第二十五話:驚異と殺意
「遠弓隊はそのまま森の中へ射続けろ!誘導隊は漏れたゴブリンどもを罠へ誘導!しくじるんじゃないぞ!」
「応ッ!」
遠弓隊の近くに布陣していた誘導隊は、森からあふれ出してきた数十体のゴブリンに走り寄り、石を投げつけたり大声を上げるなどして自分たちの方へと引きつけている。彼らの向かう先は木の板を使って個人で上げ下げできる橋の設置された川か、その反対方向に設置された竹槍の壁のどちらかだ。
彼らは足が早く、尚且つ戦闘能力のトップ勢では無いと言うピンポイント的な人材だ。この集団の中ではまだ中の中程度らしい俺も少し前に開催された競争には参加したのだが、結果は全四百七人中六十二位という微妙な物。上位陣には高ランク冒険者が多かったため、誘導隊に選ばれる順で言えば二十代前半程度にはなるらしいが、引きつけ役は合計十五名。俺の出る幕はなかった。
ここにきてアリュ―シャ様の『最強では無い』という言葉が思い出された。運動能力に優れた冒険者たちの中でこの順位ならかなり速い。だが、上には上がいるのだ。俺の『人間をやめたのかも…』なんて悩みはしょうもない事でしかなかったらしい。
そろそろ本隊もゴブリンと交戦開始したらしい。ちなみに、俺のみる限りではまだ人的被害は出ていない。皆見事に連携し合っている。作戦通りに事が進んでいると言うのは大きいだろうけど、非常に嬉しい事だ。
ちなみに俺の部隊は、遊撃だ。
簡単に言うならもう少し戦いが進んで乱戦に近くなった時、新たに森から飛び出してくる忌種を出来る限り討伐し、本隊の負担を軽くすると言うことが仕事だ。
俺の知っている遊撃は、少数で自由に動き回って戦う様な内容だった気もするが、変則的な対応を取った結果の名付けだとギルド長は言っていた。
そして、今は隠れておくこと以外にやることはない。早くも遊撃隊が見つかった、なんて状況では混戦になるまでの時間が格段に短くなってしまうのでくれぐれも見つかってはいけないのだと何度も念押しされたからだ。どうやらなかなかに重要な役割らしい。
…レイリは本隊に。ボルゾフさんは同じ遊撃だけどどこか別の場所に隠れている。と言うか、草原で大人数が一か所に隠れるのは無理だ。必然的に個人 個人でばらばらに隠れる事になる。
何が言いたいのかと言えば、微妙に心細いと言うことだ。
…ニートしてた時は、一人でいてもこんな風に感じる事はなかった筈なんだが…。やっぱり、人と関わると出来る限り一緒にいたいと思ってしまうようだ。
別に悪い事ではないだろう。むしろ俺の理想の生き方を目指すならば持ちたい考え方だ。
人と人とのつながりを大事にする事が、悪い事であろうはずもない。昔の俺の様に、人と関わろうとせず、分かり合おうとしない、だなんて事はもっての外だ。
まあ、俺の人格も多少は良くなったと考えておこう。
………そろそろ出番が近いかもしれない。ゴブリンと戦う本隊の人数が増え、誘導隊の一部が本隊と合流して戦い始めている。誘導隊が本隊と完全合流したのを見計らい、俺達の遊撃隊の仕事は始まる。
走り出す準備をする。腰につけているのはいつものウエストポーチではなく、門の前でミディリアさんから手渡された幅広の鉈。魔術を当てるよりも早く襲われそうな時に使うように言われた。
俺には使い慣れた武器なんてないけれど、単純で丈夫な作りのこれならいざという時咄嗟に攻撃を防ぐこともできると言われたのだ。確かに楯のように使うのなら防具よりも使いやすいかもしれない。
まあ、ミディリアさん曰くただの安物らしいので、壊してしまうこと前提の使い方でしかないらしいが。
とにかく、いざという時に選べる選択肢が増えた事を喜んで後は時を待とう。
…森からあふれ出るゴブリンの量が増えた。もう誘導隊の速く移動するためだけの軽装では近づくのは危険そうだ。いや、既に誘導隊は装備を整える為後方へ戻り始めた。
ならば、後は遊撃隊の仕事だ。
「………行くぞ」
俺は立ち上がり、声をあげながら走り出す。近くの草むらから他の冒険者も走りだしていた。
今回の戦いは、考えずに魔術を乱発すると味方に誤射しかねないと言うのが恐ろしい所だ。射線の確認は重要なので、感覚で行動しないように心掛ける。
声に気付いたのか一匹のゴブリンがその足を止め、後ろのゴブリンと激突、玉突き事故を起こしている。奴らの理性はここまで低下しているらしい。
その力は恐るべきものでも、奴らに策を破れはしないとはギルド長の言。ここまできれいに作戦通りの行動が続くと心にも少し余裕と言う物が出てくる。
奴らが立ちあがるより早く仕留めよう。幸いにも俺はかなり戦場の近くに陣取っていたらしく、二人ほど追い抜いた時点で前には誰もいなくなっていた。
次々とゴブリンどもの流れが滞っていくその中心地点へ、狙いを定め、出来る限り大きく、鋭く、一撃で倒せるように…ッ!
