第四十一話:吶喊
まず目に飛び込んできたのは、夜でも分かるほど奇妙に澱んだ空。見ているだけで気分が悪くなる。そして、――知っていた事だが――その圧倒的な敵の数。三十人でまともに相手取ろうとすれば即、全滅だろう。
だから当然、全力で前進しつつも出来る限り見つからないよう、魔術士達も飛ばず、出来る限り木々の陰に隠れて進む。
まだ戦いは始まっていない…けれど、警戒している兵たちは木々の向こうに居る。
「すぐ見つかるぞこれ」
「分かってる。レイリも、油断しないで」
勿論レイリは、そんなこと分かっているだろうけど…などと考えながら森を抜ける。
そこは丁度、地面が岩に覆われた場所。当然ながら木々などはえておらず、周囲からこの場所は筒抜けだ。
「行くぞっ!」
そう号令をかけたのは、同じ馬車に乗っていた特殊部隊の一番さんだ。同時に全員、陣を崩さずに出せる最高速度で動き出し――その周囲で蠢いていた敵兵達も、動き出す。
「『炸裂』!」
「ッしゃおらァ!進めぇ!」
陣の後方、広がった左右の末端から順に敵との交戦が始まる。だがまだ周囲を囲まれた訳ではない。前進する事を優先しつつも、視界に現れる敵兵へと『風刃』や『土槍』を叩きこんでいく。
途中で川の近くを通りがかった時は『水弾』や『水槍』、距離が近づいてきたら矢を引き抜き、刻まれた魔法陣に『疑似模倣』させた『風刃』で同時に倒す。
その頃になれば後ろからだけでなく、前方にも敵が現れていた。だが相手の数が圧倒的である以上、敵陣方向へと進む速度を落とせば完璧に包囲されてしまうのは自明の理。前方に集結した火力の高い集団――エリクスさん、アインさん、要塞都市にも居た魔術官――が道を切り開き、出来る限り遅れの出ないよう進んでいく。
そして、二十分ほどの時間が過ぎた。
想定よりは早く前進できたようで、既に陣への道程は半分ほどを消化している。怪我人は出たものの、侵攻が遅れるほどの重症ではなく、死人は未だ零。
そこまでは、良い状況。…しかし、作戦が順調なのかと言えば素直に頷けない。
「陣の側にどんどん集まってんぞ…!」
エリクスさんがそう呻く。事実として、周囲の兵たちは俺達への攻撃の手を緩めず、しかしそれ以外の兵で陣への守りを固め始めていた。
圧倒的な人数差で、恐らく禁忌を操っている者がいるだろうと思われる天幕の集合地の周辺では、物理的な意味で人の壁が出来てしまっている。これ以降、さらなる数の敵と戦わなければいけない事は間違いないだろう。
「後方の展開は少人数!前に出てください!」
ヅェルさんの号令を受けて、俺達の陣形が変わっていく。前方が鋭角になった三角形に近い形から、円形の部分を僅かに前方へ伸ばした前方後円墳に近い形状へ。
後ろに居る人達がきちんと通れるほどの穴を敵軍に開けつつ、更に進んでいく。――だがしかし、敵の多さは今までと段違いになっていた。
そもそも、中間地点までの到達時間が早かったのは、敵が中央部へと移動したからなのだ。こうして苦戦するのは、つけを払っている様なものだろう。
「つけにするほどいい思いしてねえけどなッ!」
「先に、進む、べきだ…だが、これでは…!」
レイリと六番さんがそれぞれ苦しげに声を漏らす。だがしかし、陣を崩さないままで行える動きとしては最善に近い筈だろう。俺には判断がつかないが、周囲の人達が一切の反感を持っていない様子なのがそれを示している。
「速度を落としたら狙い撃ちだ!」
「手の空いてる魔術士は飛んで奥側を薄く出来ねえか!?」
「い、行きます!」
そう言って飛び出したのは『炸裂』を使う魔術士。高すぎない高度へと浮上、周囲からの魔術攻撃に警戒しながら『炸裂』の魔術を使う。
一撃一撃で十人以上の兵が吹き飛んでいくが…しかし目に見えて俺達の戦いが楽になる事はなかった。派手に被害を出したことで『炸裂』の魔術士も優先して狙われるようになり、すぐ降りてくる事になった。
「ならもう、見えない所でも攻撃できる魔術士は魔力に余分を持たせつつ撃ってください!どうせ味方はいません!」
「分かりました!」
と言っても、俺は既に先頭集団に程近い所で戦っている身。目の前の敵以外に集中できる時間は、あまり無いのだが…。
「なら、吾が、詰めよう。二人が下がり、魔術を撃てばいい」
「…えっと、じゃあ、お願いします!」
六番さんがそう言って、俺とラスティアを陣の内側へ入れ、カルスと共にレイリの方向へと寄っていく。
「じゃあちょっと、アタシもこっち寄るぞ」
「ありがとう。…やるぞ」
ラスティアさんは、個人を特定する事が出来ない現在、恐らくは敵の居る空間に向けて『切開』を使用しているのだろう。だが、広範囲にわたって使うと言っても『切開』は一直線。限度がある。
余裕が有る今の間に、『刃槍嵐舞』を使うしかないだろう。それも、一度や二度だけではなく、安全が確保できるまで。
勿論、最前列で戦うエリクスさん達がとんでもない奮闘をしてくれているので、俺がここに居る敵の大半を倒す、とかとんでもないことにはならない。だが…生き残るためには最善を尽くすし、自分の罪悪感程度ならねじ伏せると決めたのだ。もう躊躇はしない。
意識を集中させ、魔力の無駄遣いにならないよう、範囲の広がりを横向きにして――。
「『刃槍嵐舞』」
起句を唱えて、死者が増えて…まだ止まらない。前進しながら更に撃ちこんでいく。
最前列ではエリクスさんが瞬間的に敵中に突っ込んでから即座に戻ってきたり、アインさんが宙返りしながら背中から生やした翼で敵を薙ぎ払ったり、或いは魔術官さんが側面から押し寄せる敵に炎の魔術を向けたりと、それぞれが獅子奮迅の活躍をしている。
そんな、少し今までの動きとは外れてしまった仲間を巻きこまないように、再び『刃槍嵐舞』。飛翔を使える魔術士達が相手とはいえ、これだけの密集状態では空へ逃げるのにも時間がかかる。そう言う意味でもこの魔術は有用だ。
そうして数分すると、少しずつ周囲の敵の数が減ってきていた。敵陣の奥に犇めいている状況は変わらないまでも、これでまた進む速度を上げられると一瞬安堵し――状況の危険さに気がつく。
「散開ッ!!」
一番さんの声が響くよりも早く、全員、体が動いていた。
陣形を崩してもかまわないとばかりに跳躍、あるいは『飛翔』して距離をとったその瞬間――全身へ圧がかかる。落下はしないまでも『飛翔』を制御できない状況で、次に感じたのは熱と轟音…森を焼き払った爆炎の魔術!
