第十一話:複雑怪奇、解決までの道のり
結局、昨日の事で、師匠と族長の間に、精神的な亀裂が生じたりという事は無かったようだ。朝から師匠の様子は変わらず、族長も、昨日の晩餐、今日の午前修行、そのどちらも至って普通だった。勿論、ぎこちない態度を表さないためだったと言う事もあり得るのだろうが、そうなってくるとすぐんは見抜けない。それに、両者ともにその状況をよしとはし続けない筈だ。そもそも、二人だけではなく、族長の奥さんだっているのだから、関係を悪くしたままではいられまい。
―――どういうふうに解決したか、が俺に聞かされる日は来ないだろうけど。もう蚊帳の外扱いだろうから。
ともあれ、今日は再び狩りに出て、やはり大猟で帰ってきた。とても静かな森だが、なんだかんだで生命は豊かなのかもしれない。
昼食も終えて、―――ナルク夫妻の元へ。壁の魔方陣が刻まれた木板を抱えて、皆からわずかに奇異の目で見られながら向かった。
目的は単純。魔方陣の事に最も詳しいのがナルク夫妻である以上、二人に見てもらう事が最も効果的・効率的な事は間違いないのだから、夫妻に解析してもらう事が最も手っ取り早いのだ。
「これは………」
「………うーん」
しかし、肝心の夫妻の反応は、期待とは裏腹に芳しくない様で。
「ちょ、ちょっと複雑すぎるかもね」
「そんな予感は、してたのよね~…」
「と、いうと?」
「魔方陣そのものは、正確に『転写』している筈。これでも、駄目?」
「駄目、とかじゃなくて、もともと、魔方陣って、作った人以外には、解析も理解も難しい物なのよ?」
「「………?」」
良く分からなかった。師匠の顔を見ても、同じような事を考えているように思える。
だって、冷却の魔方陣とかはロルナンにも有ったわけだし、何も分からないなら同じような物の大量製造は出来ない―――本人が何百個も同じような物を彫っているとは考え辛い―――のだから、複製することくらい出来る筈…。
いや、複製するだけなら同じように彫ればいいのか?
「同じものを作る事が出来ても、何処がどう作用して壁が出来上がるのか、って言うのは分からないわね…」
「自分で魔方陣を作る時って、僕も何度かやった事が有るけど、考えて行うものじゃないんだよ。もっとこう…思うままに、彫りたいように溝をつけて行くっていうべきかな?魔術の現象を思い浮かべながら何度も失敗作を生み出して、最終的に完成すると言うべきなんだよ」
「………そ、そんなあやふやな感じだったんですか?」
「…確かに、魔方陣が大量に、捨てられていた事が、有ったけど…」
「まあ、どのくらいの事がされているのか、とか、今までに作った魔方陣と同じような場所が無いか、とかは調べられるけど、壁の特殊性まではたどり着けないと思った方が良いよ」
「…分かった。出来る限り、調べてみて」
「モチロン。…フィディ?頑張るわよ?」
「分かってるよミィス。…さて、とりあえずは今までの魔方陣でも並べてみようか。共通する所が有れば良いけど…」
「…師匠」
「ええ、私たちは、行きましょう」
夫妻の役には、あまり立てない。魔方陣に関しての知識量は、師匠と比べてもそう大差ないらしく、師匠と夫妻の間には高い壁が有るからだ。
外に出て、少し師匠と歩く。
壁を構成する魔方陣に関しては、破壊できない事は無いという結論に達している。実際、起点や回路に関しては見つかっているのだ。規模は違うが、以前と同じように停止・破壊することだって可能だろう。
今行うべきは、空を飛ぶ魔術の発明だ。
村の外、ほんのわずか木の密度が少ない所に師匠と共に向かい、『風刃』で切り開く。木々が邪魔で飛び立てない、という事は無くなった筈だ。
「タクミ、…出来るの?」
「怪しいです」
実際怪しい。例えば、『風刃』は、風を刃の形に成形、飛ばす魔術。『水槍』『砂弾』も同じく、自分以外の物を操り、飛ばすものだった。更に言うのなら、生物では無い物だ。
…つまり、何が起こるか分からない。
勿論、師匠も夫妻も何も言ってこない以上は、自分に対して魔術を掛けると言う行為そのものが危険でない事は分かる。また、そんな魔術が有るのであろうことも。