「『風刃』!」
横幅を広く、更に鋭さ…薄さも出来る限り追求した『風刃』は、結果として二十匹少のゴブリンの身体を引き裂いた。しかし、そこで終わりではない。まだまだ森から出てくるゴブリンの勢いは収まらない。
森の近く、奴らと川との距離がより短い場所へ駆ける。『水槍』と『風刃』そして『砂弾』の三魔術、俺が使える最大数の魔術を使えるのはあそこだろう。同時に幾つかの魔術を使うくらいじゃあないと、この勢いにはとても追いつかない。
川岸ギリギリに立ち、森を視界に収めながら忌種共に魔術を連発。森の中には今冒険者はいないので躊躇せず森の中にも直接魔術を叩きこむ。
これなら多少は安全を確保しながら最大効率で奴らを倒せるのではないだろうか。しかし、俺に群がってくるのは俺の近くから出てくる一部分だけ。他の遊撃隊の人もかなりの数を狩っているのだが、本体の乱戦度は上がっていく。
そのうえ、ここから離れた場所でオーガまでもが出没したらしい。冒険者の必死な声が聞こえてくる。
そう、ゴブリンはあくまでも雑兵。オーガや、それ以外の中位忌種などが最大の敵なのだ。
…事前にされた生態説明において、オーガには石を投げる程度しか遠距離での攻撃方法が無いと言っていた。俺も遠距離から魔術を撃てばオーガ討伐に協力出来るんじゃないだろうか?
…よし、行ってみよう。声が聞こえた方向からして、オーガが出たのはここから少し離れた、木で見えなくなっている場所だろう。
森から出てくるゴブリン達へと『風刃』や『砂弾』を乱発しながら走る。木を避け、オーガがいるであろう方向へと視線を飛ばし、
数メートルを超えた巨体がふるった両腕により三人の冒険者の体が吹き飛ぶ瞬間を、目撃した。
「……………………………な」
赤黒い血液が、俺のすぐ足もとまで飛散する。
目撃した光景の、そのあまりの衝撃に身体が膠着する事を止められない。と言うより、動けていないのだが。
…ッ!!現実逃避している場合じゃ無いッ!あいつは、既に俺の存在に気が付いているッ!元に俺の方向へ向き直り、足をたわめていまにも飛びかかろうとしているじゃないか!
全力で横方向へと跳ねる。それと同時、巨体が圧倒的なスピードで空中を移動するという非常識を目撃。衝撃波で俺の体は加速し、結果として奴のタックルを回避することには成功した。
あの巨体では、当然体重もかなりの物だろうに、一度の跳躍で十メートル以上も移動するなんて…どういう筋力をしているのだろうか。
………周囲には他の冒険者の姿はない。オーガの対処に当たっていたのは、恐らく先程俺の前で…死んだ、三人だったのだろう。
どうやら、俺にとって今までにない程死に近い場面が、今訪れているらしい。
目の前にいるのは、俺の事など容易に殺してしまえるであろう強者。
一瞬の油断も怯えも計算違いも、その全てが俺の命を奪うだけの重みを持つ。
背を向け、逃げても訪れるのは死だけだろう。現に奴は、再びこちらへと向こうとしている。遠くの大勢より、近くの俺の命を奪うことを選んだと言うことだろう。
………………ああ、だとしたら、俺に出来る事はもう一つだけだ。
奴の腕が、俺を殺す前に。
「お前を…殺すッ!」
奴が再びこちらを向き切る前に一当てしなくては。それも、できる限り結果を、殺す事を期待できる形で!
