死にいたる万節聖①
待ち合わせ場所であるカフェテラスの前に着くと、瀧澤がそこには所在なく立って居た。
瀧澤もまた、すでにドレスアップしている。
ヘイゼルの瞳と薄茶の髪に、ほとんど漆黒めいた濃緑の衣装が映えている。丈の長いジャケットに、白抜きされた十字架のモチーフを首から下げている。
肩から白いショールをかけており、司祭や神父を思わせる禁欲的な印象の意匠だった。
「瀧澤さん」
声をかけた董子に目を向けると、一瞬視線を逸らした後、ようやく気がついたらしい。ヘイゼルを目を丸くした。「驚いたよ。ずいぶん見違えた」
「はい。自分でも驚きです……といっても、ほぼ美雨さんとこのドレスのお陰なんですが。瀧澤さんも素敵ですよ」
「ふん、庶民からの世辞? 僕も落ちぶれたものだ。さ、腕を」
気のない様子で、しかし、慣れたように腕を差し出す瀧澤。
対照的に、董子はぎくしゃくと手をそこに乗せた。慣れない。
「――薄々察しているとは思うが、今日は一日、≪楽園≫はお祭りムードさ」
告げられて周囲を見渡せば、確かに、パーティー開始まで時間があるにも関わらず、学内は仮装だが盛装した学生たちがそぞろ歩いていた。いつも黒衣の制服で溢れる葬式めいた学内とはうってかわって、友達同士や男女二人組で行動する学生も多く、どこか浮かれたような雰囲気がある。
傍から見れば、董子たちもそのうちの一組となっていることだろう。
「授業はお休みになると聞いています」
「そう。授業は休みで、代わりにあちこちで、催しがある。それは≪楽園≫主催だったり、学生たちが勝手にやってたり……。在学中は外へは出られないし、ここは娯楽が少ないから、学生たちの息抜きに学校も協力的だ」
「瀧澤さんは高等部2年でしたっけ?」
「そうだよ。幼稚部からずっとここにいる。いわゆる、生え抜きってやつだ」
董子は目を丸くした。
「幼稚園の時からずっとここにいるんですか?」
「そうだ。でも、案外慣れれば悪くはない。生い立ちが似ている人間も多いから」
ーー俺たちは厄介者の集まり。
いつだったか、風祭がそんなことを話していたことを思い出す。この瀧澤もその一人なのかもしれない。
ふとお化けの扮装をした学生が小さなリンゴ飴を売る出店が目に留まり、瀧澤の付き人がさっと2本分購入した。そのうちの1本を渡され、すみません、と董子は頭を下げる。慌てて財布を開こうとしたが押し止められ、再び頭を下げた。
「ハロウィンパーティーのちょっとしたゲームって、どんなことをするんでしょうか?」
「わかるわけがない。参加したことがないのだから」
それはそうか。
滝澤の簡潔な答えに、董子は首をすくめ、リンゴ飴の表面をぱき、と少しかじる。美しく整えてもらったリップが、できるだけ崩れないようにしなければならないが、もどかしい。
隣で、瀧澤はリンゴ飴の刺さった棒をくるくる回していた。
「昨年、『白砂の聖女』のハロウィンパーティーに参加した知り合いは、誰でも気軽に楽しめるような、コミュニケーションゲームだったと言っていた。常に皆のことを考えるあの方らしいものだった、と」
「ええ? 知ってるんじゃないですか。というか、『ハクシャ』……?」
「『白砂の聖女』だ。総代表の土御門千聖様の異名だよ。聡明で慈悲深い、総代表の鑑のようなお方だ」
また、総代表ーー。
刹那、董子の脳裏に、凄絶な影が過ぎる。
正反対の無色彩を身に纏う、禍々しい美しさの雨の魔術師と雷帝。あるいは、姿さえ見ていないのに、その人の噂が運ぶ影すら美しい妖精。
おそらく、土御門千聖も同様の、ただ人ではないのだろうと、容易に察しをつけることはできた。
「いや、本当に知らないんだ。人から伝え聞く、『白砂の聖女』のハロウィンパーティーはそうだった、ということしかわからない。ハロウィンパーティーのゲームは総代表によって内容が変わるらしい。今年は、あの『豪炎の獅子』が催されるのだから、さぞや規模が大きなものになるのだろうと噂にはなっているがーー」
