第三章プロローグ:知らざる土地、白の人々
―――どうしてこうなったのか、一度頭で整理する必要があるだろう。
俺は今日…それすらも怪しいので、ここに来るまでで最も近い記憶、とするが…俺はその時、確かに海に沈んだ。
司教に何故か連れ去られそうになって、港から距離を離される前にその腕から逃れたかったのだ。それに、どうにかレイリが助けてくれるのではないか、なんて見込みも有ったのだ。
だが、俺が波打ち際に一人で倒れていた、という事を考えるに、その望みははかなくも崩れ去った、という事か。
―――幸いなのは、俺の意識が消える直前、レイリが俺の方へと泳いできてくれていたような記憶が有るということか。いや、あくまでも心が楽になるという程度の話だけれども。
さて、今の俺の、体の状態はどうだろうか?
…呼吸は、ちゃんとしている。体温も、まあ、平熱だろう。当然、脈拍も安定している。
つまり、生きてる。死んでない…筈なのだ。
だが、だとすれば、今の状況は何だ?
目覚めてからもう数日、一度も陽の光が差さない。夜のように暗いままだ。
そして、なにより、あの日俺を取り囲んだ一団。
白い肌に、白い髪、白い服、それどころか、全身から薄ぼんやりと白い光を放っているようにも見えるその一団は、俺の眼にはまるで幽霊のように映った。
気配を感じられず、いつの間にか取り囲まれていたり、老若男女問わず儚い雰囲気でありながらも、一度見つめれば、その存在感の大きさにも気がつく…気配を感じられないのに存在感が大きい、なんておかしなことを考えているとは思うが、しかし、そんなふうに感じたのは事実なのだ。
………老若男女、なんて言い方をする事が出来た事には、理由が有る。
「―――どうぞ、お客人。晩餐の用意はできました」
「あ…ど、どうもありがとう、ございます」
彼等の暮らす集落で、ここ数日間暮らしているからだ。
何をされるでもなく、また、するでもなく、俺は彼等の集落に運ばれ、その端に有る家に入れられていた。
自由を奪われた訳ではないが、下手な行動を起こして危険視されるよりはずっといいと思い、行動範囲はこの家の周りと、時折呼び出された場所へ向かう、という形になっている。
そして今、また呼び出された。
俺を『お客人』と呼んだのは、初老の男性。その彼が開けた扉を俺もくぐり、外へと出る。
見上げた空は、相も変わらず暗い。『晩餐』という表現を使った以上は夜なのだろうが、もともと朝も昼も気候に何ら変化が無いので、俺からするともう、全く判断がつかない。
生活リズムは整えようと考えているが…。
「本日も、広場での晩餐となります」
「あ、はい。わかりました」
どうやら思考が、また逸れていたらしい。
ともあれ、案内をしてくれている彼の後ろをついて広場へと向かう。ちなみに、『晩餐』と言ってはいるが、その言葉から感じるにぎやかなものというより、むしろ…。
「こちらへ、どうぞ」
座るように促された席―――広場を囲むように、長方形に敷かれた茣蓙の一スペース―――は、そこに集まった人々の中心から、少し外れた程度の位地。
時期が時期、場所が場所なら、それこそ夜桜を眺めて宴会でも始まりそうな風情も有ったが、だが、ここに座って感じる物はにぎやかなものではなく、もっとしめやかなもので、 それこそ、儀式的な側面が強く表れているようにも感じられた。
そして、上座となる席で立ちあがったのは、この村―――仮に“村”と呼ばせて貰う―――の尊重らしい男性だ。その男性が、左手で握った縦に長い湯呑みを掲げる。
それを見るや否や、ゆっくりとその男性の隣に座っていた二人の村人が、座ったままに同じ動きをする。
それに続くように、更にその隣の人が…というふうに、少しずつこちらへと順番が回ってくる。 その進行はゆっくりとしたもので、結局、毎回俺の席まで順番が回るのに二分程度の時間を要する。
だが、そんな事を考えている間にも、数分程度の時間は過ぎ去ってしまう。隣に座った小さな男の子が湯呑みを掲げたのを見て、俺も続く。真っ直ぐ前を見る俺の視線の先、つまりは反対側に座った女性も、同じように湯呑みを掲げていた。
その三十秒後くらいには、もう全員湯呑みを掲げ終わっていた。それを確認した村長が、一気に湯呑みを呷る。
