第二十八話:『アードゥ・ロォウターカイト』
路地まで後数歩、と言った所で、勢いよく腕は引っ込んだ。
覗き込んでみれば、今度は再び一本だけ、次の曲がり角から延びて手招きしている。
「おちょくられてんじゃねえか…?」
「…流石に、面倒臭さは感じてきました。何でこんなやり方何だろう」
だがまあ、ここまで来たのだから今更だ。何度も曲がり角を曲がって、誘う腕を追って行く。
不思議な事に、曲がる直前まで腕が見えているのに、曲がった先では特に次の曲がり角に移動しているのだ。器用とか、素早いとかの話ではなく、これまた何かの術を使っているのかもしれない。
「…あ」
十数回曲がって、どこかも分からない路地に入った時、その向こうにようやく、腕だけではない、待ちかまえる全身像を見つける事が出来た。
紅い外套に変わりは無く、しかし、記憶に有る司教の物と比べれば細身だと言う事は分かった。
周囲に視線を向けると、数人、同じ姿の人影を見つける事も出来た。隠れているというよりは、目立たない場所に佇んでいる、と言った風体。だがやはり悪意は感じられない…問題はなさそうだ。
「お待ちしておりました。タクミ・サイトウ様、それに、皆さまの事も」
「ん…?」
俺は緊張していてまだ何も喋っていなかったが、エリクスさんは後半の発言に反応して小さく声を漏らした。
勿論、俺だって今の発言には驚いていた――俺はともかく、皆にも興味が有ったとは。いや、当然か?――が、もう一つ驚いた事が有る。
――女性だ、この司教。それも声質からして、かなり若い…レイリよりも年下なんじゃないかと思うほどには。
「タクミ様には以前、現聖教国方面司教からお話が有ったとは思いますけれど、皆さまにはまだ説明が住んでいませんでしたわね。…私達の組織について、詳しく説明させていただいてもよろしいかしら?」
「…まあ、そうじゃなきゃ話が始まんねえしな」
こう言う状況ではエリクスさんの事が凄く頼りになる。物怖じしないというか、この状況で遠慮する意味が無いと分かっていても、俺達は少し異常な空気に呑まれかけていたから、話を進めてくれて助かった。
女性――恐らく司教――は、応用に頷いてから、機嫌よさそうに胸を張って話し始めた。
「ええ、受け入れてくださりありがたく思いますわ…さて、私達の組織が発端を聖十神教としており、歴史を既に百四十年ほど経過した物だと言う事はすでにご存じでしょうが」
「あ、待ってください。後者は初耳です」
……霞み始めた記憶を探れば、確か男の司教は、絶忌戦争で増えた瘴気を浄化している、と言っていたような気がする。となれば、組織の発足は二十数年前と言う事になるのではないだろうか?
――いや、それだけの期間で『邪教』とまで呼ばれる程悪評が広まりはしないだろう。彼ら自身は悪行を行わず、あくまでも噂が拡大しただけだというのならば。と言う事は、彼女の言う事が正しいのか…?
