第一回「勇者の行軍」
歴史上の一時代たる「現代」に生きる我々にとって、桃太郎とはいかなる物語であるのかを分析し、小説における再構築を試みる。
第Ⅰ部 桃子 -Momoko-
原作:本邦の民話「桃太郎」
(一)
人が、自然と共に生きていた時代のこと。
本土にあるKibï(「キブ」のように「キビ」と発音されたい)という国家の山を、一匹の白い犬を連れた少年が越えようとしていた。
「Kepu nö utu ni, yama wo kamö kosayëmo?
(今日中に山越えできるかなあ?)」
少年が言った。
「Ama si arëni aramu pa.
(空が荒れさえしなければ)」
犬が返答した。犬は、荷車を牽いていた。
少年は、空に訊いた。
「お空様、今日は雨模様になるご予定ですか?」
秋晴れに晴れ渡った、巨大な空は、即座に返答した。
「Ina, puru masizi.
(いや、降らない)」
「そうですか。どうも」
少年は、齢は十を満たしたところで、左右の角髪に挟まれた、瑞々しい白磁のような肌には未だ髭も生えぬ、少女とも見紛うたおやかな美少年であった。だが、出で立ちは飽くまで勇ましく、腰には、反りのない真っ直な刀が提げられ、水色の衣の両胸には桃の意匠が配されていた。薄くれないの唇は一文字に結ばれ、その瞳は虎のように鋭く、どこか浮世離れしていた。そしてその額には、桃の意匠を中央に配した鉢巻が締められていた。
それからしばらく歩いたとき、それまで少年に雁行していた犬が、彼の前に飛び出した。
前方に猿がいたのだ。
犬は、怯えながらも、少年を庇うように立って、猿に向かってしきりに吠えて威嚇した。
「やめないか。あの猿さんに殺気はない」
少年は、犬の内なる小心と忠実との同居を見透かして、微笑みながら言った。
「猿さん、失礼したね」
猿は応えて会釈したのち、少年に言った。
「Kepu, yama wo ya kosasemo?
(今日、山越えをなさるお積りですか?)」
「ええ。今日は降らないそうですから」
「やめるべきですよ。今日は降ります」
「空様本人に確かめたんですよ」
「風向きが変わったのです。風の吹く方向に雨雲がありますから、今日山越えをするという判断は正しいとは言えません」
言われて、少年は空を見た。なるほど、猿の言に相違はなかった。
「それもそうだね。ありがとう。引き返すよ」
「私の洞穴に泊まっては如何ですか。少し遠いですが、ご案内しましょう」
二人は、猿の好意に従うことにした。
三人が歩いているとき、犬が、離れたところからこちらを凝視する、一羽の大きな鳥を見出した。それは、土色に、黒の斑模様の鳥であった。
「あれは変わり者の雉ですよ」
猿が言った。
「立派な鳥ですね」
犬が感心して言った。
「彼女の考えていることは、誰にも判りませんよ。偏屈で通ってますから」
猿がそう言ったのが聞こえてかどうかは定かではないが、雉はそっぽを向き、飛ぶような速さで駆けて行ってしまった。
一行が洞穴に至ったときには、猿の予想通り、既に雨が降り始めていた。
「ありがとう。お陰で遭難せずにすみました」
「実は私も空さんに確かめたのですが、この時期の空さんは気が変わりやすいですから、自分の目でも確かめるようにしているのです」
「面白い猿さんですね。気に入りましたよ」
少年は嫣然と笑ってそう言った。
少年と猿はすっかり意気投合し、外に雨音を聞きながら、時を忘れて語らった。犬は、語らいに参加するでもなく、傍らでただ相槌を打っていた。
話の流れの中で、この猿は、今でこそ一匹だが、嘗ては群れにいたのだと言った。そして話はまた取り留めのない話に戻り、やがて少年による、この猿の頭が切れることに対する賛辞が連ねられると、猿の面持ちに、徐に物憂さが現れた。
「道理を通すと、世の中では却ってやっていきづらいことの方が多いものです。群れから追い出されたのも、それが遠因でしてね」
「苦労してますね」
少年は溜息混じりに言った。
「御免なさいよ、湿っぽい話を」
「いいえ。もし良ければ、これからは僕たちを新しい群れだと思ってくれませんか」
「そう言ってもらえると嬉しいですね」
猿は俄かに嬉々とした。
