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死の王国に住まう者

 刹那、獣の咆哮が鼓膜をつんざいた。


 床を抉りとるような足音が部屋中を暴れまわり、バサバサ、ドスンドスン、という鈍い轟音とともに、荒々しい吠え声がこだまする。


 扉を挟んだ部屋に、確実に危険な()()がいる。


 思わずその場にへたりこんだ董子を、牧が強引に引っ張り起こす。


「腰を抜かしているほど、余裕はなくてよ。さあ」


 なかば引きずるようにして、牧が董子を奥の部屋へと押し込んだ。



 明らかな高級品の漆黒の衣服が吊り下げられたそこは、ウォークインクローゼットらしい。


 いつの間にか小型のランプを牧は手にしており、その灯火を映した、淡紫の猫を思わせる瞳が、光る。


「……≪死神≫ですわ」


 ご覧になって、と衣服を優雅に押し退けた先の壁に設置された、小さな取っ手をゆっくり引く。


 そこには、横に長い小さな覗き窓があった。


 董子は躊躇ったが、見なければ許してもらえないことも同時に悟っていた。


 意を決して、壁に身を寄せたが、次の瞬間飛び込んできた光景に吐き気をもよおした。


 この建物がいったいどんな構造になっているのかはわからないが、穴は瑠可と対面した部屋に通じていた。


 位置的に、おそらく、数多あった本棚のどこかから、俯瞰している形だ。


 瑠可はその長い足を組んでソファにかけており、至って寛いだ様子だ。


 しかし、本が撒き散らかされ、壁や床にすさまじい爪痕が残された部屋の惨状においては、それはかなりの場違い感があった。


 そして、その瑠可と相対していたのは、まさしく化け物――≪死神≫であった。


 四足歩行の化け物で、背骨がぐにゃりと歪んでいる。

 

 瑠可をスケールにして見れば、さほど体長自体は大きくないようだ。


 引きつれたようなどす黒い皮膚に毛はない。


 小さな頭部らしきものはあるものの、目が潰れているのが董子からも見てとれる。


 代わりに、裂けたように大きな真っ赤な口から黄ばんだ牙が突き出しており、よだれをだらだらと垂らしていた。


 獣たちはその鋭い大きな爪で、今にも飛びかかりたそうに、床をかきとっていた。


 なんと奇妙で、気味が悪い生き物なのだろう。


 何とも言えない、生理的な嫌悪感がそこにはある。


 董子はせりあがってくる酸っぱいものを堪えていた。


 禍々しいほどに美しい瑠可と、醜い化け物たちが混在する部屋は、あまりに現実味がなかった。


「≪死神≫――あの異形のことを、わたくしたちはそう呼んでおりますの。その御身(おんみ)不死(ふし)にして、人を食らう――。まさに、死を招く神ですわね」


「ひっ……人を食べるんですか!?」


「お静かに。気取られましてよ」

 

 しぃっと、牧は、華奢な人差し指を、振り返った董子の唇の前で立てた。


「とはいえ、こちらまで這入(はい)って来ることは、まれですのよ。しかも、一度に2柱も。


 ――まあ、誰かが、取り逃がしたのなら、あり得ないことではないですが」


「そんな……というか、瑠可さんが危ないじゃないですか。た、た、助け……に行ったら、危ないですよね?」


 しょせん、董子などこの程度の人間なのだ。

 自分の命がかわいい。


「心配なさらずとも、あの程度なら、瑠可が一瞬で掻き取りますわよ」


 掻き取る、という、耳に慣れぬ言葉。


 覗き窓の向こう側では、瑠可が宙に手をかざす。


 同時に、ごう、と獣たちは仰け反るように吠えた。地面を蹴るようにして、細身の漆黒に襲いかかった。


 が、その時には、すでに、≪巣≫は出来上がっていた。


 瑠可の周囲を放射状に広がるのは、あたかも蜘蛛の巣がごとき、糸の紡ぎだった。


「あれが瑠可の異能力、≪銀の驟雨(シルバー・レイン)≫。

 水でできた糸に、切断できぬものはない。


 それが不死身と言われる化け物でも。


 ほら、案の定、≪死神≫たちの首を一瞬で掻き取りましてよ。


 そして、ああ、ご覧になって?


 ≪死神≫たちが肉の欠片になりましたでしょう?


 ああして、血の雨を降らせるのが、瑠可のお得意ですのよ。


 その異能力も相まって、≪雨の魔術師≫と、人は瑠可をそう、呼びますわ。


 あら?


