第三十二話:凪ぎの終わり
「王国軍は、陣地を下げる」
そう言ったのは、要塞都市に居た軍人たちよりもさらに位が高いらしい、厚みのある軍服に身を包んだ男だ。
「山脈は線が長い。北方や南方のどちらかからのみ攻め込まれたならまだしも、何処から奴等が侵入するか分からない現状、迂闊に山脈全体から情報を得ようと兵を分散させるのは愚策だろう」
想像してみれば、確かにまっとうな言い分だった。普通の兵を山脈の長さに並べただけでどれだけの人数を割くか分からない。広範囲の探索も魔術士ならば可能だが、そもそも魔術士の絶対数が少ないのでこの案も取れない。王国軍が的確に帝国軍と事を構えるためには、距離をとることが必要だった。
――が、折角山脈で帝国軍の足を止める事が出来るのだから、何も帝国軍が山を越えて陣地を作るまで待つ理由もないわけで。
「また冒険者は居残りか…」
「居残りとか軽く表現したなタクミ。いや、まあ大軍で攻めて来られたら即撤退だから、そこまで難しい任務じゃねえのかもしれねえけど」
「山越えをせずに待機していた王国軍もいっぱいいるから、僕達がそこまで少ない数で戦わなきゃいけないって訳ではないみたいだよ?」
カルスの言う通り、山脈の近くで待機する王国軍の数は決して少なくない。王国は。帝国と同じで大国なのだ・相手が『禁忌』で兵士を量産しようとも、すぐさま兵士の数が足りなくなるような事はない。
…だがやはり、戦争が長期化すれば追い込まれるのはこちらだろう。そのあたり、どんな対策を練っているのだろうか。
「ま、良かった事は、アタシ達の配置がずれなかった事だろうな」
「…最北端と、最南端じゃあ、遠すぎる。良かった」
「結果としてはほとんど移動もしてないしね…」
軍を動かしてくる以上、山脈の中でも特に道のりが険しい場所を越えてくる筈はない――そんな判断によって、要塞都市の陥落から二日たった今、俺達は、要塞都市へと続く道が有った場所から僅かに北方へと移動した場所に、多くの冒険者や兵士たちと共に配置されていた。
今の所、山脈を越える形での帝国軍による襲撃は確認されていない――がしかし、以前も話に上がっていた山脈の途切れる北方と南方では、今までよりも苛烈な侵攻が始まってきており、陥落も時間の問題という噂が漂っているらしい。
特に危険なのは南方だ。北方では、同じく帝国の被害に悩まされていた小国のうち、余力のあるいくつかの国家が王国側に力を貸しているらしいのでまだマシだが、南方にはそうやって力を貸してくれる存在はいない。…どうやら海路からの進攻まで始まる気配が有るらしい。
それを聞くとロルナンの事も心配になるが…まあ、あの町は王国の中でも南東方面。すぐに襲われる事はないだろうし、元々屈強な兵たちも集めてあるらしいから、多少は安心だ。
「ま、俺達が広い範囲の事考えて立って仕方ねぇしな。…奴等が攻め込んでくるまで、結局そう時間はねえ。ならできる事は一つだろ?」
――そして、再び訓練が始まった。今回は周囲に他の冒険者や兵士もいたからだろうか、エリクスさんはこの部隊の指揮官と交渉したらしく、大勢の兵士と冒険者を巻きこんで、以前よりも大規模な形へと発展させていたが。
剣の使い方、体術に、純粋な体力増強…時には、エリクスさんは軍の教官たちに鍛えられていた俺やラスティアが、冒険者や兵士に魔術を教える事すらあった。勿論、二人とも魔術の腕前はシュリ―フィアさんに比べるまでもなく劣っているのだが、数カ月の特訓が、俺達に基礎的な技術と知識を徹底して教え込んでくれたようだ。
思い返せば、シュリ―フィアさんは細かい技術が苦手だと言いながらも熱心に調べて教えてくれたし、それ以前にはラスティアと共にナルク夫妻からも魔術の基礎を教えてもらっていたのだ。どうやら、魔術専門で教えている楽員の様な物を卒業した人とほぼ同じ知識が、俺達には既に備わっているらしい。
ほとんど受け売りの知識を語っているだけだったのに、感心してくれる人がいるし、実際に魔術を使いやすくなったと言ってくれる人までいた。正直な所、間違った知識を教えてしまわないかが不安でたまらなかったのだが、そこはラスティアと互いに知識を補完し合って、正しい物を教えていく。
自分が教える立場に立っているというのはものすごく不思議な感覚だったが、成長したのだと――僅かな自惚れと共に――実感し、少しだけ自信がついたような気がした。
北方、南方。その両方面が苦境に追い込まれているという情報が入ってきたのは、丁度訓練が始まってから一週間後。その数日前から、少数の部隊が山脈の向こう側へ本格的な偵察を行ってもいた。