「社交辞令じゃありませんよ。あなたのような知性は、僕たちにはありません。初めて会ったときから、何と言うか、欠けていた土器の破片が見つかったような心持ちです。あなたの良さが判らないような群れには、失礼ながら、余ほど見る目がなかったということです」
少年は朗々と語ると、腰に提げた巾着から、何かを取り出した。
「これは、里にいる両親から餞別に貰った黍団子です。僕にとっては八つの島で一等の品ですが、良ければ食べてください」
「そんな大切なものを、良いのですか?」
「友情の証です。これからは君、僕で付き合おう」
「ありがとう。そう言えば、お名前を聞いていませんでした」
「僕の名は、Momokoだ」
「宜しく、モモコ兄さん」
(二)
三人はいつしか眠り、再び目覚めた朝には、雨は疾うに止んでいた。
モモコと犬が出立すると、猿は、途中まで見送るべく、荷車を押して二人に伴った。
「これから、どこに行かれるのですか?」
猿がそう質問したのを聞いて、犬は、はたと気付いた。モモコは、自分たちのことを殆ど話していなかったのである。それ程までに、昨日の語らいは猿の一方的なものだったのだ。
しかし、この猿が、身の上話を好むような性格には見えなかった。モモコの微妙な相槌の連鎖が支柱となって、猿の独白という蔓の伸長を誘っていたのだ。
歩きながら、モモコは表情を引き締めて言った。
「『霊の島』さ」
それを聞いた猿の赤い顔から、俄かに血の気が引いた。
「そんな危険なところに、なぜ?」
「『霊』たちを、退治しないといけない」
「ああ、あなたがそんな、お国のために大切な方だったとは・・・」
猿は、すっかりモモコを尊敬してしまった。
やがて峠を越えたあたりで、モモコは猿に言った。
「ところで、『霊』は人々を苦しめていると聞いているんだけど、本当?」
「ええ。内陸部から来たあなた方はご存知ないかもしれませんが、港町が過去に何度か荒らされたそうです」
「聞いた限りだと、誇り高き荒ぶる神というわけでもなさそうだね。ある程度叩けば、降参するかなあ」
「奴らは、血も涙もない邪神ですから、遠慮は無用ですよ」
そこに、犬が口を挟んだ。
「モモコさん、私たちの目的は民族自決じゃなかったのですか?血を流すのが目的ではないはずです」
「犬さん、そのような甘い考えでは、生け捕りにされて、妖怪を崇める気味の悪い儀式の生贄にされるのが落ちですよ」
モモコと猿の話は、どんどん具体的になってゆき、人里が見えてきても尚、終わる気配を見せなかった。猿は、告別の機会を窺っていたのだが、それが訪れたときに限って、モモコが、猿の知略を褒めるので、猿も悪い気はせず、ついついより具体的な戦略を提案してしまうのだ。
「君の案は、どれも惚れ惚れするほど素晴らしいよ。君のような頭脳は、僕らの宝だ」
「いえ、いえ、お恥ずかしい・・・」
「君は前線に立たなくていい。参謀の役割をしてくれ」
そう言われて、猿は面食らった。彼は、見送りが済めば別れる積りであったのだ。
猿は、自分の言動を顧みた。尊敬するモモコに褒められて、好い気になっていたとは言え、具体的な論をああも展開したのだから、自分も参加すると言っていたようなものではないか?猿はそう考え、自分の言動の責任を果たすことにした。
「素晴らしい仲間が見つかって良かったねえ」
「ええ、そうですね」
「私でお役に立てるなら・・・」
犬は、昨日からのことが、モモコの強引な篭絡の策略であったと気付き、慄然とした。そして思った。もしや、自分がモモコの従者となったのも、策略の結果なのではないか?と。
犬は、飢えて倒れていたところを、モモコから例の黍団子を貰って助けられ、忠誠を誓うに至ったのだ。
しかしながら、犬の場合と、この猿の場合とでは、いささか事情が異なっていた。というのも、モモコは、犬に対しては、大切な黍団子を渡すことに、僅かに躊躇いを見せたのだった。それに、モモコの従者になったのも、犬自身の意志であり、モモコは付いて来いとも何とも言わなかったのだ。
犬に対する無償の慈悲と、猿に対する巧妙な策略。一体全体、どちらがモモコの涼やかな美貌の裏に存しよう本質とみるべきか、犬は困惑した。
人里に出たとき、日は既に頭上に昇っており、辺りを仄かな潮の香が漂っていた。
(三)
三人の足が港町に差し掛かったとき、声を掛けてくる者があった。三人は、声の方を顧みた。
「Ya, ya, Momoko nö mikötö. Adömö pa "gáng" ni ari.