「『風刃』!」
奴の首元めがけて『風刃』を飛ばす。低位忌種である【岩亀蛇】さえ殺すのに手間取った俺の魔術では単純に当てた所で中位忌種の【人喰鬼】を【小人鬼】のように斬り飛ばすことなんてできないが、それでも首元なら、血管を大きく傷つけられれば奴も死ぬのではないかと考えての事だったが…、
「…ッ!全然!」
…大きなダメージとは言えないようだ。僅かに切り傷をつけ、血も滲んではいるが、それだけ。とても太い血管を傷つけた様には見えない。
それでも、同じ場所に当て続けられれば話は違うのだろうが、それができるのなら苦労はしない。
しかし首元に傷をつけられた事で【人喰鬼】の中で明確な敵として定められたらしい。素早く振り向いた奴は、今度はタックルではなく走って近づいてきた。一瞬で足の筋肉を全力で使うことになるのだろう先程のタックルよりも多少は遅いのだが、真っ直ぐ走って逃げきることはできそうにない。
…横に逃げても、走っているだけなら体勢くらい奴のスピードでも変えられるだろう。あれだけの筋肉が有るならなおさらだ。何もさえぎる物が無く、仲間もいないこの場所で戦い続けるのは本当に自殺行為か…ッ!
仕方がない、もっと墓穴を掘る様な行動かもしれないが、森の中へ入るしかない!
幸いと言うかなんというか、戦端が開いてから数十分以上たった今、森の中へ矢は撃ちこまれていない。矢が尽きた、と言うことだろう。
大凡十体程度の【人喰鬼】が確認されている以上、まだ森の中に他の個体が残っている可能性は高い。『風刃』でも仕留められないこいつらを、曲射した矢で殺すのは厳しいだろうから。
二体に挟撃されたらそこで死ぬだろうが…、乱戦の度合いはさらに増している。俺を助けにここまで来れるような奴はいないだろう。そんな確率の低い賭けに挑戦して、他の人の命まで危険にさらすような事になるのはご免だ。それなら森に入った方が良いだろう。
追いつかれそうになるたびに大きく横方向へと蛇行しながら森の中へと走る。草原からすぐのところの茂みは既に除去してあるので足場は安定しているし、そこまで動きに戸惑うことはない。
しかし、少しばかり思い違いもあった。瘴気汚染された忌種から理性が無くなるのは何度も体感していた事だが…
「…ははははっ」
まさか木をへし折りながらただただ真っ直ぐ突っ込んでくるとは。そこまでは予期していなかったとしか言えない。
ただ、『木を折りながら進む』ではなく『進む過程で木が折れる』と言うのが現状、つまり木を意識せず、ただただ俺の方へ走ろうとし、結果として木をへし折っているのだ。
俺にはかなり嬉しい展開だと言える。
何せ奴の圧倒的な筋肉から来るスピードとパワー、その二つの脅威を向こうかできると言うことだからだ。木々に阻まれスピードは出ず、近づけないから力任せに俺を殴り殺す事も出来ないだろう。
俺もまた、木々に阻まれ奴の急所を的確に狙えなくなったのだが、この場での優位はもぎ取れた、筈。後はいかにして素早くこの【人喰鬼】を仕留める事ができるかどうかだ。
昨日受け取ったばかりでどれほどの効果かは分からないが、アリュ―シャ様から貰った『戦闘昇華』が有る以上時間さえかければこいつだってきっと殺せる。 しかし、俺の仕事はこいつを殺して終わりではない。まだまだ続きが有るのだから、手間取っている訳にも行かないだろう。
「『風刃』」
出来る限り他のゴブリン達の気配のない方向へと移動しながら『風刃』を当てるも、やはり大きなダメージは与えられない。
それどころか、胴体に当てた所で肌の下に満ちた筋肉が鎧の役割でも成しているのか、血の量さえ先程以下だ。
その後も魔術を連発、すべて命中させるが仕留めるには至らない。
「…このままやっても木の密度が減って俺が不利になるだけか?いい加減突破口か何か見えてくれないものかっ」
正直言って困った。足を重点的に攻撃して動けなくしてやろうかとも思ったのだが、少しくらいの怪我では怯みもせず、上手く腱に傷が入ったように見えてもすぐに動く。どうやら回復能力も高いらしい。最初につけた首の傷が埋まっている事からもそれは明白だ。
と言うか、瘴気汚染された【人喰鬼】って俺の身体能力強化をより強い身体で受け取った様なものだな。恐ろしいものだ。
「ははっ。まあ、こんだけ強いのがうじゃうじゃいるような状況になったり、それを狩れる冒険者や守人がいるっていうなら、俺なんかまだまだ人間だな」
さて、こうしている間にも俺は奴に互いの間の距離を着々と詰められている。何度も何度も魔術を当てていくうちに傷跡が深くなっていくので『戦闘昇華』はしっかりと効果を発揮しているのだろうが、このままでは少しまずい。何か手はないだろうか。奴の足を完全に止められれば徹底的に大量の魔力を注ぎ込む『風刃』で息の根を止められる筈だ。