 まあ……もしかして、気を失っていらっしゃるの?」





「――やあ、とーこ。その様子だと、よく眠れたようだね」


 朝の清浄な空気に、柔らかに馴染むビロードのような声と、穏やかな笑顔に、董子はひきつった笑いを返すことしかできなかった。



 さすがに、とても口には出来ないような惨状を目の前にして意識を保っていられるほど、董子もタフでない。


 唯一の救いは、気絶したことで凄惨なあれやこれやが、モザイクがかった感じに記憶されていることくらいだろうか。


 あの後、すぐに目を覚ました董子が案内されたのは、テラスだった。


 さすがに、先ほどの部屋はまだ立ち入れる状況にはないらしい。


 テラスには朝食が、おそらく二人分用意されていた。


 目の前には、湯気をたてるスープにベーコンエッグ、柔らかそうな白いパン、新鮮そうで彩りの良いサラダとフルーツ。

 昨夜と違って、コーヒーとフレッシュジュース、ミルクまで飲み物各種も選べた。


 しかし、まったく喉を通りそうもない。


 細い割にかなり健啖らしい瑠可は、次々にしかし上品に口に運んでいるが、まったく狂っているとしか思えない。


「話の続きをしたいのですが……」


 董子は何とかミルクを一口口にして、瑠可の濃い灰色の瞳を見詰めた。「その前に、あなたたちは、()?」


 瑠可はちょうど、ベーコンエッグをフォークで突き刺したところだった。董子の質問に、ふわりと唇を緩ませる。


「――人間だよ?」


「……人間は、あんな、ことはできない。それに、それが普通になっているなんて、どう考えたって、おかしい、です」



「じゃあ、とーこ。君は、貴登が人間ではないと言いたいのかな」



「それは……つまり――」


「ここは、そういう人間が集まる場所だよ。もっと正確に言うなら、そういう人間も集まる場所だ、という方が正しいのかな」


 瑠可はゆっくりと続けた。「ただし、貴登に関しては、僕たちと同類だったけれどね」


「そんなこと……」


「まさか、思い当たらないはずはない。貴登は≪楽園≫でも、かなり強い力を示す能力者の一人だったからね」


 董子は唾を飲み込んだ。


 貴登の特別さを、誰よりも知っていたのは董子だったから。



「――君は貴登の死を知らされたから、ここに来たのだったね。とーこ、それは間違いない?」


 董子の懐にはあの手紙が入っている。


 頷いた董子に、瑠可は厳かに告げた。




「率直に言おう。――小野貴登は死んだよ」





 嘘だ、と董子は内心反駁した。


 それと同時に、弟が生きていると思った根拠が、あまりに頼りないものにすぎなかったと今さらながらに気がついてもいた。


 それはほとんど、董子の願望――妄想にすら、近いところにあったのだから。


「落ち込むことはないよ、とーこ」


 董子は今までの16年間、本当の怒りなど、覚えたこともなかった。


 董子は温厚なたちである。温厚とは聞こえがいいが、とどのつまりはことなかれ主義だ。

 早くに父をなくし、普通よりは多少、家庭には縁遠かった部分もあるだろう。

 だが、別に食べるに困ったわけではなし、病気にかかったわけではなし、学校にだって通えていた。

 人並みに幸せだったと思う。


 しかし、貴登のことだけはまったく別だった。


 こんな雨宮瑠可に、安く慰められて、それで済まされることではなかった。


 許しがたい。


 それが、どんな、特別を持った人間だとしてもだ。


 だが、董子が飢えた獣になる前に、瑠可は続けた。


「それは、≪楽園≫としての表向きの理由だからね」


 表向きの、理由。董子は思わず、瑠可をすがるように見た。


「それは。貴登が本当は生きている、ということ……?」


「あるいはね。それは貴登にしかわからない。なぜなら、貴登は今、≪楽園≫から姿を消しているから」


「行方不明――」


 それでは、弟は死んでいなかったということだ。


 それは、董子の望み――。




「あるいはね。――もしかすると、死んでいるかも」

「かっ、からかうの、止してください……」


 雨の魔術師は無言のまま、切れ長の端整な目元を、楽しげに緩ませた。それだけ見れば、ひどく美しい上、優しげだ。


 が、この男の本性は人間ではない。


 しかし、そんな存在にすがらなければ、董子の望みは叶う手だてすらない。


 貴登が生きている可能性が、ある。

 唇が、喉が、ひどく渇いていく。


 そして、唐突に理解した。


 これは、オルフェウスの神話に似ている。


 董子は弟を連れ戻しに、死の世界へと足を踏み入れたのだ。


 しかし、神話と違うのは、董子は弟と、二人で生きて帰る、というところだ。


 そのためには、どんなことがあろうとも後ろを振り返ってはならないのだろう。


 暁を浴びて、眼下に広がる森は、燃えるように赤かった。