(もしもし、モモコ様。我々は『ガァン』でございます)」
それは、六頭の、巻き毛に覆われた、白い牛のような獣であった。
話しかけてきたガァンに、モモコは微笑み掛けて言った。
「ガァンですって?初めて見ました。なぜ僕の名を?」
「風さんが噂話をしていたものですから。何でも、『霊』への反乱をなさるとか。それも、たったのお三方で」
「ええ」
モモコはガァンに歩み寄り、好奇心の赴くまま、その細い指にガァンの巻き毛を絡めて弄んだり、角を撫でてみたりした。
「モモコ様、敵の兵は数十人に及ぶと言われています。三人では心許ないのではないですか?ひとつ、我々が力をお貸ししましょう。我々は、一人ひとりは弱いのですが、六人が結束すれば強いのです」
ガァンは、喋っている間中、モモコが珍しがって体のあちこちを点検するので、落ち着かなかった。
「あちこち触って御免なさいね。あんまり珍しいものですから」
そう言いながらも、モモコはガァンの、弦を上に向けた弓のように細長い瞳を覗き込み、興がっていた。
「さもありなん、我々は大陸の出身です。人間に連れられて秋津島(本土)に来たのですが、秋津島の自然と反りが合わず、多くの仲間が死に、今は我々六人しか残っていません」
モモコは漸く観察に飽いて、距離を置いた。
「それは気の毒ですね」
「そんなことより、たった三人では犬死にしに行くようなものですよ。我々も『霊』の征伐にお供しましょう。つきましては、一つお願いが・・・」
「ほう、何です?」
「お腰に付けた黍団子を、我々に一つずつ下さい」
傍らで聞いていた猿は、安堵の溜息を漏らした。ガァンが提示する条件によっては、モモコに忠告せねばならないと思い定めていたのだが、その必要はなくなったのだ。
モモコが、
「なぜこんなものを欲しがるんです?」
と訊くと、ガァンは
「これも風から聞いたのですが、何でも、八つの島で一等の品ですとか」
と答えた。
すると、モモコは失笑して、言った。
「どこで聞きかじったのか知りませんけど、僕にとっては成るほど一等の品です。両親が、お国のために戦う僕に、『キビ』と掛けて持たせてくれたのですから。でも、他人が食べても、別段旨いものではありませんよ」
ガァンは、口には出さずとも、その瞳に猜疑心を露呈させた。
「いえ、いえ。それはご謙遜というものですから、それを下されば、我々は喜んでお供します」
ガァンは、猜疑心を表に出さぬまま、本当は美味なのであろう黍団子を要求する言い回しを選んだのだ。
モモコは、俄かに面持ちを引き締め、冷然と言った。
「折角だけど、この黍団子の値打ちの解らないあなた達に、渡す気にはなれませんね」
思いがけぬ鋭い口調に、ガァンたちは尻込みしてしまい、互いの顔を見合わせた。
モモコは構わず続けた。
「それに、自分たちの助けがなければ犬死にするぞ、というような、脅迫染みた言い方もするべきではなかったね。悪いけど、君たちと共に戦うつもりはないよ」
捲くし立てるようにそう言うと、モモコは、うろたえるガァンの群れに背を向け、足早に歩き始めてしまった。
犬と猿は、荷車を動かして、急いでモモコの後を追った。
(四)
不機嫌そうに歩くモモコに、猿は訊いた。
「兄さん、なぜ断られたのです?」
モモコがガァンたちの申し出を拒絶したのは、直感によるものだった。考えるより先に、彼らとは反りが合わないと心で気付いたからなのだ。
だから彼が、猿にそれを説明するためには、自分のこの直感を分析せねばならなかった。
だが、それも面倒になって、単に
「いけない?」
とだけ、微笑を作りながら言った。
「いえ、勿論、兄さんの判断を信じていますが、悪い話ではなかったのではありませんか?」
「すまないけど、僕には、あの人たちと上手くやっていく自信がないんだ。駆け引きで得た兵隊なんか、僕は欲しくない。そのことを、あの人たちはまるで解っていない」
そこに、犬も、上目遣いで、声を低めて口を挟んだ。
「それにしても、ああもご無体に仰らなくても・・・」
「いや、はっきり言ってやらないと、付け上がって、言葉を変えてまた交渉に来るだろう」
