第十三話:素直な心を
「師匠!申し訳ありませんでした!」
正確な土下座の形かどうかは疑わしい所もあるが、とにかく精いっぱい頭を地面になすりつけるように謝る俺は、師匠から、様々な思いのこもった視線を向けられているのであろう気配を感じ取る。
ここは、川から村に戻って最初に師匠を見つけた場所・・族長の居る、広場の中心近く。さらに言えば、修行中だ。
大勢の人の目にさらされているが、それ自体は別に苦にはならない。今は師匠に謝罪をする事が先決なのだから。
だがしかし、師匠の反応は先程から変わらない。
そりゃあそうだ。俺自身の最も謝罪の意を示す体制を選んでは居ても、師匠たちにとって正しい技法では無いとも思うし、何より説明不足が過ぎる。ここで俺が黙っていたって何も進展は無いだろう。
「先ほどの俺は、師匠の言葉に感極まって、不覚にも涙がこみ上げてしまい、咄嗟に逃げてしまったのです。師匠に非はありません。…むしろ、大いに感謝を」
それを聞いて、師匠の態度は少し軟化したように感じた。具体的に表せば、小さく、フフ、という笑い声が聞こえた気がした。
もともと怒ってはいなかったのかもしれないと思いながら、視線を上げる。そこには、いつもの微笑を浮かべる師匠の姿があった。
その顔を見ると、俺の心も随分と楽になる。誤った側が先に楽になってどうするんだ、というような事も浮かんだが、しかし事実だ。
「何で、泣いたのかは、聞かないでおくけど…。私の言葉が、嬉しかったのなら、私も嬉しい。だって、私の言葉が、ちゃんとタクミの心まで、届いたって事だから」
「し、師匠…!」
その単純な、しかし伝えることで双方を喜ばせる師匠の内心の吐露に、俺の心が再び揺らぐ。だがこれは、純粋に正の方向に動いているのだと分かる。操なるだけの力が、師匠の言葉にはある。
「タクミは、もう少し内心を外に出してもいいと、思う。押し込めていても、解決しないし、もう、その程度の事で、タクミを変に思う人は、いないから」
「…ッ!有り難う、御座います!………これからは、こんな事があればきちんと、その場で思いを伝えます」
「それができれば、タクミが、さっきみたいに、嬉しくて泣けてくることも、増えてくると思うよ?」
「………!」
師匠には敵わない、という事か。
この沈黙が不の感情から来るものではないと言う事は、師匠どころかこの場に居る全員に伝わっているようで、何故かまばらに拍手まで始まったのだがそれは基本的に無視しても問題ない物だと考えていい筈だ。
だが、それだって悪い気はしない。何と言うか…真に俺の事を受け入れてくれた、というか。そんな風に感じさせてくれる。
これ自体も俺の思いこみかもしれないけれど、それでも、これはきっと良い思い出だ。
「それで、この後はどうするの?今日は、もう魔術の特訓はやめておく?」
「あ…いえ、もう少し『飛翔』の特訓をしておきます。魔方陣の破壊の方も、早めにやっておきます」
「分かった」
そう言って師匠はこちらへと手を伸ばす。俺が魔方陣の転写された木板を渡すと、師匠はそれを受け取り、そしてもう一方の手を再度延ばす。今度は、しなりを加えながら僅かに上下させると言う器用な事をしながら。
もしかして、と、そう思いながら、誤解だった場合とんでもなく嫌われそうでもある行動を、しかし少し勇気を出して行ってみる。
そっと俺が右手をのばせば、驚くほどあっさりと師匠の方から手を掴んで、引き上げてくれる。その折れそうな細腕には、見た目と裏腹に力も隠されているらしい。
…拍手する人数が増えたとか、本当にどうでもいい事だよな。
「このあたりなら、自由に打ち込んでも、問題ない。魔方陣そのものに介入しても、アタシ達は立ち寄らないから」
師匠が木片に指差したのは、ちょうど海中に壁の端が繋がっている所。なるほど、確かにここなら多少瘴気が流れたとしても影響は無いだろう。
「分かりました。それでは師匠、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
振り返ると、近くにカルスが立っていたので、『飛翔』で飛び立つ前に話しかけに行く。
「…見てた?」
「当然。で、なにあの夫婦喧嘩」
「そんなにひどい状況だった…?」
