第三十話:激闘、沈みゆく
「『探査:瘴』」
「…タクミ?」
「司教が何かしていてこんな状況だ、って言うのなら、やっぱり瘴気を使ったものが原因なんじゃないかと思ってね。だから、それを探ってみる」
この部屋の中は、司教がクヴィロさんの仕事部屋に突入してきたときと同じように瘴気が蔓延した状態だ。紅色の粒子が舞い散っている。
濃厚さ加減で言えば、幾分かは薄いだろうか?………いや、あの司教が傷を受け、それを癒すたびにその周りの瘴気が少しずつ消えていくのが見える。という事は、奴が瘴気を使って何かをする度に瘴気は減る、という事で良いのだろうか?
………瘴気の事を良いものとして扱っているのかとも思ったが、それを使う事は厭わないのか?不思議だが、それを今問う事などは出来ないか。
視線を横に動かす。特に怪しい物は無い。やはり暗く、扉を開いたままにしている今でも視界は十分とは言えない。だが、シュリ―フィアさんやエリクスさんがここに突入してからもう五分は経った。今更他に信者が潜んでいるとも思えない。
部屋の奥、舳先の方向に異常を見つけた。…瘴気の塊と言うべきだろうか?一メートル、いや、二メートルはあるのか、距離感がつかみ切れずはっきりとした事は言えないが、そのくらいの大きさの、横向きに長い瘴気の塊が見えた。まさか、瘴結晶か?
…いやいや、瘴結晶は違うだろう。あれは奪われた後に、ヒゼキヤの方面に持っていかれたんだから、もう一度この町にまで持ってくる必要なんてないのだ。ロルナンのように、ヒゼキヤにも潜伏していた信者は居るんだろう。今回のロルナンは、瘴結晶を奪うという任務が有ったからこれだけの人数が居る、という事なのだろうし、それならばヒゼキヤあたりにサポートが可能な人員が居る筈。………やはり、もうこの近くにはないだろう。
…だとすれば、あれは何だ?一度『探査:瘴』を止めて肉眼で見てみたが、光源が乏しいとは言え強くなったこの視力でも、あそこに何かが有るようには見えない。
そうだ、クヴィロがここにいないのもおかしい。この船に、これ以上物を隠すスペースは…ああいや、ないとは言い切れないのか。こちらとは逆側の船底にも部屋が有るという可能性は大きい。バランスなどが不安定になるだろうし、そちらに隠されているのか?
しかしさっきの階段下に、扉はこの部屋と通じる一枚しかなかった。本当の意味で隠された扉が有るのか………そうでなければ、本当にいないのか。
「レイリ、ちょっと様子見てくる」
「何をだ?兄貴とボルゾフさんの動きなら、ここからでもはっきり見える」
「ちょっと部屋の奥に気になるものが有ってね。………確認しなきゃあ気が済まなくなってきた」
「…アタシも行くよ」
「…分かった。まあ、何が有るとも限らないけどね?」
壁伝いに…つまり中心部の戦闘に巻き込まれないように、先ほど見た瘴気の塊がある舳先の方向へと向かう。その途中、その戦いの様子を見ていたのだが………どちらが優勢なのか、という話をするのであれば、やはりボルゾフさんとエリクスさんだ。司教はもう、防戦一方という様子。実際の所、エリクスさんもボルゾフさんも、ここから見える限りでは無傷なのだ。
と、そんな事を考えた時横合いから急に、肩を掴まれ硬直してしまう。
今、このタイミングで横からこちらの方を掴むことのできる人は、
「ど、どうしたんですか?シュリ―フィアさん…」
問いかけるが、しかし返事はない。前と同じで、手のひらを見せて『止まれ』というジェスチャーを送ってくるばかりだ。まだ集中を欠く訳にはいかないらしい。一体何をやろうというのかは分からないが、破壊力の高い魔術を使うとも思えない。自分でも、細かな制御を苦手としている、と話していたし、そんな意味で難易度が高い、という事なのだろう。
