第八話:救出
多数の煉瓦と共に投げつけられた石柱を交わしつつ、『風刃』と『操風』を連発することで軌道を逸らし、子供の隠れる物陰に被害が及ばないようにする。
『疑似模倣』出来れば楽だったが、弓も矢もここにはないからそれは不可能だ。さっさと諦めて、相手への対処を考える。
近付けば見上げるしかないような巨体、【人喰鬼】以上に筋骨隆々で有ることを考えれば、近接戦はー―元から考慮すべきではないにせよ――論外。しかし現状大きく距離をとるどころか、少女を庇える位置から出るのもよろしくない。
…あれ、打てる手って無い?
「『土槍』」
同じ起句を五度口にし、忌種との間に『土槍』による壁を作る。もしもの時のために少女との間にも同じように槍の壁を作り、少女の上にも屋根をつけた。奥をのぞき込まれればすぐに見つかってしまうだろうが、物が飛んできたとしてもこれで安全なはずだ。…これ自体は、一度崩れればただの土に戻る。少女を守る壁としては十分な頑丈さも有るだろう。…となれば、多少の選択肢は発生する。
崩される槍の壁を増強していく?壁から出て戦う?…前者は、忌種の屈強さから考えて補強が間に合わないだろう。腕力に任せて暴れ回る事しか頭に無いようだから万全の状態なら倒しようも有っただろうが、集中力の曖昧な現状では『戦闘昇華』による力の上昇を含めても有効打を与えるには至らないだろう。
後者も先ほどまでは執れない手段だった…が、今、忌種と少女との間には何重かの壁が生まれている。元々少女が見つかっていなかったことを考えれば、俺がここからで敵を引くことで、ようやく安全に距離をとることが出来るかもしれない。
そう考えて、ゆっくりと動く。相手は高位忌種としてはまだ甘い思考のようだから、このまま位置を整えようとしていると見せかければ、あの裏に少女がいるとはわからないはず。
そうして、程よく距離を取った俺は、そっと視線を周囲へ向ける。
「逃げてもいい方向って有るかな…?」
さっきも悩んだが、街中を考えなしに逃げ回るわけにもいかない。だがやはり、一人で倒すことや時間を稼ぐことは厳しそうだ――全身の痛みが再び激しくなってきたから。
まだ逃げても問題なさそうなのは、忌種が歩いてきた邦楽。舟を放り投げていたことから考えると川の方向…どちらかというと南のほうに、少し前まで南方の村へ物を届けるための船を留めている場所があったような気がする。そこから来たのなら、人の数は減っているはずだ。…負傷者を探して救助隊が来ている可能性もあるが、それも、忌種に備えて護衛はついているだろう。少なくとも逃げられるはず。川なら見通しもいいし、丁度いい。
ただ、今はあまり意識がはっきりしていない。となればおそらく、高速で移動するのは危険だ。しかしあの忌種の膂力を鑑みるに、生半可な速度で逃げればあっさりと捕まってしまうだろう。…腕が届かず、完璧に諦められるほど遠くもなく、さらに言えば石を投げたりするのではなく頑張って腕を伸ばしてみようとさせる程度の高度で逃げる、というのが一番良い行動ではないだろうか…少しずつ朦朧としてきた今の意識でどこまで正確にそれが行えるのかは分からなかったが、やるしかない。
「…『風刃』」
放つも、隙を窺ってもいなければ十分な魔力も込め切れていないそれは、『戦闘昇華』による強化を加味してさえ高位忌種の肌を避けなかった。冷や汗を背中に感じながら、再び忌種がこちらへの遷移を明確に表したことを確認、視線を進行方向へ向け――激突、落下。
「……ぁ」
落下する煉瓦に体を何度も打ち付けられる。腕で庇おうにもその腕がすでに動かない。埋まる。火傷で傷み切った肌が深々と裂け、石が刺さる感覚がある。痛いが、もはや体のどこがどう痛いのかは明確には判断できなくなっている。
脱出しなければいけない。それだけは確かだった。こうしている間にも忌種はこちらへ近寄ってきているかもしれないし、例えそうでなくてもこのままでは失血死だ。脱出しなければ死ぬという結果に変わりはない。
体が自由に動かないことに変わりはない。ならば、頼れるのは魔術だ。いつもとやることは変わらない…モノを動かさなければいけないのだから、魔術は…――ッ!?