夫婦喧嘩、と聞くと、…うちでは俺という火種が有ったのにあまり見なかったが、しかし、よそ様のそれを見た事はある。あれは…端的に言ったら『ひどい』だよな。犬も食わない、とはよく言ったもので、大体互いが金切り声とか上げていく結果に…あれ?俺と師匠はそんな事にはなってない筈。
「いや、酷いと言うか…。もう完全に、師匠と弟子としての上下関係が出来上がってるよな、って。ああ、それなら師弟喧嘩って言った方がいいのかな。あんまり使わない言い方だから、ちょと戸惑ったけど」
「ああ、そういう。まあ、師匠はこう、何処までも尊敬してしまう相手だからね」
「へぇ…。まあ、僕からすると年の近い女の子な訳で、尊敬とかの感情を抱いた事がないから、ちょっとそれは共感できないかな」
「…やっぱり、最初に出来上がった関係が大事な訳か」
「そりゃあまあ…。あ、タクミが流れ着いたあの日も、僕たちに取り囲まれた時点で、何の抵抗も見せずに投降してきたのが、最終的にタクミを信頼する理由の一つにはなってると思うよ?」
「うわ、ほんとに巡り巡ってって事だな…じゃ、俺は言ってくるよ」
「うん。まあ、こっちも修行再開されるんだろうし、頑張るよ」
「修行止めてた?うわ迷惑行為…!」
「良い休憩になったからそれは反省しなくていいと思う。むしろ、ラスティアさんに後で誤った方がいいかもよ?」
「いや、今謝ってきたんだけど…?え?」
「いきなり大勢の目の前でタクミが土下座なんかするから、ラスティアさんが何をしたのか、又はされたのか、ってなって、それで修行の手が止まって、皆でそっち見てたから」
「…あ」
慌てて振り返るが、既に師匠はいない。恐らく、もう家に帰ってしまっている。
「…後で、今度は人目に付かない所で土下座だな」
「それ、万が一でも人目に見られたら余計に誤解されるから。…タクミは、なんだかんだで大げさなんだよ。もうちょっと、自然に」
「…ありがとう。今度こそ、行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
カルスとすれ違い、数歩進んで『飛翔』する。今日は本当に、何度も自分の至らなさというものを実感させられる。精進…なんて硬い言葉で言っても仕方がない。もっと簡単に、頑張る、と心に決めておこう。
◇◇◇
壁伝いに数周、更に、下から三分の二ほどまでの高さまで上昇してみる、直線的でない動きを行う、などの『飛翔』の特訓をし、そこに僅かな手ごたえを感じつつ、夕食まで推定一時間という頃合いで海岸に下りる。
ズボンの裾を上げ、凍える海に入る。ロルナンに居た三か月前、既に川が凍るほどには寒気が訪れていたのだから、そろそろ春何ではないか、とも思うが…日光が当たらないことで、冬に冷えた海水が、温まるまでに長い時間がかかっていると言う事だろうか。
木板を見て、条件に合う魔方陣の回路が通っているであろう場所へと向かう。魔方陣を破壊する魔術は、かなり距離が近くないと厳しいのだ。
「この辺、かな」
何度か魔力を、それがどう空中を移動しているのかを把握できる速さで飛ばす。すると、途中で他の魔力の流れにぶつかる所が見つかる。つまりこれが、魔方陣の回路が通っている場所ということだ。
やはり目視できないのが痛い。いちいち確認しなければいけないが、これだって広範囲にわたって一度で確認できるわけではないのだから。本番では、下調べを念入りに行うことを前提に、この技法その物を上達させなければいけないだろう。
―――冷えた空気を吸い、肺の中に溜めこむ。頭がすっきりとして、集中力が増したような気がした。
「『剥離:魔力』」
魔方陣の回路から、魔力の流れが引き剥がされていく様をイメージ、その現象を魔術で現実のものとする。
魔力の流れが変わって、その形を保てなくなり、上下左右に拡散していく。冷却効果をもたらす、例の魔方陣は流れその物を別の方向に出来てもいたが、壁の魔方陣相手では、魔力そのものの動きを明確にすることはできなかった。勿論、回路から剥がす事が出来た時点で得の問題は無かったりもするのだが。
現に、俺の目の前で半液体状の瘴気が溶けだした。それは海水の中へと落ち、中には、少し上から俺の頭へと落ちてくる物もあった。
それを避けながら、復元されていく様子も確認する。
まず最初に、魔力が回路の有った所をなぞるように流れ、そこへ瘴気が再集結。回路を作りだす。