その鵜呑みが村長の口から離れた時、俺たちは全員、同じように一気に湯呑みを呷った。
そのまま中の液体を喉奥へと流し込む。…今晩の中身は、僅かにヌルッとした感触のある甘い飲み物だった。これは毎晩違う。例えば昨日なら、ミントのように喉がスースーする冷たい液体だったし、一昨日は…恐らく酒だった。いや、口当たりでしか判断が出来ないから、確証はないのだけど。
湯呑みを置いた後は、皆、ゆっくりと食事を始める。だがやはり、活気という物はない。
誰も彼もが押し黙っている…という訳では、決してない。むしろ、ほとんどの人が会話そのものは行っているとおもわれる。
だが、それは極至近の者たちと、声をひそめて行うばかりなのだ。…どうにも俺は、自分から人に話しかけて人間関係を広げていく、というのが苦手らしい。思えばロルナンで出会った人のほとんどは、俺に対して話しかけてきてくれたんだった、などという事を考えて、ホームシックにも似た感覚を抱いたり。
まあ、簡潔に言えば、俺はこの村の人たちに対して、友好関係という物を築く事が出来ていないのだ。
何らかの小魚を塩味に焼いたものを咥えながら、思う。そろそろいい加減に、この状況を変えるべきなのではないのだろうか?と。
………まあ、今日の所は、どう行動するのかを考える、という事で。
一人、また一人と、この場から自らの家へと帰っていく。…食べ終えた時点で、自分の家に帰っていいようなのだが、この光景、冷めきった家族観を見ているようでちょっと、嫌な気分である。あ、俺の地球での家族関係は良好なので。
ともあれ、俺も食事を終え、席を立つ。戻る場所は、村の端の小さな家。
◇◇◇
敷かれた布団―――のようなもの―――に寝転がり、考える。何故俺はこんな事になっているんだろう、と。
物理的に考えるのならば、司教の手から逃れ、海に落ち、海流にさらわれ、この島、もしくはどこか別の地域にながれついた、というもの。
そう言えば、何となくここを島だと考えていたけれど、ロルナン…つまりはレイラルド王国と地続きだった李、それこそ国内のどこか、って可能性もない訳ではないよな。ただ、やっぱりこの村の感じは、いろいろな町と関係を持っているように思えない。そう考えると、よっぽど閉鎖的な村なのか、そうでなければやはり島の中、ということになる…様な気がする。
行動的に考えるのならば、この村の人たちにここまで連れて来られる事に抵抗しなかった事。そして、その生活を甘受している事。
と、ここまで考えて、感じていた違和感に行きついた。それはつまり、俺の、この村にとっての立場だ。
例えば、俺を食事に呼びに来てくれるあの男性も、それ以外の場面では話をしない。『お客人』などと呼びはするが、特別な扱いを受けている訳でもない…何処から現れたのかもわからない人間に、他の村人同様食事をふるまうことは、特別扱いとも言えるが、そもそも俺を『お客人』なんて呼ぶ理由も分からない。
だって、俺は偉くもなんともないし、この村にいる誰かの知り合いってわけでも無いのだから。言い方は悪いが、この村は誰かを暖かく迎え入れたりするようなイメージは薄い。来て数日の俺が何を言うのか、という話でもある。しかし、どちらかというと排他的な感覚を得る。
そこまで来ると、そもそも俺をここに連れて来たのはなぜなのか、という所まで疑問点になるが、その理由は誰も語ってくれない。
…いや、それは俺が行動を起こしていないのがいけないのかもしれない。いい加減に、自分の状況くらいは正確な物を得ねば。
………外に出てみよう。そこに、もしも誰かが居たのならば、その人に話しかけるのだ。ああ、なんか、ひきこもりが妙な決意と共に外へ出ようとしているみたい。
そんなふうに、冗談めいた事を考えることで緊張を抑える。最近、俺が、何かあるたびに思考に没頭してしまうのはこの癖が悪い形で現れた結果ではないかとも疑っている。
―――こういう所だ。また関係のない思考を長引かせようとしていた。
止めよう、とまでは思わないのだが、抑えるようにしなければ、―――と考えながらも、身体を動かす。跳ね起きて、ドアの前まで歩き、そしてドアノブを捻る。
…体重を前にかけて一歩踏み出す!
