第三十三話:検査
「いや、僕としてもさすがにすぐ出発だってことは知らなかったよ…ごめんね?そこまで知っていれば流石に伝えたのに」
「仕方が無いことだけどね…とはいえまた離れ離れだ。互いに無事で。特に、ウィドマンの方が戦場に近いんだから」
「タクミの方が危ない仕事でしょうが。…まあ、元気で」
分かれを告げて、集合時刻が近い事を思い出しつつ、陣の東側へ走って行く。
俺より先に到着していたレイリは、多くの荷物――特に目を引くのは布で包まれた板のような物――を抱えて、少し不機嫌そうに俺の顔を見つめていた。
「…な、何?」
「いや?…またウィドマンに会いに行ってたんだろ」
「うん。長い事会えないんだろうから、きちんとしなきゃ」
俺がそう言うと、レイリはその視線を東――俺達の向かう方向へと向けた。だがしかし、その表情からは不機嫌さが抜けきっていないように見える。…怒らせたか。怒られる理由が分からないのは危険だな。
まあ、『何に怒ってるの?』などと聞こうものなら今より酷い事になるのは間違いないのだから、黙って推測する他にない…けれど、恐らくは俺がウィドマンに会いに行っていた事が原因だろう。そうじゃなかったら本当に分からない。
レイリはどうにも、俺と同じくらいにウィドマンの事を気にしていたのに、自分が知らない間に俺とウィドマンが親しくなっていたことでその間に入り辛くなってしまったようなのだ。…恐らく、カルスやラスティアの時と違って、ウィドマンとは生活までを共にしている訳ではないから、余計に間合いを取り辛くなってしまったのだろう。
ある意味では嫉妬とも呼べるかもしれない。まあ、結局のところ本人にとってもそこまで重大な悩みではないだろうけれど。
「来たな」
いつの間にか背後まで近づいていたエリクスさんがそう呟く。すると、レイリと共に見つめる視線の先、一台の馬車がこちらへと向かってきていた。
…昨夜司令官が言っていた『迎えが来る』とはあれの事なのだろうか。馬車の荷台には、ここから見える限り何も積まれてはいないようだ。
「現在陽二刻。本隊への人員運搬の命を受け定刻通りに参上しました。任務の為に呼び出されているのはどなたでしょうか」
鞭を荷台の柱へひっかけてから俺達の元へと下りてきた御者はそう言った。すぐにエリクスさんが『俺達五人だ。よろしく頼む』と伝え、馬車に乗り込む。全員が乗り込み終わるのと馬車が動き出すのは殆ど同時だった。
「ったく…こんだけ移動が多いと荷物の運搬だけで一苦労だぜ。こういうときは家が無いと不便だ」
エリクスさんは、例の日本語で記された巻物矢武器など、多くの者を運び入れている。馬車そのものが十人は余裕で乗れそうな大きさの者だったから良かったが、そうでなければ二人くらい馬車に乗る事が出来なかったかもしれない。
この馬車が進む先は、分散して山脈付近に配置されている俺達がいた場所のような隊に、山脈の北方と南方の軍を全て合わせた数よりも多い、王国軍の本隊が有る場所だ。王都西方にある一つの都市を拠点としているらしく、到着までは半日かかると言われた。この場合の半日とは、十二刻分の時間であり…到着時には日が暮れているのは間違いない様だ。
「…所でさ。他の隊からも、僕達みたいに送られているんだよね?」
「そう。他からも、同じくらい」
「何の任務かは分からねえけど、結構難しいって事だと思うぜ?…にしても人数集め過ぎな気もするんだが」
そう言えば、結局事ここに至るまで、作戦の内容は伝えられていなかった。俺自身が分かっていたから不思議には思わなかったが、今はきちんと本体へと向かっているのだから、情報は伝えられてもおかしくはないのではないか?
いや、そもそもウィドマンがおかしいのか?何時呼ばれるのかは問題なく、作戦内容の方が機密だったのでは…?
