第三十四話:クォル
体力検査から、戦闘技術の検査へ移行したのは二日目のこと。魔術の使用も許されたその検査は、俺達全員がかなり早く合格を言い渡された。
午後に予定は全くない。…この陣の中には、やって楽しい様な事もないので、暇を持て余すことになりそうだと思っていたのだが。
「尚、陽十刻に行われる点呼に間に合うのならば、クォルまで出歩く事は許可されている」
クォルというのは、王都から見て北東に位置する、ここから最も近い町の名前だ。十分も走れば、要塞都市と比べれば格段に低い外壁まで到着する程度の距離にあるその街へ出かけるには、今の陽六刻という時間は充分すぎるほどあるだろう。
「…アタシは行くぞ」
「俺も」
「僕も…」
「私も」
エリクスさん以外の冒険者コンビ二組が即決。エリクスさんは『後で行く。待ってなくていいぞ』と言って、何処かへ歩いて行った。
俺達は一刻も無駄にはしまいと町に続く道へと、陣を張った草原から最短距離を斜めに突っ切った。昨日の体力検査程ではないにしろ疲労もしていた筈なのだが、やはり人間、権利を行使する時には爽快感が勝るらしい。気がついた時には他の冒険者の誰よりも早く町へ入る列へと並んでいた。
帝国側から入ってくる馬車などが殆どなかったことで、普段町へ入る時よりも圧倒的に早く入り――そこで、単純な疑問へとぶち当たった。
「何しよう」
「完璧に無策だったな!」
町の中には、恐らくは普段と変わらない様子で住民たちが暮らしていた。店も開いているし、食事展も開いている。冒険者ギルドも仕事をしているのだろう、周囲には戦争には参加していないらしき冒険者が何組か歩いている。
――だがしかし、いまいちやるべき事が無かった。
「…自分の、住む町だから、する事が有る」
「食事はあっちで食べられる訳だし…今は店で買う物もない、かな」
昨晩汚れた寝間着の事を思い浮かべたが、要塞都市で何枚か気がえを買っているから特に困らないという事に気がついた。ならば、服を買う理由もない。
実践を行った訳ではないから、武器の補充や整備もいらない。会いに行く人もいない。…やることない?
「ギルド行こうかなぁ…」
ぽつりと口からこぼれた言葉に、無意識の所まで冒険者に染まってきているな、と感じた。皆が俺の発言とほぼ同時にギルドを求めて動き出したあたり、俺だけの症状では無いようだが。
荷物を探れば、要塞都市での戦いが激化するまでに討伐した忌種と参加した者の冒険者ランク内訳が記された布が出てきた。紙でも作れると言われたが、どうせ長距離を移動する内に折れ曲がってしまうからと言って、エリクスさんが俺とレイリの分も布の形で作ってもらったのだ。これを提出すれば、ある程度はギルドから評価される…らしい。
実物を持っていって討伐の証明としていないからか、どうにも信憑性が薄い物として扱われがちなのだそうだ。軍から正式に出されている物なのに。
カルスとラスティアは忌種討伐に参加していないのだが、二人は二人で別件が有るらしい。『要塞都市で届かなかったから、ここに居るって事を伝えないと手紙が来ないでしょ?』とカルスは言っていた。
「よろしくお願いします」
「承りました。…タクミ・サイトウ様。Cランクですね」
「…はい?」
『忌種討伐の証明を』と言いながら布を出そうとしていた俺は、職員からの意外な言葉に硬直してしまう。
Cランク?俺はまだ、Dランクの冒険者だった筈…いつ上がった?
「あ、あの…失礼ですが、俺、いつCランクに上がったんでしょうか」
「…四カ月程前、ですね。一の月後半です。今は六の月になったばかりですので」
一の月後半…というと、まだ聖教国に居た頃だ。或いは、出国の為に移動していた頃か…どちらにしても王都には到着していなかった筈。
だが、冒険者ギルドが実力を認めるような事はあっただろうか…?中位忌種を討伐したのは事実だが、報告した時点でランクの上昇が伝えられなかったのも不思議だ。後、王都についてからミディリアさんが何も言わなかった事も。
隣でレイリが「ほう…?」とでも言いたげな顔で、腕組みをしながら俺の顔を見上げてくるのが気になって仕方ないが、もう少し状況を思い返す時間が欲しい。
ソウヴォーダ商会の船で海に出て、『刃槍嵐舞』を初めて使用したあの戦いは、嫌な思い出ではあるが確かに今までとは違う戦闘力の高さが表れていたようにも思う。だが俺はあの後気絶してしまったし、おぼろげな記憶ではあるが、その後高額な報酬を受け取った時もDランクとして呼ばれていたような気がする。
「ランクの上昇って、伝えられないものなんですか?」
「そうですね…以来の達成よりも後で功績が認められ、ランクが上昇、しかしそのギルドに立ち寄らず別のギルドへ移動された場合、伝えるのが難しいと思います」
――それだ。確信に近い感覚を覚えた俺は、職員に礼を言ってから布を差し出し、手続きを済ませていく。
「言えよなー。そういうの」