それが出来上がると、もうそこまで長い時間はかからない。すかすかになった部分に、壁の上部から瘴気が滑り落ち、また、海中からも瘴気が集まってきて、埋めていく。
最終的に、海中に落ちた瘴気も全て戻ってしまうんだろう。
「…二分、ってところかな?穴がふさがるまでは、…多く見積もっても十秒、俺はともかく、こんな端に穴を開けただけじゃあ皆は脱出できないな」
次は、中心では無い基部で実験してみたいとも思うが、それに関しては当然のごとく危険性も増してくるので、そう簡単に許可は下りていない。まあ、何かのはずみで壁囲わされて、皆が瘴気に押しつぶされたりしてしまってはいけないから、俺だって無茶を言う気はない。それでも、ぶっつけ本番よりは危険度が減るのではないかと思っている。
…帰るか。壁の魔方陣そのものにも、ちゃんと『剥離:魔力』が効果を持つことは確認できたし、今日はこんな所でいいだろう。
寒さが限界に達していた俺は、内心で軽い言い訳をして、今度は『飛翔』を使って海の上へと浮かぶ。
と、その時、一つ思い出した事が有った。
「魔術の並行使用、か…。よし」
視線を陸地から、もう一度壁へと向け
「『剥離:魔力』…うわッ!?」
ボチャン、と。
そんな音を立てて、尻から海に落ちる。
…プールの授業の事を、思いだした。最初に足をつけて、それを少しずつ上半身に近づけ、水温に身体を鳴らしてから、入る。それはつまり、そうしなければならないほどには危険性が有ると言う事だ。
「うおッ!あ、バババババッバババッバ!」
意味を成さない叫びを口からこぼしながら、起き上がり再び『飛翔』を使って、村の端、俺の家まで全速力で向かう。今までにない速度が出たが、それでより体は冷えた。踏んだり蹴ったりである。
…今日は一体何度、服を着替えることになるのだろうか。
とりあえず、凍えた体を温める為にも、晩餐に早く向かうとしよう。
「魔術の並行使用は、やっぱり難しい?」
「手ごたえからして、出来ないって程じゃないです。ただ、集中力は必要ですね。『飛翔』に慣れることが前提なのは間違いないです」
「練習、有るのみ」
「ま、タクミも頑張ったらどうにかなるよ。僕もさっき、一振りで木を切り倒す事が出来たんだ」
「木を一振りで?凄い…って、カルスが使ってたのって、短刀だったっけ?」
「うん」
「短刀で、木を?」
…どう考えても、それは無理だろう。あの短さで木を切り倒すなんて言うのはちょっと、脳内でもイメージが追いつかない。
柄のぎりぎりまで木に食い込ませたとしても、中心まで届くかどうか、といった程度の長さしかないのだから当然だ。しかし、本当は枝か何かを斬った所を、カルスが誇張して言っている…とも思えない。
俺の疑問に対して、カルスが答えを返してくれる。
「ほら、短刀を振った時に、上手く斬るんだよ」
「は?」
何を言っているのか分からない。いや、だって…は?
「いくらなんでも、あの短刀で木を切るのは無理でしょ」
「いや、だから、上手く切れば行けるんだって」
「…才能、才能か。…いや、やっぱりもうちょっと詳しく話聞かせてよ」
「…私、もう帰っていい?」
師匠がつまらなそうにしていたので、カルスと目線で息を合わせ、この場に留まってもらう。…というか、師匠だってまだ食べ終わっていないのだ。それだけこの場に居辛かったと言う事だろう。
ともあれ、先に食事を終わらせ、師匠と別れてからカルスに話を聞いたのだが。
「切り口を開くってなんだよ」
「短刀を押しこんで、その延長線上にある所も一緒に切るんだって」
「いや、どうやって」
「シュッ!って」
まあ、多分体感しないと分からない様な世界の話をしているのだろう。俺だって、魔術を使えなかった以前の自分に魔術の使い方とか話しても、理解されるとは思えないから、きっとそういうことだ。
「よし、出来るっていう事にしよう」
「いや本当に出来るんだってば。タクミ、全然信じてないよね?」
「…うん」
「正直に言えば許されるってわけじゃないよ…?」
調子に乗りすぎた、ということだ。まあ、当然冗談の範囲だろうが。
信じていない、という訳ではないが、まあ、実感は出来ない。こういう事は、自分の目で見ないと心から納得することはできない類の事なのだ。
いや、本当に見せてもらおうか?
