第八話:魔方陣
本日10時に一話投稿しております。ご注意ください。
「それで、魔術層を破壊する方法だけれど」
「瘴気を吹き飛ばすのでは無く、瘴気を壁の形に保たせなければいい、という事なんですよね?だったら…あれ?魔術って、結局のところは現象なんですよね?それを破壊するって、結局力技ですか?」
瘴気の外側にあるのだから、難しい作業になるというのは確実だろうが…力技なら、画期的な方法とは言い辛い。だがしかし、師匠がここまでして伝えたかった事なのだから、それだけで終わる事は無いんじゃないか?とも思う。
実際に、俺の疑問を受けた師匠は、不出来な弟子に対して頭を痛めているかのような―――俺の想像でしかないが―――表情をしている。
「魔術が事象、という事は正しいけれど、普通の魔術とは違う所が、この壁にはある筈。それを、ちゃんと考えて」
師匠は基本的に声を荒げる事は無い。それはほとんどの場合に置いてこの村に住む人に共通する特徴でもあったが、だからと言って怒ったりしない訳ではなく…まさに、師匠から弟子に対する叱責でもあるのだろうと、今度こそ真面目に頭を使う。
魔術、というものが起こすのは、あくまでも事象だ。今回の壁に仕込まれた魔術が起こす事象は、…瘴気の形状維持・復元に、仮説ではあるが外側からの隠蔽。…多分高度な魔術なのだろうが、肝心なことはそこではない筈。普通の魔術と違うところ…。
俺自身が魔術を使う時を思い浮かべる。どんな事象を起こすのかを脳内で正確にイメージ、それと魔力を交換する。師匠が二月前に説明してくれたやり方に、随分と近くなった…というか、慣れたことにより、脳内での魔力の動きなども強くは感じられなくなった。
どうでもいい事に思考がそれる癖は未だに直っていないという事を理解しながら、再度集中する。
あの壁は、魔術などによって大きく形が崩れた時に、もとの形に戻るようになっている。その範囲は、確かめた事は無いが全てなのだろうし、族長から聞いた話では地価の方までしみ込んでいて、穴を掘っても脱出は不可能だとか。それだけ広範囲の瘴気を操っている事は、普通の魔術と違うところか?………普通の魔術とは違っても、それは単純に大規模なだけというか。例えば、以前シュリ―フィアさんが、瘴気汚染体の潜む森に向けて放った魔術だって、普通とは言えないだろう。しかし、今回の際はそこでは無い。
損傷を直す…。穴が開いた所から、すぐさま埋められていく…。
と、そこでもう一つ、奇妙な所に気がついた。それは、もはや当たり前のようになっている事ではあったが、しかし自分で再現しようなどとはとても思えない事だ。
つまり、
「二十四時間、何時でも壁の形になっている…?」
「近い。続けて」
どうやら核心に近づいているらしいので、少しの高揚感に包まれながらも思考を加速させる。
師匠のいい所は、こういう所で俺個人の、魔術そのものではない所まで鍛えてくれる所だよな…。と思いつつ、壁の異質さ、つまり、何十年と前から一度の停止期間もなく壁としてあり続けているということについて考えを巡らせ始める。
ある程度形をとどめておく、という魔術ならできない事もないとは思う。だがその期間がこんなに長かったり、損傷に対して即時の修復が行われるなんて事が、あるのだろうか?