だが…シュリ―フィアさんが止まれと伝えてきている以上は、あちらに行くのは危険だという事なのだろう。確かに、いくら俺が出来そうな事を見つけたからと言って、危険も顧みずホイホイ飛びこんでいく訳にはいかないか。
「どうするタクミ?アタシ達、もう何かいる意味が無いような気がして来たんだが…」
「…確かに。決着がつかないっていうのは有っても、あの二人が負けるようには思えないし、シュリ―フィアさんも何か手立てが有るみたいだから…」
戦っている三人の声がよく響いてくる。
「死ねとは言わん!だが罪に似合った罰は背負ってもらうぞ!」
「もう逃げらんねえのは分かってるだろ?諦めろ!」
「………!同胞を、同志を殺し!あまつさえ私たちの目的知ろうともしないおろかもの共には言われたくなどないッ!何をもって私たちが罪をおかしたという!?」
「家の妻は死にかけたんだよ!」
「逃走いがいの理由においてこのまちの人間と戦っていない!それに!致命傷など負わせてはいない!」
「………意味分かんねえんだよ!」
「ウグッ………!」
エリクスさんが激昂し、その勢いのままに振るった剣は遂に、司教の腕を斬り飛ばした。手首より少し肘に近いような部分だ。
…瘴結晶を埋めたことで瘴気汚染体が暴走した事、瘴気の含まれた食事から大勢の人が病気にかかり、そして死んだ事。それを認識もしていないって言うのか?いや、少なくとも瘴気汚染体の事についてまでは調べも付いていただろうし、川の水を汲んでいた邪教信者の事も有る、間違いなく把握していただろう。
…シラを切るとは。
と、視界にとんでもないものが映る。
「…俺、幻覚見てる訳じゃないよな?レイリ…」
「…二人で同じ幻覚見てる、って方が現実なんじゃないかとも思うけどな」
腕が、浮いていた。
斬り飛ばされ、そして船底にベチャッと音をたてて落ちていた腕が浮かび上がって、そしてゆっくりと司教の方へと向かっていくのだ。
「…!『探査:瘴』」
瘴気を見れば、腕の周りを瘴気が取り囲み、内側へ渦を巻きながら移動しているように見えた。………これもまた、その渦の中心店に瘴気が辿り着くと消えているようにも見える。どういうことかは分からないが、しかし、放っておく訳にもいかない。
だが、
「帰ってくんじゃねえよ!」
エリクスさんが剣を片手に持ち、空いた手で腕を叩き落とした。再び推進力を失い、腕は地面に落ちる。
それに意識を奪われた司教の背中をボルゾフさんが殴る。恐らく背中から血がにじむくらいの事にはなっていると思うが、やはりどうという事もなさそうに体勢を立て直す。
…手は生えて来ないが、傷は治るんだな。骨を増やす、というのはやはり難しいのだろうか。
いやしかし、手持ち無沙汰だ。あの戦いには割って入れない、瘴気の塊のような場所にも、近づいてはいけないと言われてしまった。
…司教が瘴気を操るのなら、魔術でそれをどうにか撹乱出来ないだろうか。それが出来れば、傷をいやす事も出来なくなるかもしれないのに。
だが、レイリも俺と同じ気持ちのようで、何だか少しいらいらとしてきているように見える。当然か、結構な意気込みでここまで来たのに、自分たちには何もできる事はなかったのだから。
しかし、何もできないから何もしない、というのも妙な話ではある。今この場で出来る事が無いなら、選択肢を増やせばいい。…一度戻って、腕利きの冒険者か衛兵を連れてくればいいのだ。どうにかしてこの船まで運べば、体調不良も治る筈。
…ここは、完成するかもわからない魔術の開発よりも、コンビと共に行動することを優先するべきだろう。
それをレイリに提案すると、あっさりと同意してくれた。やはり彼女も手持ち無沙汰だったようだ。
「肉弾戦で強い人…って言うと、アタシにもそこまで親しい人はいねえな。タクミは?…ああいや」
「いないね…。というかまあ、レイリでも思いつかなかったんなら、的確に誰かを、っていうふうには出来そうにないかな?