「腹を割って話してみたら、案外良い方たちかも知れませんよ」
「それなら、なぜ彼らはうろたえてばかりで、一言も反論できなかったんだい?彼らは言ったね。自分たちは一人ひとりは弱くても、結束すれば強いのだって。結局、一人では何も出来ないやつらなのさ。それが何人集まっても、同じことだよ」
彼らの会話を聞いていた猿は、感情的なものとばかり思っていたモモコの行動が、意外にも理路整然とした意向を伴っていたので、予測と実際との落差で、モモコの賢明さが強調され、彼を益々尊敬してしまった。
「感服しました、兄さん、いや、御大将。あなたに付いて、どこまでも行きましょう」
そう言われて、モモコは面映くなり、本当は直った機嫌が、まだ悪いかのような口振りで言った。
「いやな方法で手に入れた力は、所詮いやな力さ。損得勘定で手に入れた仲間は、損得勘定で裏切るに決まってる」
そのとき、膝ほどの高さを、何かが、矢のように飛んできて、三人の前に止まった。
犬と猿は、荷車を離れてモモコの前に素早く飛び出し、彼を守った。だが、すぐにその正体が判った。
「なんだ、昨日の雉さんじゃないですか」
「Wo, wo, siku ari. A pa kigisi ni ari.
(ええ、ええ、そうですわ。私は雉でございます)」
雉は慇懃に、しかも毅然として挨拶した。
「実は、ガァンどもにあなた方の噂を流したのは、この私なのです」
それを聞いて、モモコたちは驚き、訳を訊いた。
「私が、ガァンどもに、モモコ様の黍団子はこの上ない美味だと吹聴したのです。あなた様の本性を見極めるために。そしてあなた様は、勇敢にも信念を貫かれた。これで、あなた様が、付き従うに値するお方だと判りました。お試しした失礼はお詫びします。何なら、どうぞこの首をお斬りください」
そう言うと雉は、目を瞑って、首筋をモモコに向けた。
モモコは、腰の辺りに手を遣った。だがその手は、刀の柄ではなく、黍団子の入った巾着を取った。
「その勇敢さが気に入ったよ。勇敢な仲間を、勇敢な行動の結果得る。これほどお誂え向きなことはないよ。ねえ、犬」
そう言ってモモコは、雉に渡す黍団子を手の上で転がしながら、犬を意味ありげに顧みた。
犬は、自分たちがモモコの従者になったときのことを思い返した。
犬が従者になったのは、モモコの「優しさ」に基く行為の結果であった。
猿が従者になったのは、モモコの「知略」に基く行為の結果であった。
そして雉の場合は、モモコの「勇敢」に基く行為の結果だというのだ。そしてその雉が「勇敢」を司る従者なら、先のガァンは、さしずめ「信念なき結束」を司る従者になるところだったのではないか。そして同様に、犬は「優しさ」を、猿は「知略」を司るのであろう。
これは、モモコの中に、猿を篭絡したときの「知略」をも統御する、もっと総合的な「知略」が存在することを意味していた。そしてそれは、思考機能の枠内に収まるものではなく、もっと深く、精神の深奥から、モモコの一挙一動に至るまでを統御する、言わばモモコの「魂」とでも言うべき種類の「知略」なのである。
だが、犬は、そのことに関心を持たなかった。モモコが自分を助けてくれたのが、偽りのない「優しさ」故であった。そのことが確認できただけで、彼は満足してしまったのだ。
その「優しさ」もまた、件の総合的な「知略」の内にあるというのに!
雉を加えた四人は、港町の歓迎を受けた。村人たちは、モモコのことを夙に噂で知っており、敬愛していたのである。
四人は、港町での歓迎の宴を辞退し、代わりに、一隻の立派な船をもらった。モモコの指示で、船縁に、船を覆うように盾が取り付けられ、櫂を出せるように隙間が設けられた。
こうしてできた即席の戦艦を港に浮かべ、四人が乗り込んだときには、日は既に沈み、山葡萄色の空の西の端に、太陽の朱色の余韻が滲んでいた。
港を出た船の船首の指す先の海面には、黒い影が浮いていた。
これこそは、キビを支配する「霊」たちが猖獗を極めるという、鬼が出るとも蛇が出るとも分からぬ、百鬼夜行の島なのだ。