第十二話:攻略討論
「魔方陣を解除する前に、液体をはじく障壁のような物を村の上に作りだして、流れ落ちた瘴気をどこか別の場所に誘導すると言うのはどうでしょうか」
大勢で夫妻の家に集まって、現状の対策を、少し久しぶりに話し合う。
「良い線だとは、思うけれど、瘴気がどれだけ、私達に影響を与えるのかが、分からない以上は、危険」
「…確かに、距離が有っても苦しさは感じるんでしたよね。だったら…師匠たちの体に悪影響を与えている部分を解析して、それを遮断することで悪影響をなくす、というのは」
「将来的には是非開発してほしい魔術だと思うけど、いくらなんでも手間がかかりすぎるよ、タクミ君。それならいっそ、大きな船でも作って、そこに障壁を張る方が言い」
なるほど、と思った。フィディさんの言う通りの物が作り出せれば、瘴気と近づく時間を最低限に抑えたままで、そのまま外へと漕ぎだせる。
だが、ミィスさんは少し納得いかない様子で、
「でも、瘴気って普通の障壁で弾ける物なのかしら?あっさりとすり抜けられたりしたら、私達一網打尽よ?」
「まあ、何度か試験を繰り返す必要が有るね。それで、タクミ君は飛べるようになったのかな?」
「じ、自由にとまでは行きませんね。正直、まだ細かい作業を行えるほどじゃありません」
「すごいじゃないかタクミ!空を飛べるなんて、この村では誰も真似できない!」
「あ、ありがとう、カルス」
カルスからの純粋な称賛が心に響く。こういう事でもやはり人間、嬉しく感じる物だ。
「なあ、ミィスさんとこの。魔方陣の破壊ってのは、そんなに難しい事なのか?魔術を使って壊すって聞いたけどよぅ、もっと、石とか積んで無理やりせきとめちまうってのはどうだ」
「的確にふさぐ事が出来れば、効果が無いとは言いません。ただ…石を積める所となると、やはり地面から離れていない場所に限定されます。そうなると」
「かぁーッ!魔方陣の端っこふさいでも意味ねえって訳かい!面倒な事この上ねえな!」
「は、はい。そう言う事です。…でも、そうですね。少し固定観念が有ったかもしれません」
現在ナルク夫妻の家に15名もの村人が集まっている。理由は、魔術の研究、及び壁の破壊に関して何らかの新たな転換、或いは、ブレイクスルーが必要だと言う事になったからだ。
瘴気流出の危険性、また、それを徹底するための瘴気その物についての説明が必要という話が族長や、その他外の世界について話を聞いている人達と、魔術士組との間での会議で決まり、その一週間後には、壁の外へと出ようとしている事を含めて全ての説明が為された。
『外には、この村に住んでいる人間の、百万倍といった数の人間が居る。彼…タクミもまた、その一人。彼らと交流を持つ事は、危険であるが、しかし、それと同様に恵みも齎すであろう。だが、それ以外にも外には危険が存在する。それと対抗するためにも修行をしておくのが大事だ。我々をこの村に封じ込める壁を破壊する前に、各々が力をつけるように。………私の願いの為に、勝手に動いた事に怒りを抱いている物は多いだろう。それに関しては真摯に謝罪する。だが、どうか、受け入れてはくれないだろうか…ッ!』
そんな言葉で締めくくられた説明は、 結果として、概ね村人には好意的に受け止められたと言っていいだろう。修行に身が入る人も増え、魔術士にはなれずとも、魔術に関して新たなアイデアを持ち寄る人も現れた。
まあ、魔術のアイデアに関しては様々なものが増えても、それを実際に使うのは俺たち魔術士自身なので、どうしても本人の技量というか、イメージ力が試されている所が大きい。
そのあたり、試行錯誤を重ねていくしかないのだが…時間もそう多くは無いのが悩みどころか。修行にも最近やりがいを感じ始めているのだが、そもそも俺の仕事は壁の破壊な訳で、それ以外の事にうつつを抜かすのも、なんだかなあ、といったふうに思う。
『飛翔』の魔術―――『飛行』という起句が単純だと師匠からダメ出しを受けた後、数種類の案(『身体操作:飛翔』や、『展開:疑似翼』)を出したものの、語呂が悪かったり、妄想のこじれたような物だったりした事や、唐突に冷静になった師匠の『複雑にする必要は、ないのではないか』という、そこに至るまでの数十分の苦労を一瞬で水泡に帰す発言を受けて、ここまで来て変えないのも嫌だったので、案の一つから借り受けて『飛翔』とした―――も、現状で完成とはと言い難い。先程も言ったが、まだフラフラとした動きしか出来ないのだ。こんな状態で、壁の頂上まで飛ぼうと言うのは不安が大きい。まっさかさまに落下でもしてしまえば、どれだけ打ちどころが良くても大けがだ。