…いや待って。クリフトさんはどうなの?魔術は詳しくないって話を聞いた事が有ったけど、衛兵隊隊長って事は強い筈なんだし…?」
俺の疑問を聞いて、レイリは少しバツが悪そうに、
「クリフトさんは確かに強いんだけどさ…。ちょっと、防御に回る事が好きだったり得意だったりするから、今の状況には合いそうになくてさ」
「そっか…確かに、司教からは攻撃していない訳だし」
そう口に出して考えると、何だか司教をこちらが集団でいたぶっている構図のように思えてきて背筋がゾクリとした。…そんな事はないだろう。暴力を振るう事が良い事とまで言う気はないが、あちらが悪だという事実は変わらない筈だ。
そんな俺の内心が漏れ出していたのか、レイリが俺の目の前で腕を振り、意識を確かめるようなそぶりを見せる。
「…とりあえず、一回行ってみる事にしようぜ?こっちの人数が増えれば、それだけで盤石の態勢だって言えるし」
「そ、そうだね。誰か連れてこよう」
「―――いや、その必要はないですよ。タクミ君、レイリちゃん」
俺たちの会話に挟み込む形で来たその声に、咄嗟に先ほど天井を崩落させた階段下へと視線を向ける。
そこに立っていたのは、クリフトさん、レッゾさん、ヅェルさんの三人。………確かに実力者ぞろいであった。
「ただ、流石に予想はしていなかったですね。ここまで一気に片を付けるとは………後一人まで追いつめている」
「かわりに上の惨状は酷いもんだったがな…。船尾側は特にだ。どうなってんだか」
「クヴィロ・ベグドが見当たらない様です、隊長方」
ヅェルさんの呟きに反応し、一応、こちらの判断についても伝えておく。
「あ、クヴィロは、本当に何処に行ったか分からないです。この部屋にも居そうになくて。どこかに隠しているのかもしれません」
「面倒な…」
「な、なあタクミ?」
横合いからレイリが話しかけてくる。その顔を見れば、何故かげんなりとしている。
「…ど、どうしたのレイリ?」
「いや、さ…。ほんとにアタシ達、何やってても意味無くなってきたな、って…」
それは最近レイリが気にしている内容と同じでもあったので、こちらからも少し、内容も内容なので小声でフォロー。
「………い、いやほら、クリフトさんは、今回の相手には相性が良くないって話でしょ?だったら、まだ仕事は終わってないんじゃあ?」
「そ、そうだ、な…行くか」
「い、行こう行こう。早く」
レイリの背中を軽く押しながら船の外に向かおうとしたとき、背後から声が。
「衛兵まで、来ましたか…!」
「どこ見てやがる!」
それは、単純に戦力差が広がったことに対する焦りの声であったように感じたが、しかし、無視してはいけない、危険な何かを含ませているような気がした。
「…レイリ、ちょっと待って」
「な、何だよもう、さっきから、行こうって言ったり待てって言ったり!」
「すごく悪寒がするんだ。本当に、嫌な予感って程度の物でしかないけど、何も気づかず見過ごしたら大変なことになるような、そんな感じの」
「………相変わらず偶に何言ってっかわかんねえなぁ。…でもいい、何だ?何がそう感じさせてる?」
今この場でそんな気持ちを抱かせる相手…一人だけだろう。司教だ。だが、何故そう感じさせたのか…。雰囲気、なんて簡単な言葉でもレイリは動いてくれるだろう。だが駄目だ。何が危険なのかを見極めないうちに動く事こそが危険だ。
見極めるのならば、やはりこれだ。
「どうにか、それを探ってみるよ。『探査:瘴』」
どうにかなるかすら分からないが、やらなければいけない。…ここにいる全員、だれも反応していないという事を考えれば、俺が肝の小ささを発揮しているだけの話にも思う。いや、実際、こういう場面の経験が豊富なのは、どう考えても俺以外の全員だ。
だが、
「瘴気が動いてる。…何かやる気だよ。間違いない」
「ッ!兄…いや、刺激するべきじゃねえな」