いくらなんでも、壁を作った者がずっと魔術を使い続けているなんて事はあるまい。どれだけの魔力を使うのかもわからないし、第一、族長が本当に小さい頃に壁に囚われたというのならば、その年齢も凄まじい数値になっている筈。これだけの魔術をずっと使っていられる筈もないのだ。
となれば、この魔術が何らかの形で自動に発動しているという可能性が一番高い。
記憶を探れば、ロルナンで何度か見た光景に思い当たる物が有った。海産物を他の町へと運ぶために使われていたのであろう箱、そこに掘られた謎の紋章の事を。
あれは、冬場とは言え腐りやすい魚を、長期保存するために使われていた、腐敗防止とか、冷却のための魔術をその中に使い続ける為の紋章だったのではないか?イメージとは違うが、いわゆる魔方陣と言っていいものなのだろう。
とすれば、この壁の魔術層というものが、どういうものかについても分かってくる。恐らくは、瘴気を使って魔方陣を築き、常に発動状態で保ち続けているという事だろう。
確信した俺は、師匠へと仮説を説明する。
「魔方陣によって、壁を保つ魔術が自動発動し続けているから、その魔方陣を破壊すればいいんですね!…ですかね?」
「合っているけど、考えることに没頭しすぎて、最初の質問を忘れてる。私が聞いたのは、どうやってそれを、破壊するのか」
「う」
全然違った。いや、言っている事は間違いではないけど、内容そのものがずれていた。正直恥ずかしいのだが、答えはもう近いだろうと思い、再び思考。
魔方陣という物は、俺の認識が正しければ紋章によって魔術を発動する物だ。ならば、
「魔方陣を形作っている部分を、破壊する事が出来ればいい…ってことですかね?」
「そう。それで正解」
ふう、と達成感から来るため息が出る。だが、そこまで自分の頭で理解したことで、一つの問題点にも気がついた。
「師匠、魔方陣を構成している部分…って言うのは、特定が可能なんですか?」
魔方陣の端くらいであれば当たりそうなものだが、構成の中心になるような場所へと魔術を使って直接干渉する…ということになると、難易度は段違いだろう。
師匠の事だ、完全に無策なんて事は無いだろうけれど。
「特定そのものは、可能」
「おお…」
驚きと共に、やはり、と言った思いも得る。流石師匠だ。だが、その言い方からして、何の問題もないという事は無いのだろう。
「ただ、そう簡単には、壊せない所に設置する筈」
「そう、ですよね。皆さんが壁に近づけないにしろ、遠くから魔術で攻撃するということは十分にあるでしょうし」
「ましてや、壁に近づけるから、という理由だけで、破壊できるような場所には作っていない」
「ここまでしたんですから、手抜きなんてしてないですよね」
「だから、多分」
そう言って師匠は、右腕を上へと向ける。その動きに従って、俺の視線も上に向き…。その意味を察することで、体も思考も硬直した。
「空、天井とでも言うべき部分に、それはある」
「………な」
何十メートル上がれば、そこに届くのかすらわからない。少なくとも、梯子なんかに登って届く様な距離では無いことは明らかだ。
それこそ、空を飛ばなければならないほどの高さである…というか、よく考えたらあんな高い所まで瘴気で丸ごと囲っている事になるわけだ。何処までも、恐ろしい壁である。
「…どうやって、あそこまで行きましょうか?」
「空を飛ぶ必要が有るけど、私も、そんな事はした事が無い」
「…一から考えなければいけませんね。あ、それで、結局今日の話って、これで終わりなんですか?」
なんだかずいぶんと内容の濃い話を聞いてしまって、そんなふうに感じたのだが、師匠は首を横に振り、
「ナルク夫妻からの話は、少し別件。どちらかというと、魔方陣の破壊に関する事だから」
「具体的な方法についての話し、って事ですか…。でも、随分と進展してきましたね。それだけでも、嬉しいものです」
「半年以内には脱出、というのが、タクミの目標でしたか。後四カ月、期間としても、今までの二倍、ですか。これは、達成可能かも知れませんね」
「…まあ、絶対の目標ってわけでは無いんですけど。心配してくれている人に、早く無事な姿を見せなければいけないよな、と」
「…それは、早くした方がいいでしょうね。…そのためにも、壁を破壊しなければ」
「はい。行きましょう師匠?ナルク夫妻の所に。もう三十分くらいたつんじゃないですか?」
「まだ少しあるとも思うけど…いいわ。夫妻も、少し急いでいたようにも思うから」
師匠と共に、再びナルク夫妻の元へ。考え事をしていたせいで時間間隔が歪んでいたが、確かに師匠の言う通りで、まだ二十分ほどしかたっていない様な気がした。
扉をコンコンと叩く。中から、「はーい」というミィスさんの声と、それに続いてこちらへと進んでくる足音が聞こえた。
「戻ってきたのね二人とも。私も、食器の片付けも終わって家に帰ってきた所よ。ささ、今度こそは言って入って」
「「お邪魔します」」
「うん。ふたりとも、いらっしゃい」
フィディさんからの出迎えも受けて、居間の椅子に腰かける。
