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忌祓の守人~元ダメ人間の異界転生譚~  作者: 中野 元創
第三章:暗中の白、浄化の光
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第二十六話:皆で外へと出るために

 村人たちの行進は続く…が、俺は途中で抜けなければなるまい。準備は念入りに、そして慎重に行われなければいけないのだから。

 具体的には、壁の中心地点まで歩いた時点で『飛翔』を使い、基点へと向かう。

 魔法陣の形を感覚としてとらえ、それが記憶のままであり、一切の差異が無いことを確認する。

 自分でも心配のしすぎではないかとも思うが、しかし徹底して損は無い。…村という空白地帯もあるのだから。

 冷たい言い方だが、村の形をそのままに残すということは、水路による瘴気の排出に穴をあけている。村の周りの傾斜が他の場所とは違うからだ。村と避難場所には十分な距離があるため、そこまでの被害は無い筈だが、少し危険とも思ってしまう。それはきっと、俺が本当の意味でこの村の一員となってはいないからなのだろう。この村を故郷とは思わないし、思い出もたった数カ月。だからこそ、安全のためなら―――という考えまで首をのぞかせる。

 今更そんな事をする気もほとほとないが、それでもこんな事を今も考えるくらいには気にしている訳だ。…もしかしたら、村人たちと同じ思いを得られなかったことに対しても、同じように。

 そんな事を考えながら感覚を最大限に研ぎ澄まし、脳内でも完全に同じものが再現できるほど記憶に焼きつける。

 一度の失敗も許されはしないのだから、緊張感がなくなることなどは無い。呼吸だって乱れそうなほどだ。

 だがまあ、そろそろ時間だろう。

 俺はそっと北側へ、高度を下げていく。見下ろす先に見える白い光は一つだけ。それは避難用ドームの出入口と同じ場所にあり、村人全員の退避が完了している事を表していた。


「こちらの準備は完了だ。入り口を閉じてくれ」

「浄化の力を使えるようになったのは、私たちもだから」

「分かりました。皆さんも頑張ってください」


 地上へ降りてきた俺に、ナルク夫妻がそう声をかける。


「タクミ、やることは変わらないから、緊張しなくて良い」

「うん。練習と同じように、きちんと『剥離』してくる」


 ラスティアさんは俺の緊張をほぐす。こういう会話をすると、やはり師匠だなと感じる。口に出してそう呼ぶことは無いのかもしれないが、これからも長い間その認識は消えないだろう。


「壁際に浄化の力を集めて固定しておく、って凄く簡単な方法をさっき見つけたんだよね」

「…そういう手が有ったか」


 カルスには、なんだかんだでいつも驚かされるな。浄化の力を操れるのであれば、その形だって、決して体に纏うだけとも限らない訳だ。

 …その後ろから、こちらに歩み寄る男性が。


「…これまで、随分と頑張ってくれたな」

「…族長」

「苦労はさせたが、私はそれを謝ろうとは思わない」

「当たり前です。そもそも、族長や村の皆が壁を壊そうと思っていなければ、俺が外に出られたのかすら怪しいんですから」

「ああ…今日という日を喜ばしいものとして終わらせてくれることを祈っている」

「はい。…それでは、始めます」


 俺が族長にそう返せば、全員が数歩、後ろへ下がる。


「―――『加工:土砂:整形』」


 ゆっくりと、ドームとその周りの土が動き、そしてみんなが立つ入り口を、少しずつ狭め、下向きへと湾曲させていく。

 族長の高身長では、もう顔を見ることはできず…なんとはなしにカルスとラスティアさんの顔を見た。

 その時、二人の口が同じように動いたように見えたのだ。

『頑張って』と、一様に。俺の目をみつめて。

 だったら、俺が返す言葉も決まっているだろう。


「うん、…頑張る!」


『飛翔』、俺がその起句を発するまで僅かな時間も無かった。俺はその時、今までになく昂っていたからだ。

 入口からドーム中心部まで瘴気が入らないようになるまで、残り時間は一分と言った所か。ああ、だと言うのに今すぐ壁を壊したいという願望が強く胸の中で暴れる。

 それを誤魔化すように、『飛翔』の速度を上げて行く。今までに感じたことのない空気の圧力を体中で受け止め、下から見れば壁の中心から一定の距離を旋回するようなコースで飛び続ける。

 頑張る!なんて口に出したのはいつぶりだろう?少なくとも、地球で大人になってから入ったことは無かった筈だな!相当に精神が若くなっているようだが、全くそれを嫌だと感じない。

