第十八話:居候へ
「………寒い」
やはり冬が近い、というべきか。
赤杉の泉を出れば、最早息をすることにすら痛みを伴わせるほどの冷気が身体を襲った。肺に痛みを感じるのだ。
今の身体であれば、傷ついた所ですぐに治ってしまうだろうが、だからと言って傷つく必要はない。少し気温が上がるまでは、走ったりはしないでおこう。
―――今朝で赤杉の泉での生活は終わり。おやっさんからの連続宿泊客に対する割引とか、ああいうものもすべてお断りして、今日からは心機一転。レイリとエリクスさんの家で居候だ。
…居候。
「なんか響きが情けないというか…。まあ、実体としてそれ以外に表す言葉は無いんだけど」
そんな事を気にする必要もないだろうし。
さて、俺からレイリ達の家の方に出向くことになっているので、早速向かおう。
………道に人影が無い。やはり、こんな寒い中を歩く人はまだいないか。
そう考えれば、俺はまだもう少しの時間を赤杉の泉の中で過ごすべきだったかもしれない。あそこの中は暖炉からの熱で温かいから。
だが今さら戻るというのも…うん。ここは心を決めてレイリの家へ向かおう。
町を歩く。寒い中では、レイリの家までの距離がどうにも長いと感じる。
………しかし、もう陽二刻を過ぎている筈だというのに、この冷え込みは異常じゃないだろうか。いつものこの時間なら九度くらいはありそうなのだが、今日は…高くても五度以下だ。一気に冬になっている。
というか、川も比較的しっかり凍りついてしまっている。今はこれを飲み水として使わない事になっているから関係ないが、この季節は大変だろうな…。
「ん?」
ふと、その凍った川に違和感を感じた。何と言うか、日本で見た物と何か違うのだ。
目を凝らし、凍った水面を観察すると、
「あ、あれ瘴気だ………」
氷の中に、粒子の様に瘴気が混ざっているのが見えた。液体には溶けても、固体にはとける事は出来ない、という事だろう。
俺がいなくても、多分今日にはこの状況が伝わっただろうな。何と言うか、微妙にこちらの気力を奪ってくるような光景だ。
まあ、過ぎた事を気にしていたってしょうがない。取りあえずは今いちばんすべき事、つまりはレイリの家へ向かう事を最優先しよう。なんて考えて、進行方向を向くと、見た事のない青年が歩いているのが見えた。
結構大きな道に二人だけ、しかもこのままだとすれ違う…流石に無視をするのは気まずい。
「おはようございます」
「ああ。おはようございます。今朝は冷え込みが激しいですね」
「ええ。………そうか、上着を買って無いからこんなに辛いんだ」
この人の服装のお陰で今の苦しみの理由が分かった。いや、流石にそれは言い過ぎかもしれないが。
「な、なんというか…お見苦しいところをお見せしました」
「いえいえ、まだまだ若いのですから、そのくらいのことは当然ですよ」
「あはは…それでは、ここらで」
「はい。またいつかであいましたら」
別れを告げて、歩みを速める。もう身体の芯まで冷えてしまった。
◇◇◇
さて。
現在俺はレイリの家の前にいる。後は、扉を数度ノックするだけでこの家の住人二人は俺の事を迎え入れてくれるだろう。それは分かっている。だが…
「何とも言えない緊張感…いや、多分居候って言うものをイマイチ理解できてないからなんだろうな…」
居候、ってどんな感じなんだろうか。あの二人の事だから、態度とかを改める事は求めてないとは思う。そもそも、コンビなら一緒に住めばいい、って言うのが一番大きな理由だったのだし。ただし、
「そもそもここは二人の家なんだから、傍若無人な振る舞いは厳禁…いや、もともとする気も無いけど」
しかし、ここで待っているだけではいけない。自分から動かなければ。
コンコン、と二度音を立ててノック。すると、
「はーい…お、タクミか」
「う、うん。おはようレイリ」