「いや、俺もことここに至るまでまったく知らなかったんだよ。…ちなみに、レイリは?」
「まだCだよ。兄貴と移動してばっかだったから、難しい依頼とか受けに行ってねえし」
…実力はともかく、ランクという意味ではようやくレイリと同じ土俵に立つ事が出来たらしい。嬉しくなり、自分でもわかるくらい頬が緩んでしまう。…流石にそれは気に入らなかったらしく、後頭部の髪をぼさぼさにしてしまいながら頭を掻いて、俺から視線を逸らした。
「ああ、髪がぼさぼさ」
「気にするのそこかよ!アタシはタクミの娘じゃねえぞ!?」
俺がいつのまにかCランクになっていたのは、レイリの調子を崩すに十分な衝撃を与える事が出来たようだ。…レイリは親の話を出しても特に気にした様子はなかった。確か、もう両親ともに亡くなっていた筈だが…いや、絶対に気にしている筈だからと変に気遣いをするのも多分、迷惑に感じてしまうだろう。気にしないようにしなければ。
「ったく…あ、ありがとうございます。…じゃあアタシ、その辺歩いてっから、終わったら探しに来いよ」
先に手続きを終えたレイリは、職員からギルドカードを受け取って何処かへ歩いて行った。
俺も問題なく手続きを終えて、レイリを探して辺りを回る。
「あ、タクミも終わった?」
声を掛けてきたのは、別の受付に並んでいたカルスだ。隣にはラスティアもいる。
「うん。二人は?」
「手紙は、無かった。けど、明日、届く」
「届いたら皆にも見せるよ。受取人は僕達二人になってるけど、全員にあてた手紙の筈だから」
「全員に?」
…という事は送り主はシュリ―フィアさんか、ミディリアさんと言った所だろう。王都に居た二人と話が出来て、尚且つ俺達全員と知り合いの人間はとても少ないから。
「楽しみにしてるよ…あ、レイリ」
二人の背後、張り出された依頼を見つめるレイリの姿が有った。あれもほぼ、冒険者としての習慣が浮き出ている様なものだろう。
声をかけると、何事もなかったようにふらりとこちらへ歩いてきたのがいい証拠だ。何か一つの依頼を探していたわけではなく、何となくで眺めていただけらしい。
「んで…何かやる事有ったか?これ以上」
「思いつかないな…」
「私も、もう終わった」
「個人的に書いた手紙も、さっき出したから」
誰へ宛てた手紙なのかと聞くと、『村の皆』という答えが返ってきた。近い内に俺も書こう。
「帰ろうか」
「そうだな…兄貴まだ来てねえけど、待ってろって言われた訳でもねえし」
今はまだ陽八刻を回ったくらい。行きと同じで、帰りも随分と余裕のある時間帯になってしまった。行きとの違いは、その歩みが随分と遅くなっていた事だろう。
◇◇◇
「ん…?」
視界の端に、見覚えのある姿が掠めた様な気がして、男は立ち止まった。
「今のはレイリに…タクミか?」
「何をしているボルゾフ。あまり時間はない、このまま王都へ向かうぞ」
自らを先導する老人の呼びかけに応え、ボルゾフは足を速める。胸中には見えた人影を追いたいと言う思いも有ったが、相手が本人か分からない以上、優先するべきはそちらではないと心を落ち着かせ、老人の後を追った。
「王都の教会まで行かなければ、聖教国側と直接お前の存在は伝わらないのだからな。彼等は守人の総数とその所在を把握する事を急いでいる」
「分かっていますよ、忌種が絶忌の時みたいに溢れだしそうだって言うんでしょう?俺が直接聞いた訳じゃないですけど…ここまで来たんです。あとは人類守護の要として、専心です」
「家族は大事にな」
「…えっと、冗談ではなく、家族の事は特別として扱っても良いんですよね?」
「いざ自分が守人という立場になって恐れたか。当然だろう、家族との繋がりを断てなどと非情な事を云う理由はない」
普段の言葉づかいを改めて、老人に対して話すボルゾフ。その表情は、見る者が見ればロルナンに居た時よりもより澄んだ物になっていると感じるものだっただろう。
そう、丁度――歩く彼の姿を目視した、エリクスのように。
(あの表情…目の前の老人に対しての態度…)
会話が聞こえない距離だが、エリクスは声をかけるより先に考えを巡らせた。
「…あの老人も守人か。んで、ボルゾフさんは依頼の途中で出会った、と」
出した結論は、正確ではないにしろ近しい所を捉えてはいた。ボルゾフにとってはあまり邪魔されたくないだろう時間だという事も察知してしまったため、エリクスはそのまま、歩いて行くボルゾフを見送る。
ボルゾフもまた、『急げ』と言外に指示されたことで周囲を観察しておらず、やはり視界の端に捉えていたエリクスの姿に気がつくことなく王都行きの馬車へ、自らの正体を老人と共に隠したまま乗り込む。
門の外へ出た馬車の中、老人は声を潜め、悔しげに呟いた。
「『禁忌』もまた、儂等が撃滅するべき対象なのじゃが…此度は仕方あるまいな」
その視線は西方、王国軍の陣地を越えた先へと向けられていた。




