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モモコ ―小説版・桃太郎―  作者: 坂本小見山
第Ⅱ部 桃子元服姿 -Momoko ga Kagapurisugata-
7/8

第四回「夜明け」

  (十八)



 翌朝、キヨメの葬儀が行われた。使用人の身分なので、事々しい葬儀はせず、彼女の死霊が祟らぬことを祈るだけの、簡素なものであった。

 キヨメの正体について、モモコは誰にも喋らなかった。



 昨夜、モモコは、半狂乱になってシロたちと争っているところを、戻ってきた使用人に発見された。状況から、自刃をしようとしたところを、彼らに止められていたのだと知れた。そして、彼が動物の言葉を解せなくなっていることも気付かれてしまった。


 報せを聞いて飛んできたサララミミは、モモコを宥め、やっとのことで落ち着かせた。サララミミは、決して訳を訊こうとしなかった。モモコにとって、キヨメは大切な存在だったのであり、それを失ったことへの悲しみのためだと思ったのだ。

 しかし、実際は、それは罪を贖うためであった。もし罪から逃れる方法があるとしたら、自刃しかないと思ったのだ。だが、それも今は、サララミミ邸の使用人に見張られており、叶わなかった。


 怪我の治療を受けた彼は、養生のために帰国を延期することになった。



  (十九)



 葬儀の翌朝、事件が起こった。


 サララミミの使用人が、厩の裏側に放置されていた、あの財宝を発見したのだ!


 サララミミに連れられて、モモコは、杖をついてそれを見に行った。すると、そこにあったのは、紛れもなくあの財宝たちであった。

「これはどういうことだ」

「恐らく、復讐を恐れて、返しに来たのです」

 モモコはそう推察した。

「なんと、小心な奴らよ!」

 サララミミはそう言ったが、モモコは「違う」と思った。しかし、それを口に出せなかった。

 サララミミは、事情を何も知らないのである。


 恐らく「(れい)」たちは、キヨメがモモコに倒されたと思ったのだ。そして、モモコが今度は自分たちを滅ぼしに来ると思い、それに先んじて、降参の意を表すべく財宝を返還したのだ。

 実際は、モモコにそのような気は微塵もなかったのに。



 モモコは、一旦サララミミと別れ、自分の小屋に向かった。そこに、シロが鳴きながら寄って来たが、やはりその声を言葉として聞くことはできなかった。

 キヨメの死が、彼の渇望を永遠に不可能にしてしまったからには、たとえ財宝が戻っても、彼は二度と子供には戻れないのだ。

 モモコの望みは、最悪の形で叶ったのだ。夥しい喜びの代わりに、もたらされたのは、夥しい自責の念であった。


 小屋に入り、傷付いた体を菰に横たえたとき、そこに、先ほど別れたばかりのサララミミが入ってきた。

「モモコ、ちょっといいか?」

「勿論です」

 モモコは横たえた上半身を再び起こした。

 サララミミは腰を降ろし、目線を落としたまま言った。

「神官としての力がなくても、お前には槍がある。刀がある」

「ありがとうございます」

 モモコは、いかにも儀礼的な返答をした。サララミミ自身も、自分の言葉がモモコの心に少しも響かなかったことを察した。

 彼は、モモコの目を見据えた。モモコは目を合わそうとしなかったが、構わず言った。

「なあ、モモコ。もう死のうなんて思うんじゃない」

 モモコは憔悴した面持ちのまま、否定も肯定もしなかった。

「モモコ。キヨメだって、そんなことは望んでないんだ」

 モモコの心は引き裂かれそうになった。自分にこんな慰めの言葉を掛けられる資格はないのだ。だが、それを言うには、キヨメの正体について言及せねばならない。さすれば、モモコはキヨメに対する罪を、更に重ねることになるだろう。こうやって黙りこくっていることすら、慰めの言葉を不正に得ていることなのであり、モモコの心を苛んだ。


 モモコの心中を知る由も無いサララミミは、徐にモモコの左手首を掴むと、その手に何かを乗せた。それは、小さな巾着袋であった。モモコは、それに見覚えがあった。昨日の朝、キヨメが渡そうとしたものだった。

「それがキヨメの気持ちだ」

 サララミミは言った。



 モモコの胸の中に、不安が広がった。中を見るのが堪らなく怖かった。巾着の口に遣った右手が、激しく震えていた。


 許されるなら、この巾着をサララミミに突き返し、目も耳も塞いでしまいたかった。だが、サララミミの真摯な眼差しを見ると、まるで親に叱られている子供のように、不条理な強制力によって反抗の自由を奪われてしまった。


