死にいたる万節聖③
『それではぁ、だいいちもーん!』
中空から、底抜けに明るい声が降ってくる。
直後、クイズ第1問が画面に大映しとなった。
『今日のパーティー、楽しんでますかぁ~?』
「ーーこんなの、全員が『○』を選びますよね。なんだか、拍子抜け」
「まったく、庶民はお気楽だな」
呑気に考える菫子とは裏腹に、瀧澤は腕を組んだまま、その整った鼻梁に皺を寄せている。
瀧澤が考え過ぎているだけでは、と菫子が思うのは、周囲の生徒たちもまた、董子同様にほっとしている様子だったからだ。
提示されたルールはこうだった。
①全5問
②〇か✕(もしくは二択)で答えられる、聖フィリイーデ学園にまつわる問題を出題。
③問題が出題された後、回答者たちは制限時間内に、区分けされた『○』もしくは『✕』の所定位置へ移動しなければならない。
非常にシンプルかつ明瞭。なにか差し挟む余地もない。
『じゃ、ささっと移動しちゃってくださ~い!』
董子と瀧澤は、半ば人波に流されるように、『〇』へ向かって歩き出した。
ふと遠目に、総代表たちが、メザニンとでもいうのだろうか、壁から張り出した階層に集まっているのが見て取れた。あの位置と高さなら、董子たちがいるバンケット全体を見渡せるに違いない。
「余興、かぁ……」
「当然だろう。あの方たちにとって、一般生などとるに足らない存在だからな。精々足掻かなければなるまい――」
瀧澤は董子の耳に口を寄せた。「能力者も参加しているようだ。とはいえ、僕が見る限り、低級な者ばかりのようだが」
言われて董子は視線だけであたりを見やる。確かに、見るからに一般生と雰囲気の違う生徒たちも散見される。なるほど、これが能力者……?
『おやおや~ん? 皆さん、エンジョイしちゃってる方たちばっかりですね! これは、我らが『総代表』様も大喜びですね~!』
ややあざとい設問もあってか、『〇』の位置には、すべての参加者たちが集合しており、溢れんばかりの賑わいだ。いつのまにか手に手に、飲み物や食べ物を持っている生徒たちもいる。董子はふと空腹を感じた。
「せめて、このクイズとやらが終わるまで耐えられないのか?」
隣からじとりと冷たいヘイゼルの眼差しを向けられ、董子はハッとする。どうやら、相当卑しい目をしていたらしい。
『正解はもちろん――』
スクリーンには、異様なまでに巨大な『○』。
さらに、DJブースで、大きく丸を示して見せた獄卒DJに、歓声があがる。
『ありがとうございます、ありがとうございます! 会場はたぁいへん、盛り上がっておりますよぉ! ご感想いただけますかぁ、獅子ぴょん~?』
ぱ、と巨大スクリーンが切り替わり、そこに映ったのは太陽フレアが揺らめくがごとき、波打つ赤髪の男だった。
琥珀色の肌の眼窩には、翡翠を思わせる鮮やかな翠の瞳が光っている。
雨宮瑠可が明けることのない永久の夜ならば、波々伯部神波は暮れることのない無窮の白日。
巨大な玉座に座す、百獣の王めいた傲岸な仕草がよく似合う波々伯部と、それに侍る艶やかな女子生徒たち。
あたかも、サバンナの群れ(プライド)の一幕のようだ。
『ハローハロー、紳士淑女の諸君! やっぱ、ハロウィンパーティーは楽しくねえとな?』
端正な唇を、ニヤ、と、音が聞こえてきそうなほど歪ませ、獄卒DJの口調を真似る。それは野卑た笑みだったが、波々伯部にはよく似合う。
『第2問は俺から出そうか。そうだな……獄卒DJの名前、覚えているか?』
アデュ、とウィンクをひとつ残し、波々伯部はスクリーンからぷつ、と姿を消した。
予想外の問題に、いささか周りもザワついた。
(えっと、どっちだっけ……?)
『○』:煉獄の獄卒DJごずめずちゃん
『✕』:煉獄の獄卒DJめずごずちゃん
董子は思わず、唸る。
「……たぶん、『✕』ですかね?」
「なぜ?」
「こういうのって、『○』連打は気持ち悪くないです?」
「安易だぞ、庶民。根拠がないというんだ、それは」
とはいえ、瀧澤の返答にも些か、キレがない。
「瀧澤さんこそ、いいおうちのご出身なんだから、人の名前を覚えるのは得意な方じゃないんですか?」
「苦手ではない。だが――」
瀧澤のヘイゼルの瞳が、自信なさげに揺れる。「答えに確証も持てない。ちなみに、僕は『〇』だ」
早速、答えが割れてしまった。
さりげなく辺りの話に耳を傾けてみても、半々といった印象を抱く。
「うーん……『〇』にします?」
「簡単に、僕に責任を負わすな。僕は自らが価値があると証さないといけないんだ。命がかかってるんだぞ」
言いながら、瀧澤の顔色がうっすら青くなっている。董子には見えないが、もしや締まっている?? まだ『糸』は健在のようだ。
意外と面倒見もよく親しみやすいため、瀧澤が瑠可に強制されてここにいるということを、董子はやや忘れがちになってしまう。
――そういえば、瑠可くん。結局、今日はここに来るのかな?
先ほど、総代表たちが現れた際も、そこに姿はなかった。
会場に入る直前まで、色々と瞳≪クリスタル・アイ≫に向かって念じてみたが、やはり何の反応もなかった。
来るのか? 来ないのか?