などとまとまらない考えと格闘していても、刻一刻と時間は進んでいく。現在陽十刻…あと二刻で日没だ。季節によって変動するから、あまりあてにはならないが。
「…馬車の数が増えてきたな」
そもそもが都会に近づいているという事も有って、馬車の数が多い。その中のいくつかには、俺達と同じで戦場から『作戦』の為に町へと向かっている兵士や冒険者が乗っているのだろう。
「この辺の村も全部避難済みだな…要塞都市に行くときにすれ違ったから知ってっけど、いつもはこの辺の村は避難しねえのに…やっぱ今回はちょっと違ぇな」
「やっぱり、要塞都市が陥落したからですかね…都市の中に避難したのか、それよりずっと奥へ行ったのか」
「あの町もそこまででかいわけじゃねえし、王都あたりの穀倉地帯じゃねえかな、とは思うが」
エリクスさんはそのまま、馬車の外を眺めてぼんやりとし始めた。食事も、馬車の中へ運び込まれて食べるだけで、ほとんど休憩をとっておらず…正直な所、疲労が溜まってきていた。やはり馬車での長距離移動は疲れる。身体の節々が痛くなってしまう。
この痛みが外傷と同じようには消えてくれないのは、やはり精神的な物が原因となっているのだろう。いい加減に理解できた。
気がついた時には、レイリは眠っていた。…よくもまあ、多少整備された道を走っているとはいえ連続して振動を受けている状況で眠れるものだ。しかも完璧に体が横倒し。石に馬車が乗り上げた時なんかは、体全体が浮いてしまいそうだ。
「…眠ったら、眠ったで、別の疲れが、溜まりそうだけど」
「本当に。レイリは丈夫だよ」
少し呆れたような視線を送るラスティアに苦笑で応え、車酔いを始めたカルスを介抱し――ようやく馬車が止まった時には、レイリ以外全員が疲労困憊だった。
「ッ…あー!疲れた!」
そう言いながら関節を解すレイリは、少なくとも俺達よりずっと快調そうに見える。
「というか、凄い数だね…他の部隊から五人ずつ、ってだけじゃあここまでの数にはならないんじゃ?」
「本隊はもう少し後ろ、って御者さんは言ってたけど…一部は来てるよね、間違いなく」
視界には、かなりの広範囲にわたって天幕や柵を広げる王国軍の姿。ここへ人を運んでくるために使われた馬車も多く並んでいる。勿論、兵士や冒険者の数も多い――恐らく七百名ほど。まだ全員がここへ到着したわけではないだろうことを考えれば、多過ぎる数だ。
そもそも、どうして本隊とは別で、これだけの人数を使って集める必要が有ったのだろうか。ウィドマンは、『禁忌』の兵たちへ指示を出していると思われる帝国軍後方の部隊に奇襲をかけるのが作戦の内容だと言っていたけれど、それは、本隊と分けて行う理由にはなっていないような…?