「さて、早速だけれど、タクミ君?」
フィディさんが俺に話しかけてくるので、俺も返事を返す。
「なんでしょうかフィディさん」
「魔方陣の解除について、学んでいってもらうよ?脱出作業そのものは、後回しでもいいんだからね」
「…はい」
「さ、ここにちょっと前に作った、冷却魔術発動用の魔方陣が有るから、試してみて?」
「…えーと、ちなみに、どうやって解除すればいいんでしょうか?」
「それはもう、最初から手掛かりを教える訳にはいかないよ。まずは自分で、できる限りの事をやってみなさい?」
フィディ・ナルクさん。彼は、その妻のミィスさんと同じくとても優しい人であるが、しかしひとたび魔術についての修行になると、非常にスパルタになる人だ。
…今日は修行に行けないのだろう。
冷却魔術の魔方陣の効力を打ち消す修行は、二時間ほど続いた。
最終的には壁の魔方陣を破壊しなければいけないので、力技よりも技術を追求する必要が有るのだろうと思い、何らかの魔術を使うのではなく、頭脳労働の時間となっていた。
今回渡された魔方陣は、少し黒い木板に溝が彫られて、その、回路のようにも見える溝が最も多く交差する場所に、小さな金属片のような物が刺さっているというものだ。
力技なら、この金属片を抜く、という事でどうにかなるようにも思える。この魔方陣で最も存在感を放っているのはこの金属片なのだし、大きな効果を担っているということも間違いないだろう。
だが、それと同じことを壁の魔術層で試せるかどうか、と言われれば少し怪しかった。何より、壁の方は全てが瘴気で出来ている。上手く吹き飛ばせない可能性もある。
だから最初に、回路を何らかの形で正常な物で無くすればいいのではないのかと考えた。
回路を通るのは、普通に考えれば魔力なのだろう。今は、冷却の効果が発動しているという感覚もないので、魔力は流れていないということになる。本来の魔力の流れを阻害することで、冷却されないようにすればいいのだろう。
とはいえ、この状態のままでは判別をつけられない。
「フィディさん。これ、どうやったら使えるんですか?」
「ん?そうか、タクミ君は魔方陣式で魔術を発動した事が無かったんだね。だったら仕方ないか。
そこの真ん中にある金属片に、魔力を通してみて?そうすればあっさり結果は出る。ああ、冷やす魔術を使用する必要はないよ?ただただ魔力を通すだけだ」
「魔力を流す…ですか。分かりました。やります」
左の掌に魔方陣の彫られた木板を乗せ、右手の指先で金属片の先に触り、体の中の魔力を流し込む。すると、それを起点にうっすらと、溝の間を魔力が流れていくのが感じられた。そして数秒後、ただの木板である筈の左手に触れている部分が、キンキンに冷えた金属板のような温度に下がった。
「うわッ!」
驚き、冷却を止めようと右手の指を話す。しかし、温度はすぐには下がらないようで、とりあえず机の上に置いた。
だが、おかしなことに気がつく。指を離しているのに、魔力の流れが収まらないのだ。
黒板の近くに触れると、机が冷えていっている事も分かる―――つまり効果は継続中だ。湯b先から俺の魔力は流れていない。という事は…。
「そしたら、勝手にそのあたりから魔力をかき集めて動き続けてくれるよ。あ、部屋が冷える前にどうにか止めてみてね?」
「自動で効果が続くんですか魔方陣って!?」
「うん。といっても、魔力ってそこまで浮いてないみたいだけどね。ああ、でも僕とミィスが一緒にずっと暮らしてるから、よそよりはずっと多いと思うよ?」
「魔術を開発する時も、いっつも二人でするものねー?」
瞬間的に目も当てられないいちゃつきが始まったので、魔方陣に集中する。―――直前に見えた師匠の目が死んでいた気がした。
ともあれ、回路を眺める魔力を止めなければいけない。結果の確認は容易になったのだから、弱音を吐いてはいられない。
魔力の流れに集中する。そうすると、今までは碌に意識していなかった空気中の魔力が金属片の方向に流れていっているのがわかった。こういうのがわかるようになったのも、二ヶ月半ほどの魔術経験が生かされてきた形だと思えば感慨深い。
しかし、魔方陣が使用する魔力に対して、この部屋の魔力はとても豊富だ。その上、ここにいる魔術士四人からは、微量の魔力が放出され続けているようで、状況によっては永久機関のような物にもなるのではないかとも思わされる。
この流れを止めるのだから…魔力によって壁を作り、金属片へ魔力が流れないようにすればいいのだろうか?だが、これはあくまでも壁を壊す為の特訓だ。壁の外側に直接魔力を飛ばせるとは思えない以上、もっと別のやり方を見つけるべきだ…。
そう考えながら、しかし一度試してみる。結果は成功。単純に魔力を遮断するだけでも、魔方陣を停止させることは可能だと分かった。
後は、直接金属片に対しての干渉をせずに止める方法を探すことだ。もう一度魔力を流して、冷却が再開される。
回路そのものに流れる魔力を寸断すれば、それがたとえ一部だろうときちんとした効果にはならず、冷却は停止される…という仮説をもとに、再度挑戦。