 ―――ああ、そろそろ一分以上は経ったよな。

 既に何周飛び続けたのかも分からなかったが、しかし時間として一分を越え、二分を経過していただろう。

 もう良い、十分な時間だ。そう判断した俺は『飛翔』で向かう先を変えて、その軌跡で描き続けた円の内側へ。

 中心を視線の先に据えて、それを直視できるよう二仰向けになる。空中で静止したままでいられるのは、『飛翔』の便利な点だ。

 魔法陣の回路が何処を通っているのかが手に取るようにわかる。これをすべて剥がしきり、村の皆と共に外に出る。もう単純な工程だ、落ち着いてやれば失敗など無い。

 肺の中にたまった空気を全て交換するように長く深呼吸。全て吐き出し、そして吸い上げ、再度吐く、そのちょうど中間、

 唱える。


「『剥離:魔力』」


 ぐッ、と身体に、上方から熱がかかるような感覚を得た。実際の所俺の体は微動だにしていないことから、これは俺の魔術より魔方陣の強制力の方が強いことに起因する負荷なのだろうと判断する。

 そう、あくまでも冷静に。未だに一度も実験は行わなかったのだから、何らかの形で予想外の事態が起こることもあり得るとは考えていたのだから。

 体の中の魔力を更に活用、一瞬一瞬に消えて行く魔力を感じながら、全神経を基点へと向ける。

 最初から魔方陣の端に干渉できないというのなら基部へと干渉し、何らかの形で揺さぶりを与えることが望ましい。勿論、それが出来ないからこそ基部と呼ばれているのだろうとは思ったが、


「『風刃』!」


 久しぶりに放った風の刃は、壁の外で使用していたそれと比べるまでも無く強大な圧力を伴い、飛翔する。その先は魔方陣の基部がある所と同じたったが、それだけで干渉は出来ない。ギリギリで瘴気に阻まれてしまうということは目に見えている。

 だがそれでもいい。どちらにしたって壁は削れる。そして、現状は正しく稼働し続けている魔法陣は魔力を使ってそれを直そうとする筈だ。―――そこに揺らぎは生まれる。

 惜しむらくは魔術を連射出来ないことか。三つ同時に魔術を使用する、というのは相当に厳しい。これを繰り返せばあっさりと、頭痛によって集中を乱されてしまうであろうことは目に見えていた。

 だが、もう自身でも近くできるほどに魔力の流れは揺らいだ。基部のすぐ近くの壁を壊した以上、それを直すのは基部の魔力だ。それは同時に、流れる魔力をわずかに減らした。


「『剥離』」


 再度起句を唱える…だがこれには、俺自身に気合を込め直す程度の効果しかない。…だが気合は入るのだ。

 ミシ、と、そんな幻聴を感じ取り、感覚を延ばす。すると確かに、一つの回路の先端で、魔力の流れが外れている事が分かった。

 そうなってしまえば、話は早い。

 一つ、また一つと回路の先で魔力の流れが剥がれ離され、そして少しずつ中心へと向かって行く。途中にある雑多な基部にその流れを止めることはできず、むしろ中継地点として機能するが故に更に中心を通っていた魔力ごと、引き抜いた草の根のように剥がされて行く。

 その頃には既に、海水によって反射された日光が壁の中へと入り込んでいた。土で急造した壁により、それは地上では分からない程度のものだっただろうが、確かな進歩だったのだ…今までにない、全方向からの光に、俺はそう確信する。

 だが、流石に進行は遅い。以前一度実験した基部まではまだまだ遠く、当然この中心部分まで到達するまでには長い時間がかかる事だろう。

 十分ほどかかって、ようやく地上にも日の光が満ち始める、と同時に、瘴気が水路をぬるりと流れ始めた。擬音で表現した通り、その見た目は溶けたセメントかコールタールか、と言った所。


「…って事は」


 皆が避難している方を見れば、ドームのある場所のすぐ近くにも勝機が落ち始めていた。水路は上手く作っているし、ドームの周りから傾斜は始まるのだからあそこに長く留まるとも思えないが…、水とは違いその動きは遅い。安心しきれるという訳ではない。

