第二十五話:今は戦いを
「『風刃』!」
「『切開』…!」
開戦から五分ほど。緊張気味ではあっても最初から魔術を放てていたラスティアの調子が悪くなってきた。
「『土槍』!…大丈夫?ラスティア」
「大丈夫…ちゃんと、やれる」
その憔悴した表情を見る限り『大丈夫』なんて事は無いと思うのだが、意地を通し始めたラスティアは強情だ。本当に危ないと思ったら止めなきゃいけないけど、もう少し様子を見ていよう。
下では、カルスを一歩下がらせて、レイリとエリクスさんが目の前で敵を切り殺す姿を見せている様だ。カルスはその状況を見ても逃げ出したりしている様子は無い。……多分ラスティアと同じくらいには覚悟をしてここまで来ている。なら、きっと二人がどうにかしてくれるだろう。
と、丁度飛んできた矢を避ける。そろそろここまで攻撃が届くようになってきた。…ラスティアを無事に帰す、って言うのは大前提だよな。本人はあまり意識したがらないかもしれないけれど、カルスとラスティアが傷つくのは、正直言って聖教国で二人を待っているだろう村の皆に申し訳が立たないと感じてしまうから。
壁上は、敵を目の前にしない分地上での戦いよりはまだマシだが、それでも安全などという言葉とは程遠い環境だ。初めて要塞都市へ訪れた時も庇ってもらわなければ俺が魔術によって攻撃されていたのだろうし、それ以降の戦いも更に危険な出来事は多く有った。一度は、森に放たれたあの爆炎と同じ物が壁上で炸裂した事だって有ったのだ。魔術士として動いている部隊を優先して叩いているからそんな事態は一度だけしか起こっていないが、あの時はたった一度の魔術で二十人近くが死んでしまった。
…本当に、一片たりとも油断なんて出来やしないのだ。それを再び認識して、過去を回想するという大いなる油断をしていた頭脳を先頭へと復帰させる。
「『風刃』」
「『切開』」
ラスティアも、多少は落ち着きを取り戻した様子だ。いつも通りなどとは決して言えないけれども、あくまでも戦いの中で抱く緊張感の延長線上に有るものを感じている様だし、今のところは問題ないだろう。
「ギャァッ!」
「くっ…!」
隣で矢を射っていた兵士が、腕ほどもある太さの槍に貫かれて壁の内側へと吹き飛んで行った。階段も無い様な場所だ。きっとあのまま地面へと打ちつけられてしまうだろう。
すぐさまこちらへと飛んできた槍をかわし、ラスティアと共に一度壁上通路の中心部へと体勢を低くして退避する。
「タクミ、さっきの、人…」
いまにも壁の内側へと走って行きそうなラスティアを呼び止めて、話す。
「覗かない方が良い。…集中できなくなる。それは、危ないから」
「…でも」
「お願い。…経験しなくても良いなら経験しない方が良い様な事だと思うから。それに…いくらなんでも、あれじゃあ、助からない」
続く攻撃で先程まで身を隠していた胸壁が完璧に破壊されたのを見て、攻撃場所を変えることを決める。
ラスティアを連れて移動して、再び状況を確認、攻撃を再開する。
「――私は、傷を治す、魔術、習った」
攻撃の合間に、ラスティアさんはそんな言葉を挟んできた。
「傷を治す魔術?」
「そう。シュリ―フィアさんが、聖十神教の、教会で、習わせてくれた。今は、何時でも、使える」
「…凄い」
ラスティアがそんな魔術を十全に使えるようになった事も、シュリ―フィアさんの発言力も。
…守人だし、聖教国出身だし、ロルナンに居た頃も教会に出入りしてたみたいだから、何らかのつながりはあるんだろうな、とは思っていたが、『ラスティアに魔術を教えてほしい』という要求を呑ませる事が出来るとは。
戦いを続けつつ、考える。
これはあくまでも予想だが、昔エリクスさんが、重傷を負ったら教会に高いお布施を払って治してもらわなければいけない、とかそんな事を言っていたように思う。あれは、教会の中には重傷を負った患者を直す事の出来る魔術を使える者がいるという意味だったのではないだろうか?…例えば、『月煌癒漂』様の派閥とか、その子孫とか。
以前、『月煌癒漂』様の派閥は、今邪教と呼ばれている組織に合流したと言われたけれど、全員が合流したという訳ではないという事なのかもしれないし。…詳しい話を聴きたくなってきた。
だが今は戦いの最中。そんな事は言っていられない。遠方で集まり始めていた魔術士部隊に『土槍』を数度打ち込んで、ラスティアさんにそっと問いかける。
「…その魔術なら、さっきの人も助けられるって思った?」
「…そう」
「…まあ、俺はその魔術を見たわけじゃないから、助けられないとは言わないけど。でも…傷つく人皆を助けようとしても上手くは行かないよ。俺達みたいに、圧倒的な実力を持ってるって訳じゃない奴には尚の事」
それは、一週間以上戦いの中に身を置く事でいつの間にか身につけた、諦観に近い処世術。
あまりその考えに縛られるのは危険だろうと思いつつも、自分たちの命を守るという事を優先するのならばきっと伝えておかなければならない事だと思うから、言っておく。
…全員を助けられる方が良いに決まってる。でも、とてもそんなこと出来ないのだ。
「…分かった。でも、終わった後は、私も、助ける側になる」
「うん。それが良いと思う…だから、早く終わらせよう!」
そう叫んで、魔術を次々と眼下の黒装達へと打ち込んでいく。『風刃』の刃は見えず、『土槍』の発生は予期できない。俺が放つ魔術は着々と帝国兵の命を奪うが、明確にこちらへと攻撃を向ける敵の姿は無い。…俺が使ったものだと断定できていないのだろう。再び攻撃を開始して行く。そんな中、ふと思う事が有った。
――俺は、いつの間にか、『禁忌』と呼ばれた彼等に対しての攻撃を『殺す』という行為だと認識しなくなったのではないだろうか?
