閑話二:ロルナンの変化
「うおッ!?」
「ちゃんと自分の体がどう進んでんのかって意識しろ!木や崖に激突したら御陀仏だぞ!」
レイラルド王国南方、ロルナン近くの平原に、若い男女の声が響いていた。
双方共に、輝く様な金髪。軽装の鎧を身につけ、剣を鞘に収めて
視認が難しいほどの速度で動きまわっていた。
片方、長い金髪を風に靡かせ駆ける姿は、まだ確認できる。速度そのものはかなりの物だが、途中で止まったり、方向をうまく制御できない様子で、たどたどしさを感じさせる。
だが、もう片方は別格だった。
その移動速度からして、確実に小回りもはさんでいるというのに全く軌道を乱さず、また、時折停止寸前、速度を落とした際の軌道から、宙すら駆け回っているのがわかる。
その圧巻の動きを続ける二人は、数分後、ようやく完全に停止する。
片方は地面へとへたり込み、もう片方は毅然と立ったままで。
「あ、兄貴…これ、キッツ」
「音を上げるには早ぇだろ。せめて俺くらいには使えねえと、足枷になりかねないんだからな」
「わ、分かってんだけどさ」
その兄妹…エリクス・ライゼンと、レイリ・ライゼンは、ここ三週間ほど欠かしていない修行を、今日も行っていた。
「でも、…ライゼンって言うのは、一体どういう技術なんだ?アタシもある程度、少なくとも加速に関しては出来てきた気がするけど、どうやってんのか全く分かんねえ」
「魔力も使ってねえからな。まあ、家の祖先が使えるようになって、そっから子孫も出来るようになったって話らしいぜ?」
「なんだそりゃ。家系ってすげえ」
彼等は、自分たちの住む町が邪教と呼ばれる者たちに襲われてから、自らの家系に伝わる…というよりも、自らの血に伝わる技に、磨きをかけていた。
提案したのは、兄であるエリクス・ライゼン。彼自身は昔からそれを知っており、また、修行も行っていた。
数年かけて、少しずつでも修行を積んでいった彼と、未だ三週間程度のレイリとの間に、熟練度の差ができることは当然の事である。
レイリは呟く。
「もうちょっと簡単に使えるようになりゃあ良いのに。家の家系に伝わってる力なら、もっとあっさりでもいいだろ」
そんな妹の発言に対して兄は、少し窘めるように言う。
「家だけが、努力した結果として使えるようになるんだよ。『雷然』ってのは、そう言うもんだ。だからこそ技術そのものが家名になったんだろ?それが簡単に使えるわけねえ」
「…そりゃ、そうだけどさ」
妹がふてくされそうだ、と思ったエリクスは、気を紛らわすためにも、すこしからかってやることにした。
「何だ?早くタクミを探しに行きたいってか?」
「ばッ!兄貴何言ってんだ!そんなわけ…有るけど!関係はねえし!」
エリクスは、こういう妹の反応を見るたびにとても嬉しさを感じた。小さな頃―――本当に小さな頃―――は引っ込み思案だった妹が、今では随分と男勝りに育ったものだとも思う。
そして同時に、数週間前まで行動を共にしていた一人の少年を思い出す。
名はタクミ・サイトウ。なんだかんだで妹のコンビになり、自分たちの家で同棲を、わずかな期間とはいえしていた男だ。
エリクスは、そんな彼の事を妹が、異性として興味を持っているのではないのだろうか?とも思っていた。まず間違いなく本人に、というより、双方に自覚は無かったのだろうが、自らを含めた男性に対しての妹の対応と、彼に向けるそれでは種類が違ったと思わずにはいられない。
―――だからこそ、そんな少年が去ってしまった事は、彼にとっても衝撃的だった。
その別れは誰が望んだものでも無かった。運悪く、という意外に表現のしようがなかったのだろう。それでも、『こうしておけば』という後悔が消える事は無い。
それは、妹の方も同じだった。