…いや、奴は今タックルではなくあくまでも走る事を選んでいる。恐らくは足の傷がタックルさせるほどの筋力を出せない程に蓄積されたのだろう。 それなら、
「足元に罠を仕掛けられるか…ッ!?」
今俺が利用できるものは…腰に有るこれくらいか。だがちょうど良い。
俺は腰から鉈を取り外し、自分の進行方向へと投げて、おおよその落下地点を確認。地面にふれる前に『風刃』を刃を形成せず、風の塊のままそこへ飛ばした。いわば『操風』の魔術だ。
着弾した場所から落ち葉が吹き飛ばされる。再び魔術を使う。ずっと使っていなかったが、今回は複数に分ける必要もないので『土槍』を使う。土を集める際、鉈の柄がはまる程度の穴が出来上がるようにする事を忘れない。
形成された『土槍』をかなり距離を詰めて来た【人喰鬼】の足に当たるように撃つ。一発だけなら『風刃』よりは多少威力が高い筈なので、もう今までのように走り回るのは厳しくなってきただろう。
俺は即席で作った鉈の罠を飛び越え、数メートル先で立ち止まる。今の奴の足取りはおぼつかないものだ。それでも俺を殺そうとここまで追ってくるその本能は恐ろしいとしか言いようがないが、真っ直ぐ向かってきてくれなければ困っていたのはこっちだった。
奴の動きをじっくりと観察する。あの場所に置いた鉈を踏んでくれなければまた長い時間をかけて戦うことになってしまうが、その心配はないだろう。
後三歩、…二歩、…一歩。
今だ。
「『操風』!」
奴の身体を揺らせるよう、上半身へと風の塊をぶつける。
俺の思惑通りに奴は体勢を保てず片足を上げ、
『ゴガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』
その足に、自らの力で深々と刃を刺し込む。
今、奴は歩く事ができない筈だ。この機を見逃す理由など存在しない。
「うおおおおおおおっ!『風刃』!!」
痛みで振るわれる腕に弾き飛ばされる礫をよけながら限界まで近づき、風の刃を撃ち放つ。
『ゴオッ!』
今までにない程に魔力を込めた一撃は、恐らく『戦闘昇華』の恩恵も受けているのだろう、周囲の空気を一気に巻き込んで目の前の敵の首を叩き切らんと飛んでいく。
『ゴオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!』
奴の首に突き刺さり、更に奥へと進もうとする風刃を、更に意識的に風で後ろから強引に押して行く。切断面から激しく血飛沫が舞い、俺の身体も赤く染まっていくが気にしている場合ではない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
ただ、魔力と殺意と咆哮を持って『風刃』を押し出し続け、三秒後。
ズザッ、と。
そんな音を立てて、【人喰鬼】の首が地面へと転がった。
「………………勝、った」
勝った。
一人で勝てないと考えていた中位忌種相手に、戦って、生き抜いたのだ。
「…生きてる。生きてるんだ」
今更になって、恐怖が押し寄せてくる。
片腕を振るうだけで一度に三人もの冒険者の命を奪うような化け物。感覚が麻痺していたのかもしれないが、何時殺されていたとしても何等おかしなことなど無かっただろう。特に奴にけがを負わすまで、健常な肉体で有れば一瞬、一度のミスできっと死んでいたのだ。
よく行きぬいたものである、と自分のことながらどこか客観的にすら考えてしまう程に現実感がない。
「……………ははっ。はははは、はは」
レイリさんの言葉を思い出すたびに笑っていた事が効いたかな?後で礼を言おう。
………おっと、ここでずっと思考を続けていてはいけないだろう。早く戦闘を再開しなければ。
俺は、一度森から出ようと考え立ち上がり、
視線の先で、今討伐した個体では無いもう一体の【人喰鬼】が足をたわめて、俺に対してタックルを行おうとしている姿を見た。
「…………………………………………………………………っ、は」
そして、
目にも止まらぬスピードで、いや、それどころか掻き消えたかのように【人喰鬼】の巨体が宙を滑り、
草原の方向から金の影がその軌道すれすれへと走り寄り、その勢いを保ったままに大剣を振るうと同時、巨体は血しぶきを巻きあげながら見当違いの方向へと吹き飛んだ。
「おー…、大丈夫だったか?少ね…あれ、お前一週間くらい前に戦闘試験やったやつじゃねえか?名前は…タクミ、だったか」
「…え、エリクスさんっ!」
【人喰鬼】を一太刀で切り殺し、尚、何の疲労も感じさせない顔で笑いかけて来たその男性は、俺の初めての友人であるレイリの兄であるエリクスさんその人だった