その結果分かった事は二つ。一つ目は、多少の差ではあるが、帝国軍が派遣してくる援軍の数が減っているという事。そしてもう一つは――要塞都市が王国からの侵攻を食い止めるように改築されているという事。
どうにも、山の途中に障壁を作って、王国側が直線で侵攻出来ないようにしているとのこと。但し、そもそも山が険しくなっている現状、大軍で山越えして攻め込む理由を王国軍はほとんど持たない――故に、これは挑発なのだと、軍は即座に判断した。
俺達を森の中で焼き殺そうとした一件からしても、帝国軍は敵の感情を煽りたがっている様だ。真正面から戦えば負けるはずが無いという自負から来ていると、親しくなった兵士たちが漏らしているのは聞いたが…。
「でも、いよいよ戦況が押し込まれそうっていう事は事実ですからね…」
「だよね…俺の方も多少は話が来るけど、ウィドマンの方はどう?」
俺が事情を聞こうとしているのは、ウィドマン・プリケッタ…要塞都市で俺を庇ってくれたあの兵士だ。撤退時に馬車隊を護衛して以来すっかり健康で、俺達が唐突に始めた訓練にも初日から参加してくれている。
「まあ、僕もしょせんは下っ端だからね、持ってる情報にほとんど差なんてないと思うけど…あ、そうだな。少数精鋭で山越えして奇襲する部隊をそろそろ編成するって話が有った」
「奇襲?…何処に?」
「例の『禁忌』に命令を出してる所に。…ほら、帝国側の坂を下りてすぐの所に、黒くない普通の帝国軍と同じ格好した人数の少ない部隊がいたでしょ?あそこが『禁忌』全体に指示を出してたんじゃないかって話」
「ああ、成程…」
…俺がどうなるかは分からないが、エリクスさん辺りが選ばれる可能性はかなり高いだろう。
いや、仮にとはいえ、魔術を教えている俺やラスティアも選出される可能性はかなり高い。
「時期は?」
「…分かっちゃいそうな物だけど、一応機密扱いだから、詳しい事は話せないかな」
「焦らされるな…まあ、いいか。ありがと」
俺がウィドマンへと礼を言うと、丁度夕飯時を知らせる鐘の音が聞こえてきた。二人とも食事をとる場所は同じなのだが、事前に冒険者と兵士別々に点呼を取るので、手を振って別れる。
小走りで冒険者達の集合場所へと向かえば、今日も今日とて兵士や冒険者を引き連れて陣地の外を走り込んできたらしいレイリとエリクスさんの姿が有った。俺が二人の所へ到着するより前には、カルスとラスティアもそれぞれが特訓なり何なりしていた場所から戻ってきた。
「タクミー、飯の後アタシ達全員司令室来いって」
「全員?」
何故だろう?と首を傾げた瞬間、直前までウィドマンとしていた会話の内容が脳裏によみがえってきた。
まさかとは思うが、この状況で俺達が全員、しかも司令室で話が有るとなれば、特訓関係の事とは別で何らかの指令が下る可能性が高いわけで…となると、その内容は礼の奇襲部隊に関する事と考えておくべきだろう。
詳しい事までは分からずとも、全員『司令室に呼ばれている』という時点で何かの指令を受けるのだろうと理解したようで、何処となく表情が引き締まった。
点呼終了後、結局全員が食事を急いで終えて、司令室へと向かう。
エリクスさんが先頭に立って簡易的に作られた扉を叩けば、すぐさま室内から『入ってよし』と返事が届く。
「失礼します」
「うむ、全員来たようだな。そこに並んでくれるか?」
言われるがままに俺達が横一列に並ぶと、立ちあがった司令官――階級は、確か『中佐』――が、俺達の前に立った。
「今回、分散した各隊から、兵士・冒険者問わず五名程度、ある作戦の為に動員せよという指令が下った。
そこで、この隊の中でも特に優秀である君達五人に、その任務へと参加してもらいたいと思っている」
『思っている』時点でほとんど拒否権が無いというのがミソだ。冒険者に対しては軍の命令権が及ばないという事になってはいるが、直接その隊で最上位の軍人から指令されて尚断る事はほぼ不可能。エリクスさんも小さく溜息を――司令官の耳にギリギリ届く程度の大きさで――ついて、了承の返事を返した。
「よろしい。それでは明日、一度後方へ下がって、各隊の選抜者と合流してくれたまえ。案内が到着するだろうから」
…どうやら、俺達の環境は再び変わって行くらしい。
折角少しなじみ始めてきたこの部隊から離れることに寂しさを感じながら、俺達はとぼとぼと寝床へ向かって行った。
軍の階級はほんわかと(人の数が違うから判断難しくて)




