第十七話:残る問題
そして、村は村で大変な騒ぎだった。考えなくたって、当然だ。実験を行う事についての話なんて村の皆には全く伝えていなかったし、唯一知っていた筈の族長も、日光の事まで具体的に認識できているとは思えない。
実験に参加していた師匠もまだ動揺したまま。但し、『太陽』というものに関しての知識は族長から教えられていたようで、むしろ興奮していると表現するべき表情にもなってきていた。
「太陽…目が痛かったけど、あれは、あれで…!」
「族長ー!さっきの光は!さっきの光は何ですか!?」
「…後で説明する。今は待て…タクミ!ラスティア!ちょっとこっちに来い!」
恐慌する村人たちの一人から泣きつかれていた族長は、俺と師匠の顔を見つけて、僅かに怒りながら呼んだ。
予測は出来た筈だ。特に俺なら。言い訳として言いたい事もあるのだが、まあ、そんな事をしなくてもいいように、単純に説明をしよう。
族長に連れられて家の中へ。以前も入った事のある部屋だ。
先に腰を下ろした族長が俺と師匠の顔をそれぞれ見据え、
「結果は出たんだな?」
と、先程までの怒りを消して、冷静に問いかけてきた。
「…はい。中心ではありませんが、基点から海側までの回路に対して干渉、壁の外まで一時的には繋がることを確認できました。日光が強かったので、少しご迷惑をおかけしました」
「いや、それ自体はもう良い。そもそも必要な事だからな。本題は違う」
…それについて問題が無いのなら、もう話は終わりだろうと思ったのだが、それならそもそも家の中まで連れてきたりはしないだろう。本題が何かは、予想が付かないが。
「壁の全てを壊すまでに、残された問題は何だ?そして、タクミ君はいつまでそれを待てる?」
「…は、あ」
質問内容の前者は、まあ、考えるべき事だろう。だが、後者は何だろうか?何時まで、というか…脱出できる算段は付いたし、場合によっては年単位なのかもしれないと思っていた事もあったから、特に問題は無いと思うんだが。
俺がそんな事を考えている間に、師匠が質問に答える。
「…私が、考える問題は…。…差し迫ったものとして、壁の破壊に伴って予測される、瘴気の落着に対して、明確な対策が無い事」
「そうだな。生命の危機を放っておく訳にはいかない。他にはどうだ?」
「…村の皆は、賛同してくれている、けど、壁の外に出た後の生活に関しては、不確定な事が、多過ぎる」
「なるほど?」
「壁を壊した時点で、瘴気で村が埋まるのなら、もうここでは、暮らせない。もちろん、今のうちから、居住の具体案を詰める事は、できない。外との繋がりなんて、私たちには、ないから」
「だな。流石に私も、何処に移り住むのか、その正確な場所を決めるべきだなんていう気は無い」
その一連の会話を聞いて、確かにまだ考えていない事は多いと言う事に気がついた。少なくとも俺が悩んでいた事のほとんどは、壁を出るまでの事までだった。
この村の視点にはまだなりきれていなかった、という事だろう。
「でも、決めるべき事はある。今までの食事事情は、この村の近辺が壁に覆われ、この内部で生態系が出来上がり、また、その頂点に私たちが、立っていたからこその、物。…外の全てが、こんな環境の筈は、ない」
「ああ。私は両親達から聞いたし、お前にも話しているが、外は壁の中と比べるべくもなく広大だ。そこに危険が無い筈は無い」
「狩りだけで生計を立てられるとは、思えない。だから、私たちも、商売や、労働で、この村とは、かかわりのない人たちと、接して行かなければならない。………けど」
「…けど?」
師匠の語り口からして、その先には不安要素が有るのだろうと気が付き、口に出して窺ってしまった。
今までに交流の無い人たちとの間に発生する問題…。商売をするのなら、今までの利権が絡む?いや待てよ、それ以前の問題として、村なんて勝手に作ろうものならその土地の所有者が黙っていないか。具体的に言えば領主。衛兵や近衛兵のような戦力は、最低でも保有している訳だし、強硬手段に出られると非常に危険か。
