第二十六話:密偵確保へ
「…いくらなんでも、一日中このままってわけにもいかねえよな」
「…うん。そろそろ、何かしら動かないと駄目になりそうだ」
「……もう調査はしちゃあいけねえし…、ああ、食材でも集めに行くか」
「えー…漬物とか?」
「芋類を多めにな」
そう言って立ち上がったレイリ。俺もそれにつられるように立ち上がる。
凝り固まった首の関節など、ほぐす為に少し身体にひねりを加えていると、…視界の隅に、無視する事の出来ないものを見つけた。
それは…今、正直に言って見たくないと、そう思う相手。つまりは、クヴィロさんなのだが。
彼が何処にいるかと言えば、いつもの通りに売店の会計。ただ、今は少し奥の方にいて見えにくい。俺自身、良くあれで見つける事が出来たな、と思うほどなのだが…問題はそこでは無いのだ。
「…ごめんレイリ。ちょっと、あれ見て」
「あれ、ってなんだよ」
「自分でもうやめるって何度も言っておいて、しょうも無いと思うかもしれないけど、クヴィロさん」
「なんか怪しい事でも……ありゃあ…!」
「……『探査:瘴』」
対象は、売店の中で耳に手を当てているクヴィロさん。
………耳に手、というのが、やはりどうにも音でやり取りしているように感じさせるが、そうではない。
『探査:瘴』で、疑似的に瘴気を視覚でとらえる事が出来るようになっている訳だが、今俺の目の前には大小様々な形となった瘴気の紐と、その上に飛び出るように浮かび上がる翻訳された文字。
『揺らぎは海中』、『対象未発見』『遺骸、及び有用な無機物無し』『潜伏続行』『留意』
―――そんな言葉が、浮かんでは消えていく。クヴィロさん側からも何かをしているようだが、それは分からない。
空気中にもあれだけの瘴気が浮いているというのは、何だかぞっとしない事ではあるが、しかしそれ以前に。
「……レイリの予測は、大当たりだね」
「な、それって…瘴気を操ってるってことか?」
「少なくとも、操られた瘴気を読んではいるね。……ただ、どうしようかとも思う」
「何がだ?ここで斬りかかっちまっても……いや、そうか。証拠が無いから」
「俺たちの気がふれたとしか思われないだろうね。どうしたものか…」
ここで騒いだって、駄目だろう。構成員に行っても、恐らくは妄言の類として扱われることになるだろうし、『探査:瘴』を使えるほかの魔術士に頼む、というのも………ある程度みんな騒がしいから。頼んでいるうちにクヴィロさんの耳にまで届いてしまいかねない。警戒させるのは、なしだ。
俺とレイリの力だけでこの状況を打開するのは…不可能だ。となれば、一体だれに頼ればいい?
信じてくれそうで、ギルド相手でも問題なく動けて、尚且つ密偵を見つけ出すことに精力的な人物…。
と、その候補として思い浮かんだ人物が四人。
「タクミ、兄貴とシュリ―フィアさんに話してみようぜ。あの二人なら、何か良い策を出してくれるかも」
レイリが、俺の考えた候補の中の半分をそのまま言ってくれた。
ならば、と思い、俺もレイリへと、後二人の協力してくれそうな人物の名を挙げる。
「それに、クリフトさんと近衛隊の隊長さんも。この二人も、きっと確証が有ると言えば動いてくれると思う」
「おお!確かに証拠をくれって言ってたもんな!……それだけだと、ちょっと怪しくないか?」
「今、邪教信者から情報を引き出そうとしている筈だから、その内容と、俺たちの言っている事が同じになったのならば、証拠になる。…まあ、確実性が低いのは間違いじゃあないけど」
「まあ、それでもやるだけやった方がいいよな!行こうぜタクミ」
そう言って駆け出すレイリの後を追って、俺も走る。
……背後から、以前感じた粘つくような視線を感じて、自分の考えに確信を持たせながら。
◇◇◇