「うん。…まずは、三人に」
そう考えて、衛兵隊の三人に説明する。当然、司教に勘繰られる事のないように、声を抑えながらも、重大事では無いかのように表情を装う。
クリフトさんに、部屋中の瘴気が渦を巻き、司教のもとへと向かっている事を説明。起死回生となる一手を打とうとしているのではないかと伝える。
「この状況で、起死回生、ですか…。一瞬で港にいる衛兵たちの船を一掃する、同じく一瞬で、港の外まで移動する…この程度でしょうか?ただ、それが出来るのならば、仲間がここまでやられる前に行っていたとも思うのですがね」
「辺りの被害が甚大で、仲間がいない状態でないと使ってられない、なんてことも有るんではないですか?今までは、この町に潜伏していた人員と共に脱出しようとしていたけれど、全員無事で無くなってしまったから、自分だけでも脱出する、という事では…?」
「…有り得る話です。その状況から齎される被害を考えれば、止めなければいけないのは確実ですね。
ただ…その仮説が真実だとした場合、一つ気になる所も有るんですよ?」
「え…?」
俺には、その、気になる所という物は分からなかったが、レイリが答えてくれた。
「クヴィロが何処行ったのか、って事じゃないですか?船の中にいる筈だろうに」
「あ、ああ…そうだった。もしクヴィロがどこかにいるなら、周りを巻きこむような事は出来ない筈…町中を、クヴィロさんを救出するためにあれだけ逃げたんだから、そう簡単に諦められる筈が」
「更に言うなら、今も存在しているだろう、体内の瘴気を操る魔術のように、船の外だけに何かをする、というのも意味が無いね」
そりゃあそうだ。今司教が追い詰められているのは、この船の中にいるエリクスさんとボルゾフさんだ。外だけに何かをしても、脅威は排除できない。
…だが、瘴気が集まっているのも事実、それは先程までなかった事、ならば、何かをしようとしているのは確実で。
「クヴィロはもういない…って、事ですか」
「どこかに置いてきたのか、死んでしまったのか、と言った所だけれども。前者はないだろう。恐らく、ロルナン中の邪教関係者総出でこの船に乗っていたんだろうからね」
「…逃走中の傷で、命を落としましたか。だとすると、現状司教の目的は自分が逃げかえるという事に限定されます。………厄介ですね」
と言ったのはヅェルさんだ。目つきが鋭くなっている。当然、その睨みつける先は司教だ。………その司教は、最早攻撃を腕で防ぐだけ。よけようとすらしていなかった。その状態に二人ともが妙に思ったらしく、様子を窺うように、その攻撃の手を緩め始めた。
そうすると、恐らく少しの余裕が生まれたのだろう、司教による瘴気の収集速度が上がったように感じられた。
―――集めなければいけない段階だというのなら、集めさせなければいい。
それが出来るかどうかは分からないけれど、でもやらざるを得ないのだから、悩んでいる訳にはいかない。
瘴気を、魔術で操るのだ。魔力はただの不思議な力でしかないのかもしれないが、瘴気は植物が吸収していたりすることなどから考えても間違いなく一種の物質なのだ。ならば、風や水を操るのと同じように扱える筈。
そうは思いつつも、もっと簡単に終わるかもしれないと思い、一度『操風』を使ってみる。…失敗だ。風は吹いたし、それによって瘴気も動いたけれど、意図した通りでは無く、風の動きに煽られて、どことも知れない方向へと舞い踊ってしまう。
ならば、瘴気の一粒一粒を的確に―――もちろん、一度に大量のそれを―――操れるようにしなければいけない。
…『瘴気』という物質、それを空気中の種々雑多な物質の中から分別し、魔力で動かすようなイメージ。いつものように、すくい上げたり、固めたり、そんな大雑把な方法では出来ない。もっと…もっと、それだけを選別する事が出来るような方法を…!