とはいえ、師匠や族長がそんな事を考えていないとは思えない。それに領主側だって、いきなり武力で排除したりなんてしないとは思う。…こちらに確証は無いが。
「タクミが、この村に訪れた当初の反応、それに、今のタクミの姿を見ても、わかる通り」
だけど、師匠の次の言葉は、予想外の物だった。
「外に居る人間たちと、この村に居る私たちの間には、埋められる事など無い差が、存在している。
―――単純な、見た目という、差が」
一瞬、何を問題としているのかさえ、俺の頭の中では明確にされていなかった。師匠たちの姿は確かに俺と違うが、結局の所そんな差なんて些細なものだろう、と。少なくとも、俺の中では意識することすらそうは無い差だった。せいぜいが特徴という程度だ。
だが、考えているうちに記憶が刺激されていった。地球での記憶だ。肌で感じた事の無い、対岸どころか、時代のすら違う地球の裏側の火事程度にしか思っていなかった事。
それ即ち、
「私たちがその異常性から排斥され、差別され、場合によっては、滅ぼされる」
人種差別と、呼ばれる物。
「―――なんて言う可能性が、ないとは言い切れません。性善説に頼りすぎるのは、些か危険かと」
「それは…ッ」
感情の表出そのものである俺の声に、師匠は俺の目を見据え、
「タクミ個人がどうこう、なんて話はしてない。タクミが今更、そんな事を、言う筈は無いって事は、分かってる。…でも、壁の外に住む全ての人々が、全く同じように対応するって、本当に、思う?」
「………あり得ないとは、言えません」
―――『差別』というものを俺は、少なくともそれとわかる形で見た事は無い。だがしかし、この世界に奴隷というものが存在するのは事実。あまり見かける事も無かったが、それはロルナンだけの話で、他の町や国では奴隷たちに対する大規模な強制労働が行われている、なんてことも十分に考えられる。
そして、奴隷というものは往々にして『差別』というものにもくっついて回るように思う。深く調べた事も無いから正しいのかすら分かりはしないが、地球の歴史だってそうだろう。
だが思い返すに、知り合いのうちに該当する人はいないが、奴隷では無い、人とは少し見た目の違う人も多くいた筈だ。いやむしろそちらの方が多いほどだった。耳が動物のようだったり、肌が固そうだったり、鱗のようだったりする人でも、普通に働いていたと思う。
少なくとも、『見た目が違う』というだけの理由で大量虐殺がおこなわれるような事は無い筈で、充分共に暮らしていける筈―――。
と、時折詰まりながらも、俺は師匠と族長に向けて説明する。語れない、伝わらないだろうと思われることに関しては、かなりぼやけた内容になってしまったけれど、伝わったのだろうか…。
「…そこまで心配しなくても、もともと私たちが外に出ると言う事はずっと前から決めていたのだ。少なくとも、人々の間に生まれる壁くらい簡単に壊す事も出来るさ」
族長の言葉は、壁を壊して外に出るのだと言う事を暗喩しているのだと言う事が簡単にわかるものであり、それが、変に硬くなってしまっていた俺の心をほぐす為の一種の冗談でもあると言う事が分かった。
「―――さて、タクミ君の答えはどうなのかね?」
「え?…あ!」
差別について考えを巡らしているうちに、俺個人に対して質問が向けられていた事について忘れていた。
だが、俺の答えその物は前から決まっている。いや、むしろ強くなったと言ってもいい。
「ただただ壁を破壊する事だけが問題だ、と。そう考えられるようになるまでは、ずっと」
今更、勝手に出ていくなんて事、出来る筈がないのは分かっていたのだから。
俺の答えを聞いた族長は満足そうにうなずいて、
「よし、今日の晩餐も会議だ!全員で知識を捻りだす!…タクミ君、脱出までの時間は、そう長くないだろう」
