第二十一話:退院までのあれこれ
目が覚めて最初に感じたのは、体の重さだった。
だがその感覚とは裏腹に、意識そのものははっきりしているように思えた。だからこそ、手足を動かすより先に瞳を開き…そこに、レイリの姿を発見する。
だがまあ、最近は立て続けにこんな事が有ったのだ。流石に動揺はしない――そう言い聞かせて、そっと体を起こそうとして…ようやく身体が動かない理由に気がつく。
「何でそう寝るかなぁ…」
レイリが俺の上で斜めに重なるような形で眠っていたのだ。重い。
小声で名前を呼びつつ軽く肩をゆすると、今日はすぐに起きてくれた。
「…うぉ、すまん。どくわ…」
まだ寝ぼけているようにも見えたので、少しの不安を感じながらその姿を見ていると、特に何か失敗する事も無く体勢を立て直し、寝具の外へと出た。
俺も上体を起こし…そして、どうやら足の痛みが消えているらしいことに気がついた。
「治ったかな…?」
そう呟いてみるものの、包帯が巻いてあるのだからすぐに確認できるわけでもない。とりあえずは先生が戻ってくるまで障らないようにして居よう。
――さて、しっかりと意識が目覚めた今、気になってくる事も有る。今こうしていられている以上問題はないはずなのだが…。
「戦いは、どうなったんだろう…」
気になる。実に気になる。エリクスさん達の事が心配だし、もしも眠っている間に王国軍が負けていたらと考えると恐ろしい。
…だが、少なくとも俺には、外から齎される情報を待つ以外に、状況を知る方法はないのだ。
周りを見渡すと、やはり、寝込んだ怪我人達が多くいた。だが、昨晩の記憶とは違う人間が至り、使われているベッドの場所が変わっていたりもする様な気がした。…患者が運び込まれたり、或いは再び戦場へと連れて行かれたりしたのだとすれば、まだ戦いは続いていると考えた方が良いのかもしれない。
「負傷者受け入れお願いします!」
そう考えている間に、右肩と右脇腹から矢を生やした兵士が担ぎ込まれてきた。昨日俺達に手渡された毛布が有った部屋から先生が颯爽と飛び出して来て、素早く指示を告げる。それと同時、先生の部下として働く看護師達も器具などを用意し始めた。
恐らくは、先ほどとはまた別の部屋で処置を受けるのだろう。昨日の俺もそうやってこの寝具へと寝かされることになったのだろうし。
「ふぅ…」
負傷者を担ぎこんできた兵士は、入り口で額の汗を腕で拭いながら、そんな風に一息ついていた。そんな彼の姿を見て、『水ません』と声を掛けてから、こう質問する。
「戦いはどうなりましたか?」
「ああ、少し前に帝国軍が撤退を始めたから、今は終わってるよ…と言っても、続々と援軍が到着してもいるみたいだからすぐに又始まるかもしれないんだけど。とりあえず今は一息つける、って感じだな。君もしっかり傷を癒すと良い」
「本当ですか?ありがとうございます」
どうやら、戦いそのものには一段落ついたようだ――そうなれば気になるのは、エリクスさん達が無事かどうかだ。
「…じゃ、アタシが確認してくるか。待ってても兄貴あたりは間違いなく来ると思うんだけどな」
「お願い出来る?」
「おう、まあアタシもちゃんと確認してえしな。多分すぐ帰ってくるぜ?またな」
「うん、待ってる」
レイリが出て行くのを見送ってから、気がつく。
……俺の考え、完全に筒抜けだったなぁ。
俺の考えはレイリに筒抜けだが、レイリの考えは筒抜けと言えるほどに理解できたわけではない、昔よりはかなり分かるようになったと思うけど、俺がレイリに対して持つ理解は、レイリが俺に対して持つ理解よりも少ないんだろう。……何だか少し悔しい。
レイリが出て行ってしまうと、俺にはすっかりやる事が無くなってしまった。治療をしに行った先生も戻って来ないから、傷口の確認をする事も出来ないし…どうしたものだろうか。
数分、数十分…それだけの時間が経過すると、次々に他の患者も起き上がってきた。
俺達は多少早く起きていたとは思うのだが、昨日までの起床時刻を考えるとこれはかなり遅い時間だと言える。やはり、皆傷ついた事で疲れが溜まっているのだろう。
その頃には、看護士さんによって食事も運ばれ始めたので、これ幸いとばかりに食べさせて貰った。パンに似た食べ物なので、冷めてもそこまで味は変わらない筈だから、レイリもきちんと食べる事が出来るだろう。もしかしたら、どこかで食事をとってくるかもしれないが。
「あの…」
食事を終えてぼんやりとしていると、隣からそんな風に声を掛けられた。
振り返った先に立っていたのは、負傷した男性の兵士だ。額の部分から頭を何周も包帯で巻いている彼の顔には…何処となく見覚えが有った。すぐに記憶を遡り、そもそも、強く印象に残っている兵士なんてごく僅かにしかいないという事まで思いだした時点で、
――彼の正体も自ずと解かる。
「……あの時のッ!だ、大丈夫だったんですか!?もう立てるくらい治ったんですか!?」
「あ、は、はい。あのときはどうも、見苦しい所を」
「見苦しいなんてまさか!助けていただいて本当に感謝してます!もし助けられていなかったら今頃どうなっていたことか…!」
「ハハ、そこまで言ってくれるのなら、怪我したのも多少は報われますね。それに、あの後もかなりのご活躍だったと、一昨日隊長から聞かせてもらいましたよ」
「…それで、その、怪我の具合はどうですか?」
俺がそう訊くと、彼は後頭部をそっと触りつつ答えてくれた。