「気絶してた…」
こんな状況で、たとえ一瞬だとしても意識を失うなんてありえない。本当に死んでしまうところだ。その危機感でどうにか意識を覚醒させ、…不思議と、顔面と喉には大きな石がぶつかってきていないことに気が付いた。
「トフター、さん」
『気が付かれましたか。…さすがにこの体では馬力など発揮しようもありません。脱出の方法はお任せしますよ?』
「ええ、勿論です。…ありがとうございます」
『いえ』
トフターさんに助けられたが、時間的な余裕は無い。即興でも何でもいいからこの瓦礫を吹き飛ばし、脱出しなければいけない。…こんな障害に奪われていい時間はないのだ。あの忌種を別の場所へ連れて行かなければ。
「…『障害を退け、道を拓く』」
口をついて出たのは、今までとは違う起句の形式。だが、不思議と違和感などを得ることもなく、心へすっとなじむような感覚があった。
そして、気が付いた時には再び、俺の体には日光が当たっていた。完璧に体を埋めていた瓦礫は俺を中心に散らばったようだ。…よく見れば、忌種の体に幾つかの瓦礫が勢いよく飛んで行ったらしい。砕けた破片がその巨体のもとへ散らばり、その固い肌からは僅かに血が滲んでいる。忌種は自らの体を見下ろし、首をかしげているばかりだ。
――何が起きたのか分かってない今のうちに動く!
「『飛翔』」
起句を唱え、体を浮かせる。だが先ほどよりもずっと安定感がない。細かく動きを制御しようとしているわけでもないのにこれとは、どうやら曖昧に「どこへ向かうか」ということすらイメージできていないらしい。
それでもここに止まるよりはましだと進むが、数秒後、今度は攻撃を受けたわけでもなく落下する。…しかも、位置を確認する限りほとんど動いていない。自分で思っているよりずっと、限界まで疲労しているようだ。…だが、「疲れたからやめて!」などと叫んでみたところで忌種が止まってくれるはずはない。
諦めてはいけないし、諦める気などはないが――この状況をどう打開するか。その明確な方針は浮かばない。
背後から石畳を揺らす足音が一つ。近づいてきたようだ。せめて一矢報いてやらなければ気が済まないと忌種のほうへ振り返り――予想が少し、ずれていたことに気が付く。
「…レイリ?」
一体何時の間に…という疑問は、雷然による高速移動を行っているレイリに問うべきではないだろう。それにしたって何の前触れもなかった気もするが、レイリならやりかねない。…気になる点は、そことは別にある。
俺、その次に忌種を見つめるレイリの視線が、どこか固まっているというか、…殺気に満ちていたような気がした。
「…無茶なことはしないよね」
とつぶやいた瞬間レイリの姿が掻き消えた。
そして忌種の右腕が飛び、次いで右足、左足と飛んでいく。誰の目にも捉えられないほどの速度でそれを行ったのは、レイリだ。
「…凄い」
レイリはその手に握る剣を、どうやら状況を理解し切れていないらしい忌種ののど元へ突き刺し、全力で建物の壁へたたき付け、そのまま貫いた。
たった二秒のことだった。…俺は数分間かけてなお、ろくな傷も付けられずに追い込まれてばかりだったのにこれだ。やはりレイリはすごい…少し嫉妬してしまう。多少は追いつけてきたかとも思ったらあっさり先に進むのだから。…高位忌種を一人で討伐できる実力って、冒険者の中でもかなり高かったはずだよな?ボルゾフさんくらいには。そう考えるとレイリはあと半年と少しくらいで守人に選ばれるくらいの実力を得る、のか?
…羨んだって仕方ないか。時間はまだある。何せ、おそらく肉体的には二十代に至っていないのだ。経験だってレイリのほうが多い。追いつこうとあがくことに変わりはないのなら、何度も何度も落ち込んでなんかいられない。
しかし、レイリは大丈夫だろうか。いつもよりずいぶんと剣呑な眼をしていたように見えたし、疲れているのかもしれない。
そんなことを考えると同時、レイリがこちらへ走ってきた――と思ったらもう、すぐそばにいた。間違いなく、数時間前よりも雷然を使いこなしている。
見上げなおした彼女の顔は、先ほどとは打って変わって俺のことを心配しているとわかるような、落ち着かない顔。
とりあえず「ありがとう」と言おうとして口を開けば、それより先に俺の体は強く抱きしめられていた。
「また怪我増やしてんじゃねえかッ!何で無理ばっか…!」
「あ…ごめん」
そのまま、いわゆるお姫様抱っこの体制へ移行。今度は雷然での加速をすることなく、走って運ばれる。
目の前の診療所は使えない。どこまで運ばれるかはわからないが、レイリに任せれば安心だろう。……それはそれとして、だ。謝ってばかりではよくない気がする。
「でも、レイリもレイリだよ。無傷で倒せたからいいけど、一人で戦って…」
「タクミもじゃねぇか」
あっさりとそう返され、確かにそうだと押し黙る。
だが、本当に言いたかったことはこれではない。だから、もう一度口を開く。
「…えーっと、それでも助けに来てくれて、ありがとう」
「…」
俺がそういうと、レイリは僅かに顔を赤く染めながら、少し不機嫌そうに口を尖らせた。…とりあえず、その瞳から剣呑な光は消え去ったようだ。それを少しうれしく思いつつ、そっと意識を放り投げる。
――優しく抱えられていても、そろそろ痛みが限界だった。
ひどい更新遅れ、申し訳ありませんでした…。しかし、以前のように二日に一度、三日に一度というペースに戻すのは少し難しいかもしれないです。
※取り残された少女は忌種討伐に訪れた衛兵たちに保護されました。




