギルソースと合わせたものもなかなか旨い」

 ほら、と渡された小さな壺の中には、黄緑がかった薄茶色のソース。干しエビっぽい香ばしい匂いがする。

 キリギルって何だろう……今は想像しない方がいい。多分想像どおり、ううん、想像を上回るものが出てきそうで怖い。


 どうやらこの山に囲まれた地域では、たんぱく質を昆虫から摂取していたらしい。昔は流通が未発達で魚介類や肉類は滅多に口に出来るものではなかったという。

 現在もやはり魚介類や獣肉は貴重品で、干物くらいしか手に入らず、鮮肉はほぼ入手できないということだ。そんなわけで、この地域では、相変わらず昆虫肉がメインらしい。

 日本でもイナゴや蜂の子を食べる地域もあるのだから、異世界でも昆虫を食べる習慣があってもおかしくはない。おかしくはないけど……ダメだ、生理的嫌悪の方が勝ってしまう。

 今日、レインとキスできるかな……。

 昆虫肉をもりもりと美味しそうに貪る恋人の姿を見ていると、正直なところ自信がない。

「どうした? さっきからぼーっとして」

「え、ううん! なんでもないよ」

「お前にはいつも世話になっているからな。ほら、しっかり食え」

 なんと、大皿からウムニマをたっぷりと取り分けてくれた。普段気が利かない彼とは思えない、気の利かせようだ。

「ありがとう……」

 涙で視界が滲む。

 恋人の優しさが心にしみたからなのか、はたまた他の理由のせいなのかは、わたしだけの秘密にしておこうと思う。


食べてみたら、意外と美味しかったようです。

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