…集中しろ。瘴気のその形まで、先ずは把握するんだ。それが分かれば、出来る筈。
………意識が深い所まで落ちていく。辺りの景色や音が、少し遠い。だがまあ、良いのだ。人任せが過ぎるのは事実だが、何かあっても誰か、特にレイリが助けてくれるだろう。というか、助けてくれなきゃあその時は全員命が危険で、俺が間に合わなかった時なんだから。
「…っ…く。はな…聞…ゃあ………。しゃ…ねぇな」
何か聞こえたが、しかし緊急性の高い物でも無いようなので、集中力を高めていく。
…瘴気だろうと思われるものが、はっきりと感じられるようになってきた。…一粒一粒は、かなり大きい。勿論、それは空中に浮く一粒一粒を肉眼で認識できるような話ではなく、もっと小さな領域の者だが、脳内でそのイメージを浮かべている今なら、それも関係ない。
これを的確に操るとなると…この大きさに合わせた網を縫う、という方法が良いかもしれないな。勿論魔力で、だが、それはもちろん、数分もかかりはしないだろう。
集中、さらなる集中を。
俺の中に存在している魔力を意識して、外に漏れ出たそれを、瘴気を的確に絡み取る網に加工して行く。
小さなものでは、当然、意味が無い。そもそも司教の手元まで届きはしないだろう。
もっと縫っていく。俺の手元から一メートルほどの長さだったそれを、二メートル、三メートルと長くして。
そして、五メートル。
これだけあれば、恐らく司教の手元ギリギリほどまで届く筈だ。
「行きます」
そう、俺が何かをしているのだと把握してくれていたらしいこの場の四人…つまり、レイリと衛兵隊の面々に対して伝え、その一歩前に出て、腕を左側へと振る。そして、司教がちょうどその腕の振りの真ん中に位置するように、一気に横側へと振った。
その時だ、シュリ―フィアさんも、全く同じタイミングで、しかし、俺と逆の動きをしたのは。
―――魔力で縫った網は、しかし網とは名ばかりで、とてつもなく目の細かい格子、とでも言った方が良い物でもあった。なぜなら、本物の網のように柔らかさや、それから来るしなりなど、再現する必要が無かったからである。
真っ直ぐ振れればそれでよし、そう思い、作ったそれは、柔らかくはなかったが、しかし、丈夫でもなかった。
だからこそ、シュリ―フィアさんと全く同じタイミングで動いた俺の魔力による網は、シュリ―フィアさんによってつくられた何かにぶつかり、そして、砕かれた。
そこは、ちょうど司教が立っていた場所のすぐ近く。一瞬、まさに俺とシュリ―フィアさんが動き出した瞬間、その表情を驚きに染めた司教は、しかし、俺とシュリ―フィアさんの魔術が打ち壊しあった時、それを純粋な喜びへと変じさせていた。
「………拙い!」
「…ッ!皆しゃがめ!」
大いに焦りをにじませたシュリ―フィアさんの叱責に、今の状況がどんなものかを理解していた俺はすぐにしゃがむ。それとほぼ同時にシュリ―フィアさん、エリクスさんとボルゾフさんも、危険を感じていたんだろう、伏せながらも距離をとるために浅く長く跳躍するという技を見せていた。
衛兵隊の三人も、視界の端でしゃがむのが見えた。恐らくそれは、長年の経験から来る悪寒のようなもの…または、俺が失敗する、という事を大きな可能性として見ていたのか。
だが、
この状況で、よりによって、レイリだけが立ったままであった。
その表情は、困惑などでは無く、むしろ何が起きても対応できるようにと、集中しているようにみえるものだが、しかし。
…もしかしたら、俺が集中し過ぎているのに気がついて、警護役を買って出ていたのかもしれない。
だとすれば、レイリを危険にさらしたのは、俺の責任だ。…いや、そうでなくたって、コンビを守るのはコンビの役目だろうが。
司教がその両手に力を込め、そして瘴気が、肉眼でも見えるほどに紅く光り輝く。
レイリが周りの様子に気づき、自分も腰を落とそうとするも、それは間に合っていない。
だから、その手を引いて、俺の背後へと思いっきり引っ張る。
その反動で、自分の体を前へ。
司教が両手を、舞うかのように優雅な動きで振り。そしてそこから、光線の状態で瘴気が放たれる。その速度、一体俺の『風刃』の何倍だろうか。
「タクミィッ!」