 だが今は集中だ。この状態で再び壁が元通り、なんて事態にするわけには行かないのだから。

 今、また一つ基部を『剥離』した。

「来た」


 ラスティア・ヴァイジールは呟く。それはこの場において、十数人が同時に感じていた。

 タクミ・サイトウにより作られたこの穴の中へ村人たちが避難してから二十分ほど、僅かな揺れを感じてから数秒の後、遂にその穴の中へと瘴気が流れ始めたのだ。

 穴の中といっても、決して暗くは無い。勿論、それは村人たちの魂光や浄化の力が原因である。

 暗い穴を満たした真白き光は、しかし流動し始める。ゆったりと、二か所へと向かって。

 そのどちらもが天井だ。一つは入り口近く、もう一つは入り口から見て右奥に当たる場所へ―――つまりはそこが、瘴気の漏れ出した場所である。


「…そこまでの量じゃない、のかな?ほとんど力を使っている感覚は無いけど…」

「…この部屋に満ちた浄化の力からすれば、そこまでの量じゃないって、だけ」

「…なるほど」


 十数人分の浄化の力の合計から考えれば、この部屋へと侵入した瘴気の量は思ったよりも多いということになる。事実としてカルスはそう考えていた。


「タクミは瘴気浴びても大丈夫な筈だけど…でもやっぱり心配だな。だって、絶対に安全って決まった訳じゃないんでしょ?」

「そもそも、壁の外では、これを身体の中に持つ生き物は、人を襲ってばかりだって。…大量に浴びない様には、すると思うけど」

「うーん」


 会話を行う間に、もう一か所瘴気が漏れ出す。こちらはどうやら今までの二つより小さいようだが、同じようにいくつも穴が空いて行けば危険だった。

 現状として、浄化の力を使わず、予備としてとどめている者が五人ほどいるので、今から三十分は持つという判断が彼らの共通認識だったが、それだってあまりに瘴気の流入量が増えて行けば容易に崩れ去る机上の空論に過ぎない。


「どちらにしろ、集中を乱さないようにしないと、だね」

「瘴気は意地でも、こぼさない」


 カルスとラスティアの発言に、周りで同じように浄化の力を発し続けていた者たちがそちらを見て、頷く。浄化の力に誰より早く目覚め、そして現状最も扱えている二人に対して、同じように浄化の力を使えるようになった村人たちはある程度の尊敬の念を持っていた。カルスにとっての教官までもが、同じようにだ。

 このあたり、この村に住む人間に多く見られる少し特殊な人格が現れているようでもあったが、この場にそれを違和感としてとらえる人間はいない。

 消えていく浄化の力が、再び補填されて行く中で、そっと、グンド・ヴァイジールとニールン・ヴァイジールは壁際へと寄って行く。

 その動きに違和感を誘うものなどは無い。そもそも、一つ一つの動きにまで集中している物がいなかっただけの話だったが。


◇◇◇


 流石にまずい。集中力を切らさないよう、しかしそれが許す限りの最速で俺は皆が避難したドーム近くまで『飛翔』する。何故俺がそんな事をしているのかといえば、少し前から起きている事にその原因はある。

 魔法陣から魔力を剥がせば、瘴気は下に落ちる。それは分かっていた。その時、当然として高低差がある方が、地面へと瘴気が落ちた際の衝撃は大きくなる。それだって分かっていた。分かってはいたのだが。


「水路が欠けてきている…。北側の瘴気が全て抜けてからじゃないと、流石にまずいだろ」


 ドームその物は、この程度で壊れるようなつくりはしていない。入り口側だって、瘴気が侵入できない作りにはなっている。

 それでも、瘴気は土の中へと染み込んでいくのだ。周囲の傾斜にゆがみが出来たり、くぼみが出来たりすることで瘴気が溜まるようになってしまうと、際限なくドームの中に瘴気が染み出しかねない。

 出来る限り基部の側に居たかったがために常に『飛翔』を使用し続けていたが、ここで一度地上へ降り、足首までを僅かに粘着質な瘴気へと(うず)めながら、唱える。


「『加工:土砂:整形』」


 時間は一分。だが、広い範囲に対してイメージをする『加工』と『剥離』の同時使用は些か以上につらいものだ。どちらがどちらなのだか分からなくなりそうである。

 頭痛を感じるが、それもどうにか終える。急ごしらえだが、もう大量の瘴気が落ちることも無い筈だ。だがしかし、既に地中には瘴気が染み込んでいるだろう。あまり多くなければいいのだが。