意気込みと、俺にとっては、何故今告げる必要が有ったのか分からない事を言って、部屋を出て行った。
師匠の方を見れば、僅かに頭を押さえて、
「…また変なやる気を、出してる。騒ぎすぎたら、お母さんに怒られるだけなのに」
と、誰にでも無く呟いていた。
その言葉で、余り直視できない、師匠の母の修行中の姿を思い出してしまった。
………槍を嬉々として振り回し、族長に続く鬼教官として恐れられるあの人に怒られる、というのは、師匠や族長にとっても恐ろしいらしい。
気が抜けたのか、そんな事しか考えられなかった。
―――昨夜の晩餐は大変だった。
何が大変かって、族長から今日の実験についての説明や、この後に残った問題についての説明が有ったのだが、それそのものが問題だったと言う訳ではないのだ。
問題は、妙に強い度数の酒を持ちだしていた事だ。少し前にカルスがへべれけになったそれよりも強い酒で、今回に関しては子どもたちを“近づけない“という対処をとられるほどだった。
何故話し合いをしようという時にそんなものを持ち出したのかは分からないが、平均すると酒に弱いらしいこの村の人々は揃って酔い、当然、そこで話される内容も、楽観的だったり、悲観的だったりと、両極端な物ばかり。相手の意見から何かを得ようという姿勢が見られず、話し合いという低すら立持てていないような状態だった。
早めにこの事態を察知―――具体的に言うと隣のカルスが揺れ始めた事から―――した俺は、いつものように湯のみを呷りながらも、ほんの少しだけ口にしてそれを酒だと確かめて、後は残した。
…だが、その最後の流れに関しては、不確かとはいえ、皆の素直な気持ちが現れていたんじゃないのか、とも思う。
『あー!何とかなるなる!死ぬ気はしてない!』
『大体こんだけ修行しておいて、危険がどうとかいわれたって意味ないって族ちょ!』
『タクミの様な奴もいるし、悲観的になる必要までは…』
『危険になったら逃げるのよー!』
楽観と悲観とが混ざり合って原形を留めない状態ではあったが、村の皆が何を望んでいるのかは伝わった。勿論、族長だってそう感じただろう。
…後、俺に対する信頼も意外な事に大きくなっていたのは、素直に嬉しかった。
とはいえ、壁の外へ出る事が村人の相違になった裏には、族長の願いだから、という側面が強いだろう。族長が真摯にそれを願うからこそ、村人全員がそれに賛同している。それこそが今のこの状況だ。リーダーシップや、カリスマなんていうふうに表される才能が強いのだろう。
そんなこんなで一夜明け、俺はこうして朝食へと向かっている。
周りを見れば頭を押さえた人がちらほら。二日酔いだろう。というか、あんな度数の強い酒をどうやって作ったんだろうか?醸造を行う所すら見た事が無いし…文化も産業も謎ばかりだが、恐らく族長の年齢とほぼ同じであろう時間壁の中で生活してきたのだから、特殊な何かが生まれている可能性はあるのではないか?商売には向いた内容になると思うが…ああ、駄目だ。また思考が変な方向に向いている。
それに気がついた時にはいつの間にか朝食を受け取っているのだから、随分とここの生活にも慣れた物だ。
「あ、カルス…水いる?」
「ちょ、ちょう、だい。タクミ」
「はい…もう少し警戒すればいいのに」
既に食事を受け取り、しかし茣蓙に突っ伏していたカルスに水を渡しながら、そんな、少し意地悪な事を言ってみる。
「そんな事言ってもさ…。というか、気がついた所で、飲まなきゃいけない事にかわりは無いのに、どうやって対応すればいいのさ」
水を飲んで少し体調がマシになったのか、切れ目なく話出したカルスに、昨日俺がやった事をそのまま伝えてみる。
「少しだけ飲んでやめる、とか?」
「それが許されるなら苦労しないよ…。あれ?そう言えばタクミ、今日は全然酔ってない?」
―――拙い。
よく考えれば、一気飲みは村の掟扱いだ。となると、まさか処罰される…?