「――犬には、どうすればなれますか? わたしにも、できますか?」



 瑠可はそこで初めて、瞠目した。驚いたようだった。董子もまた、目を丸くする。


 ――人間らしいところがあった。先ほど、瑠可自身から、人間だと申告を受けたはずなのに、だ。


 来なさい、と雨の魔術師は立ち上がり、いつの間にか側に控えていた牧から漆黒のローブを着せかけられる。ゆったりと歩き出した。


 その一連の様はとかく優雅で、端麗に宙を泳いだ漆黒のローブの動きに、董子は一瞬見とれた。


 気がつくと、瑠可はすでにテラスの入り口にいた。人間離れした造作の男は、ほんのり唇を笑みの形にしていた。


 董子が来るのを待っていることにようやく思い当たり、優雅とはほど遠く、席を立った。





「フィリイーデ学園――≪楽園≫の歴史は古い。時は明治、維新の動乱がようやく落ち着いてきた頃……確か、西南戦争が終わった次年だったはず」



 雨の魔術師の説明は、そんな始まりだった。



「君は僕の能力を見ていたね。そして、貴登のことも知っている。だから、ある程度、()()がどんなところか、予測がついているのではないのかな」


「ええと……」


 どう答えていいのかわからない董子に、瑠可は頬杖をついて、子供のように面白そうな様子を隠さなかった。


 瑠可は牧に人払いをさせると、董子を書庫のような場所に案内した。


 昨日最初に案内された部屋も本の量がすごかったが、ここはそれを上回る膨大な書棚の数だ。


 少しどんな本が並んでいるのかを見てみたが、英語でもないような言語でタイトルが書かれた分厚い背表紙を見ただけで、目眩がした董子である。


 書庫の奥、小さな閲覧机と椅子がひとつ。董子を椅子にかけさせ、瑠可自身はその近くに立て掛けてある梯子の段に座っている。

 不安定な場所なはずなのに、そのさまがひどく慣れているのは、おそらく、そうしていつもここの本を読んでいるからだということが、なんとなく想像できた。


「そうだな、()()()風の言葉で言うならば、≪楽園≫は、超能力者の育成施設とでもいおうか。……とーこ、これで伝わっているかな?」


 まるで出来の悪い生徒に教える教師のように、瑠可は董子をじっと見詰めた。董子はうん、と返す。

「えっ……」


「つまり、ここに集められている学生は、みんな、超能力者ということ? ――あなたのような」


「3分の1くらいは、ね」


「残りは、何の力もない学生。……とはいっても、彼らも《特別》なんだけれどね。まあそれは、追々わかってくる――」


 瑠可は董子の目の前に、ひらりと紙を落とした。鼻先を、百合の香りがわずかにくすぐった。


 董子はその内容に目を通した。瑠可の講義は続いた。


「その三角の図形を見て。階層になっているのがわかるかな」


「うん。これは?」


「それは、そのまま≪楽園≫内での階層になっている。上に行けば行くほど、≪楽園≫で力を持っている、ということだね」


 董子は眉間に皺を寄せた。

 いわゆる、スクールカーストというものだろう。


 董子の高校のクラスでも、多少そういったものはあったが、おそらく種類が違う。


 ピラミッドは3層に分かれている。


「まずは、一番下。いわゆる、能力のない学生たち、≪一般生≫だ。人数は最も多い」


 瑠可は次に、と続けた。「真ん中は、≪能力者(カデット)≫。いわゆる、超能力らしきものを持っているとされる学生がここに属する」


「それじゃあ、一番上は?」



「――≪総代表(リプレ)≫」



 董子はうまく聞き取れず、思わず首を傾げた。「リプ、なに……?」


「≪総代表≫だよ、とーこ。≪能力者≫の中でも、特別に抜きん出た異能力を持った学生は、こう呼ばれてる。今は、たった4人しかいない――」


 そう言った瑠可の端整な横顔は、どこか虚ろに見えた。


「≪総代表≫に選ばれる≪能力者≫は圧倒的だ。例えば、≪雷帝≫と呼ばれる学生はその身に余る禍々しい大鎌をふるい、数多の白い烏を使役として使うんだ」


 瑠可の言葉を脳内で反芻しながら、董子は自分なりに噛み砕き、出力された結果に震えた。



 ≪雨の魔術師≫と呼ばれる学生は水の糸を蜘蛛のように張り巡らせ、巨大な白い魚を使役として使う――。



「――あなたも、≪総代表≫の1人なの……?」




 瑠可はゆっくりと顔を上げ、虚ろな表情のまま、董子の方を向いた。

 切れ長の灰色の瞳が濃く、淡く、その心の中を映して、それから正解だと言わんばかりに、妖しく微笑んだ。



「そして、小野貴登も≪総代表≫に選ばれようとしていた」


 あの時まではね――。



 ビロードを思わせる、滑らかな、通りのよい声だった。

 だがそれは今は、本と本の間のじめっとした空気に沈んでいった。





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