「…『飛翔』」


 今はこれ以上不測の事態が起きないよう最速で壁を壊すことだけ。昼頃だからか、まだ太陽は見えない。

 俺は更に多くの魔力をつぎ込んだ。


◇◇◇


 一瞬。

 その一瞬、確かに多くの瘴気が地中へと流れ込んだことを、浄化の力を発していた村人たちは全員、その正確さに差はあれど感じ取った。

 だがしかし、場合によっては村人へと降り注ぎかねなかった筈の瘴気によって傷つけられた人はいない様に見受けられた。少なくとも、ラスティア、カルス、ナルク夫妻にとって。

 それ以外の村人も、何かに気がついた様子などは無い。

 ―――とある女性を除いて、だが


「…おい」

「…何だ?」

「また、馬鹿な事をしただろう」

「咄嗟に、な。確かに馬鹿だったよ。その上、意味のないことだった」

「全く。…ほら、手を見せろ。後ろに回ってみてやるから」


 その女性の名は、ニールン・ヴァイジール。彼女が話しかけたのは、その夫だ。

 ニールンはグンドの背後へと周り、その右腕を掴み左手で触れる。

 先程溢れだした瘴気は、確かに浄化された。ただ、一瞬で、という訳ではない。当然ながら、その間にも壁から滴り落ちていたわけである。

 密集、とまでは言わないまでも全員が立っていなければいけない程度のスペースしか確保できないこの場では、その瘴気が村人の誰かに当たってしまうのは必然だ。


「全く、分かっていたのなら服なりなんなりを使えば良いだろうに…よし、良いんじゃないか?」

「ああ、ありがとう」


 グンドは傷の癒えた右腕を見、次に妻の顔を見て答える。

 ―――村人に対し危険が及ぶ可能性がある場合、彼ならそれを防ごうとする。場合によっては、自分の身を盾にしてでも。

 だから瘴気を右腕で弾き飛ばし、そのまま天井に空いた穴を一つつぶした。彼が行ったのはそれだけ。

 だがしかし、それを素手でやったことにより、彼は瘴気に触れてしまった。


「…入ってるよな?」

「ああ」

「…どちらにしろ、話は脱出してからだな。早く終わらせろよ」

「…そういう言い方をするなよ」

「…全く」


 グンドは妻を窘める。ただ、そもそもとして妻の言葉は彼を慮っての事であるため、強くは言いだせない様であったが。

 瘴気は漏れ続け、そして浄化され続ける。

 まだ浄化の力には余裕があり、しかし悠長なことは言っていられなかった。


◇◇◇


 あと五分…!

 それだけあれば、壁を最後の最後まで破壊することが可能だ!


「でも…ッ!」


 中心の基部を除けば、残りの基部は三つ。ほとんど壁の中心近くで、正三角形を描くように配置されている。

 だがしかし、事ここに至るまで配置されていた基部に回されていたのだろう魔力がこの三つに集められている。基部が減ったのなら、そもそも収拾する魔力量が減っていてしかるべきだろうに、何処までも無茶苦茶な事だ。

 それにより固定された基部のぎりぎりまで『剥離』が進んで、そこで止まってもう既に五分だ。

 魔力を必死にかき集めて、実際、今までにないほど減少している感覚があるのに三つの基部は軋むだけ。

 同時にではなく一つずつならどうだろうか、とも思って試したが、揺れが大きくなっただけで、劇的な効果は得られなかった。恐らくは相互に支え合っているのだろう。

 魔力を多く回す事、そして、先程の様に魔術を撃ちこむことだが…決定は早くしなければいけない。放っておいても魔力は減るのだ。

 よし、『風刃』を撃ち込もう。それがきっと、一番効率的だ。

 『飛翔』で出来る限り速く飛ぶ。速度と魔力消費量の間に関係が無いことはこの魔術の利点だ。


「『風刃』!」


 今度狙うのは基部へと向う回路のすぐ近く。削れた瘴気を埋めようと魔力が動き、瞬間的に基部の一つに魔力が向かわなくなる。


「そぉいッ!」


 脳内に芋を抜く記憶がフラッシュバックしたのは、集中力が切れているという事なのだろうか?

 だがどちらにしろ基部は剥離した。残りもやることは同じ…中心から見て同じ距離にある基部が相互に働き合っているのだとしたら、むしろ簡単になっている事だろう。

 だが本当に、魔力も集中力も限界に近付いてきた。どちらにしろ時間は無い。

 もう一度『風刃』を撃ちこんで、二個目の基部を破壊。その瞬間、抵抗力が下がった三つ目も破壊した。

 これであと一つ。中心の基部に至るまでの魔法陣へ通る魔力も剥離して行く。

 そのまま中心基部へと迫る。近づいた方がより効果が出るのだ。

 だがしかし、もう魔力の残量は一割を斬っているのではないか?感覚でしかつかめない以上はっきりとした事は言えないが、五分間今の状態を維持すれば相当に厳しい状態になる。

 この基部だけが魔法陣を固めている以上、これを破壊すれば全て壊せる。もう魔力は少ない。『剥離』のペースは今の状態を留められるだけにして、『風刃』で破壊しよう。

 となれば至近で放つしかない。それも、最善を期そうと思えば全ての魔力を込めて。

 …『飛翔』でぎりぎりまで近づき、上に向かう生き追うだけを留めて止める、か?

