第二十五話:破壊の日
「もー。別に謝る必要は無いのに」
「今日より進行が遅くても、もともとの七日の期限には間に合う。むしろ、肝心の壁を壊す作業を受け持つタクミは、疲れないようにするべき」
「あー、そう言ってくれると嬉しいけど、甘やかしちゃいそうなんだよな…」
居眠りをしていたことに関しては、俺の想像とは違い、寛容な反応が返ってきた。
明日はもう少し、でも無理はしない程度に頑張ろうと、失われた約三刻について想いを馳せる。
すると、カルスがこちらへと振り返りながら口を開く。
「教官が、僕とほとんど同じように浄化の力を使えるようになったみたい。ただ、ぎこちない…って言えばいいのかな?」
「私たちは、常に、同じ量だけ浄化の力を、出していたけど。でも、皆は、その量に、少し幅がある」
「安定しないって事?」
「そう」
ということは、二人の才能は元からずば抜けている物があったという事なのだろうか。どちらにしろ、一日の修行だけで力を使いこなせるようになったという事が既にすさまじいことなのだが。
「結局何人くらいが、力を使えるようになったの?」
「…十人かな?」
「そのくらい」
カルスとラスティアさんを足して、十二人。村人の七、八人に一人が使えるのなら、一日だけだった修業期間を鑑みるとかなりの物だと思う。
まあ、教官達に関しては、元から浄化の力を、それと知らずに操っていた訳で…これ以降は、ここまでのペースとはいかないであろうことも分かる。それでも、壁を破壊する際の人手はかなり得られた事になる。
そのまま村へと歩いて行けば、既に晩餐の準備は終了、集合に遅れた人がちらほらと歩いているような状況だと言う事が見て取れた。…つまり俺たちも遅れているということだ。
急ぎ足で料理を受け取り、そのまま茣蓙へと腰を落とす。
村の皆の気質からして結局それを責められる様な事も無いわけだが、今日に限ってはさぼって寝ていたのだから少しの罪悪感もある。
明日はきちんと自分の義務を果たそうと決意して、湯呑を一気に呷った。
―――のだが、そのすぐ後に目を開ければ、俺の体は自分の家の布団に寝かされている状態。
いや、これは多分、自分でたどり着いたのだろう。服も薄着になっているし、景色にも異常は見られない。
酔って記憶が無いという事なのだろうが、もしかして、そんなに度数の強いものだったのだろうか?ロルナンでだって、ここまでの症状は無かった筈なのに…いや、起きる理由が無かっただけなのだろうか?
「…朝だっていう確証も、決してなかったな。村を歩いてみないと」
少なくとも、作業の開始時刻まで惰眠をむさぼっていたという訳でもないだろう。酒を飲んで眠りこんでいるから、なんて理由で休むことは許されないと思う。多分叩き起こされるだろう。
ああ、そもそも朝食をとっていなければ二人が起こしに来てくれるかもな。
そんな風に考えながら、村の方へと歩いて行く。
いつもの広場まで来たが、しかし、誰もいない。どうやらまだ早いらしい。なら、酔いが睡眠中に醒めることで目も覚めたということだろうか?