自らのコンビとして、そしてそれだけでなく、数少ない、大切な友人との望まぬ別れなど、だれが受け入れられようものか。
だが、彼女は信じていた。恐らくタクミ・サイトウを知る者たちの中で最も、彼の生存を。
それは、ただの希望的観測ではない。確証もないが、短い人生の中で培われた経験則である。
『死ぬ奴からは笑顔が消える。その瞬間だけでは無い。数日は前から、死を周りへと知らせるように』
そんな、彼女の心の中でのみ完全な正論として機能する条件に、彼女のコンビたる少年は合致していなかった。
だからこそ信じている。彼が死んでいない事、そして、また会える事も。
彼と過ごした日々より、別れてからの日々の方が長くなっても、その思いは消えなかった。
「よしレイリ、修行再開だ」
「早ッ!?」
「お前がタクミと会いたいのと同じように、俺も早くシュリ―フィアさんに会いたくてな。その為にはお前を一人前にまで育て無けりゃあいけねえ」
「…分かったよ。次はどんなことすりゃいいんだ?」
「次も何も、お前はひとまず今の工程を終わらせろよ。話はそれからだろ?せめて地上のみでも自由に駆けられるようにならなきゃな」
「…一週間くらい待って」
「分かった。三日な?」
「鬼かよ兄貴!」
◇◇◇
ロルナンの町、北へと延びる街道に繋がる門を、二人はくぐる。
「つ、疲れた」
「良く頑張った。まじで三日でどうにかなりそうだな。すげえよレイリ。俺は大体一週間かかったし」
「どういう基準で行動してんだよ兄貴はっ!…でも、これは兄貴よりアタシの方が才能に恵まれているという証明!」
「ああ、とりあえず俺、今やってる所の五段階ほど先まで進んでるから」
「…は?」
「先は長いぞ?」
顔を青ざめさせる妹の顔を見て、悪いとは思いつつも楽しさを感じるエリクス。そんな二人に、男性の声がかけられた。
「ようお前ら、今日も修行か?」
「お、ボルゾフさん」
「ボルゾフさん!兄貴が外道だ!」
公衆の面前でとんでもないガセを流された事に僅かな苛立ちを覚えて、妹の身体を抱えて軽く頭をたたくエリクス。そんな仲睦まじい兄弟に対して、ボルゾフも気分よく話しかける。
「修行の経過はどうだ?」
「順調…という事にしときます。ボルゾフさんの方は?」
『修行』という意味でないその質問を聞いて、ボルゾフは口元に笑みを浮かべながら答える。
「家の妻はもう完治した!今は家で大事取ってるよ」
「そりゃあ良かったです。霊の症状の人たちも、大分治ってきたみたいですし、一安心ってところですかね?」
「薬草が採取できるようになったのが良かった。あれはかなり助かったからな」
「瘴気って、結構あっさり散るみたいっすね」
以前、この町の近くにあった薬草の密生地帯が、瘴気に汚染されて使えないという事態が有った。だがそれも、もう回復したのだ。もうすぐ一月にもなろうという期間は、様々な変化を与える。
「まあ、今からどんどん冷えるから、さっさと二人も帰れよ?」
「はい。…そろそろ仕事もしなきゃいけねえな」
「そりゃあお前、修行のためとはいえ今までの貯金切り崩してたろ?そりゃあ金も無くなる」
「ま、サクッと稼いできますよ。その辺の忌種絶滅させる勢いで」
「…食い扶持稼げない奴が出てくる事態は、できれば避けてやれよ?」
「そんくらいは自重します。それじゃ、またいつか」
「おう、じゃあな」
二人の会話に介入できなかったレイリも、追いかけるように声を発する。
「ボルゾフさん!またー!」
広場の屋台の方へとボルゾフさんは歩きながら、こちらへと手を振っていた。
と、そんな視界に白い粒が。
空から。
「雪か」
「最近連日降ってるし、いよいよ寒さも頂点だよな?」
「十の月も終わりだからな。さっさと帰るぞ!」
「ちょ!下ろせよ兄貴!」
兄弟は町を駆ける。今度は、なんてことない普通の若者と同じ速度で。