 どちらにしろもう時間なんて一切残ってはいない。そうと決めたならそうするのだ。


「―――ッ!」


 加速。基部に突入するようにただただ『飛翔』して行く。その間に『風刃』を使えるように集中、更に『剥離』へ回す魔力を少しずつ抑える。

 そして、『飛翔』を止めた。


「―――――――――『重風刃』ッッ!!」


 自分の口から出た起句が、無意識のうちに変わっていた。だが、それより意識するべきは目に見える結果だ。

 魔力を根こそぎ込めて、確実に基部を破壊してやるという思いも乗せた『風刃』は、刃というには随分と重厚なものに変わっていた。

 それは一瞬で瘴気を消し飛ばし、そしてその奥までを完全に貫通。そこに刻まれていた筈の魔法陣も基部も全てもぎ取り空へと帰って行く。

 そこに見えたのは、真白な、太陽。

 瘴気は散らばり、俺の周りを落ちて行く。俺も落ちて行く。太陽を見上げて、落ちて行く。

 『飛翔』を使わなければいけないが、魔力はすっからかんだ。俺が報告するまでは皆も穴から出て来ない。…つまり、まだ俺の仕事は終わっていない。魔力の回復量は微少なのだから、ギリギリまで使用は待たなければいけない。

 空中で下を向く、というのも難しいことだ。下を見ようと回転した俺は、そのまま体を回転させ続けてしまう。この時点で、思ったより地面は近かった。

 そして、木の梢が見えた。

 ―――『飛翔』


「ぐッ―――ああ!」


 ほとんど地面と水平に、ほんの少しだけ上向きの力も加えながら『飛翔』する。背中をしたたかに木の幹へと打ちつけ、鈍い痛みを感じるものの骨折などはしていないようだ。


「…よし。皆の所に行かないと」


 魔力は結局ほぼ皆無。今『飛翔』した所で数秒しか飛べはしないので、全力で走る。流れる瘴気に足を取られながら、しかしそれが壁の形に戻ろうとしない事が分かって一安心といった所だ。