レイリが出て来た。恐らくは私服。つまり、俺を迎え入れる事を仕事よりも先に回してくれたという事だろう。有難いことである。
「あー、ま。立ち話もなんだし入れよ。寒ぃし」
「うん。お邪魔します」
レイリが開く扉を抜けて、家の中へと入る。
内装は、以前一度泊まった時より少し増えているだろうか。何がどう増えたか、と言われればはっきりはしないので、気のせいということもあり得はするが。
「お、来たなタクミ。寒かったろ」
「おはようございます、エリクスさん。今日は今までになく寒いです」
「いよいよ冬っつうか、朝は外に出歩きたくねえよな」
エリクスさんは、暖炉の近くに椅子を運んでゆったりと温まっている。
レイリが俺の背後で扉を閉めて、こちらへと歩いてくる。
「タクミは………荷物そんだけかよ。確かに必要な物だけをそりえりゃそんなもんかもしんねえけどさ、もう少しは余分な物も持てって」
「そうかな…というか、俺としては欲しいものが無かったんだよね」
今日は寒かったので服を数枚重ね着し、…後はウエストポーチに入るだけ。プレストプレートも付けているので、見た目としてはこんなに簡素になってしまう。
だが、今の状況で余分に何かを買う必要性を感じていなかったのだ。
「まあ、そんだけなら都合も良い。こっち来てくれ。タクミの部屋だ」
「え、あ、俺の部屋まで用意してくれるの!?」
「当然だろうが。というか、それも出来ねえのに居候の提案なんていくら兄貴でもしねえよ」
「遠回しに俺の事を馬鹿にしてくるのはやめろレイリ」
この二人は、ほんとに仲が良いのに、時折思い出したかのように軽い口喧嘩を交えようとするよな…。そう言う関係も、何だか羨ましく感じる。
そんな事を考えながらも、部屋を案内するレイリの後を追う。
どうやら、俺の部屋は少し奥の方に有るらしい。まあ、使いやすい部屋は当然二人が使うだろう。俺としては、この部屋を何のために用意していたのか、とかも気になったが。やはり、客間だろうか?
「おとといまで物置として使ってたんだけど、まあ広さとかも他の部屋と変わらねえし。昨日の朝にしっかり綺麗にしといたから安心して使ってくれ」
「あー…なるほど、それなら部屋の空きも出来るよね。でも、そこに有った荷物は何処に?」
物置だというなら、そこにしまってあった荷物は何処へ行ったのだろうか。
「ああ、使えそうなやつは居間に出したり、タクミの部屋の家具にしたり。それ以外の奴は大体ごみだったからな。整理するいいきっかけだったよ」
「その辺の準備まで、もう全部やってくれたんだ…。手伝おうとは思ってたんだけど、ごめん」
「こっちから言いだしてんのに、タクミに準備させるのもなんか違うだろ。というか、先ずはこの部屋の中見てくれよ。どうだ?」
そう言ってレイリは扉を開く。
「おお………」
俺の眼に映ったのは昨晩までの寝室にも劣らない広さの部屋。その上、既にベッドや戸棚、その他の家具なども、簡素ながらも設置済み。
えーと………。
「あれ?ここまでやってもらって本当に良かったの?なんかもう、俺からすると至れり尽くせりって感じなんだけど…」
「はいはい。そういうのもうなしな。部屋を余らせておくよりも、使ってもらった方がきれいにも保てるんだよ。ほら荷物置け。服とかは、そこの戸棚にしまっていいしな」
「あ、うん」
取りあえずウエストポーチをテーブル―――もちろん、リビングの物よりは小さい―――の上に置き、戸棚を開けてみる。
そこには、ハンガーの様な物にかけられた何枚かの服が。
「あ、それ兄貴の昔の服な。一応綺麗に保存出来てたみたいだし、兄貴もちょっときついらしいから、タクミにやるよ」
「………ありがと。うん。防寒具なんかもあって、凄く助かる」
助かるのだが。やはり至れり尽くせりだ。確信に変わったぞ。ここまでするものか?