 今までに、自分の心臓の鼓動が、こんなにもはっきりと聞こえたことはなかった。それは、隣にいるサララミミに聞かれてしまうような気さえするほどに力強く、暴力的でさえある拍動だった。



 巾着の口を開け、翻して中身を出したとき、自分を除く世界の時間が止まり、永遠にこの瞬間に取り残されたような感覚に襲われた。

 そこに入っていたのは、黍団子であったのだ。


 モモコは震える声で言った。

「サララミミさん、これ、毒が、入っていますね、毒が」

 それは願望であった。震える彼の頬を、恐怖の涙が伝った。彼は宛ら、母の助けを乞い求める乳児のようであった。

「何を言うんだ、モモコ。キヨメがお前のために作ったんだぞ」

 サララミミは、自分の言葉がモモコの心を容赦なく虐待しているなどとは、思いも寄らなかった。


 モモコは、それを一気に頬張り、ろくに噛みもせずに飲み込んだ。

「おい、モモコ、何をする!」

 サララミミの手が、モモコの両肩を掴んだ。右肩の傷が疼いたが、気にも留めず、一心に毒死を俟った。


 だが、何も起きはしなかった。毒など、入ってはいなかったのである。

 モモコは、最悪なる現実を認めざるをえなかった。キヨメのモモコへの殺意は、疾うに消えていたのだ!

 キヨメにとって、「(れい)」としての使命と、モモコへの忠義との、両方を裏切らずに済む方法は、死しかなかったのである。

 だのに、モモコは、死にゆくキヨメを罵ってしまった。キヨメは、どんな気持ちで死んでいったのだろう。無念?憎悪?或いは悲しみ?斯様な禍々しき感情が、死によって、彼女にとって永遠のものとなってしまったのだ。彼は、キヨメを、終わりのない苦しみの世界に蹴落としてしまったのだ!



 モモコは奇声を発しながら、自分の衣を破った。サララミミは止めようとしたが、振り払われてしまった。

 サララミミの使用人たちが、騒ぎを聞いて駆けつけ、喚いて暴れるモモコを取り押さえた。彼は、使用人の腕を振り払おうともがきながら、泣き叫んだのだった。

「キヨメ、許してくれ!許してくれーっ!」



  (二十)



 季節が廻り、再び早苗の季節が来た。


 ある朝、サララミミは、財宝がなくなった社の境内をそぞろ歩きながら、モモコのことを思い返していた。今のサララミミの脳裏に浮かぶモモコの想念は、一年前のそれとはまるで別物のようであった。

 一年前、サララミミはモモコに対して、ある種の脅威を感じていた。今にして思えば、そこには嫉妬も含まれていたかもしれない。だが、いま思い返されるモモコは、もっぱら憐憫の対象であったのだ。



 黍団子の一件があった日の夜、モモコは、突然、キヨメの声が聞こえると言い始めたのだ。そして、キヨメが許してくれたと言って、俄かに快活さを取り戻したのである。

 その後彼は、キヨメの頼みだと言って、財宝を全て処分してしまったのだ。金塊はそのままの形で、その他の財宝は、元の形が判らない程度に切り分け、いずれも売り払ってしまった。そうして得た米も、全てひもじい人々に与えてしまった。

 そして、冬の寒い時期に、彼は蓑笠を纏い、東を指して人助けの旅に出たのだ。物乞いをして命を繋ぎ、もし糧が得られなければ、そこで倒れる心積もりで。それも、キヨメの声が彼に要求したことだと言うのだ。


 勿論、仮にキヨメの死霊がいたとしても、霊能力を失ったモモコに、その声が聞こえるはずはないのだ。

 彼が、彼自身を赦し、且つ、罪滅ぼしに仕向けるために作り上げた、妄想であると思われた。

 サララミミは、モモコの自責の念の由を知らなかった。だが、逃れる道が狂気にしかなかったということから、それが如何に巨大なものだったかが推し量られた。

 それにしても、あのような善良な青年が、それほどの責め苦を受けねばならない罪とは、一体何だというのだ?サララミミには、モモコが不憫に思えて仕方なかった。



 ふと、サララミミの胸を、ある考えが過った。

 見方によっては、キヨメの声とやらは、彼の妄想ではなく、狂気の世界に、確かに存在するものだったとは言えまいか?

 モモコの精神は、嘗てのような、日常に立脚しつつ非日常との繋がりを保つものではなくなり、完全に非日常の世界に移住してしまった、とも言えるのだ。


 そこまで考えたとき、サララミミはその観念を振り払った。

 そして思ったのだった。

 そろそろ、今日の仕事に取り掛かろう。自分は、狂気の世界の住人ではない。すべきことは、あちら側の世界ではなく、この現実の世界に、いくらでもあるのだ。



  第Ⅱ部・おわり

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