第三十八話:仮想強襲
最初はかなりぎこちなかったものの、少しずつ、訓練には慣れていく事が出来た。
とはいえ、元から敵軍の奥へと突っ込む作戦。その難易度は高く、自分の体と同じように動かせるとまではいえない現状では、決してその訓練が言い成果を出せたとまではいえない。
「孤立するなよ、すぐに呑まれるぞ!」
「わ、分かりまし…あぁ」
隊長の号令虚しく、列から外れて帝国兵に囲まれてしまった兵士が一人、脱落した。現状、それはしょせん二頭身の人影が一つ消えただけの事でしかないが、実際の作戦中では一人の死亡だ。
訓練初日の月三刻、今は八度目の挑戦を行っている訳だが、こうして次々と兵士や冒険者が倒されていっている。
部隊そのものは未だ、魔術での攻撃でも、対象としている『禁忌』を操っている物がいると言われる陣へ届かせる事が出来ないような場所に居ると言うのに、もう半数が倒れているのだ。特殊部隊ですら数人が倒されてしまう状況は、やはり厳しいものなのだろう。
…などと冷静に考えているのは、俺自身も既に倒されてしまったからに他ならない。
開始から数分。魔術を使えない人も含めて、通常の『飛翔』と同程度の速度で山脈を駆け降りた先、帝国軍が現れ始める場所で、要塞都市近くの森を焼いた爆炎に似た魔術で吹き飛ばされ、帝国軍に袋叩きにされたのだ。これまでで最も早い脱落。まぐれではあると思うが、そのまぐれが本番で起こってしまったらと思えばとても余裕ではいられない。少し落ち込む。
今無事に移動を続けているのは、合計十四名。およそ半分程度が脱落し、およそ半分程度の道程を消化している。
レイリ、エリクスさん、ラスティア、アインさん、名前は分からないが屈強な男の兵士と、杖を抱える冒険者の老紳士。
特殊部隊の一番さんから四番さん、六番さんから八番さん、十番さん。
やはり特殊部隊というべきか、脱落する割合も俺達と比べてかなり少ない。しかし、彼等は危険な任務を何度も越えてきている筈であり…そんな彼らでも命を落としてしまうと言う事が、この作戦の難易度を酷く露わにしていると思った。
「う…」
「す、すまない」
ラスティアの声とほぼ同時、六番さんが謝罪する。どうやら六番さんがラスティアを庇いきれなかったらしい。ただ、戦いの中において六番さんは接近戦主体だ。そんな彼の後ろに居るラスティアさんの元まで敵が近寄っている時点で庇うのは難しいし、何より、既に陣形に穴があき過ぎている証拠だ。
六番さんが陣の先へよって行く。俺や六番さんがいる陣の左側において、今の最後尾は六番さんだ。レイリの所まで前進し、陣を密集させようと思っているのだろう。
更に陣は前進して行き…しかし、その数分後、大きく形を崩された事を皮切りに次々と打ち倒され、最終的には目標に到達することなく全滅した。
「今日はここまでだ。…さて、そろそろ動かすことそのものには慣れてきたか?」
隊長の言葉に、特殊部隊以外の面々から『慣れはしたけど…』と言ったような、消極的な肯定が帰ってきた。俺としても同じ心境ではある。
何分倒されているのが二頭身の存在であるからか、実際の戦力差によって自分が死ぬ結果だと言われても、しっかり意識しなければ危機感を持つ事が出来ない。何もしなかった場合に生まれたかもしれない楽観と比べれば、今の状況がずっとましだという事は間違いないのだが、それでもだ。
「ならば明日も、知らせが来ないのならば明後日も、訓練を続けよう。…今、君達はこうも思っているのではないか?
『本番は自分の体で動けるんだから、この訓練は参考程度にしかならないだろう』と」
その言葉はまあ、…事実ではある。その言葉から感じられる者ほど大きな慢心はしていないつもりだが、それでも慣れた自分の体を使って戦う方がもっといい結果を出せるだろうとは思っている。
「単純な戦闘能力であれば、それは事実だろう。乱戦模様にも、ここに居る者の中には要塞都市線の終盤や、それ以外でも経験した事が有る者はいる筈。だが…陣を崩さず、統制のとれた多数の敵が守る陣地へ、長距離を移動しながら、一気呵成に攻め込む…そんな事をした事が有るものはいるか?」
「それは…」
少なくとも、俺にその経験はない。カルスとラスティアにも無い筈で、…基本的には人と戦いに行かない冒険者達には、ない経験だろうと思える。
兵士たちならどうかと視線を配るが、その表情は一様に優れない。どうやら、彼らにもない経験らしい。
「私達にとっても、これは非常に稀有な作戦内容だ。少なくともこの規模となれば初の試み。朝も言った通り、一切気など抜ける状況ではない。…故に、明言させてもらう。
僅かな気のたるみ、慢心、或いは本番での心の乱れ…そんな小さな失敗が、この場に居る全員の命、引いては作戦の失敗により、後方に居るより多くの人間の命を奪いかねないのだ。
今の私達は、目標の撃破すら成功していない。…数日後には始まる作戦までに、せめて偽の戦場だけでも生還できるようにならなければ、希望はないぞ」
……確かに、そうだ。戦場から少し離れて、今も敵を直接見ないから、『戦いの事ばかり考える』などと思っておきながら完璧に気がたるんでいた。
この作戦には、自分の命は勿論、大勢の王国民の命だってかかっているのだ。多分、これに関しては他の人たちよりも俺の方が認識が薄かった…!
