閑話一:夜闇の帝国
「要塞都市を封鎖した、か…王国側の防衛拠点を壊せた事は喜ばしいが、やはり速攻を可能とする地形ではない、か」
長い机に数十人の男女が腰かけ、盛んに意見を交わし合う中、上座に腰かけた年配の男がそう呟いた。
その呟きを聴きつけた、男よりは多少若い男性が、追従するように声を発する。
「神託の件も有ります。『例の技術』を利用する副作用で我が国の瘴気量が多少減るとはいえ、現状よりも圧倒的に忌種が増加する事は間違いないという話でしたし…やはり、今回の戦いで複数の王国主要都市を奪うという当初の計画を実行するのは不可能なのでは?」
「国内の防備が最優先――我が国の守人は強力だが、しかし絶対数が足りないからな。軍部に対する拒否感情が強い以上、人命を優先する命令しか聞きいれはしまい。となれば、兵を動員して防備に当たらせるほかあるまい。冒険者たちならば、勝手に動くだろうしな」
ここはミレニア帝国、その首都中心に存在する帝宮の会議室だ。
集うのは貴族、各行政組織の長、軍上層部、そして宰相。絶対の権威を誇る皇帝本人を除けば、この国で最も権力と財力が集まった部屋とも言える。
「現状の戦いにおける実質的な人的被害は零…という認識でよろしいのですよね?」
「当然です。傀儡子の生産能力をあの結晶で増幅する事が可能だと分かった以上は、人命を無駄に賭す必要もなくなりましたので」
「……しかし、その傀儡子自身が既に戦場へと赴いた、という噂が出回っているのですが、宰相殿、そのあたりはどうなっているのでしょうか?」
「…真実だ」
問いかけられた宰相の返事に、周囲がどよめく。
彼等にとっての『傀儡子』とは、帝国が実現させたある技術をもとに『傀儡』と呼ばれる存在を大量生産、兵士として戦場へ送る「一人の男」だ。さらに言えば、彼以外に『傀儡』を生みだす事が出来た物はいない――つまり彼と言う存在は、帝国軍が数で圧倒的な優位を得るためになくてはならない存在である。
当然のことながら、そんな男を戦場へと向かわせるのは愚の骨頂であり、『傀儡子』に対して皇帝以外に唯一命令権を持たされている宰相へ、避難の目が向けられた。
だが、宰相は小揺るぎもせず、自らを睨む周囲の目をゆったりと見つめ返した。
「彼自身の選択であり――そして何より、この戦況で最も有効な手段だと判断できたからである」
「報告ならば私も受けております。『傀儡』の様子を確認するために派遣した部隊が、『傀儡』達の部隊の奥で保護していますよ」
――帝国において、軍部の発言権は強大だ。彼等を制御するのが皇帝であるが故に、反逆などが起こった事はないが…それでも、他の者達が歯向かえるような相手でないのは確か。
一応の安全策が考えられていることが明らかになった以上、宰相に対しての批判も続ける事は出来なくなっていた。
「彼自身が現場にいた方が動きが良いからな。
さて、それではこの戦争、何処で戦いを切り上げる?」
「要塞都市の奪還は避けねば――」
帝国の攻勢を決める為の会議は続く。それは、とらえようによっては王国に住まう者達にとっても吉報となるものである。『本来の進攻目標を諦める』という内容だと言う事は間違いないから。
だがしかし、彼等の胸中に有るのは結局の所、『如何にしてこの大陸を手中に収めるか』それだけである。
「神託さえなければ、次は海上戦力同士の激突だったのだがな…折角増産した船舶が無意味になってしまいそうだ。全く」
「まあ、戦力を最も保持したまま終わる事が出来るのは我々なのですから、そう悔しまずとも良いのですよ。ははは」
――軽やかに談笑する彼等にとって、それはごく当たり前のことでしか無いのだが。
◇◇◇
「私はともかく、あなたは王国で生まれ育っているから…あまり、目立つ言動は控えてくれ。見つかったから即危険、という訳ではないが、注目が集まるのは避けたい」
「分かってますよ隊長。んで…この町の近くに有るっつうことで良いんですよね?例の工房」
帝国の首都からほど近い都市に、王国出身である二人の男がいた。
