閑話三:闇往く狂気
2016/8/17 展開修正
ロルナンとヒゼキヤを結ぶ街道、その半ば程に、風のように走る一台の馬車が有った。
天幕を血の様な赤で染めたその馬車は、今まさに一つの目的を果たし、それに乗り込んだ者たちの上役のもとへと駆けて行く途中であった。
「………………………第三位司教様は何処に?」
「つい最近祝福の下りた森に。我らが到着次第、再びお姿を現して下さると」
「無事、此度の御勤めも果たす事が出来た。同志を失ってしまったのは悲しむべきだが、彼は我らが主にその殉教を祝福される事であろう」
悲しむべき、などと口にしながら僅かな感情すらのぞかせない顔の男…男たちは、再び黙々と、彼らの上役へと捧げる成果…人々が瘴気と呼ぶものの結晶を、まるで愛し子を抱くように抱きしめながら、御者すらいない馬車で夜を駆ける。
そうして、およそ数十分後、彼等は気がつく。
「おお…」
風が、まるで祝福するように、渦巻き、冬とは思えない温かみに溢れたその身を彼らの身体へと纏りつかせてくる。
心地よい―――少なくとも、彼等にとっては―――その風に、自らよりも多くの徳を積み、祝福された者、第三位司教と呼ばれる人間がやってきたのだと、彼等は気がついた。
「礼を」
「礼を」
「一つの雑念も籠らぬ礼を」
彼等はそう口にし、そして馬車から降り、その言葉を森へと実行した。
いや、それが森に対して行われたものでないことはすぐに明らかとなった。なぜなら、彼らの感じた風が少しずつ森の中より強くなり、それに伴うように紅い粒子が混ざりつつあったのだから。
瘴気、本来は人の身で瞳に映すことに叶わぬほど僅かな量しか空に漂わないそれを、色すら認識できるほどに可視化されたこの空間の異常さは、この世界に生まれ育ったものであれば誰もが感じ取った事だろう。あるいは、
―――それを成した者がいるという事に気がついて、狂ってしまうか―――。
ざわざわと森の木々が揺れる。木がざわめくほどに強い風は吹いていない。しかし、何か物理的な衝撃が襲っている筈もないというのに、その揺れは次第に強さを増して行く。
ざわざわ、ざわざわ。
ざわざわ、ざわざわ。
ざワざわ、ざわザわ。
ザわザわ、ざワざワ。
ザワザわ、ざワザワ。
ザわザワザワザワザザザワザワワワザワザザザザザザ―――ッ!
そして、
「皆さま、本日も我らが主の為、御勤めご苦労様でした」
闇から一人の男が現れた。
慈愛に満ちた表情、しゃがみ込む三人に対しては、その表情にピッタリの言葉も投げかける。
司教、と言う言葉にも、徳を積んだ、という言葉にも、ある程度納得のいく男だ。
………様々な事から目をそらせば、だったが。
例えば一つ、この男の足元を見て分かる事がある。風と共に多くの落ち葉なども巻き上げて森から出て来た事により、やはりその足元には落ち葉が積もっているのだが…そうでないと、はっきり分かる者が、二つ、いや…、二匹。
それは、一日ほど前に大港湾町ロルナン付近の森の中で調査隊が襲われた狼の様な忌種と同じ姿であったが…それは、今気にする事ではない。
重要なのは、生存の危機を感じない限り何処までも人を殺し続ける性質をもつ筈の忌種が、まるで巣穴でまどろんでいるかのように目を細め、伏せている事である。
辺りに漂うのは瘴気、実際のところ、人を殺める性質以前に瘴気により正気を失う事が必然であるような場所において、忌種がこのような姿でいる事は異常極まりなく、また、それを見ても感情を乱さないこの人間たちもまた、異常極まりなかった。
見て分かる異常は、もう一つ。
既に分かっている事だが、この男は瘴気を引き連れてやってきた。本来瘴気とは人間にとっても有害。猛毒とまでは行かないが、身体に蓄積されて行き、何時かはそれに蝕まれるような、そんな厄介なものである。当然、その中心をゆく人間がいるという事もありえない事だが、
………瘴気を肌から吸い取り、そして肌から放出しているように、その場にいる人間たちには見えている筈で。
人としてどこまでも異常だという証拠がそろっていて尚、いやむしろ、彼の前に跪く三人の男からは畏敬の念が感じられているというのも、この場の狂気を表している。
男が右手をゆっくりと振り、それと同時に、これまた穏やかに言葉を紡ぐ。
「皆様、目的の物の回収は完了しましたでしょうか?―――ああ、はい。それは良かったです。主は、あれをあまり多くの人の目には、触れさせたくはなかったようですので。しかし、一人同志が失われてしまったのは、かなしい事ですね。黙祷をささげましょう」
数秒の沈黙、元から一言も発していなかった男たちはもちろん、風すらも、今は存在しないかのようであった。
そして、
「―――はい、それでは皆さんは、一度この近くの町に移って下さい―――ああいえ、やはり、私も同行しましょう。あの町の近くには忌々しい蛇も眠っている事ですし、やはり不吉ですからね」
司教の言葉に、ひざまづく男たちの中の一人が僅かに身じろぎ、
「有難きお言葉、感謝いたします」
と返した。司教は、
「良いんですよ。気になさらず。…しかし、こうも攻撃的になられると困りますね。今更どうする事も出来ないのでしょうが…ああ、行きましょう」
それを聞いた男たちは立ち上がる。そして、おもむろに馬車の方へと歩き始めた。その後ろを往くのは司教。
彼は夜空を見上げ、この場の紅など知らぬとばかりに白く輝く月を、その奥を見上げ、初めてその整った顔に、強い感情をのぞかせる。それは先程までの態度からは考えられない、そして彼自身から漂う雰囲気からは本来あるべきだとすら感じるほどの憎悪で。
「―――」
しかし、僅かに動いた唇からその激情が迸る事はなかった。
そして、狂気を乗せた馬車は闇を往く。御者すらいない馬車の異様は誰の目にも明らかで、しかし、誰に見とがめられる事も無いままに。
今回は文量が少なかったですね。いざ書いてみれば、まだまださらしてはいけない類の情報が多く…。
次回も閑話です。
感想など頂けると喜ぶ性質の作者です。