すると当然、扉が開き、俺の体も外へ出る。
…誰もいないようだ。まあ、もう皆寝静まる頃なのだろう。多分。
なんとなく、空を見上げる。やはり、暗いだけ。夜らしいが、星が見えるという事もない。
ああ、そう言えば、未だにここが死後の世界だって線も消えたわけではないのか。だって死後の世界の事なんて俺何も知らないし。
例えば、この村にいる人たちは、死んだ後、輪廻転生するまでの間をここで過ごしている、とか。そう考えた場合、俺はここに来た新人になる。つまりは、いずれ俺も白くなっていく訳だ…って、俺は『お客人』なのか。じゃあ、生き返る事も出来るかも。
…なんて、しょうもない考えか。
「………寝るか」
しゃべる回数すら減ったな、なんて考えながら、家の方へと身を翻し、
ドグンッ!!
と、心臓を鷲掴みにされたような感覚と、奥歯を打ち鳴らし、立つこともままならなくなるような全身の震えに襲われた。
右半身を下にするように体を地面へと落とす。そのまま、空を見上げるような形で寝転がる。勿論、その間も症状はおさまってなどいない。むしろ、悪化する一方のようにも感じられた。
反射的に両腕が、圧迫感を感じている心臓近くへと伸ばされそうになり、しかし強い震えによってのたうちまわるばかりになり、もう俺の意思では、身体を動かすことすら満足には行かなくなってしまった。
しかし、それは唐突に終わる。
ほんの一瞬、心臓への圧迫感がかなり増し…それを境に、何事もなかったかのように全身に起こっていた異常が、消えたのだ。
「ッァあ!………はあ、はあ…」
体が自由に動かせるようになり、まず最初にした事は、全身の力を抜いて、四肢を、今の体制そのままに地面へと投げだすことだった。一体今のは何だったのか。もし、何らかの発作だったりした場合は、何らかの対抗策を見つけなければ。
…しかし、治癒能力もかなりのものになっている俺の体に、何かの病気が根付いているという事はあるのだろうか?だとすれば、今のはもっと…魔術的な何か、それも、攻撃に近いものではないのだろうか?
だとすると…危険だな。何が危険かって、この状況でここまでの事を行ってくる人物に心当たりが無いのがいけない。警戒のしようが無いではないか…。あ、司教がいるか?いやしかし、海に落ちたのならば、そう簡単に見つけられる筈はないか。
………寝よう。もう、悩んでいたって仕方がない。
立ちあがろうと地面につけた腕を折り、力を込めて立ち上がろうとして、
「大丈夫、でしょうか?」
ふいに横合いから声をかけられ、先ほどとは全く別の理由で心臓が縮こまるような感覚を得る。
「うわぁッ!?………あ」
そこにいたのは、やはりというか、なんというか、この村の住人の一人だった。大凡、レイリと比べて一つか二つくらい年下の女性だ。つまり、十六、十七と言った所。更に言えば、今日の晩餐の際、正面に座っていた人でもあると思う。
………少女、ではなく女性と感じるのは、この村の人たちの雰囲気が凄く落ち着いているからだろうな…。
ともあれ、あちらは俺の身を心配してくれている。間違いなく、さっき地面でのたうちまわっていたのを見ていたのだろう。
俺の声が大きかったのか、耳を抑える女性に対して、できる限り優しそうな声をかける。
「大丈夫ですよ。先程急に、謎の震えに襲われましたが、今は何も問題ないです」
胡散臭い紳士のような話し方な気がしたが、気にしてはいけない。
「それはきっと、大丈夫とは言わないと思いますが………。そうですか。それでは、お大事に」
「あ、はい。お休みなさい」
歩いて行く彼女にそう声をかけると、何故か怪訝な表情で返された。
………上手く行ったとは言わないけれど、人と話す事は簡単じゃないか。よし、明日は本当に、積極的に自分から声をかけて行こう。
「そのためにも、今は寝るのだ………うん?」
明日の事を考え、謎の自信を胸に見上げた空に、謎の揺らぎを見た。
頭上に近い所から、球体の靄のような物が、ゆっくりと移動して行くのだ。いや、相当高い空にそれはあるように思えるので、実際の所はもっと速い動きなのだろうけれど。
そしてそれは、俺が眺めている間も同じ速度で進み、一分ほどで、その進行方向を向いた部分から、空中に消えていった。
………なにあれ。え?…何あれ。
「ちょ、今の見ましたか…って、もう居ないのか」
さっきの彼女に話を聞こうと思ったが、もうその姿はなかった。
…これも明日、誰かに聞こう。
そう決めて、もう何も見ないよう急いで家の中に入り、布団をかぶって、眠った。
次回更新は金曜日…のはずです。最近少し、やらなければいけない事が増え始めていて…。
第三章は、多分風呂敷を広げていくことになるかな、と。…きちんと自分でまとめられる程度の広げ方にしないといけませんね。ちゃんと考えて書かないと。
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