どちらにしても、助けは求めるな、ということなのかもしれない。
人には色々と押し付けておいて、なんて身勝手な、と憤りを感じる。しかし、瑠可は別に董子をあのまま放置しておいても良かったはずだ。
人でなしであることも、すでに理解している。
理解しているのに、いまだに怒りを覚えそうになるのは、期待もしている?
ーー君には期待している。
お互いに期待し合うなんて、間抜けすぎて笑えてくる。
「あらあら? どこかで見た子豚さんが一匹、入り込んでいるじゃあないの」
思考を遮ったのは、鳥がさえずるような声が放つ刺々しい言葉だった。
それは嘲笑を含んでいて、騒がしいパーティーホールでもやけによく響いた。
董子は思わずそちらを振り返ろうとしたが、瀧澤が睨む。「不用意に視線を向けるな。いい意味で目立つのはいいが、ああいうのに巻き込まれるのはよくない」
まぁ今更、僕が言えたことではないけど、と瀧澤がさらに低く続けた。
「いくら供された食事が美味しいからと言って、豚みたいにがっついて、みっともないわ」
「誰の許しを得て、この場に潜り込んでるんでしょうね? それだけでは飽き足らず、余興にも参加しようなんて笑っちゃうわ」
「また、いつもみたいに、妄想でも口走るのかしら?」
何人かの女子生徒が、誰かをしゃあしゃあと責め立てているらしい。そのうちの1人の女生徒の小鳥のさえずりを思わせる声質がえらく際立つため、いっそう丸聞こえだった。
瀧澤たちに絡まれた件といい、こういった類のいじめが、こんなお金持ちの学校で横行しているとは。
実情を知れば、《楽園》なんて皮肉だ。
得体の知れない化け物、『死神』があたりを闊歩し、名家やお金持ちの持て余しものたちが集まり、超能力と思しき力をふるう学生たちが幅をきかせ、崇められている。さらには、生徒が殺され犯人は自分の弟らしいーーおっと、最後は余計だったかもしれない。
「見れば見るほど、品のない方!」
「野暮ったい服装ね。でも、それがあなたにはお似合いだわ。ご自身を知っておられるのね」
「あら、どちらへ行かれるの? 話は終わっていないわよ?」
刹那、どん、と背中に衝撃を受け、董子は思わず振り返った。
そこに居たのは、一人の小柄な少女だった。
やや肌荒れした丸い頬に、大きなメガネが印象的だ。体つきもむっちりとしており、着用しているドレスがゴスロリ系とでもいうのか、フリルやリボンを多用したデザインのため、なおさらそれが強調されている格好だ。
分厚いレンズの向こう、少し色素の薄い茶色の瞳は濡れていた。
その手には、たっぷりとご馳走が載った皿。
背後には、怖い顔のほっそりとした女子生徒が3人。
ーーあ、これ。巻き込まれてません?
「庶民……ああ、遅かったかーー」
瀧澤が天を仰いでいる。
「あなた、なんですの?」
「え」
「何か言いたげね? 私たちがいじめをしているとでも?」
「いや、そんな何も……」
言いがかりもいいところだ。 3人組に囲まれた董子は、思わず後ずさる。だが、いつのまにかメガネの少女に、右腕を取られていた。逃がしてもらえない状況に、董子は固まる。
「あなた。ご存知なさそうだから、教えて差し上げるわ」
3人組の真ん中にいた、すこしキツめだが一際目立つ美しい顔立ちの女子生徒が、傲岸に形の良い顎をしゃくる。「それを庇うと、ロクなことになりませんわよ。それは、『嘘つき子豚』なんですの」
「『嘘つき子豚』……?」
「ええ。どういう神経だか知らないですけど、ご自身をあの『雷帝』ーー瀬野様の特別な存在だと嘯き、事ある毎にまとわりついていらっしゃるの」
少女がびくりと震えた。
一際目立つ女子生徒は、その大きな吊り目をキッとキツくする。
「当の『雷帝』からは、相手にされてもおられないのにね」
「身の程知らずにもほどがある」
「だから、私たちが忠告して差し上げているのよ。わざわざ、ね」
3人組は自分たちに正義はある、と心から信じているようだった。
どうしよう、と董子は内心、空を仰いだ。こんなことをしている場合ではない。
しかし、結果的にここまで周りの注目を集めてしまった状況では、何らかの手立てはうたなければならないだろう。そして、クイズの回答時間が刻々と迫っている。
「い……」
「なによ!?」
「え……」
「関係のない方が余計な口を挟まないでくださる? 大体、あなた誰なの?」
「あ……」
「そうですわよ。瀧澤様のパートナーのあなた、見かけない方。誰?」
「う……」
ずずい、とすごい迫力で3人の令嬢が迫る。火の粉が飛んで来まくって、ドレスが炎上しそうな雰囲気だ。
どう答えればいい?
瀧澤を振り返るも、素知らぬ顔で隣の男子生徒と話している。董子はさあ、っと血の気が引く。
「助けてください……どうか……」
腕に柔らかな感触があたっていて、気がつけばいたぶられていた少女が董子に縋っていた。少女が震えていることに気がついた時、董子はその肉付きの良い肩を掴んだ。
「瀧澤さん! 走ります!」
はあ!? と素っ頓狂な声を置いて、董子は少女の肩を抱いて駆け出していた。
ーーもとい、その場から逃げ出していた。