「おや…失礼いたしましたわ。正確には百四十二年。絶忌戦争ほどではないにしろ、忌種の活動が太古の昔の如く活発化し始めた時期より、私達『月煌癒漂』様と『赫獣魄栄』様の両派閥は八割以上の人員を率いて分離、こうして別の組織として動いております」
「目的が瘴気の浄化ってのは聞いた。神の子孫がどうのこうのって話もな。…で?何で俺達にまで誘いが来るんだよ。タクミだって神の子孫じゃねえって言ってんぞ」
「それは勿論、私にとっても驚愕すべき事ではありますが、皆さま全て、神の血と力を色濃く受け継がれていらっしゃるからですわ!正直私、鼓動の高鳴りを押さえられない程ですもの!」
女性が身もだえながらそう叫ぶと、エリクスさんは『付き合ってられねェ』とばかりに遠い目をし、レイリは奇妙な物を見るように女性の様子を窺い、はっきり思い当たる所のあるカルスとラスティアは一様に視線を空へと向けていた。
俺としては、女性の発言によって、以前からの疑問が氷解したような感覚を受けていた。つまり、――やはりレイリとエリクスさんは神の子孫か、と。
まあ、根拠なんて『雷然』しか無かったし、それだって、二人が神託をうけなかった時点で家系によって伝わる不思議な力なのだろう、くらいにしか思わなく放っていたのだが。
三代目とアリュ―シャ様が表現していた程の血の濃さは無かった、という事ではあるのだろうが、司教たちにとっては充分に血の濃い子孫に当たるらしい。…まあ、当然か。三代目くらいの血の濃さと言うのは、一つの国に数十名から百名、その上ほとんどが国の要職についているという話だったし、それほどの人を引き入れる機会はそうないのだろう。
などと考えていると、目の前の女性が一歩足を踏み出し、こちらを見つめながら腕を大きく振ってこう言った。
「その血は瘴気を祓う気高き力――さあ!私たちと共に世を救うのです!」
「断る!」
女性は、エリクスさんが真正面から自分の要求を跳ねのけた事に動揺を隠しきれていない。目を点にして、微妙に焦点のあっていない瞳のまま硬直してしまった。
「正直、根拠無くて怪しすぎるし、冤罪だったとしても邪教扱いされるのは勘弁してくれ。後、単純に得が無いし…それでこっちに危険な立場につけとか、よく言う気になったな」
「…まあ、瘴気を浄化するのは大事だろうけど、同じ組織になろうとまでは思わない、かな…?」
「私達は、私達で」
「…一方的過ぎんじゃねえかな、多分」
女性は四人から連続して放たれた否定の言葉に目を点にしたまま、ゆっくりと俺の方へと視線を向けてきた。
唾を飲み込んで、じっと見つめてくる。…要求が断わられるとは露にも思わなかった、というような顔を知るし、どうやら俺は、助けを求められているらしい。
――無言で視線を逸らし、一歩後退した。
「お、俺も…」
「そんな――!」
女性の表情が悲痛に染まる。だがしかし、いくらなんでもその組織に入ろうとはまだ思えなかった。いや、事実がどうあれ、彼等は基本的には悪質な団体として見られている訳であり、そこに加入しようと思うような人はいるだろうか?……彼ら彼女らを助けたいと言う人は居れど、自分も一員に加わろうとは思わないだろう。
「あの、あなた達が誤解されたまま襲われたりしないように、もしそんな現場に立ち会った時に協力する、くらいの事は俺も考えていたんですけど…組織の一員になるのは、少し腰が引けます」
「で、ですが皆さまも、多くの忌種が溢れて来ようとしているのはご存じの筈ですわ!全てを解決する事能わずとも、私たちと共に瘴気を滅し、世に平穏を齎さんと…する、気概は、御座いませんの…?」
小刻みに震えながら、窺うように俺達の顔を一人一人見つめて問いかける女性に、一歩踏み出したエリクスさんがこう答える。
「…仮に、俺達が神の子孫だってのが真実だとして、だな。瘴気を浄化するってのは大層なご題目出し、実際いい事だとは思う…けどな、いくらなんでも無茶が有るだろ。俺達五人が全員参加して全力で瘴気を祓ったとして、それでどのくらい変わる?さっきの話じゃ、そっちの組織はかなりでかい筈だ。それでも忌種が増えるのは止められねえんなら、俺達が言ってもそれこそ焼け石に水だ。だろ?」
「…まあ、そのような面が有る事も、私としては、決して積極的に否定はしませんけれど…?」
――エリクスさんの追求を受けた途端に、女性は歯切れの悪い言葉を返すようになった。
「自惚れが入るが、俺達は全員、そこいらの兵士や冒険者よりは実力も有る。となるとまあ、そっちにとっては戦力増強って事にもなるだろ?だがこっちは、多少なりと自分たちの力で生き抜く事は出来る。…という訳で、この話は成り立たねえと思うが、どうだ?」