ヘイゼルを眇め、瀧澤は菫子の背後の何かに気がついたように、はっと口を噤んだ。「すまないが、ここで一旦別れよう。後ほど会場近くで落ち合うことにしたい」
「えっ?」
「では」
茫然とする董子を置いて、瀧澤は踵を返し去っていった。
「よお。もしかして、とーこか?」
振り返るとそこには、ニヤリと片頬をあげて笑う風祭純心。その後ろから顔を出した愛くるしい双子がにこにこと手を振っていた。
「屍の花嫁か。見事に化けたよなぁ。その格好だと、マジで誰だかわからんぜ」
風祭は感心したように董子を眺めたが、そういう風祭こそ、なかなかの男ぶりだ。
普段は下ろしている前髪を上げると、その平凡だと思っていた顔立ちが、すっきりと整っていることがわかる。
細身のモノクロのストライプ柄のジャケットに、少し腰周りを膨らませたデザインの足首に向かって細身になるパンツ。
首元にはサテンのリボンが結ばれており、端整な横顔の頬には、漆黒の涙型と星型のペイントが大きく施されていた。
風変わりな装いだが、どこか洒脱で、風祭の雰囲気には似合いだった。
「そのドレス、良く間に合ったな」
「うん。誰かが贈ってくれたみたいなんだけど、その反応はーーやっぱり、風祭くんじゃなかったんだね」
あるいは、風祭が贈り主かと思っていた董子であったので、肩透かしを食らった気持ちになる。
「さっき一緒にいたの、2年の瀧澤さんだよな。あのひとからじゃなかったのか?」
董子は首を横に振った。ふうん、意外、と風祭。「まあ、とーこも隅に置けねぇってことか。お前にも崇拝者がいるのかもな、やるじゃん」
「すぐそうやってからかって……」
そんなものいたら、あんなに困っていなかったことは間違いない。
冗談半分に抗議した董子に、ははと風祭は快活に笑い、併せて双子たちもきゃらきゃらとはしゃいだ。
パーティーまでは時間があったため、学内を見て回ることにした4人だった。
董子はハロウィンには詳しくなかったが、風祭たちが簡単に教えてくれる。
「由来は、紀元前の古代ケルト民族の習慣らしいぜ」
古代ケルトの新年は11月1日。その前夜の10月31日から、秋の収穫物を集めて盛大に祭りが行われたという。またこの日には、死者の世界と現世とが繋がり、先祖の霊が戻ってくるとも信じられていたらしい。
「ハロウィンに戻ってくるのは、ご先祖さまの霊だけじゃないのよ~」
「悪魔や魔女や、さまよえる魂たちも戻ってくるんだって~」
きゃーこわ~い、と双子は、微塵も恐怖など感じていない様子で、董子のそれぞれの腕にしがみついてきた。なんとも愛らしい猫と魔女のその仕草は、周りの視線を釘付けだ。
「仮装するのは、そういうのから身を守るためらしいーーとはいいつつ、もはやその目的は形骸化だな」
周囲を見渡し、自らを見て、そう皮肉っぽくまとめたのは、非常に〈らしい〉。
その後、クモの巣的当てで、全員が真剣に景品を狙って一喜一憂したり。ミイラ巻きゲームで、風祭がトイレットペーパーでぐるぐる巻きになる様子に大笑いしたり。大きなスプーンに目玉を模したボールを乗せて競争する目玉リレーでは、花怜と杏奈がさすがのコンビネーションを見せ、盛り上がったり。
ーーここに、貴登もいればなぁ。
ふいに董子の脳裏に、幼い頃、一度だけ一緒に地元の夏祭りに行った弟の姿が蘇る。
お互いすでに別々の家に引き取られた後、特に貴登は必要以上の外出は許されていなかった。
今、考えてみれば、貴登には異能めいた兆候があり、また、あの保護者の性格を考えれば当然の対応だっただろう。
董子とて幼く、それを理解していたわけがなく、弟が望むことはなるべく叶えてやりたいと思っていたことは確かだった。