「カルス、それ、今見せてもらう事ってできる?」
「え?…良いよ。村の周りじゃないのなら、斬っても問題ないらしいし」
「分かった。じゃあ、食器を洗うついでに行こう」
そういって、お膳を抱えて二人で村の外、川のある方へと歩く。
食器を洗い、お膳に戻して、更に森の奥へと進んでいく。具体的には、川の上流へと。
「よし、この辺でいいと思うよ、見てて」
「分かった。…そう言えば、もう短刀を個人で持ってるんだ」
「うん。まあ、悪用なんてしないし、その辺は、信頼されているってことなのかな」
「カルスがそんな事をするとは思えないしね。…それでは、お願いします」
少し調子に乗ってみたが、カルスも『よし、見ていなさい』と乗ってきてくれたので良しとする。
見る限り、目の前の木の幹の中心までしか届かないであろう短刀を鞘から抜いたカルスは、その鞘を地面へと置いて、短刀を右手へ持ち、下げた左手の近くまで右腕を引く、という、日本刀のような形状で有れば居合い切りにも見えるであろう構えを見せ、木へと狙いを定める。
そこから一秒、集中力を増し、眼光を鋭くしているのが横から見ていても分かるカルスの姿に、自然と俺も緊張してしまう。
そして、カルスが前傾姿勢になったと思った瞬間、先程のカルスの言の通りに、シュッ!という爽快な音が響き、一瞬、カルスが居る側から見て反対の幹から薄い白の光が跳ねたように見えた。
カルスはゆっくりとこちらへ振り向き、額の汗を腕で拭う。
「…こんなものかな」
「俺としてはまだ『まさか』って気持ちが強いんだけど、…その木、ちょっと押してみていい?」
「良いよ。でも、倒す方向には気をつけて。予想もしてない方向に倒れる事もあるからさ」
俺の後ろへと向かうカルスとすれ違うように前へ出て、カルスが再びこちらを見始めたことを確認しながら、木へとゆっくりと体重をかける。
すると、やはりしっかりと木が切れていて、その中に溜まっていた水が出てきていたからなのだろう。濡れた幹があっさりと滑って、しかし下側を抑えた事により俺に向けて倒れこんでくる。
「うわ、カルスごめん!」
「大丈夫、大丈夫」
族長との訓練もあって、今更このくらいの事で押しつぶされたりするような事は無いのだが、それでも大重量によるプレッシャーというものは感じるもので、少し冷や汗をかいた。
しかし、さっきの光は何だったのだろうか。いや、魂光に近い物にも見えたのだが…。
刃そのものより長いものを斬る、という話はロルナンでも聞いた事は無い。勿論、レイリとエリクスさん、それにボルゾフさんくらいからしかそこまで詳しい話を聞く余裕なんてなかったわけだが、瘴気汚染体と戦っている間だってそんなものを目にした事は無いのだから、少なくともありふれた技術なんかでは無いのだろう。
特訓期間…短刀専門になってからは、一カ月。尋常では無い成長速度なのは間違いないだろう。
「凄いなこれ。カルス、さっきのは魂光を利用しているのか?」
「え?いや、少なくともぼくにそんな認識は無いんだけど、何で?」
「さっき木の幹から出てた光が、魂光に良く似ていたからさ。俺だって、それそのものに威力が有るとは思ってないけど…今の光の色を見ると」
「そんな風になってたの?あんまり意識してなかったけど、確かに白っぽいしな…」
カルスも納得し始めているが、少し思う。俺の勝手な意見で、カルスの中でさっきの現象について変な固定観念を持たれてもまずいんじゃないのか、と。
「まあ、正直怪しいから、カルスの師匠に聞いてみた方がいいと思う。…師匠さんは、それと同じ事が出来てるんだよね?」
「うん。タクミから見たラスティアさんと同じくらい、僕の師匠も凄い人だよ」
そのカルスの言葉を聞いて、どうしても思ってしまう事が有る。
共感を求めて、カルスへとそれを伝える。
「やっぱりさ、自分から『師』と仰ぐようになった人って、尊敬するよね」
「そうだよね…!」
共感。素晴らしい事だ。
「僕の師匠はさ、かなり厳しいんだけど、言ってる事が的確だっていう事が後で分かるんだよね。そのたびに、『ああ、やっぱり凄いな』って感じる」
「師匠は、特筆する程厳しい事は言わないけど、的確な物言いってところは凄く同意。あと、俺の場合は、単純に人間性として敵わないッて思う事が多いな」
「それはあるね」
「でしょ?」
弟子、という立場に立って、師匠が良き人であった場合に感じる事は大体同時になる法則、というものが見えた気がした。
しかし実際、そういう面は多大に有るだろう。
とりあえず、この共感を外へと表すことにしようと思い、右腕を前に差し出すと、カルスも黙ってその手を掴んでくれた。これ正しく共感の形。こうやって友情というものは深まって…いくものだったか?何かずれているような気もしたが、気にしないでおく。人それぞれだ。
「なんだかんだで時間も経っちゃったし、もう村に帰ろうか」
倒れた木を『風刃』で細かく切り刻みながらカルスに提案する。切株に近い方を短刀で斬っていたカルスは、
「そうだね。食器も早い所片付けないと」
一人一人がこうして、少しずつ成長している事を感じると、物事は常に前に進んでいるのだなぁ、と、しみじみ思う。
壁の破壊だって、そこまで長い時間はかからないだろう。前向きに考えることで、更に早く進むのではないかとも考えつつ、村へカルスと共に帰った。