ただ、操るのが自分の肉体であると言う事は、自分の本来の意思による動きと、決められた現象を起こす魔術による動きの二つが同時に行われてしまう可能性が有ると言う事だ。いや、起こると言っていい。俺は落ち着きのある性格ではないし、自分でやろうと思っていても、体が浮けば驚きでじたばたともがいてしまうことは間違いない。
また、そもそもとしての空を粒ということに対するイメージのし辛さが有る。人に羽は無く、奇怪で内からジェットもない。となれば、『風刃』や『操風』のように風を操って飛ぶのか…それだって、個人的な不安感からイメージがはっきりとして来ない。そもそも、人が浮くような強風に煽られては、呼吸も危ういだろう。
さて、どうやって飛べばいいのやら…。
こんなときに、科学にも近いような事を考える必要がじつは無い、という事も知った。結局、イメージと魔力を使って、思い通りの現象を起こす事が魔術なのだから、小難しい事は要らない、という事なのだろう。それだって、あまりに自然の法則から乖離した事は出来ないのだろう。アリュ―シャ様だって、何時かは俺のレム睡眠とノンレム睡眠を考えて行動していたのだ、神様だって出来ない事はあるのだから、当然。まあ、もともと神の世界に意識が呼ばれるなんて事が科学的にはありえない事…また思考がそれている。
ともかく、言ってしまえば『飛べる』という結果さえ求められれば、そこに有るだろう矛盾は、有る程度消える筈だ。
ならいっそ、自分が飛べるほどの大きさの翼を作るか?もしくは、そんな形をしたものを作ることで、飛べないという結果を覆すことか。
少しずつ構想が固まってきた気がする。単純な翼の形にしてしまっては、障害物にぶつかってしまった時あまりに邪魔だ。小さくする…のでは揚力が得られない?いやいや、科学無視。小さくするのもいいし、風以外は通してしまう、というのも良いかもしれない。
…意外とこの二択か?いや、他にも案はある筈だ…。
「…タクミ?さっきから変な表情になっているけど、何かあったの?」
「え?」
へ、変な表情…?確かに、今ちょっと楽しくなってきてたけど、まさかそんな、表に出してしまって…いた可能性は大きいか。
「ちょ、ちょっと、どうやって飛べばいいのかを悩んでいるうちに、楽しくなってきまして…表情に出ていたのなら、忘れてくれるとありがたいです」
「…忘れない」
「師匠…!?」
「壁の外も、中も、向上心を持った魔術士は変わらない、って事がわかった。…これでようやく、お母さんに言い返せる」
「何が有ったんですか…?ああいえ、別におっしゃらなくてもいいです。…俺個人がどうとか、そういう問題では無いんですよね?」
「例には上げる」
「………分かりました」
許容範囲だ。うん。
「それで、どんな風に飛ぼうと、思っているの?」
「こう、背中に翼をつけて、ですね…。鳥みたいに飛ぼうかと。そうでなければ、また別の方法を考えようかとも思うんですが、今のところ一番単純で、考えやすい物はこれだと思ってます」
「………とり?つばさ?」
「…せ、背中から、長く伸びている物でして、それを何度も動かすことで、空を飛ぶ生き物が居るんです」
「…虫のような物?」
「…間違っては無いです。鳥とは違うんですが、飛び方としては」
鳥が居ないと言う事を忘れていた。蝙蝠もいないし、翼という言い方では伝わらなかったようだ。流石に、相手の認識にない物では翻訳しても意味は伝わらないらしい。
しかし…虫か。虫…。
いや、ここはおとなしく鳥の翼にしておこう。虫と鳥なら鳥の方が人間に近い筈だし、構造も分かりやすい。
…難しいな。
「とりあえず、一回やってみて」
「え、えーと…じゃ、じゃあ『飛行』」
「待って、起句が単純すぎる。もっと凝って」
「ええ!?」
◇◇◇
結局、起句を決めた後も、その日のうちに魔術が完成する事は無かった。
一日一日の流れが、最近実に早く感じる。やっている事の数が少ないからか、魔術を使うことに、楽しさを感じているからなのか。
後者であれば、師匠の言う通り、魔術士らしいというか、魔術が好きな人種という事なのだろう。実際の所、考える事も使う事も好きだし、その考えは有っているかも知れない。
…脱出までにかかる時間は、きっとどんどん減って行っている。もう、一月とかからずに脱出できるのではないだろうか?