それは肝の冷えるような想像だったが、否定しきるにはどうにも最近の攻撃は本当に躊躇が無くなっているのではないかと、唐突に思い悩む。
『禁忌』などと表現され、あたかも物のように言われる彼らだが。実際の所、彼等は物として唯々諾々と指令に従っているだけなのか、それとも一個人として王国に攻め込もうとしているのか。……そもそも、これまでの人生をどう生きてきたのか。
敵であり、脅威であるという理由から、考えて然るべき何かを無意識のうちに無視してしまっていたのではないだろうか…そうも思う。
今の俺が守りたいのは、間違いなく、さっきラスティアが言った事と同じだ。だから、奴らが攻め込んでくる以上対処する事に変わりは無く、それが殺害という行為になるのも、いい加減割り切っている。だが…ここまでの惨殺を人間相手に行って尚、心がほとんど痛まないというのは…彼等に対して、何処か普通の人間とは違う扱いを無意識的にしているのではないか?それこそ差別のように。
もしも彼等が無理やりに言う事を聴かされている被害者だとすれば、今の行いはあまりに非道なものなのではないだろうか。彼等の話を聞いてみるべきなのでは…。
「タクミッ!」
…右の二の腕を、矢が掠めて行った。服が裂け、僅かに血が滲む。
しゃがむように手で示してくるラスティアに従い、体を伏せさせる。
「…ごめん、集中途切れてた」
「あとで、治してあげる。…危ない。タクミは、毎日こんなだったの?」
「いや、こんなの初めてだった。…集中しなきゃ。難しい事を考えるのは後にする」
今は戦う。だが、もしもこの戦争が終わった後、彼等と話す事が出来るのならば、そうしてみたいと思った。
◇◇◇
「結局、治ってる…」
「ま、まあ、傷も小さかったからね」
ラスティアから恨みがましい視線を向けられながら、今日も無事に生き残ったことにほっと一息。
戦いは陽四刻から開始されて月二刻まで…合計十時間も行われた。両軍共に大きな被害を受けたものの、俺とラスティアさんも無事であり、レイリ達も大きな怪我は負わなかったようだ。
「うわ…こんなに治るんだ、ありがと、ラスティア」
「どういたしまして…これだけ?」
「うん。怪我したのは僕だけだったから」
カルスだけは、右肩の後ろを、浅くでは有るが腰の方まできられていたようで、僅かに血が滴っていたその傷を、ラスティアが魔術で綺麗に治していた。
その治癒速度は見事な物で、即死してしまうほどの傷で無ければ確かに治せそうだと思わされた。
「私は、診療所に、行ってみる」
「それなら、何人かで動いた方が良いぞ?この状況で離れ離れになるのも面倒だしな」
「なら、僕が行きます」
そう言って、ラスティアとカルスは診療所へと向かった。というより、その道中でも、危険な状態の患者を魔術で治療しているらしき姿が見えた。…あれだけの事をする魔術なのだ、魔力の使用量も多い様な気がするが、大丈夫だろうか。
「心配か?」
「…まあ、ちょっと」
隣からこちらの顔を覗こうとしてくるレイリに、ぼんやりとそう返す。するとレイリは、片方の瞳を細めて、『やれやれ』とでも言いたげな表情をしながらこう言った。
「そりゃ、タクミはあの二人が冒険者になった時から見てるってんだから仕方ねえかもしんねえけど、二人だってもう何か月もコンビとしてやってきてんだろ?だったら大丈夫だぜ?冒険者ならそんなもんだ」
「また適当な…」
若干呆れつつも、一理はあるのだろうと思った。
「まあ、そう言われれば俺だって、レイリから見ればずっと新人なんだろうしな…」
「そういうこった。…王都に居る間、成長してないって訳じゃないんだからな。ラスティアだってそうだろ?カルスはそうだったぜ?」
「俺としてはシュリ―フィアさんから心構えとかきっちり教えてもらったって言うのが羨ましすぎてな…それで正直厳しめにやったんだが、普通に乗り切ったし」
「エリクスさん何やってるんですか」
…と言いつつも、エリクスさんなら本当の意味で無理な事はさせなかっただろうと思う。
「そう言う所、まだまだだなぁ…」
人の力を見抜く力、というべきだろうか?相手がどのくらいの事を出来るのか、何を努力しているのか…そういう事を言われずとも察したりする事は苦手だ。
レイリは俺の顔を見たまま唇の端を片方だけ吊りあげて格好よく笑った。
「じゃ、アタシはラスティアと同じ部屋で寝ることになると思うから、カルスはタクミの部屋で良いよな?」
「ま、俺が別の部屋ってのが妥当だろうな」
「あ、じゃあそういうふうにカルスに伝える…二人も宿の場所は説明されてたし、あとで荷物持って来るよね」
毎日毎日変わらぬ戦いの日々だが、こうして変化も有る。
大事だと感じる人の大半がこの場所に集まっているのだ、これからも、絶対に負けないように戦い続けよう。