もちろん、これがこの世界とか、ロルナンでの風習というならまあ、俺には分からなくて当然だが。
「で、今日は何する?取りあえずギルドに行って、久しぶりに遠出して依頼で儲けるか?まあ、今日から家に住むってぇのに肩透かし食らわせるようなもんだが」
「あー…でも、そうだね。おれもレイリのランクに追いつきたいし」
俺がそういうと、レイリは口を笑みの形にして、
「ほぉう。なかなかいうようになったなタクミ。だがまだまだ。一人で中位忌種をすんなり倒せる奴じゃねえとあたしのランクにはたどり着けねえぜ。そして、そうそう中位忌種なんか出て来ねえ。思えばあのとき、もっと大勢の前で【人喰鬼】を討伐しときゃあDランクまでも近かったかもしんねえのになあ」
「うぬぬ…確かにそうかもしれないけど。でもあのときはあのときで結構大変だったんだからさぁ…」
人の目につきやすい草原の方で戦えば、奴の突進力で為す術なくやられていたことに違いない。ただでさえ草原の方に行く忌種の量も調整しなければいけなかったんだから、仕方がないというものだ。
「ま、頑張れよ。アタシだって、自分と同じランクにタクミが成ったんなら二重三重に信頼もできる。今はまだ、タクミの方が実力は低いんだしな」
「………、まあ、そうだね。例えば今レイリと戦ったとしても、勝てるとは思えないし」
「さっさと強くなって、アタシに追いつくんだな。よし、それじゃギルド行こうぜ」
「うん。今日も仕事仕事」
レイリの家を出て、二人でギルドへと向かう。エリクスさんは、シュリ―フィアさんの所に行くらしい。
滞在期間が延びた事は、エリクスさんにとっては本当に嬉しい事だっただろう。なんだかんだで関係は良好、恋愛感情がシュリーフィアさん側に有るかどうかは分からないが、望みは十分にあるだろう。
赤杉の泉ほどではないが、レイリの家もギルドからそう離れた場所では無い。つまりはかなり町の中心部の家だということだ。立地が良い。あの家、かなり高額だろう。………いや、そろそろ自分を低く置き過ぎるのもやめるべきか?どうにもレイリにとっては不快の様だし。
こういう考えも終了………と言って止められるのならば、苦労はしないとも言う。まあ、追々だ。
「どうする?アタシはDランクだがら、ちょっと危険な仕事も受けられるぜ?Eランクのタクミでも、Dランクに通用するって話になりゃあランク上げんのも早ぇだろ」
「うーん………そうだな。俺だけだと当然危険でも、レイリと一緒に戦うなら安心もできるし。………早く強くもなりたい」
「おう。ならとりあえずミディにDランクの依頼が無いかどうかを聞いて、その後出発しようぜ」
「やっぱり遠出になるよね。この辺に強い忌種はいないんだったっけ?」
確か、昔ミディリアさんが森の奥には強力な忌種もいる、という話をしていたと思う。森の奥、というのはつまり、あの東の森の、更にずっとずっと奥という事なのだろうが。
「あー…。ちょっと前までは、アタシどころか兄貴でも受けられない様なのは有ったぜ?町にそのランクの冒険者がいねぇから。ずっと受けられてなかったような奴が」
「………という事は、Aランク以上ってこと?…あ」
なんだか、ずっと以前にそんな条件設定をされた依頼布を見た事が有った様に思う。あれはずっと放置されていたということか。
「森の奥まで、何日もかけて歩き続けて、どの国の領地でも無い様な場所でほとんど情報のない高位忌種を仕留めて帰る…ま、そんなのが出来る奴は、もう守人級の実力だからな。そうそう受理もされねえし、そもそも必要性のある依頼でも無い、ただの象徴とでも言うべきものだぜ。
………話がずれてたな。で、アタシ達が討伐しようとしてる相手なら…馬車で二日くらい行った所の山岳地帯にいる。当然中位忌種だ。気を付けねぇと」
「…瘴気を保った中位忌種と戦うのって、初めてだな。気をつけないと」
【人喰鬼】を討伐した時は、瘴気に汚染されて理性を持っていない相手との戦いだった。もしあの威力の突進を、理性をもって行使されれば…非常にまずい、という事は理解できる。
しかし、レイリとしてはそこまで不安そうにしてはいなかった。
「中位忌種って言っても、アタシみたいなDランクでもギリギリ討伐できるような奴だ。あー…タクミなら、【岩亀蛇】で表しゃいいか?あれと【小人鬼】じゃあ、全然強さが違うだろ?」
「あー………。納得。確かにそうだね。【小人鬼】と【岩亀蛇】をおんなじ強さとは言えない。…【岩亀蛇】なんて、火を吐くわ魔術ははじくわで、すっごい苦戦したし」
「で、今回討伐するのは、低位忌種で言えば【小人鬼】みたいなもんだ。しっかり連携取れりゃあ、そう不安がる必要もねえ」
「………よし。だったら、後は落ち着いて戦うことに専念するよ。頑張る」
◇◇◇
「さて、コンビ共々ランク上昇とは、なかなか幸先いいんじゃないの?ま、二人ともなんだかんだで活躍もしてたわけだし、そういうものなのかもね」
「………え………………?」