まだまだやらなければいけない事は多い。族長からすると、もしあまりにあっけなく壁を壊せる段階になった場合は、村人の修行の為に破壊を遅らせる予定だったらしいんで、結果的に良かったと言った所だろう。
俺としても、早め早めに『飛翔』の魔術を使いこなせるようにならないといけない。
「ねえタクミ。今日はこの後、また『飛翔』の特訓でしょ?」
「うん。どうにかコツを掴まないといけないしね」
「僕の方はまた修行だね。でも最近、武器の扱いには才能が有るって言われたから、身も入るよ」
「カルスは…ナイフ、ああいや、短刀だったっけ?褒められたのは」
「関節の使い方がどうとか、身軽さがどうとかって言ってた。やっぱり褒められるのは良いね」
それはついさっき体感した事なので、実に分かる。
「タクミ、ついでに、魔方陣が通っている場所を。覚えているかどうか、確認しておいた方が、良い」
「あ、分かりました師匠。だったら、フラフラと飛びまわってきますね」
「うん。転写した板は、いつもの所に」
「はい」
と、いつの間にか議論も一段落、少し弛緩した空気が流れだした事がわかる。…そもそも、こんな会話になった時点で少し終わりが見えていたからだろうが。
「俺、一足お先に修行の方に行かせていただきます…あ、族長たちの方じゃなくって、魔術の方です」
「分かったよ。行ってらっしゃい」
皆さんに挨拶して、フィディさんからの返事を受け取りつつ、戸棚の中から小さく壁の魔方陣を転写した板を取り出し、『飛翔』で外へと飛び出す。
魔力を常にゆっくり使い続けているらしい感覚はあるのだが、長時間飛行になれる為にも、壁際に近づくまでの距離も『飛翔』で詰める事にしている。
やはり、揺れが大きい。これは恐らく、魔術を絶え間なく再発動する過程で、それが起こす現象としての飛翔の方向がずれているのだろう。だから、上下左右に少しずつずれているのだ。…酔いそう。
少しやり方を変えてみた事もある。魔術による方向転換をなくすためい、一度の『飛翔』で、長距離を移動できるようにした事が有るのだ。だがあれは…移動から自由が損なわれてしまって、ちょっとしたことで事故が起きそうな危険を感じた。というか、低空飛行で気に思いっきりぶつかったのが軽くトラウマなのだ。
五分も飛べば、壁の近くまでたどり着いた。そこが、ちょうど魔方陣を構成する回路の一つが通っている場所だと分かったので、ゆっくりと上昇、また、右回りに旋回を始める。
「こっちが、起点まで一直線に向かっている回路だよな。だったら、あのあたりにも中心じゃない起点が有るんだったっけ?」
壁の魔方陣の起点は複数だが、まあ、破壊しようとすれば中止を狙う、という事らしい。ようは、複雑すぎる回路を制御するために配置されている、といった所だろう。
それから、三十分。師匠が転写した魔方陣の回路図には、特にずれは無い。そして、嬉しい事に、俺の『飛翔』の精度が心なしか上昇した。というのも、回路の線をなぞるように飛んでみようと考えて実行すると、本当に真っ直ぐ飛べたのだ。
『どっちに飛びたい』ではなく、『何処を通って、何処へ飛びたい』まで意識する事がコツとなると言う事だろう。どちらにしろ、もう少し練習してから師匠たちに報告するべきだ。さっきのが偶然だったら、糠喜びさせてしまう。
…着々と時間は過ぎ去っていく。日光が届かないからだろうが、少しずつ日付の感覚が無くなってきたせいで、もう正確に壁に囚われて何日経過したのか分からない。だが、三カ月は既に経過している筈だと、そんな風に思う。
さあ、早く脱出しよう。この村の皆と一緒に。
…族長は、この村を壁から解放した後、どういうふうに生活して行こうと思っているんだろうか。壁が無くなる事で動物がいなくなったら、いよいよ商売とかも始めなければいけないと思うんだが、そのあたり、詳しい話を聞いた事は無かった。
三ヶ月経とうとよく分かっていない事は多いな。村に帰ったら、また話を聞かせてもらおう。
まだまだ脱出までに立ちはだかる壁は―――意識的にも物理的にも―――多いけれど、それだって、一つ一つ壊して行けばいい。
「まずは、半液体の瘴気からどうやって逃れるか、だよな」
だが、きっとどうにかなる。今までだってそうだった。…諦めて全て放棄しない限り、どこかに道はある筈だ。
そんな期待を胸に、また『飛翔』で飛び回る。俺の今の課題は、とにかくこれだから。
魔方陣の確認と、僅かな『飛翔』の精度上昇を終えて村に戻った俺は、ナルク夫妻の家に向かった。いつもと変わらない話し合いで有れば、もう皆は解散しているころだろう。あれから一時間以上は飛び続けていたと思うし、…もしそうでないのなら、何らかの進展が有ったと言う事だろう。