…いや、昨日の惨状は皆の知る所。それを察知して飲むのをやめた、ということにすれば特に音大は無いだろう。そもそも特に呼ばれたりする雰囲気も無い。
「ま、やり方はいろいろね」
そんな風に、雑ではあるが言い訳をして、訝しげに見つめるカルスを横目に堂々と茣蓙に座る。
と、背中を軽く叩いてくる手の感触を感じたので、後ろに振り向く。
「おはよう、タクミ、カルス」
「師匠!おはようございます」
「ラスティアさん、おはよう」
もう基本的に、この三人組がそろうまで食事を始めない、というふうになってきた。すっかり仲良し三人組状態だ。多分この呼び方は嫌がられると思うけど。
そんなこんなで談笑しながらも食事を終えて、食器も洗い、片付けまで全て終わる。
カルスと俺は狩りへ、師匠は瘴気対策についての話し合いに行く事になっている。…多分、遠回しに頭脳労働は向いてないと言われているような物なのではないかと思うが、自分でもそう思っているので反論も拒否感も何も湧かない。だが、力になれないと言うのは少し辛いが。だって、魔術士中心に話し合いをするって言うことに関しては聞いているから。
何はともあれ狩りに行こうと、カルスと共に、師匠に別れを告げれば、
「タクミ、一つ聞きたい事が」
と、そう呼びとめられた。食事中に話しかけて来なかったという事は、談笑には合わない内容か、と思いつつも、周りにはカルス以外にも人が居る。重大という訳でもまた、無いのだろうと辺りをつけて、師匠に対して肯定の返事を返す。
「私は、昨日の話し合いで、タクミが来た時の事を、思い出した」
「あ、はい。…え?何かおかしな所が、有ったんでしょうか?」
こういう時に何を問いかけているのかがすぐ庭理解できないと言う所に、俺が頭脳労働に向かない所以が現れているだろうと思いながらも、師匠へと聞き返す。
すると師匠は、ほんのわずか、物憂げな表情を浮かべて、
「…タクミは海辺に流れ着いたんだよね?」
と、問いかける。俺が『はい』と答えると、師匠はさらに続けて、
「それはつまり、瘴気の壁を越えてきた、という事…。それは少し、おかしい」
「………成程」
ここまで話されれば、いくら俺でも師匠が何を伝えたいのか、くらいは分かる。つまりは、
『脱出不可能な筈の瘴気の壁を、俺がどうやって超えて来たのか』。それを問いかけている訳だ。
さて、しかしこれ、俺に答えられる内容だろうか?
どうやったら通り抜けられるのか、ということを思い返してみよう。
師匠たちは、瘴気による何らかの作用で身体的な危険がる為壁には近づく事が出来ない。俺自身は、壁に触れるほど近づく事も出来るが、…あの中を通り抜けできるとは思えない。そもそも、瘴気に長時間触れているという状態は、錯覚では無い不快感を催す。物理的な話をすれば、魔術として勢いの付いた『水槍』でようやく貫通する様な壁、流されてきたくらいの勢いでは到底入れはしないだろう。
野生動物も同じ。師匠が昨日言った通りに、壁の中で生態系が出来ている。
―――だが、そうでない物もある。完全な密閉空間で有れば、数十年も人が暮らし続けられるとも思えない。だって、酸素が無くなるだろう?森はあっても日光がささない。光合成をしないのならば植物だって酸素を消費する。それ以外にも、川の水。あれは外から流れてきている筈だ。海だって、弱いけれど波が有る。多少の勢いが削がれたとして、流れてくる物はあるわけだ。
海辺に漂着物が有った事からしてそれも分かる。…ならばなぜ通り抜ける事が出来たと言うのか。
思考の渦に呑まれそうになっていた俺に、師匠がそっと声をかける。
「―――タクミも、分かった?あの壁には、分かって無い事が、多過ぎる。…最善を期すのなら、それについても、調べたい」
師匠の言葉を聞いた俺は、自分の胸にそっと手を当てて、確かに拍動を続けている事を確認して僅かに安堵し、今の所俺の中で最も有力な説を師匠に伝えることにした。
「意識が有るのか、ないのか…」
「…タクミ、それはつまり」
「いえ、確証なんて何もないんですけど。ただ、生き物が壁を超える、というのは、普通の場合自分から、ですよね?でも、俺の場合は海に落ちて、意識を失っていたからこんな事に―――なんて、思ったんです」
この説を確かめようと思うのならば、漂着物を漁って、生き物の死骸が無いかを確かめる必要がある。魚なんかは、途中で食べられてしまうかもしれないけど、アイゼルの海にも居るのなら、水母なんかは残っていそうだ。
「―――その線で、夫妻たちと、話してくる。ありがとう、助かったわ」
「いえ、今までそんな事にも気が付かなかった方が恥ずかしいです」
俺の言葉を聞いてから、師匠は去って行った。
「えっと…タクミ?何の話だったの?」
「あ、…えーっとね」
壁についての詳細な情報までは渡されていないであろうカルスに、狩りをしながら説明をするとしよう。蚊帳の外に置いてしまったし、つまらない時間だっただろうから。