―――数時間かけて町中を走り回り、四人全員…に加えて、数名ずつ衛兵と近衛兵が、俺達と共にギルドへと向かって行った。
行幸だったのは、クリフトさんと衛兵隊隊長の二人が、驚くほどにあっさりとこちらの言い分を信じてくれた事だ。シュリ―フィアさんとエリクスさんにはそれよりも早く合流していたから、もしかして、シュリ―フィアさんと一緒に行動している事が理由なんだろうかとも思ったのだけど、どうやらそれは思い違いだったらしい。
というのも、エリクスさんがここに来る途中で教えてくれたのだ。邪教信者から、確証の持てる形で情報を入手することが出来て、その内容の一つに、ギルド内に密偵が居るという情報が含まれていたのだと。
…なるほど。確かにそんな情報はギルド側に流す事は出来ない。密偵の耳に入りでもしたら大変だ。
ギルドの外、少し裏通りの方に入って、そこで一度、止まる。
「シュリ―フィアさん。ここで一度、『探査:瘴』をしてみます」
「ああ。何か反応が有ったのならば、某も」
「お願いします。『探査:瘴』」
再び魔力による瘴気の探査を行う。前は、クヴィロさんに焦点を当てて見ていたので分かりやすかったが、ギルドの方向に視線を固定しても、やはり町に漂う瘴気の量そのものが増えていて、見つけづらい。
だが、諦めず目を凝らし、…そして見つけた。
「シュリ―フィアさん。右側から、町の西の方に飛んでいってます。ここから、文字がはっきりと読みとれないのですが…」
「了解した。某に任せろ『探査:瘴』!」
シュリ―フィアさんが、ギルドから飛び出して行く瘴気の方へと視線を向けて、『探査:瘴』を使い、そして驚きの声を上げた。
「何だと…!なんだ、この空気中の瘴気量は!…瘴気汚染体すら生まれるレベルだぞ」
「なッ!…それは、危険ではないのか?」
「いや、空気中の瘴気を吸っても、人間がどうこうされる事は無いよ。どうにも、呼吸では体内に吸収される事は無いらしい」
「ならば、まあ…それで、瘴気でやり取りしているというのはどうなんですか?」
クリフトさんの言葉に、シュリ―フィアさんは視線を向けて、
「………ぬう…ああ!見えたぞ。………『…の暁には、クヴィロ君も正式に』、『有りがたき幸せです』…これは、黒だな」
「そうですか…となれば、抵抗される事のないように今すぐにでも取り押さえるべきでしょう」
「一度、やり取りが終わるのを待った方がいいでしょうね。その方が、他の邪教信者にとっても自然に感じるでしょう」
「………おいレイリ。俺はちょっと展開が速すぎてついていけなくなって来たんだが」
「安心しろよ兄貴。アタシだってそんなもんだ…というかタクミもちょっと、困惑してねえか?」
俺が考えてもみなかった事がすらすらと出てきていて、ちょっと気が遠くなっているのは事実だ。
ともあれ、そのやり取りが終わるのを、シュリ―フィアさんと俺でかわるがわるに魔術を使うことで確認することになった。
ただ、そこで一つ気になる事が有ったのだ。
「…もう、俺が最初にやり取りを確認してから数時間です。そんなに長い間やり取りを続けていて、どうして今まで誰にも気づかれなかったんでしょうか?」
その問いかけに答えたのは、これまで自分の部下に対応についての指示を出していた近衛隊隊長である。
「君は、その男が耳に手を当てていた、と言ったな?」
「あ、はい。それは以前邪教信者もやっていたので、それが瘴気を操る際に必須の行動何だとばかり思っていたのですが」
「…恐らく、それは瘴気を操る際に必要という認識で間違っていないんだろうな。但し、瘴気を見るときにはそれは必要ないのだろう」
「…それはつまり、話す時間を短くすればそれほどおかしな行動ではないという事ですか?」
「聞けば、ギルド側から出る瘴気の数の方が少ないらしいからな」
そこに、クリフトさんが歩いてきた。