とはいえ、もう村のあちこちに、さっきまで話しあっていた人たちを何人か見かけてはいる。つまりは、もう解散済み。
すると、そんな事を考えていたからだろうか、ちょうど夫妻の家から師匠が出てきた所が目に映る。
「師匠。俺の方は確認終わりました。その後、どうでした?」
「話は、少ししか、進んでいない。でも…魔方陣の、破壊について、少し意見が有った」
どうやら、この一時間で新たなアイデアか、あるいは考え方そのものが生まれたようである。このあたり、やはり頭数が大事だな、と思う。皆が本気にもなってくれるから、意見が止まる事もないので、意見・見識の数は留まる事を知らず増え続けていくのだ。その中から使えそうなものを選別する事が、最近のナルク夫妻の仕事といっても過言ではないのかもしれない。
「どんな意見だったんですか?」
「タクミが居た頃に出た、岩や木を使って、回路を遮断すると言う方法。…あれを使えば、そもそも飛行して起点を破壊する必要が、ないかもしれない」
「え!?…あぁ、なるほど。つまり、回路の端を塞ぐことで、そこの部分だけ穴を開ける、って事ですね」
「………理解が早い。でも、合ってる。…この村に住み続けることも可能かも、知れないけど…。問題点は、単純にその強度。それに、岩や木を、少しずつ瘴気が透過して、滴り落ちてくる」
少し想像してみる。岩や木を使って、回路をつぶしながら通り抜けられるように道を作る。しかし、そこからは瘴気が垂れてくる。師匠たちは瘴気に触れると危険で…。
「…通路として機能し辛いですね。瘴気で傷ついてしまう以上は、足元なんかにたまった物も掃除できませんし。…今の村だと俺だけ」
「タクミの、口ぶりからすると、そもそも瘴気は、私たち以外にも、有害のように思える。…積極的には、使いたく無い策」
「ただ、単純に脱出するため、って言うのなら使えますよね。選択肢は、この場合多い方がいいんですし、これについても考えていきましょう師匠」
「そうね…」
やはり、少し荒が目立つ。かといって、今以て完璧と言える計画が出来ていないのは本当にまずい。そろそろ、本腰を入れて計画を立てねばならない。…壁を壊すのだって、俺の魔術が未完成・落ちてくるであろう瘴気への対策がない、なんて問題点が有るのだから、どうにかしないと。
―――そうだ。いくらなんでもゆったりし過ぎなんだ。もっと本気になろう。早くロルナンに帰るなり、どうにかして連絡をつけるなりしないと、俺が死んだって事になってしまう。いや、多分もうなってる。…これ、まずいな。そりゃあ、住民票とかは無いんだから、生きてたって良いんだけど、もし一年、二年と経っていったら、皆の記憶から俺が消え去ってしまうんじゃあないのか?濃密な時間ではあったが、しかし二週間の間だけだったし。
俺の想いと同じくらいには皆が俺の事を親しく、また密接に考えてくれていると考えたいけど、俺はアイゼルに来たばかりで、心細さとかもあったんじゃないかとか、そんな風に客観的な考えを持ってしまった事も、正直あるのだ。
「ナルク夫妻は、今何をなさってるんです」
「魔方陣解析から、昔の資料を漁って、瘴気の記述を探してる。…これは前からやってたけど、さっきの、物理的に、魔方陣や壁に穴を開ける方策に向けて、念入りに、行うみたい」
「…瘴気その物を完全に遮断するのは、難しそうですけど、何か特性が見つかれば良いですよね。…俺もあまり調べたわけじゃあないんですけど、外でも、瘴気が一体何なのかについてはあまり分かってないみたいなんです」
「だったら、難しいかもね…。タクミの進展はどう?『飛翔』は、うまく扱えるようになった?」
師匠の口ぶりからは、そこまで多くの期待は感じられない。当然だ、普通、一時間程度の修行で何かが変わるとは思わないだろう。
だが、今日の俺には報告するべき事もある。…喜んでもらえる、とまでは思わないが。
「師匠、まだ完璧とは言いませんが、かなり『飛翔』の動きを制御できるようになりました!」
「本当?」
「はい。自分の動きをより正確に、空中に引いた線をなぞるように考えることで、今までよりも動きが正確になりました。更に言えば、そのおかげで動きそのものが少し速くなりました。
一応、ただ飛ぶだけなら問題なく壁の頂上まで行ける筈です。ただ、魔術の並行使用に関しては、この状態での検証はまだできていません」
「そう、良かった。…頑張ったね」
「………え?」
「…タクミが、頑張ったねって。前とは違って、頭もよく使えるように、なったと思うし。成長の速さは、凄いって思う」
………ああ、もう!