家の中が魂光でうっすら明るいということも無い。どうやら完全に寝静まっているらしいと、俺は物音を立てないようにそっと家へと戻った。
だが、二度寝をすれば寝過ごすだろうという事に気付いてしまった以上、もう安易に眠りにはつけない。いつまで待てばいいのかと悶々としながら、数刻を重ね、それに気がついた時、何時の間にやら自分が素直に一時間を一刻と呼ぶようになっている事に気がついた。一刻、というのは日本では決して一時間と等しい物ではなかった気もしたが、アイゼルではそういう扱いなのだろう。そんな事を思いながら、瞳を閉じる。
…閉じてはいけない。もう良いのではないかと家から出る。
◇◇◇
「何でタクミ、そんなに目赤いの…?」
「晩餐のお酒のせいでさ、ちょっと夜に目が覚めた。…たださ、カルスはカルスで気持ち悪そうだけど?」
「二日酔い、かな?タクミみたいに、ちょっとだけ飲むとかは出来そうにないよ」
「どうして、このくらいで、体調を崩すの…?」
そう言ったラスティアさんの顔に不調が欠片も見当たらないという事実にカルスと二人戦慄しながらも、朝食を終えてそれぞれの場所へ…と思いきや。
「私は、水路作成」
ラスティアさんは俺と同じで水路作成に戻るらしい。十人が力を操ることができるようになり、そこに前から完成していたカルスを一人残して村人たちへの教習が狩りとし、魔術士としての本来の役割の方へと戻ってきたということだ。
ともあれ、村の西側と東側に分かれて、北側へと向けて水路を長くしていく作業は再開された。今日は昼寝をする気も無い。今はまだ村の中へと水路は伸ばさないのだから、かなりの距離を進める事が出来るだろう。
『加工:土砂:整形』
そして四刻経った頃には、村を越え、壁の中心近くにまで水路は延びた。ラスティアさんともこのあたりで再度合流したので、昼食へと向かう。
カルスに話を聞けば、どうやら二人、体に纏えずとも、浄化の力を身体の外側へと出すことに成功したらしい。恐らくはカルスが短剣の刃を伸ばした時と同じような事が出来るのだろう。
―――その後もやることは変わらない。水路を掘り、ご飯を食べて、寝て、水路を掘って…。
そして、遂に水路はすべて完成した。
壁の外側に沿うように少し高い壁を作り、その外側へ窪地を作ることで、新たな水路を作ったこと以外は前と全く形状は変わっていない。
北側に行くにつれ、確かに標高が上がっている。壁に触れる直前ともいえるあたりまで来れば、木の梢が胸のあたりと同じ高度になるほどだ。これだけの高低差があれば、瘴気はあっさりと海まで流れていくことだろう。半液体だから、もしかしたら砂浜に溜まるかもしれないが…その時はその時。少なくとも被害は出さないように細工もできる。
「…フィディさんは、何時脱出するつもりだろう」
壁破壊時に村人を隠す場所を土の中へ掘りながら、そんな事を考える。今日は制限時間をなのかと定めてから三日が経過した―――つまりは四日目。昨日の夜に水路は完成し、その報告は当然済ませているのだが、フィディさんは今日の脱出とは言わなかった。
出来る出来ないの話をするのであれば、出来る。もう飛行中の魔術使用にも不安は無いし、きちんと制御できているという自負もある。
だが、明日か、遅くとも明後日には脱出となるのだろうという確信も、俺にはあった。七日より早く脱出することを誰より考えていたのはフィディさんだから、当然の帰結だろう。
さて、大方問題は無いのではないか?
半分を地中に、もう半分を地上へと土の壁で囲むことにより作った球体上の空間。完全に真っ暗な、しかし、自分が作ったものであるために構造も把握しているそれを眺め、思う。これなら十分、村人が全員隠れることが出来るだろう。
壁を破壊した時は、出来る限りこのあたりに降る瘴気を少なくすれば更に完璧。
村へと戻ろう。『飛翔』を使い、必要も無く急いで戻る。
少し速度を出し過ぎたため、着地する時に小走りになってしまって少し焦る。しかし転ぶような事は無く、安心しながら視線を上げれば、少し先で夫妻がこちらを見据えて立っている。
「タクミ君!明日だ!」
そう聞くことのないフィディさんの大声、その内容を知覚した時には、既に口を開いていた。
「はい!必ず成功させます!」