 数分も走れば、ドームのある場所へと到達。少し盛り上がっているのではっきりとわかる。

 そこが魔術によって変えた地形の頂点だが、しかし僅かな瘴気はまだ残っていた。やはり測量などした訳ではないので、不備も多かったということか。

 少なくは無い量の瘴気が入っていた筈。不安だ。


「『操風』」


 風で瘴気を押し流す。今更と言った感じだが、足の踏み場も無い様な状況にさせるわけにはいかない。

 魔力はカツカツなので、最低限にとどめる。


「『加工:土砂:整形』」


 そう起句を唱えれば、下に向けた入り口が歪み、そして上へと動いて行く。一度同じことをしているからか、先程よりはずっと早く形が変わった。

 地面から少し浮いた入り口に足を掛けて覗き込んだその中には、日光よりずっと白い光と、そしてこちらを見つめ、眩しそうに目を細める皆の姿が。


「皆!無事!?」

「タクミ!全部終わった!?」


 その中から俺の声に最も早く答えたのはカルスだった。


「壁は壊した!直る様子も無い!誰も瘴気には当たって無い!?」

「こちらは問題ない!全て浄化しきった」


 そう答えたのは族長だ。どうやら、全員が無事だったらしい。浄化の力がまだ穴の中に渦巻いている事からしても、最悪の事態を逃れたことは確かなようだ。

 それが分かって、少し落ち着いた。緊張の糸も緩んだのか、どっと疲れたような気もする。


「えーっと、瘴気はかなり流れて行きましたけど、まだ少し残ってます。どうしますか?」

「…地中に含まれた瘴気が流れ出さないとも限らない。外へと出て、休むことのできる面積だけ浄化しよう」

「それが良いと思いますよ。今の所まだ浄化の力には余裕がある筈です」


 族長とフィディさんが話しあう。どうやら族長の隣にはニールンさんが、フィディさんの隣にはミィスさんがそれぞれ立っているようだ。体を支えているようにも見える。


「こっちは少しずつだけど、瘴気が滴り落ちてる。外へと出るのなら、少しずつ全員で、移動するべき」

「そうか…よし、食糧を持て」


 族長の号令で、浄化の力を使わない村人たちが食糧を確保、再び浄化の力を持つ人たちが外側へと出て、その力の範囲を少し狭める。

 そのまま外へと出て、浄化の力を足元に広げるのだろう。もう上方に対して警戒する必要は無いのだから。

 俺の想像通り、僅かに空を見上げ眩しそうに目を細めたフィディさんを戦闘として出てきた村の皆は、浄化の力を足元へと伸ばす。そのたびに光が舞い、幻想的な風景を造り出す。その実、ここが危険地帯であることを表しているが。


「これで、いい」


 しっかりと村人が休めるように、北へ北へと安全地帯を広げて十五分。全員が腰を下ろし、足を投げたしても十分すぎる広さを確保した。

 周りを見れば、くぼみに残ったりしている瘴気以外は大凡全て海辺の穴まで流れて行ったように見受けられる。まだ木も残っているので、当然そこまでは見えないのだが。


「タクミ、魔力はある?」

「え?…少しは回復したよ?充分なんて言えないけど、ひとまず余裕はある」

「じゃあ、少しお願い。タクミの作った壁の向こうを、見てきて」


 ラスティアさんからのお願いだ。つまり、俺が土で作った壁の向こうにはどんな地形があるか、また、脅威は無いかを調査してくればいいのだろう。


「分かった。じゃあ『飛翔』で見てくる」

「…ちょっと待って」


 ラスティアさんがそう言うので、俺は彼女の方へと向きなおしてみる。

 すると彼女は無言で近づき、そして俺の頭へと右手を置く。一瞬、頭をなでられているのかと思ったが、どうやら違うらしい。

 実際の感触が指先一つ分だけだと言う事、そして、そこから何か…恐らくは魔力が、流れ込んでいる事を感じたからだ。

 それの終わらないうちに、今度は左手の指先を俺の額へと付ける。やはりそこからも魔力が流れ込んでくる。

 次は右手で喉を、その次は左手で胸を触り、そこでも魔力を流し込む。


「…まあ、このくらいで」

「え、っと。これは?」


 両手を俺の体から離したラスティアさんに訊ねる。


「魔力を流し込んだ。そんなに多くも無いけど、十分足りる筈」

「あ…うん。ありがとう。確かに魔力が入ってきた」


 俺としては、何故場所を変えつつ体を触ったのか、という事を聞きたかったのだが。まあそれは良い。


「じゃあ、行ってきます。『飛翔』」

「こっちでも、出発の準備は、しておく」


 ラスティアさんの言葉を背に受けながら飛んで行く。壁までの距離はそうない。

 現状の魔力量は二割と言った所だろう。なんだか体の中で動き回っているような気がするが、違和感はあっても不快感は無い。魔力を人に与えられるとは思わなかった。まだまだ教わることは多い。やはり師匠だな、と考えながら壁の上へと降り立ち、周りを見渡す。

 極端に高い場所に立ってしまっている訳で、外の地面までは意外と距離がある。どこか見える所に町が無いかと見回すが、無い。海の逆側であるこちらがもし急峻な山であったらそう問う困ったことになっただろうが、瘴気の壁によって遮られた所より先は、こちらと同じように森が広がるばかりだ。

 だが、困ったことに。


『グルルル…』

『ゲアッ!』


 忌種は居る。何とも懐かしい【小人鬼ゴブリン】を始めとして、数種類。あの狼は、瘴結晶を探しに行った時に出くわしたものと同じだろうか?面倒な相手だった記憶も有る。

 少し準備をしてから出て行った方が良いだろうな、これは。ここでは見受けられないが中位忌種なんかに出くわせば、いくらなんでも危険だろう。

 気になる事と言えば、忌種に対して浄化の力が通用するのか、ということだ。体が消えたり、という所までは想像できないが、弱ったりして欲しいものだ。そうなればこの森を抜けて行くことも可能だろうに。

 森の中、鬱蒼と茂っている以上、食糧の確保も簡単とは言えないだろう。対策を立てる必要があるだろうな。

 そう考えながらも、俺はどこか安心していたのだ。

 最初は壊せるわけがないとさえ思えた壁だって壊せたのだ、こんな単純な問題、どうとでもできる筈、と。


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