ギルドに入り、ミディリアさんにつかまって数分後である。依頼について聞きに行ったら、ギルドの裏へと案内されて、こう言われたのだ。唐突に。前触れなんてなかった。
「…あぁ…待てミディ。何の冗談だそりゃ?でけぇ仕事に成功した記憶なんてねぇぞ。活躍っつっても…」
「そうですよ。仕事を頑張っていなかった、とまで言うつもりはありませんが、そこまで凄い事をした記憶はありません」
俺はもちろん、レイリもランク上昇に心当たりはないようだ。………そんなに強力な相手と戦ったことなんてなかった筈。強いて言うなら数日前、港で戦った忌種は中位忌種の中でもそれなりだったようだが…既に死にかけ。当然、ほとんど俺たちの手柄なんてない。一体どういう事だろうか。
「あー…。そういうのとは、ちょっと違う、あ、いや、それも込みで、って感じなんだけど…」
ミディリアさんの言い方も、また歯切れの悪いものである。
「そりゃランクが上がるのは嬉しいぜ?でも理由が分からないなら話は別だ。行っちゃあなんだが、怪しすぎるだろ」
「それも込みで、って事は一番大きな理由はほかにもあるんですよね?それは一体何なんです?」
俺の問いかけに、ミディリアさんが僅かにほっとしたような表情を見せたのは、もしかして俺がミディリアさんの目的に沿った行動をとってしまったという事だろうか?いや、陰謀とかじゃないなら、何の問題も無いけれど。
「そう、それはね…。ズバリ、邪教の存在を知っている、という事よ」
「………………はあ?」
「それだけでランクが上がるんですか?それは何と言うか…」
ああ、安易か?だって、それは言い方を変えれば、ギルド側の邪教について詳しい事を知っている人間が、冒険者に情報を渡すことで故意にその人物のランクを上げることだって出来てしまいそうだ。俺たちの場合、それを知るべきランクまで届いていなかった、なんてこともありえない訳ではないが…そもそも、あの時はエリクスさんだって知らなかったらしいし、やはり単純に広まる情報ではないだろう。
そうなってくると、暗い想像にはなるが、『秘密を知った者には死を!』なんて理論が発動することだってあるだろう。でも、そうはならない、と。
ミディリアさんは、まだ話す事が有るようだ。
「だって、守人本人が情報を流した訳だし、そのくらいには信頼されているって事になるでしょう?そうなると、下手な対応なんて取る筈もないのよ。そうなってくると、今度は二人のランクにも目が向くわね。レイちゃんなら、まあ一応上昇って感じだったけど、日数が無かったから仕方がないとは言えタクミ君のランクは低すぎる」
「………なるほど、確かに俺のランクは低いですよね。あんな奴らばっかりがいる邪教の情報を持っていると、あっさり消されそうだった、とかでしょうか?」
「そうそう。だから二人ともランクが上がったってわけ。コンビになったりとか、なんだかんだで功績も積み上げたとか…タクミ君の、瘴気に関する各種の発見が、今日のランク上昇につながったかな」
ミディリアさんのその言葉を聞いて、何となく理由は分かった…様に感じる。それはレイリも同じようで、とりあえず納得した、というふうである。
「だからほら、二人ともギルドカード提出して。さっさと済ませちゃいましょ」
「………そんな簡単なものだったか?まったく。…ほらよ」
レイリが微妙に悪態混じりでギルドカードをミディリアさんに提出する。俺もまた、その後に続くようにギルドカードを提出した。
そして、ミディリアさんは二枚のギルドカードを持って、個室を出て行き、どこかへと向かう。
ちなみにこの部屋、俺がギルドに登録した時と同じ部屋だ。懐かしい。………あれ?そんなに時間も経ってないのか?
「あー………よし、とりあえず今日の所は、タクミが依頼を受けろ。コツとか、アタシがいろいろ教えてやるよ」
「そうだね。ありがと。…突然だったけど、とりあえずは喜んでおくべきかな?」
俺がそう言うと、レイリは片方の眉を器用に上げた。まあ、『さあな』の様な意味合いだろう。
「しっかし、最近はほんとに毎日やること多いよな。その上緩急も付きすぎて、一日の間に暇と疲労が交互に訪れてやがるぜ」
「たしかに。昨日も何度か、暇だ~って考えてたし。でも、ランクが上がったんだから…」
「忙しくなるな。………最初に仕事を強制されるのがどうにも嫌なんだが、まあ、しかたねえよな」
「…あれ?それって、まだ実力その物でランクが上がった訳じゃないのに、強力な忌種を討伐しなけりゃいけないって事…?」
「…あ」
その時、扉が開いてミディリアさんが帰ってくる。
「はーい。ランク上昇させて来たわよ。おめでと」
「ミディ。まだ無理だった」
「さすがに、いきなり強力な忌種は無理です」
「ん?」
………どうやら、俺たちの予測はまた外れているらしい。
もうすぐ二章も佳境に差し掛かります。ご期待を。
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