そのため、月に数度の面会の日。地元の夏祭りに羨望の眼差しを向けた弟を、勝手に連れ出した。
ーーとーこ、すごいね。
金銭は持たされていなかったため、ただ手を繋いで夜店を見に行っただけだった。
でも、弟は見たことがないような無邪気さでくしゃりと笑った。
その後は、貴登の魅惑にあてられた人間と犬に追い回され散々だったため、弟とはそれ以来祭りに行ったことがない。
さらに、弟の保護者から会うことすら良い顔をされなくなり、中学に上がってからは、保護者には隠れて会っている状況だった。
それなのに、董子自身はいつも楽しい時間を過ごしている。
それなのに、なぜーー。
(貴登ーー)
その時、ふいに視線を感じた気がした。うなじに、焼けつくように強い視線。董子は思わず振り返る。
小腹の空いた4人は、カボチャのミートパイを食べようとしていた。
振り返った先の背後には、ドレスアップしてカップルが怪訝そうな表情をしている。董子たちはミートパイを買う行列の一番前に並んでいたのだから、後ろに並んでいただけ。当たり前である。
「どうしたの~?」
「どうかしたの~?」
「ううんーー」
双子に不思議そうに声をかけられ、董子はかぶりを振った。雨の魔術師からの預かり物である濃灰の瞳は、誰にも見られないよう、太ももにガーターベルトで固定してある。それがじわりと熱を持った気がした。
そして、太陽は暮れなずみ、闇の帷が下りる気配で満ちる。日中と比べればやや肌寒さが増し、心もピリリと引き締まる。とうとう定刻ーー。
学内に出張していた美雨がわずかな空き時間を駆使し、化粧や着崩れを直してくれたのには頭が上がらない。夜は少し濃い化粧が映えますのよ、と優雅に微笑んだのがやけに印象的であった。
再び瀧澤と落ち合った時には、すでに風祭たちもパートナーと一緒になっていた。
風祭は花怜、杏奈は見知らぬ男子生徒を連れている。隣のクラスの男子生徒は伊崎と名乗ったが、にこやかな魔女の杏奈に腕を組まれ、正に魔法にかけられたように心ここにあらずといった様子だ。
「伊崎くん、今日はよろしく~」
「うふふ。伊崎くん、よろしくね~」
猫は気まぐれとばかりに花怜も、伊崎の空いているもう片方の腕に寄り添う。伊崎は真っ赤にのぼせ上がり、今にも気絶しそうになっていた。
「ふん、聞きしに勝る邪悪めーー」
小声で吐きすてた瀧澤に、董子はギョッとする。
風祭はニヤリとした。「瀧澤さんですよね? 初めて話すのに、それはひどくないですか」
「気分が悪い。行くぞ、庶民」
促され、その場から董子は連れ出される。手をヒラヒラと振る風祭が遠くに消えて、瀧澤はようやく立ち止まった。
「瀧澤さん、さっきのーー」
「さて、行くならさっさと行こうじゃないか。……僕まで同類と思われてはかなわない」
その鼻梁の整った横顔は、明確に董子の質問を拒絶していた。
『豪炎の獅子』こと、波々伯部神波の本拠地・通称『煉獄城』に招き入れられた一般生たちは、その豪奢さにすでに圧倒されている。
基本的に、学内の建物すべては非常に堅牢であり、長い年月を風雨にさらされた要塞めいた重みを感じさせる造りである。
しかし、この煉獄城はそれに加え、華々しさを持ち合わせている。それは広いハロウィンパーティーの会場の端々に、照明として揺らめくあまたのロウソクが浮かび上がらせる、漆黒と真紅と黄金を基調とした設えが、そう思わせるのかもしれない。
会場には、すでに目もくらむようなご馳走の数々が山のように並んでいた。
そこに、ハロウィンパーティーに相応しい装いの学生たちがさざめいている様が、さらなる彩りを添えていた。
「あの、瀧澤さん。さっきのーー」
「おや。我々は注目されているようだぞ、庶民」
さすがに場馴れしている瀧澤は、董子に飲み物を渡しながら耳打ちした。