金をはじめとした鉱山を周辺に多く抱えるこの都市は、同じ領主が支配する他の都市と同様に多くの金と資材が動く帝国の系斬基盤と呼べる都市のひとつだ。日夜男達が鉱山深くへ鶴嘴を手に地中を掘り進み、或いは、疲れを癒す為に酒を呑み、飯をかっ喰らい、湧きだす温泉に浸かって、女と寝る。冒険者以上に刹那的な者たちばかりが集う、四六時中灯りの絶えない大都市だ。
――だが、都市の外か屋内のどちらかでばかり活動しているからか、町中の道そのものは非常に閑散としていた。たまに通りかかる者達も、自分たちの目的の場所へと急ぐばかりで、すれ違う者の顔を窺ったりなどはしない。
金、宝石、希少金属。それらを採掘し、別の町へと輸出する――そこで得られる利益で楽しめるかどうか、この町に住まう者たちの思考回路はその一点に集中していた。
「この町の端か、外か、或いは隠れているだけで中心部にあるのか……存在そのものが開かされていない以上、詳細を知る事は出来なかったけれどね。
しかし、噂として伝わっていた『精強で、どんな戦場にも怯まず侵攻する軍隊』という物がこちらでは『傀儡』と呼ばれているというのはまず間違いないだろうし…」
「瘴結晶を作ってるのも使ってるのも帝国、って事で良いんでしょう?だったら探す物も限られてくる筈だ。…流石に敵陣で個人行動しようって気にはなれませんがね」
「まあ、まずは情報収集からだな…とはいえ、この町で動くには、私達の身なりは少々小奇麗だ。着替える事にしよう」
片方の男が指を差したのは小川。集団で洗濯でも行ったのか、長く張られた紐に何枚もの服が上下揃って並んでいる。
「服の意匠に差が無いという事は、どこかの制服ではないという事。洗われたばかりの様だが染みついた汚れは取れていない――丁度いいだろ?私達が一組ずつ服を取って行っても、誰も気が付きはしないさ」
「…クリフト隊長、いつの間にかこういう手段に手慣れてきましたね」
「何を言うレッゾ。私にこういう事を覚えさせたのは君のほうだろう?」
互いに軽口を叩きあいながら、この町の鉱夫達とよく似た格好に着替えたのは――大港湾町ロルナンの衛兵隊隊長と副隊長、クリフトとレッゾである。
ロルナンを離れて帝国へと潜入していた彼等の目的は瘴結晶。正確には、瘴結晶を帝国が作っている証拠と、製造法、そして使用法――ひいては製造の理由だ。
瘴結晶によって瘴気汚染体の暴走を引き起こされた後、後ろで糸を引いていたのが帝国だという事を知ったクリフトは、領主であるウェリーザ=ロット=ガードン伯爵へと報告、代理の隊長を立ててもらった後、二人だけで帝国内での調査に踏み切ったのだ。
「『傀儡子』というのが『傀儡』を生みだしている男らしいのですが、こればかりは些か信憑性に掛ける。勿論、特異的な能力を持つ個人というのは探せばいるわけだから、人類の為ではなく一刻の為、或いは自分の為に、そういう個人が動いているだけという可能性もあるが…」
「あまりにも登場が唐突過ぎる、ってことでしょう?まあ、それだけ帝国の情報統制が上手くいってたって事なんじゃぁねえですかね」
「まあ、この場合は事態を悪い方に捉えておいた方がいいでしょうからね。…さて、到着してしまいましたね」
「そうっすね…勿論、俺だって頑張りますけどね?頼りにしてますよ隊長」
二人が見つめる先には、『酒場』という端的な看板。しかしその素っ気なさとは裏腹に店内は騒々しく、過酷な肉体労働を終えた鉱夫達が盛大に酒宴を開いている事は間違いなさそうだ。
「大きな宝石でも掘りあてましたかね…さて、情報収集と行きましょう。そうですね、模造品の紅玉が出回っている、とか、瓜二つの者達が犯罪を行っているとか、そのあたりで攻めてみれば、多少は何か分かるでしょうかね」
「まあ、まずはやるだけやってみましょうぜ。やばくなったら全力で逃げる、それだけです」
二人は酒場の扉を開き、酒精の蔓延する場で、求める情報を引き出す為にと酒に――片方は好んで――手を伸ばし、酔い潰れる直前の男たちから機嫌よく話を聞き出して行った。
彼等はまだ知らない。瘴結晶と『傀儡』の関係性、『傀儡子』の実在と、その所在。だがしかし、王国側の人間で最も帝国の現状を知っている者もまた、彼らなのである。