「いや、ちょうど満月に近かったのが功を奏したんでしょうね。頭にひびが入ってたらしいんですけど、ここの先生の腕が良いのも相まって、こうしてもう歩けるようになってます。…ところで、其方はどうしたんです?」
「ああ、俺は帝国軍の魔術士に足を切られそうになったみたいで、骨とかもスッパリだったんですけど、一晩寝たらどうにか治りました」
「えぇ…?」
…あ、普通に考えるとかなり異常だった。
分かっているのに気がつかないのは、もうこの状態にかなり慣れてきてしまっているのだろうと考えつつ、兵士さんに対してこう返す。
「や、やっぱり先生の腕が良かったんでしょうね。俺は治療中に意識を失っていたので分からなかったんですけど。それに、もともと多少は傷の治りやすい体質だったんです」
「あ、あ―…成程。そうですよね」
兵士さんが心から納得してくれたかどうかの確証はイマイチ無かったが、まあ、そこまで深く追求されるような事でもないだろうとは、昨日の先生の反応で思ったから、大丈夫だろう。
その後は、少しずつ話題を逸らしながら、いろいろな事を話した。色々、といても、基本的には戦争に関わる事が多かったのだが。
例えば、帝国軍は何時も攻め込もうとしてくる、という話も聞いたし、今回は王国も帝国も動きが少し違う、という戸惑いの声も聞く事が出来た。
また、今の部隊はとても居心地が良いから、自分がいない間もどうか皆無事でいてほしい、という話も。
その内、聞き手だった俺はいつの間にか話し手となり、今まで冒険者としてどんな事をしていたのか、何が大変だったか、忌種は強かったか、などを話していた。
後、レイリやエリクスさん、カルスとラスティア、シュリ―フィアさんという仲間と過ごすのが楽しい、という事も。
最後のそれについては、少し冷静になってから振り返るとなかなかに恥ずかしい事まで口に出していたような気がする。幸いにして、と言えば良いのか、此処に当人達はいないのだが。
此処までしゃべってしまったのは、やはり本人ではないという事も有ったし、彼との間にまだ深い関係が無かったから、という事も有るかもしれない。だがそうだとしても、彼とはかなり気が合うような感じがしていた。彼自身の会話の運び方が上手で、俺が気持ちよく喋ってしまっただけだったのかもしれないのだが、そう感じたのが事実であり……出来れば、戦いの間だけでなく、もっと個人的な知り合いになりたいとも思った。
「俺の名前は、タクミ・サイトウです。その、あなたの名前を教えてくださいませんか…?」
「名前、ですか?僕は――」
◇◇◇
「あ、レイリ…エリクスさんも!」
「ちゃんと連れて来たぜ?」
「おぉ、なんだかんだで無事じゃねえか。酷い怪我だったのにここまで治るか…」
彼と別れてから大凡数十分ほどで、レイリはエリクスさんと共に診療所を訪れた。
エリクスさんは見た目からしてきれいなもので、どうやら戦いの後で着替えを済ましてきたらしい事も分かる。どうやらそれはレイリも同じらしい。
「タクミの分の着替えも持ってこようかとは思ったんだけどな…ここ狭ぇし、昼には出てくんだから戻ってからの方が落ち付けるだろうと思ってそのままにしといた。んで、傷口の方は?」
「あ、まだ先生が治療から帰ってきてないから診てもらってない…」
言いながら、視界の隅で、患者の傷口の様子を見て何やら神に情報を掻き止めたり、薬を塗ったりしながら移動してくる看護師さんがいる事に気がつく。
「待ってたらあの人がやってくれる、かな?」
それから十分ほどしてから、ようやく看護師さんが俺の足にまかれた包帯を外し、その傷口についての情報をまとめ始めた。
こうしている間にも、軽傷とはいえ大勢の患者が運ばれてくるのだから忙しいのは分かるが、やはり人手不足というのは否めなさそうだ――などと考えつつ、自らの傷口へと視線を向ける。
「塞がってます…かね?」
「そうですね、凄い回復力です。先生がおっしゃっていた通りで……成程、確かにこれなら本日陽六刻での退院も叶うでしょう。あ、くれぐれも勝手に退院なさらないでくださいね?きちんと先生の診察を受けて、許可も直接貰ってからにして頂きます」
看護師さんはそう言って、次の患者の診察へと取りかかった。
「ま、良かったな…どんだけ早くても次の戦いは今日の夜。普通に考えりゃ明日以降だし、多少は準備できる時間も有るわけだ」
「そうですか…そうだ、エリクスさん、あの後の戦いで何か、状況って変わったんですか?」
「ん?そうだな…まあ、変わった事も有るな…」
エリクスさんは少し歯切れ悪くそう言ってから、周囲に少し視線を振って、その後、僅かにこちら側へと体を寄せながらこう続けた。
「まあ、その辺の話は退院した後だ…あんま、怪我人に聞かせる話でもなさそうだしな」
それ以降、特に問題が起こる事はなかった。その数十分後には先生が診断、完全に傷口が塞がっている事に対して妙な溜息を吐いてはいたが、きっちりと完治していると告げてくれ、その更に後、アインさん達が俺の様子を見にきつつも忙しそうにすぐどこかへと走って行った事…くらいか。
そうして昼になり、うっかり渡すのを忘れていたレイリの分の食事を手渡しつつ――『今更なぁ…』とごもっともな感想が返ってきた――診療所を出る。先生に礼を言い、奥でこちらへ視線を向ける彼へと軽く手を振って、外へ。
強い日光に目を覆った後、再び見開いたその視線の先に見えた物は、未だに戦の気配を強く滲ませる要塞都市の姿、その全景だった。