「一度、距離…いえ、再度陣形を組んでください!このまま全力で敵密集地へ突撃します!」
「全員聞こえているか!?急げぇ!」
痛む体に鞭打って、周囲の兵に魔術を撃ちこみながら陣形を組み直す。
「帰ってきてねぇ奴いんぞ!」
「炎で一人、吹き飛ばされた先で二人殺されたと報告された!何人いない!?」
「五人だ!あと二人…くっそ!」
その言葉に『間に合わない』と続くのは、聞かなくても分かった。その時点で組めている陣形で前進したからだ。
「もう目的地までは近いぞ!怯まず行け!」
「怯んだら死ぬって意味じゃねぇか…!」
「本当にね…!」
髪の端を僅かに焦がしたレイリと再び隣同志になって走り出しつつ、周囲を見渡す。
カルス…居る。その進行方向にラスティアも。
エリクスさんはまたも最前列。アインさんもいる。ヅェルさんもいた。…少し後方にクラースさん。六番さんも発見。
「でも、死人は出てる…!」
そして、怪我人もいる。魔術士ならばまだいいが、そうでなければ自分の足で走る事になる分、ある程度の怪我を負った時点でこの速度にはついて来られなくなってしまう。
実際にそうなった――二人、最初は陣の前方に居た者たちが少しずつ後ろへと下がっていく。このままでは陣の外、少ないとはいえ、後方から来る兵に飲み込まれてしまう。
しかし、そうはさせまいとラスティアが内側に入って二人の治療を始めた。とはいえ、その為に止まればラスティアも巻き込まれるだけ。二人を走らせたまま、『飛翔』で出来る限りの治療を施す。
それは、どうにか陣の動きについて行けるだけの治療。しかしそれが限界だ。ラスティアも今は、かなりの数の敵を相手にしているのだから。
「あと二分!このままならそれで到着できる!」
最早誰の声かもわからない号令に従って、更に進む。魔力は感覚で半分ほど消費済み。恐れるほどではないが、しかしそろそろ使用頻度は考えるべきだろうか。
『戦闘昇華』がうまく働いてくれればいいと思うが、あれは基本的に、一個隊に対して長時間戦闘をした場合に俺の能力が有るという代物。同じ人間を複製して作ったという『禁忌』達になら効果が有るかとも思ったが…どうだろうか、少なくとも、目に見えて強くなった感覚はない。
一瞬歯がゆく思いつつ、いま力を借りられない物に意識を割いても仕方がないと思いなおして、再び『刃槍嵐舞』を敵中へ打ち込み――天幕がすぐそばまで迫っている事に気がつく。
ひょっとしたら、もうもぬけの殻かもしれない、そもそもここにはいなかったかもしれない…悪い予感は浮かぶが、それを振り払って、俺達は全員で天幕目がけて走り込んでいった。
視界に映るのは、五つの天幕。大きさは全て同じ、円形に配置されており、入り口が何処かが分からないので、どれが奥におかれているか、などで位の大きさを予測する事も出来そうにない。
「虱潰し…!」
誰かが呟くと同時、大体五人ずつに分かれて天幕へと向かって行く。
中に居る相手は殺す。…物騒な考えだとも思うが、そうしなければここに来た意味が無いのだ。この期に及んで未だに敵の姿が見えないという事が、どうにも不安ではあるが…逃げられていない事を期待して、踏み入るしかない。
エリクスさんを先頭に、レイリ達と共に入り口をくぐる。かなり大きく、物も多いから奥まで見渡す事が出来ない。列の最後尾で、レイリに続き更に奥へと入り込もうとしたその瞬間――!
「…ゥ!?」
背後から口を塞がれ、魔術か何か、とにかく腕力ではない物で持ち上げられ、連れ去られる。普段ならすぐにでも気が付きそうなその以上に、レイリもエリクスさんも気がつかない。
もがこうとしても、体を持ち上げている魔術の影響か、そもそも大きな動きを取れない!
◇◇◇
「…ん?」
天幕の奥に居た、貴族風の服装をした男二人を即座に殺したエリクス。しかし、緊張を緩めたその一瞬に違和感を得た。
「…何処行ったあいつ」
「――タクミ!?」
エリクスからは離れた場所で隠れた帝国軍を探していたレイリも、ほぼ同時に異常を察知して声を上げる。
「居ない…!?」