「それに…敵を倒して終わり、じゃないもんな」
『生還』。
何時の間にやら、敵を倒せていないという事だけに気を取られて、生きて帰らなければという当然の意志がぼやけていた。
だが、それはやはり難しい内容だ。今はまだ、目標となる『禁忌』を操るものの殺害すら出来ていない。悪い想像をすれば、禁忌を操る物を倒したとしても禁忌が弱体化しなかったり、或いはそもそも、そこにいなかったり…。
不確定要素、というのだったか?とにかく、まだどんな結果になるかは分からない。六番さんの特殊技能で行う訓練はあくまで、帝国軍のおおまかな配置と、王国側の予想で成り立つものでしか無いのだから。
「ま、今日は終わりって話だから休もうぜ」
「そうだね…って、レイリ、もしかして今の聞いてた?」
「『生きて帰らなければ』…ってやつか?」
「口に出てたか…!」
恥ずかしいなんて事はないが、思ったより深く考え込んでいた事に気がつく。
だがまあ、明日からの訓練を大事にしよう。俺と同じで、隊長さんの言葉に考えさせられた人も多いようだから、きっと明日はもっといい結果になる筈!
◇◇◇
朝一の訓練では特殊部隊以外の全滅時間が八分と、最速の結果に終わった。
「何でだ…!」
項垂れているのは、何も俺だけではない。ほとんどの兵士や冒険者は一晩明けてより奮起し、訓練へ本腰を入れて取り組んでいたのだが、結果がこれでは落ち込みもする。
だが不思議な事に、隊長をはじめとした特殊部隊の面々や、冒険者や兵士の中でも経験豊富そうな、例えば、エリクスさんやアインさんなどが、満足気な表情を浮かべていた。…あの人達から見れば、俺達には何か進展が有ったのかもしれない。だが自覚は出来なかった。
だが、落ち込んだからと言って訓練を止める程、昨晩の悩みが軽かったわけではない。すぐに六番さんと隊長へ頼んで訓練再開。その時六番さんに、『訓練を続けても疲れないですか?』と聞いたら、限界はあるが体力も魔力も消費しないと言われたので、皆遠慮を無くした。
二度、三度…続けていく中で、少しずつ前進するものの、やはり平均してみれば昨日より悪い結果。
何処に理由が有るのかは分からないまま、昼食を迎える。
「今日の訓練は散々だった」
隊長の言葉を受け、俺達は顔をあげて食事をとるのも難しい程落ち込んだ。だがやはり、エリクスさん達は普通に食事をとっていたし、何故かレイリも、それとは別で考え事をしているようだった。
エリクスさん達は昨日と同じくらいの成績は残していたのだから、不思議ではないけど…レイリはこの状況で、何を考えているのだろうか。ひょっとして、隊長達が不機嫌ではない事の理由に思い当たったのか?
聞いてみたいけれど、隊長が話を始めた今は我慢だ。まずはしっかり聞く。
「だがしかし、君たちの心境が変化した事は、私達にもよく伝わった」
「…え?」
…その言い方だと、俺達は何らかの成長で、隊長さん達からしても喜ばしい心境の変化をした、という事になるのか?
生還する事に思い当たった事は良い事だとは思ったけれど、結局はこの体たらく。隊長達からして、俺達を評価する理由が有ったのだろうか。
「君たちの動きは、昨日よりも隊列を乱さないよう徹底されていた。だがしかし、それを求めすぎるが故に、少し崩れてでも移動して対処するべき場面で動かず、より悪い状況を作り出していたのだ。普段の君たちならば、経験で理解できる事だった筈だがな」
…そう言われても、余り思い当たる事はない。いつの間にか追い詰められているように感じはしたが、俺はいつも通り、生き残ろうと思いながら動いていた筈だ。
「気を悪くするかもしれないが、私の予想と同じことをしてくれたのだよ。『生還』…それを強く意識しながら、君達は戦っていた筈だ。結果として君達は、生き残る事にのみ意識を割いてしまい、普段の動きを鈍らせてしまったわけだ。
私としては、両方を意識して、君たちの動きを調節したかったのだ。…生き延びるために足掻く力、敵を討つためにもがく力。ある視点では静と動の二種類にも分けられるそれを自らの意思で制御し、力に変える…きっと君たちにとって、この作戦の後でも役に立つ力になる筈だ」
隊長はそう言いきったが、正確な事は何も分からなかった。ただ、特殊部隊の人達や、エリクスさん達がその言葉に頷きを返していたり、感慨深そうな態度をとっている事が、その言葉の信憑性を増している。
「さあ、昼食をとったら再び訓練だ。月の刻に移り変わるときには、君たちにとっても喜ばしい結果が見えてくるだろう」