「昨日タクミ君が見つけた邪教信者は、ずっと耳に手を当てていたんだったよね。それは恐らく、町の各所から送られる情報を纏めて、それぞれに送り直す役割を担っていたんじゃないかな?」
「なるほど…!確かに、そんな気がします!」
そんなふうに、自分の疑問を解消して貰いつつ、時間は過ぎていき…。
「む?…皆の者!どうやら終わった様だぞ!この五分ほど何の変化も無い!」
「………それでは、行きましょう。皆さん」
クリフトさんの言葉に、皆が立ち上がり、そして、ギルドを睨んだ。
「密偵の確保です。絶対に取り逃しませんよ」
ギルドの門へと近づくと、一部の冒険者がこちらの方を興味深げに窺ってきているという事に気がついた。
それが、何となく―――俺が、という注釈を付けると余計に不確かに感じるだろうが―――どうにも、ボルゾフさんやエリクスさんの様な、ある一定の強さを超えた人間に集中しているような気がした。
警戒されているのだろうか?いいように解釈するのなら、現状の打破を期待している、と考える事も出来るが。
ちなみに、俺とレイリとエリクスさん…つまり冒険者三人は、最後尾にいる。先頭を歩くのは近衛隊隊長とクリフトさん、つまり、この町の治安を担う二つの柱、その長。
その後ろに、冒険者たちからすれば忘れがたい、森に蔓延る瘴気汚染体を薙ぎ払う、光の柱を放つ女性…つまりシュリ―フィアさん。
その後ろに、やはり近衛兵数人と衛兵数人―――兜をつけていて気がつかなかったが、ヅェルさんはその内の一人―――が歩いている。その後ろに、俺たち三人がいるのだ。
………つまり、この視線は俺たちにではなく、主には前方三人に向けられたものなのだ。分かってたけど。
…なんて俺の思考は、同時に現実逃避でもあったらしい。
ギルドの門の前まで行った時、自分の身体が、どうにも緊張で硬くなっているらしい事が分かったからだ。
まあ、それもこれもレイリが気がついてくれたから分かった事なのだが。相棒とは有りがたいものだ。俺からもレイリに何かできればいいのだけど。
クリフトさんが扉を開き、そして全員、次々とギルドの中へと入る。
途端ざわざわと騒ぎだす冒険者たち。当然だ。物々しい雰囲気は出ているのだから。
「な、何のご用でしょうか?」
「ここの筆頭書記官に用が有ってな」
「ハ、はあ?…あ!」
声に聞きおぼえがあると思えば、対応していたのはミディリアさんだった。他の構成員は…遠巻きにこちらを眺めているだけのようなので、代表して出てきた、という事だろう。そのあたり、受付嬢のリーダーらしき彼女自身の仕事としているのかもしれないのかもしれない。
「筆頭書記官…という事は、シェンス・クリムフォードと、…クヴィロ・べグドの両名の事でしょうか?」
「後者のみでいい。呼び出すか、我らを案内するか、どちらかの対応を願うぞ」
「………ちなみに、彼に対してどのような要件なのでしょうか?」
「邪教の密偵としての疑いだ」
クリフトさんは決して大きな声を出した訳ではない。だが、こちらに皆意識を向けていて、静まり返ったこの部屋では、隅々まで届く声量でもあり、当然のように、どよめきが広がった。
「なッ!………」
ミディリアさんが、こちらを見ている。
何が言いたいのかは分かりすぎるほどに分かったので、………取りあえず首を数度、横に振った。いや、核心的な部分が違うので。
ミディリアさんの視線がレイリの方に向いたのでレイリを見れば、身体の前に腕でバツ印を作っていた。
………ミディリアさんには、イマイチ何が起こっているのか分からないのではないかとも思ったが、それはもう…仕方ないとしてもらおう。
その時、衛兵と近衛兵が一人づつになっている事に気がついた。見れば、二人づつ外へ出ていっている。…何かあったのだろうか?