「うぅ…………でしたら、仕方ありませんわね。私が折れますわ…。ここ最近、勧誘はめっきり断られるようになってしまいましたし、もう潮時という言葉も事実なのかも…」
「…え、えっと」
女性の様子を窺うように、そっと発言する。彼女からも周囲の人達からも未だに悪意や敵意などは感じられないが、それでも一応確認しておきたいことだ。
「無理やり攫ってどうこう、なんてしませんよね?」
俺が問うと、女性は目を見開いて心外そうな顔をした。
「まさか!そのような事、どれ程追い詰められようと行う筈ありませんわ!私はこれでも群衆守護の『赫獣魄栄』を就寝と仰ぐものであり、忌まれていようとも一国の貴き血筋でもあるのです、そのような下劣な手、断じて行いません!」
堂々と言い切るその姿だけで、自分がそんな手段に出ると思われていた事が本当に不快なのだと伝わってくる。
…だが、俺としても、そんな疑いを向けてしまうだけの理由はあるというか、体験が有るというか。
「前、別の人に海の上を飛びながら攫われた揚句、そのまま海に沈んでしまったんですが」
「え」
「だよな…まあ、今度こそあんな事させねえけど」
自信満々に言いきるレイリの言葉はとてもありがたく、彼女とコンビでいて良かったと思わされるものだった――それはそれとして、再び女性は硬直してしまったのだが。
「…攫われた?無理やり、ですの?」
「はい。半年以上前の事ですけど」
「…もしかして、大港湾町の事なんですの?あの、瘴結晶がらみの…」
「あ、はい。ロルナンで有った事です」
俺がそういうと女性は頭を抱えて蹲り――その姿を見られるまいとしたのか慌てて立ちあがって、コホンと一度咳こんだ。
「あの時は、私の手がいっぱいで、本来聖教国方面担当だった彼にも応援を頼んでいたのですが…部下を失ううえもう一つの目的を達する事も出来ず、そのうえ守人まで現れていて焦っていたのだと聞きます。勿論、それで許される事ではございませんが――平に、平にご容赦お願いしますわ…」
「え、えーっと…まあ、今更ですし、もう同じ事にならないなら、いいんですけど…」
「私のほうからも再度話を通しておきますわ…とにかく、あなたの寛大な心に感謝を」
『寛大』とか言われると少々むず痒く感じてしまう。と言うか、この人は奇妙なほどに俺達への対応が丁寧だな。目的から考えれば、俺達が組織への参加を断った時点で話を切り上げていたっておかしくは無い筈だろうに。
「――さて、私達と共に在ろうとはしてくださらない以上、延々と語られても皆さまからすれば迷惑な事でしょう。私達、そろそろお暇させていただく事にしますわ」
女性は、まるで俺が考えている事を察知したかのようにそう言った。……もっと話を聴きたいと言う思いが無いとは言わないが、しかし彼女達と共にあろうとしていないのは事実である以上、これ以上は彼女たちにとってもやはり迷惑だろう。
「それでは皆様、またいつか、安らかなる時にお会いしましょう。危うい時であれば助け合いましょう。私たちは今宵、互いに敵対するものではないという事を確認は出来たのですから…」
微笑んで立ち去る女性だったが、数歩進んだ先で『ピシッ』と言う音が聞こえるほど見事に一瞬で静止した。
「――何という失態でしょう。私、自身の名を語っていませんでしたわよね…?」
「え?…は、はい。確か」
「う、一方的に皆さんの名だけを知って話すなど失礼にも程が有りましたわ…。遅きに失しましたけれど、名乗らせて下さいな。
――私は『アードゥ・ロォウターカイト』、齢六つにして神の子孫としての才を見出され、ロォウターカイト侯爵家から聖教国の貴族子女と交換する形で神の知識を求めに旅立ち、瘴気を祓う使命へと目覚めた者です。現在は司教位も授かっております。以降、お見知りおきを」
『それではまたいつか』女性はそう言って、周囲の者たちと同様、闇に溶けるかのように消えて行った。
「帰った…」
「なんだあれよく分かんねえ…聖教国でもこんな感じだったのか?」
「あの時は俺の方から話を切り上げたんだけど…でもまあ、引きこもうって考えは断念してくれたんじゃない、かな?」
荒事になる事は無く、むしろ思ったよりあっさり、彼女等は俺達への勧誘を諦めて帰って行った。
…もしも彼女等が襲われたりした時は、戦いを止めるか、そうでなくても命を奪わせないように行動しよう。そのくらいはしないと、誠意を持って動いてくれた彼女達に面目も経たない。
皆とそんな事を話しつつ、暗い小道を――迷いながら――どうにか宿へと帰ったのだった。