案内にやってきた兵士に連れられて、その陣の司令官の元へ挨拶し、夕食をとってその日は休むことになった。本題については明日から、という事らしい。
◇◇◇
結論から言えば、広い土地が必要だったから俺達は本隊と離されていたのだ。
「あと二十!」
響く号令にへこたれることなく足を動かし続ける。
今俺達は、円形に作られた広い陣地、その円周上を何周も走らされていた。
要するに、体力検査なのだ。だがしかし、この陣の円周、どう考えても一周三キロメートルくらいあると思うのだが…なんだかんだでもう十周以上は走っているはずなので、最後まで合わせればおおよそ合計九十キロ。
フルマラソンの距離を思い出して比較すると眩暈を感じたので、何も考えず走ることにした。
――結果的には、走り終わる事が出来たのはたったの七人。その内四人に面識はなく、残り三人はエリクスさん、レイリ、カルスだ。
何時の間にやらカルスに体力で抜かれていたことに小さな衝撃を覚えつつ、合計二十七周を走り終えた所で倒れてしまった俺は、ふらふらと三人の所へと歩いていった。
ちなみに、ラスティアは十六周めで限界だったようだ。それでも昔と比べるとずっと体力がついている。互いの成長を確認しつつ、体力の面ではやはりこの兄妹、頭抜けているらしいと羨んだ。
ちなみに、あくまでもこの検査は資料として使われるだけであり、この結果だけが作戦参加に関わる訳ではないようだ。まあ確かに、魔術士が体力だけで判断されてはたまらないだろう。
「それに、手を抜いている人もいたみたいだし…」
俺は、何人かの兵士や冒険者が、まだ余力のあるだろう状態で走るのを止めていた事を目撃していた。彼等が三十周を走りぬけられる体力を持っていたかは分からないが、に十週以降でも余力が有った物ならばかなり有望だろう。各所に配置されていた試験管達もそれは目撃している筈。
とはいえ、こんな事ばかり考えてもいられない。一刻後には魔術士に対しての検査も行われるそうなので、早めに食事をとらなければ。
「でも、胃袋がひきつってるんだよね…」
「タクミはまだまだ貧弱だな…ほら行くぞ?ラスティアと一緒にすぐ試験に移動するんだから、アタシ達より早く食い終わらねえと」
それを聞いて嫌そうな顔をしたのは、勿論俺だけでは無かった。というか、ラスティアさんの方がより重傷かもしれない。
――結局俺達は味付けの濃い汁物だけを啜って、魔術の試験会場へと移動した。
こちらは先程よりずっとましで、自分がどんな魔術を使えるのかという事を、用意された藁人形に対して攻撃してみたり、これまた周囲の土地を変化させてみたりして試すという事。体力は使わないし、魔力も足りなくなるほど連発するような事にはならない。
詳しく検査を受けたのは、『飛翔』などの高速移動可能な魔術が有るかどうか、そして攻撃魔術の威力だ。これに関しては、戦場で求める物としてはかなり普通だろうと思った。
求める基準と合致していたのか、俺とラスティアさんはすぐさま合格を言い渡され、帰るように言われた。疲れはまだ溜まっていたし、嬉しかったのだが――どうにもあの試験会場には、午前中からの体力検査で見なかった顔の魔術士が多くいたように感じる。魔術士は体力検査を受けなくてもよかったのだろうか。俺達が少し土で汚れていたから早く帰っていいと伝えてきたのだろうか?
その晩、再び集合を伝えられた俺達は、この時点で検査に不合格となってはじかれた少数のいなくなった広場で、ようやく任務内容を伝えられた――ウィドマンの言っていた物と全く同じ内容を!
より詳しい説明ではあったが、元から多少は予想の出来る内容でも有ったからか、驚きは周囲の兵士たちにもなかったようだ。
これから数日間検査を行い、合計二十名と、王都から特殊部隊を十名合流させた部隊で、山脈の南か来た、どちらかの戦線が瓦解した瞬間に山を越えて攻め込むのだという。
数人が、そんなに長い間司令官が同じ場所に居るのか、という疑問を飛ばすと、場所は常に把握しているという答えが返ってきた。
魔術なのか、それとも誰か潜入しているのか。詳しい事は分からなかったが、これだけの人数を動かしておいて攻め込む相手がどこに居るか分からないなんてことはない筈なので、疑わなくてもいいだろう。
ともあれ、結果としては数日間、戦場とは離れることになったわけだ。楽な場所では無いわけだが、命の危険からは逃れられているはず。休める時間には休んでおこう。
そう考えて眠りにつき――突然叩き起こされ、夜間戦闘訓練へともつれこむ。
やはり楽な場所などでは無かった。土ですっかり汚れてしまった寝間着を見ながらため息を吐いた俺は、着替え直してから今度こそ眠りについたのだった。