広場の白い光が日毎に増して行く様を見ながら、俺はそうはっきりと答えたのだ。
晩餐は騒がしかった―――まさしく、壁の破壊が翌日に迫ったからと伝えられたからに他ならない―――のだが、一夜明けた今日、その朝食の場は、静かとは言わないまでも、騒がしくは無かった。
落ち着きが生まれていると言うべきか、結局数ヶ月前から話されていたことであるが故に、いざ当日となっても、最早慌てることは無かったのだ。
「午前中は、念入りに、今日の予定を確認…タクミには、実際に動いてもらう」
「僕たちは僕たちで、穴の中の環境を再確認しておくよ」
ラスティアさんとフィディさんがそう俺に告げる。避難用ドームの最も内側は、石ではなく泥状の土を乾かして作った壁、そこには肉眼で確認できる隙間は、日々を含めて一つも無い筈だ。正直言って自慢の出来である。
…食料も保存するため少し狭いかもしれないが、それでも十分に村人が全員入れる面積を地面に作ったし、問題は無い筈。
「僕は、浄化の力を使えるようになった人を集めて、教習かな…?瘴気を使って訓練したのは、僕たち以外は昨日の一回だけだし」
確かに、もし実際の瘴気を見てひるんだりしてしまっては洒落にならない。自分は瘴気に対抗できるのだという自覚は持っていないといけないだろう。
ただ、不安要素もある。
「カルス、それ…浄化の力が減りすぎたりとか、しない?」
「大丈夫。一瞬だけならほとんど減らないから」
「あ、ああ、そう」
まあ、正確な所は俺に判断の付くものでは無いので、俺がどうこう言うような事ではないが。
「じゃあ、俺もリハ…確認作業に行きます」
「分かった。私たちも、後から合流する」
昼食は軽くとって、そのあとすぐに村人たちには穴の中にはいってもらうことになる。村の全員が要る事を点呼で確認し、報告を受け次第俺が穴の通路の先を地面側へと曲げて、瘴気が流れ込まないようにする。
それを含めて詳しい工程は頭に入っている。失敗は無いだろうと思うが、どちらにしろ自分で動いて確認することは重要だ。
「『飛翔』」
村の外へと出てから飛び立つ。いつの間にかそうなっていた。門の中では余り飛び立つ気が起きなくなっていたのだ。理由は分からないが、何だか節度を保っているような感じがする。何の節度かと聞かれても困るばかりだが。
ともあれ、いつも通りに暗い空を飛ぶ。以前の実験からして、外の時間と仲の時間はほとんど変わっていないということは分かっているのだ。陰陽で時間を分けてはいないものの、生活ルーチンは体に刻み込まれていたのだろうか?
「…これ、だもんな」
村の北側へ移動し、そのまま上昇した先…壁全ての魔法陣を管理している基部がそこにはある。それを、これまで何度か繰り返したように近くし、やはり何の異常も無いという事を確かめて、一度降下。今度はさらに北へ、ドームの入り口に降り立つ。
中に入っても、異常は見当たらない。スペースだって十分ある筈。食料の分を含めて、だ。
「よし」
そう思って振りかえれば、入り口として借りに作った門の上部分にひび割れを見つける。灯台もと暗しというべきか、実際最も暗くなっている場所なので見つける事が出来なかった。
これでは、小さな亀裂は一晩のうちに生まれているかも知れない。俺はさらに細かく観察を開始する。
暗いなか目を凝らし、出来る限りに視力を、魔術まで用いながら強化して亀裂を探す。こういう小さい所から漏れてきた方がどう考えたって怖いのだ。気がつくより先に誰かの体に触れかねないから。
そうしているうちに時間も経過する、二十分ほど罅を探し、五個ほどのそれを埋め直した俺に、入り口から声が掛けられる。
「タクミ、何やってるの?」
「あ、ラスティアさん!いや、昨日作ったばっかりだけど、何個か罅が有ったからさ」
「…それを発見するのが、僕たちの役目だと踏んでいたんだがね…」
「魔力は大事にしておかないと、何かあった時に困るわよ?大丈夫?」
「あ。…いや、流石に大丈夫ですよ!?」
「まあ、分かってるけどね」
夫妻から微妙におちょくられたらしき感覚を得ながら、正式に工程をおさらいして行く作業が始まる。
―――そして、全ては終わり、昼食をとる。
「皆の浄化の力の扱いはどうだった?」