「………分かりました。それでは、…私が案内しますので、ついて来てください」
「了解しました。お願いします」
ギルドの奥へと、ミディリアさんに連れられて進んでいく。
一瞬、もしもギルドの中で暴れられたらいけないから俺たちは外で待っているのか…なんて考えたが、それは、更によく考えるとあり得ない事だと気がついた。暴れられるよりも、多くの情報を持っているであろう密偵を取り逃す方が危険だからだ。近衛兵と衛兵が外へ出て行ったのも、恐らくはそれを警戒しての事なのだろう。
朝と同じく三階へ。但し向かった場所は違う。三つほど離れた部屋だ。
ミディリアさんが扉をコンコンと叩く。
「クヴィロさん。ちょっと話が有るんですが」
すると、少し間を開けて返事が返ってきた。
「はい。いいですよ。仕事もひと段落つきますから」
「分かりました」
そう言ってミディリアさんは扉を引いて、俺たちが入りやすいようにする。
「クヴィロ・べグドだな?」
近衛隊長がクヴィロさんへ声をかける。
「………おや、これはこれは。本日はどのようなご用で?」
「分かっている筈だがな。………自分の胸に聞いてみろ」
二人の会話が続く間に、シュリ―フィアさんが『探査:瘴』を使い、そして顔を顰める。その反応が気になって、俺も『探査:瘴』を使うと…、
「…うわ」
「…?どうしたんだ?タクミ」
「この部屋の中、…瘴気が充満してる」
俺がそう伝えるとレイリとエリクスさんは、シュリ―フィアさんのように顔を顰め…そして妙に息苦しそうになった。それは俺もだ。なんというか、ちょっと呼吸したく無くなってしまうのだ。
まあ、危ない物質が空気中に浮遊していると言われればそうも感じるだろう。
三人で顔を見合わせていると、近衛隊長が声を張り上げた。
「いい加減にしろ!お前が邪教と密通しているという事はもう分かっているんだ!」
「…流石に、証拠も無しに『はい』と頷くなんて事はありませんよ?」
「証拠ならばある。お前が邪教の人間と、瘴気を操って以前からやり取りを続けていたということを証明するに足る証拠がな」
…ん?以前から?………まさか、これが交渉におけるハッタリと言うやつか?ずっと前から分かっていたのならば、もっと早く動いていただろうし…いや、そのくらいの事、逆にクヴィロさんの方にもわかるんじゃあ…?
俺の頭の中を疑問符が飛び交っている間も、近衛隊長はまくし立てていく。
「更に昨日捕まえた邪教信者からも、確実性のある情報を入手している。それが示した密偵の正体もお前だ!」
「…そう言われましても」
だが、クヴィロさんが怯む様子は無い。…動揺した様子すらない、というのは、一種自分の行いについて肯定しているようでもあったが。
その時、突如廊下に大きな音が響き渡った。バターン!と表現するのがふさわしいそれは、つまり扉の開いた音で。
そちらに視線を向ければ、物凄い形相でこちらを見るギルド長………ギルド内で騒ぎが起これば、一番最初に動き出すであろう人が居た。
「と、父さん!?…今は、仕事の一環よ!」
「そんな事は分かっている」
ミディリアさんが言い訳のような何かを口走っているが、それを半ば無視する形でこちらへと歩み寄り、そして俺達をかき分けて中へと入る。
「何をしている」
「…邪教に通じていた密偵の捕縛ですよ?今はまだ、一応の事実確認、といった段階ですけど」
「たとえクヴィロが犯人だとしても、それはギルド側で行うべきものだ。何故近衛と衛兵が出張ってきているのか、という話をしているのだ」
「ギルド側が動こうとしなかったからですよ?」
近衛隊長とギルド長の言い合いに口をはさんだのはクリフトさんだ。
「これ以上奴らをのさばらせておくのは、いくらなんでも危険ですからね。まず、確実に的側の人間だと分かっている彼を取り押さえる必要が有ったのですよ」
「………泳がせていたと言うに」
「えっ?」
出来る限り黙っていようと思ったが、しかしそのギルド長の言葉に対して驚きの声が口を突く事を止められなかった。
泳がせていた?つまり、今朝の反応も全て、これからのギルド長の方針と俺のやっている事がかみ合っていなかったからという事なのだろうか。
……ミディリアさんすら知らなかったという事は、どれだけ少数の人物にしか…いや、クヴィロさんは確か、副ギルド長であるアケイブスさん専属の書記官だった。ならば、副ギルド長にも伝えていなかったという事でも有り…。
……一人でずっとクヴィロさんの事を疑っていたのだろうか?それが何時からかは分からないけれど…俺が初めて奴らを見た時が、この世界に来てわりとすぐだという事を考えれば、それよりもずっと前から。
何という事だろうか。一体どれだけ先までその智を巡らせていたのだろうか…。
そう思うと同時、恐らくはそれを崩してしまったのは、俺の行動なのではないかとも思った。そう思うと、何だか罪悪感という物も感じてしまう。
重苦しい心でギルド長の背中へと視線を向ける。すると、視界のなかにはクヴィロさんも入りこむ。
しかし、彼の表情は、俺が思っていたどのそれとも違う、悲しさを感じさせるものだった。
そんな事を思うと同時、彼はその口を開き、
「……そうか」
と、今までのギルド長の態度とは明らかに違う一言だけを呟いた。
それが全員の耳に届いたのと、全く同じタイミング。
―――窓の外が、一息に紅く染まった。