回路を流れる魔力は、観察すると、金属片を中心にして回路の端まで行きわたり、そして…金属片の近くまで、今度は木板の内側を通って、それぞれの回路の末端から金属片に直接戻っているようだ。
そのどこかを阻害してやればいいだろう。
魔力の動きという物は、単純に壁などでふさぐ、ということは難しい。自分で動かしていた時に感じていた事だが、あれは少しの抵抗感はあっても、物質をすり抜けていくからだ。
だから、俺は久しぶりに自分の魔力を直接動かして、魔力を回路から引っぺがすことにしてみた。
やり方としては、魔力の流れに対して横から俺の魔力をぶつける。そうすることで、回路から魔力を外すというものだ。
木板に掘られた回路を流れる魔力に、意識を集中させる。その流れを阻害させるように、少し魔力を当ててみる。
すると、魔力の流れが確かに揺らいだ。この方法でどうにかなるらしいと、そんな確信を持って、今度は魔力を完全に吹き飛ばす勢いで放つ。
しかし、
「あれ?…何で動かないんだ?」
「魔力を流す、っていう考え方は間違いじゃあないけれどね?でも、もし単純に魔力がぶつかり合うのなら、魔方陣そのものが細かい構造にはできない。さて、どうする?」
フィディさんの言葉から、少しでもヒントを得ようと思考を巡らす。
間違っていない、というのは、最初、流れる魔力が揺らいだ事に現れているとみていい。だが、魔力は単純にぶつかり合うというものではないらしい。という事は、…一定の勢いを越えてぶつかった魔力は、互いにすり抜け合うと考えるべきだろう。
だったら威力を調節すればいい…とも考えるが、そんなに細かい調整をするのは、難しい。それをやる事が大事と言われればどうしようもないが。しかし、そうじゃないと思うのだ。
―――魔術。俺が学んでいるのは、魔術だ。だったら、何時までも単純に魔力を動かすばかりではなく、魔術によって結果を求めるべきだ。
魔力の流れを魔力で動かすのではない。魔方陣に流れる魔力が全て回路から外れるという現象を魔術で引き起こす。
再度、魔力の流れを意識する。回路の形そのものは分かっているのだ、そこまで難しい事ではない。
そしてその魔力の流れが、末端部分から少しずつ上向きに剥がれて、折り返し地点に向かえなくなる様をイメージ。
起句を唱える。
「『剥離:魔力』」
すると、魔力の流れが少しずつ、回路からはがれて行き、魔力は流れる場所を見失い、空気中へと霧散して行った。
「お、出来たんだ。…うん。成功だよ。予想以上の手際だ。少なくとも二日は使い切ると思っていたけれど」
「ま、まあ、どうにか…発想に救われた、って感じでした」
「まあ、それも一つの才能でしょう。…基本は出来たし、発展形に関しては追々でいいでしょう。とりあえず、僕から今教えたい事は無いかな?」
「あ、ありがとうございました」
集中していて早く感じたが、師匠がミィスさんから既に、例の薄く甘みがする砂糖水を何度かおかわりしている事が見て取れた。そこまで急いで何度も飲むものではない。特に師匠は、かなりゆっくりだ。となれば、短くても一時間。長くて二時間ほどの時間は経過していたのだろう。
「タクミはこれからどうするの?お父さんの所?」
「あ、はい。流石にまだ時間も有るみたいですし、修行に行く事にしようかと思ってます」
「分かった。じゃあ、フィディさん、ナルクさん、今日は、ここまでという事に」
「分かったわ。じゃあね、ラスティアちゃん、タクミ君」
「二人とも、それではまた、近い内に」
二人に見送られて、師匠と家を出る。今度は、村の広場で族長に修行をつけてもらおう。カルスも今頃扱かれていると思うが、あれは本当に辛い。修行というのは、肉体よりも精神を鍛えているという面が大きいのではないかと感じさせる。
「私は、家に戻る。タクミも、お父さんの修行は辛いと思うけど、頑張って」
師匠はいつからか、族長の事を『お父さん』と呼ぶようになった。もともと呼んではいるようなのだが、最近隠さなくなったのは…多分俺が、そう呼ぶ所を聞いていたと分かったからだろう。師匠にも、そう言う、思春期特有の葛藤のような物が有るのだな、と思うと、親近感のような物が湧いてくる。三十代が何を言っているんだ、という話でもあるが。
「お疲れさまでした、師匠。族長のしごきは…辛くないとは言いませんけど、力が身について行っているって自覚が有るので、達成感も大きいんですよ?」
「なら、良いけど…。それじゃあ、また夜に」
「はい、また晩餐の時に会いましょう」
…さて、修行に参加しなければ。強くなる事を感じられても、過酷な修行を前にしり込みする事を止められないのは、未だに自分に甘いという事なのだろうか?そうなのだろうな。
そんな事を考えつつ、師匠と別れた場所から、更に一歩、広場へと足を進める。
―――男たちの、苦痛に喘ぐ声響く方へ。
具体的な脱出までの道のりを描写する事が出来ました。まだ、あっさりとすべてが片付くわけではありませんが、しっかり書きすすめていきます。