「全員瘴気を消すことに成功したよ。きちんと力も回復したみたいだし、何とかなる筈かな」
「…後三刻」
三刻、というと随分と時間があるように感じるかもしれない。実際、ただ壁を破壊するだけなら、避難を含めて最短三十分ほどで可能だ。
だが、これは当然。むしろ性急であるとも言っていい。これまでも俺以外の全員が少しずつ行ってきてはいただろうが、それでもやはり、時間が少なかっただろうから。
それを伝えるように、族長が茣蓙を跨ぎ、それに囲まれた中心へと歩みを進め、堂々と、胡坐を組んで座る。茣蓙などは無く、ただの土の上だ。
「皆は、今日という日に喜びを感じてくれているだろうか?」
「最初は私が勝手に思っていた事、次にタクミが協調し、次々に広がって…村の全員が、外へ出ると言ってくれた。
―――いや、分かっているのだ。皆は本当に、後悔などは無く私について来てくれたのだということは。だからこれは、私の臆病な心が現れているだけなんだ」
そう族長が言った時、俺の右隣からラスティアさんが呟く。
「お父さんは、本当に憶病。今更、そんな話をしなくたって、皆ついてくるのに」
「…知ったかぶったような事を言うけど、多分、それも族長の魅力なんじゃないかな?」
「…まあ、確かに」
必死に先頭に立とうとするけど、結局主軸に有るのはこの村のほとんどの人に共通する要素『優しい』だ。いつも槍を振っているようなイメージで、一番俺としては怖い人であるニールンさんだって、実際には優しい所がたくさんあると言うのは、この村に暮らしてひと月の時点で分かっていたくらいだし。
だからこそ族長は、この村のトップに立つに相応しい人物なのだ。
臆病かもしれないけど、それ故に優しく、そして、村の代表として、その責任を背負おうとする。
この村が壁に囲われていなかったって、きっと様々な困難を乗り越えたのだろうと言う事が容易に予想できてしまうような、不思議な力を感じる。
「自らが生まれ育ったこの村を離れることに不安を感じる物は多いだろう。壁を壊すことに賛成していても、この村に住み続けたいと思った物もいただろう。だがそれでも、私は決めた。
それについて来てくれると、私は信じている。
―――後二刻。その間だけはこの村で過ごし、そして、帰れぬ故郷を思い出として心に刻め。
私は既に、皆のこれからを背負う覚悟を胸に決めた。あとは全て、私に任せろ」
三刻のうち二刻は、この村を思い出とする為の時間。充分にあるとは言えないが、その不満も、そしてこれからの全てを自分が背負うと、その覚悟があると言ったのだ。
だが、忘れてはいけない。
「…族長」
「族長」
「族長…!」
この村に住む人々は、皆が皆、優しいのだ。
『そうじゃあ、ないでしょう!』
だから、こうやって立ち上がる。
「族長の事は凄いって思いますよ。でも、それで僕達の未来にまで責任持つなんて言わないでください。
これは、僕たちが自分で洗濯した未来なんです。自分で進む覚悟くらいは、とっくの昔についていますよ。
というか、そもそも責任をとられるような事態になる気が無いんですけどね」
族長の元へと最初に向かったのはフィディさん。義兄とも呼べる相手であるからして、その言葉に対しても遠慮というものは余り無いように思える。いつもとは違う、おそらく生意気と思わせる為の言葉選びは、族長に対していつまでも今の考えのままではいて欲しくなかったからか。
その間にも、村人たちは族長の元へと歩み寄っていく。俺も良く話す人から、ほとんどかかわりのない人まで。
そんな中、虚をついたようにニールンさんが族長の隣に寄り添っていた。あれも夫婦愛のなせる技なのだろうか、なんてとりとめのない事を考えながら、俺の両隣に座っていた筈の二人も既に族長の元へと向かっていたことに気が付く。
最も、俺自身がその時既に、一歩を踏み出していたのだが。
「誰かひとりが責任を追う事を、この村に人たちは許しませんよ。数か月しか暮らしていない俺にだってわかる。
…それでも行動は止めないから、族長が慕われているんでしょうけれどね」
それはきっと、村の皆と同じ考えの筈だ。
投稿が遅れて申し訳ありません。今週も執筆時間は少なく、遅れてしまう事になりそうです。
五月ごろからはかなり楽になるはずですので、よろしくお願いします。