「…ありがとうございますッ!」
「タクミ?」
とてもではないが耐えられなく感じ、師匠の横を通り過ぎるように走り去ってしまう。俺の姿を追うように振り向いた師匠には、もしかしたらみっともない、鼻水をすするような音が聞こえていたかもしれない。
顔を抑え、俯きながら村の端、俺の家が有る方へと走ったが、きっと何人かには見られた。カルスも、修行中ではあるとは言え広場の近くを通ったことで、俺の事を視界に入れていたかもしれない。村中暗くても、皆夜目がよく聞く。
家の扉を開けて、中へと駆け込み、壁に背中を預け、重力のままに床に腰を打ちつける。だが、そんな痛みなんて目でないほど、俺の心は震えていた。
自分のやったことで、ここまであっさりと褒められた事はいつぶりだっただろうか。ああ、自分で考え、行動し、その結果得た成果で褒められる事がこれほどまでに喜ばしい事だったとは知らなかった!いや、忘れていたんだ!苦労から目を反らして、その先に待つ素晴らしいものからさえ目を反らして…!
くそ!歯を食いしばっても、涙の流れが止まらない!…嬉し涙まで流したのは、流石に人生初の経験だ。
深呼吸を意図的に繰り返す。嗚咽混じりの、二度と聞きたくないような音が喉の奥でなったが、それだって今は気にならない。
「…ああ。こういう、ことか」
涙を引かせ、しかし火照りの残る頭で考える。実に、実に幸せな経験だった。無意識のうちに俺が求めていた物はきっとこれだ。
だが、きっと俺は浅ましいことこの上ない人間なのだろう。この期に及んで、『女神さまから貰った力だけでなく、自分の力だけでも』誰かから同じように、いや、それ以上に褒めて欲しいと、そんな風に思っているのだから。
自分一人ではそのスタートラインにすら立てていないくせに、内心では賞賛欲求をこじらせ煮え滾らせているようなダメ人間。外側は変わっても、中身に変化は未だにないのかもしれない。
そう、忘れてはいけないのだ。俺の本来の目的は、ダメ人間から脱する事。なら、中身を変えていかなければいけない。
―――行動することは、そろそろ習慣にもなってきたように思う。最近は、何もしない時間よりずっと、何かをしている時間の方が好きだから。なら、未だ足りないのは何だ?
…心から他人を思いやる心、それに、自分自身の存在意義、という所か。後者は、意識して考えだしたらまずいようにも思うけれど、前者に関しては、自分で意識・矯正していくべき内容だろう。
例えば、今。師匠から褒めてもらったのに、それに感謝の言葉も返さず、傍目に見れば、いや、そうでなくとも走って逃げたのだから。そうでなくとも俺は、人を助ける、という選択をポーズでしか取れていないのではないかと思う時が有る。
恐らく、今の俺が現代地球の町中で、不良学生に絡まれる少女、なんて物を見かけたとして、最初にすることは、状況の判断であるに違いない。警察に連絡する、現場に介入する、そんな選択は、少なくとも最初の時点ではできない。きっと考えた末で、本来人を思いやり、だれかを助けようと思う人間なら考えすらせず実行するであろう二つの選択肢をようやく用意、そこでようやく選択するのだろう。それが自分で分かる程度には、まだまだ善人とは程遠い。
今思えば、俺の死亡時、川におぼれた子どもを助けようとしていたわけだが…あれだって、その直前で面接に落ちたことによるショックから、自分にはまだ価値が有ると思いたいがために来るような、自己防衛から来るみっともないものだったのではないだろうか。少なくとも俺自身に、あの時、『助けなければ』なんて純粋な気持ちが有ったようには思えないのだ。
―――最期まで持てなかった思い、これから持てるとは限らない。だが、諦めてしまえば終わりなのだ。逆説的に、諦めなければどうにかなる可能性はある。ならば決して、諦めるなんて選択肢を選ぶことは絶対にない。
涙を拭いて、それを含めたもろもろの、首から上の穴から流れ出してきた液体で服が汚れてしまっている事に気がつく。それは思った以上の量で有り…顔だってひどい事になっているのだろう事は容易に想像できる。
先程の事を師匠に謝って、そして、今度こそ感謝を伝えたい所だったが…まずは着替えと洗面が必要だ。今ならば人も少ないだろう川に向かって、軽く体を洗ってから着替えるとしよう。
そう決めた俺は、今度はすがすがしい気持ちで、家の扉を開けて外へと出た。