間違いなく。そう、間違いなくこのままでは、俺の体は両断される。迫るそれに何の殺傷力もない、なんて考えるのは愚の骨頂だ。
防がなければならない。よける時間はないのだ。
魔術では駄目だ。何かを操る為に集中している時間はない。どちらにしろ、これを防げる様な魔術など俺は使えない。
………………………なら、魔力そのもので。
魔力そのものを全力で体の外に放出。それを、司教側から見て上り坂のような形に加工する。出来る限り浅く。しかし俺の体よりは上を通るように。
そして、瘴気によって作られた、紅い光の刃は壁にぶつかり、勢い良く登りながら、しかし大きな罅を刻みつける。
このままでは駄目だ。
だから、手を伸ばした。
手に魔力を集中させ、その光の刃の中の瘴気を分散させてしまおうと考えたのだ。
一種、分厚い手袋のような状態へと魔力を纏わせ、そして、光の刃に触れるか触れないかという所まで近づける。
さっきと同じ、しかし今度は、もっと強引に瘴気を引き剥がす。網に引っ掛けるのではなく、ねじ込み、瘴気の集まりをバラバラに引き裂くのだ。
…両手に、触れてすらいないというのにとんでもない痛みが走る。叫び声をあげたいほどだが、それで集中を切らす訳にはいかなかった。
そして、体感数分、現実としての経過時間十秒未満で、俺の方へと向かってきた光の刃は分解された。
「………!ハァッ!ハァッ!」
「…だ、大丈夫なのかタクミ!?」
「だ、大丈夫…!体には、何ともない」
………魔力が、自分の中で随分と存在感を減らした気がする。もしかしたら、少しの間魔術を使えないかもしれないと思うほどには。
だが、心配はいらないだろう。もうこの部屋にはほとんど瘴気が無く、司教にできる事はもう殆ど…!
そこまで考えて、そして司教を見て、気がついた。
司教がこちらを見て、驚愕の表情を浮かべている事。そして、それが先程の物を超えるほどの、歓喜の感情に塗りかえられていった事を。
「………あなたも、同志だったのですね」
そんな声が聞こえた。
「…何を…?」
「と、とりあえず立てタクミ。ま、待ってろ、肩貸してやるから」
レイリがそう言って立ち上がり、こちらへと進む、その一歩目を踏み出した時。
俺の体は、海の上に有った。
「え…?」
それは、俺とレイリ、どちらが呟いたのだろうか。それすらも定かでない中。
俺を担いで飛ぶ、司教の存在に気がついた。
「―――ッ!何をして!」
「新たな同志をお迎えしているんですよ。幸い、一人だけであれば、どうにか逃げられるのですしね」
船は、さっきの魔術でほとんど沈没寸前だった。壁という壁が全て崩れているのだから当然か。
だが、そこから出てきた人物が四人。
ボルゾフさん、エリクスさん、シュリ―フィアさん、そして、レイリ。
「―――タクミィィィッ!」
あの四人が迎えに来てくれているというのなら、心強いか。
それに、俺も、この町から離れるなんて嫌だ。折角、幸せと思える人間関係を構築できたんだ。………ああ、離れたくないとも。
既に港の外だ。時間はない。
「―――ウオオオオオオオオッ!『水槍』!」
「な、何をッ!?ウグゥッ!」
司教が俺を持つ右腕に、全力で水槽を叩きこむ。当然、司教は俺を海へ落とす。
…沈む。
プレストプレートの重みも相まって、浮き上がることなど出来そうにない。
泳ぎ方を知らない俺では、どうやればいいのかもわからなかった。もがいても、やはり沈むだけ。
―――そう言えば、二週間と少し前にも、こんな経験をしたんだった。
もうずいぶんと昔の事のように感じるが、まだそれだけのことだったらしい。
…十メートルは沈んだのだろうか?強化されたこの肉体は、必要な酸素の量さえ少し少ないのかもしれないが…意識が遠くなってきた。
ふと、何気なく明るい方向を見つめる。太陽の光が差し込む中、水の中に揺れる金色の髪が、遠くに見えた気がした。
だが、
もう、
意識を保っていられない。
―――生きていたい、のにな…。
結局文字数が増えて、更新が遅れてしまいました。申し訳ありません。
次回は、日曜日更新です。二章エピローグとなります。
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