布団の中で、そんなふうに考えていると、外から走る足音が耳に届いた。
村の中心から見てこちらの方向、更には知る音が気終えるとなれば、目的はここ、更に言えば俺に違いない。
起き上がり、扉を開けると、そこには珍しく、僅かに息を荒げた師匠が立っていた。
「ど、どうしたんですか師匠!こんな時間に、もう皆寝ているんじゃあ…」
「い、急いで、来て。夫妻の家で、話が有るの」
「話、ですか…?」
「…今までの、やり方じゃあ、だめかも、しれない。そんな、重大な問題が、見つかったの」
「そんなっ…!」
師匠の表情は今までになく真剣、かつ慌てたような物で有り…否応なしに、俺自身も慌てて行くのがわかる。
完全な闇に包まれた村を、師匠と共に走る。
どうにか夫妻の家までたどり着くと、ミィスさんが扉を開けて、真剣な表情で待っていた。
そのミィスさんが口を開く。
「もう、ラスティアちゃんは慌て過ぎ。危険度が高くても、緊急性のある話じゃあ無いのよ?明日話したって、問題は無かったのに」
「…そうもいっていられない。でも、慌てたのは、確かに悪かった。ごめん」
「まあ、私も急いで起こしちゃったからね。慌てさせちゃったのは悪かったわ。タクミ君も」
「い、いえいえ。今までの状況から変わった事が有るのなら、早く知りたいのは俺も同じです」
「そう言ってくれると嬉しいんだけど…」
その時、家の奥から声が。
「ミィス?あまり外で待たせちゃ駄目だよ?寒いんだから、中で話そう」
「わ、分かったわ貴方。ほら二人とも、中へ入って」
そのまま家へと入り、勧められるままに椅子へと座る。
フィディさんが知った危険な事実とは一体何だろうか。やはり、魔方陣から知った情報なのだろうか…。
「さて、タクミ君。今回伝えたい事は、新発見というべきものじゃない。さらに言えば、魔方陣だって特に関わってはこないんだ」
だからこそ、その言葉には驚かされた。
「え?でも、新発見じゃあないのなら何故今…?」
「いや、分かっていた事だけど、気がつけていなかったんだよ」
「…それは」
「この壁、瘴気で出来ているって言ったよね?タクミ君」
「は、はい」
それに関しては間違いない筈だ。だが、そこに何か問題が…?
「そして、私たちが瘴気に触れると危険だ、という事も族長から聞かされた」
「…はい」
そう、彼ら彼女らが瘴気に触れると、傷ついてしまうと言う。実際の光景は見た事が無いが、族長はきっと、実際に目にしているのだろう。
…危険、というのなら、このあたりの筈だ。そして、確かに何かが引っ掛かっていもいる。
「壁を構成する瘴気は、現在半液体。これも正しいね?」
「は、はい。事故では有ったんですけど、自分で確認しました。………あ!」
「気付いたか」
半液体の瘴気で作られた壁により全方位、頭上すらも囲まれたこの村一帯。
その壁を構成する魔方陣を壊してしまえば、その瘴気は。
「頭上から、降り注ぐ―――!」
「そうだよ。地上に積もるであろうことを考えれば、地下に逃げる事も出来ない。単純だけど、私たちにはとても効果的な罠だ」
「………どうすれば」
「………最初から考え直し、という訳ではない。陽は、脱出路を作る事が出来ればいい。但し今度こそ、私たちだけの手には負えない。物を作る、更に、それを長く持たせようとすれば、魔術だろうと知識は必要なのだ。…村人の賛同が必要だよ」
「…族長に、かけ合わないといけないですね」
ここまで隠してきた意味というものが無くなってしまったが、それで諦めるわけにはいかないのだ。
「私も、お父さんに、話す」
「どうやって瘴気を避けましょうかね…。難しい話になった事は、間違いないわ。…まあ、今日は眠りましょう?」
「あ、はい」
結局そうなるのだろう。
師匠と別れて、今度は一人で家に帰る。
…明日からは、また大変だ。