気がつけば、周りが瀧澤と董子を好奇の目でみて噂し合っている。
ーー居心地が悪い。
少なくとも、風祭のことを確認している場合ではないことだけは確かであった。
「瀧澤さん、私たち何か……?」
「言っただろう? ずいぶん見違えた、と」
瀧澤はヘイゼルの片目を閉じて見せた。
董子はきょとんと目を丸くする。
「瀧澤くん、そちらの美しいお連れの方は?」
「いや、今日は僕の方が連れでね」
如才無く瀧澤が応じると、一斉に人が群がってきた。どうやら、見慣れぬ董子について探りを入れて来ているらしい。瀧澤は顔が広く、スムーズに彼らをあしらっている。
混乱している董子は慄くも、瀧澤が合間に囁く。
「話さなくていい。ボロが出る」
「すみません……」
「この様子では、能力者たちは、まだ来ていないようだ。もちろん、総代表も。まぁ当然だろう」
ふいに、会場のざわめきが増した。
能力者たちがぞくぞくと入場してきたのだ。なるほど、一般生より格段に整った容貌の者が多い。
さらに、そこに悲鳴が加わった。
「総代表、高等部2年、瀬野様。ご入場されます」
案内とともに入口に現れたのは、嘴を模した革マスクの不気味な集団であった。いずれも顔は見えず、その手には木の杖。揃って漆黒のつば広の帽子とコートめいた衣装をまとっている。
その様は、まるで大鴉の軍団だった。
集団の最後方にいた一人の嘴マスクが前へ進み出、苛立った態度でマスクに手をやる。
現れたマスクの下の白皙の顔は、遠くからでもひと目で誰なのかがわかる。
一瞬、その白眼がこちらを捉えた気がした。
しかし、すぐに視線は周囲を睥睨したので、董子の思い違いだった、のかもしれない。
雷帝は集団を引き連れ、会場中央へと進みいった。
「総代表、高等部2年、土御門千聖様、ご入場されます」
続いて、案内されて来たのは、正しく『聖女』だった。
足首まである純白のドレスは、制服を元にした衣装らしく、どこか簡素である。しかし、それが逆に何者にも侵しがたい気高さを印象づける。
背の高い男子生徒に細い手を預けているものの、その背筋が伸びた立ち姿は、見るものがひざまづきたくなる圧倒的なオーラを放っている。
土御門千聖は、ゆっくりと顔を上げた。シンプルなダウンヘアにアレンジされたブルネットが、艶やかに揺れる。
董子は、息を飲んだ。
その細面は、すべてが包帯に覆われているーー。
去っていく土御門の美しい背中を見送る周囲からは、さざめきのような感嘆が漏れる。
「さすが、清廉を尊ぶお方」
「ほぼ、普段通りのお姿でおわされた」
「だが、美しい」
「お近付きになれれば」
ちらりと瀧澤を見遣れば、細めたヘイゼルだけで董子を見ている。
ーーさて、何を望む?
董子の目的は、情報収集ーー特に、能力者以上の学生からの、だ。
「目立つことを心がけろ」
「目立つ……?」
「今、お前は少しばかりだが注目を集めた。だが、それでは足りない。そこに、さらに己が際立っていることを示す。ーーつまり、勝利するんだ」
勝利とは?
刹那、会場は暗闇に閉ざされた。揺らめいていたキャンドルがすべて消えていた。ロウの燃えた匂いが、董子の鼻腔を刺す。
何事だ、と少し騒ぎになり、それが広がりかけたところだった。
「ーー今宵はいい夜だ。なぜなら、死霊が戻る」
少しかさついた低い声が、響く。
次の瞬間、白さに目が眩む。一斉に照明がつけられたとわかったのは、会場の中心に燃え盛るような炎が現れたからだ。
いや、炎ではない。
真っ赤な長髪の男だ。整ってはいるが、野生味を感じさせる顔立ちには、不敵な笑みがよく似合う。
名は体を表す。さすがの董子にも、それが誰なのか窺い知れた。
『豪炎の獅子』ーー波々伯部神波。
「ごきげんよう、クソ虫ども。今日はせいぜい楽しんでいってくれ」
それは、ハロウィンパーティーの開始を告げる合図であった。