第十九話:治療
――痛い。
「どうにかなったな…じゃあ、行くわ」
「兄貴、アタシは…」
「おう、見ててやれよ。あっちは俺らでどうにかするからな」
かすれた意識のまま、その会話を聴き――目覚める。
扉が閉じる音がすると同時、そっと、傍らでこちらの様子を窺っているらしい彼女の名を呼ぶ。
「レイリ…」
「起きたか!?っあー、先生!こっち一人起きました!お願いします!」
「ちょっと待っておれ!手一杯なのでな!」
ゆっくりと首を振って、それでも見えない場所にも精一杯視線を向けて確認する限り、ここは病院――というよりは、様々な町に有った診療所に近い物の様だ。だが、今までに行ったどれよりも大きな面積を誇っているようにも思える。つまりは…ああ、多分、要塞都市の中には戻って来れたって事だろう。
まだ足が酷く痛むから、あまりきちんとした思考が出来ないが、恐らく、周囲に寝かされているのは、あの爆炎で傷を負った冒険者たちだ。どうやら先に撤退していた部隊も無事だったらしい。
「まだ足痛いよな…と言うか、大丈夫か?意識はしっかりしてんのか?」
「あ、うん、全部合ってる…どのくらい経った?」
「一刻立つか経たないか、ってところだな」
「エリクスさんが、出て言った…戦いに行ったようにも聞こえたんだけど、もしかして」
「おう…アタシ達が要塞都市の中に入るちょっと前くらいに、帝国軍が動いた。今はまだ、要塞都市側から出てった王国軍と外で戦ってるけど、ある程度勢いを削ったら退却して、前みたいに壁の上から防衛線になるだろうってよ」
「そっか…」
行かなければ、とも思ったけれど、流石にこの怪我では思ったように動けない。
「もう、治療はされてるんだよね」
「いや、まだ止血と縫合だけだ。あくまでも応急処置と言う奴なのだよ。…一度包帯を取るぞ」
そう言ってきたのは、さっきレイリが先生と呼んでいた男。『先生』と言う事は、医者と考えて間違いないだろう。
…血がこびり付いているのか。ゆっくりと剥がされても、ぺりぺりと無理やり肌を引っ張られているかのような感覚がして少し痛い。
『先生』は、包帯を巻きとってから傷口に目を向けて、…驚いたような顔をした。
「あれ?…いや、あれ?何でもう肉ごとくっついて…え?なんだこれ」
「ど、どうなってるんですか…?」
「…何か失敗したのか」
レイリの声はかなり厳しい物で、先生は顔から僅かに血の気を引かせた。
「い、いや、そんな事はない筈なんだけど…タクミ君、だったよね?彼の体って、もしかして治癒力が異常に高かったり、…そうだ、そんな風にする魔術を使えたりする?」
「えっと…体質の方がまだ近いと思います。魔術じゃないので」
「と言う事は、君自身に自覚はあるんだね?いやぁ。良かった良かった…それで、今の君の状況だけれども」
先生はそこで言葉を切って、ゆっくりと、こちらへと確認を取るように説明して行く。
「僕としてはだね?そもそもとしてこれほど早く目覚めること自体が異常事態だと思っていた…何せ君、出血量が馬鹿に成らなかったからね。冒険者の誰かが魔術で止めようとしてくれていたみたいだけど、いくらなんでもほとんど切断寸前だった足からの出血を完全に止めることなんて出来ないから。
だからまあ、骨を固定できるようにしようとして、まず傷口を合わせて…固定具を付けるより先に骨がついてしまった訳だね。それでまあ、出血量が多いのが何処かは分かっていたから、そこをどうにか塞いでから縫合して、出血も止めたわけだけれど…ああ、ちょっと待って」
そう言いながら先生が持ってきたのは、鏡だった。利用腕でなら容易に持てるだろう程度の大きさの鏡を俺の脚の間へと入れて、その角度を調整する。その結果、俺の眼に映ったのは。
「え…」
「そう、肉が繋がっているのは見れば分かる事だと思うし、むしろ縫合した糸を異物扱いでもしてるのか、程いて外に出そうとしてるようにすら見える。だからまあ、その体質への興味とかを度外視して結論だけを言えば、――一晩寝れば治る。そう言う事だね」
それはまあ、良かったのだが――専門家から直接言われると、自らの力の異常さと言う物をより実感する。それに、傷の深さも予定外だった。骨が折られている事はないと思っていたんだが。
「但し…戦場に立つ人へ向けても無理が有るのかもしれないけれど、あまり無茶な動きはしないでほしい。くっついているとはいえ、一度は物理的に分かたれたんだ。いつまた分かれるとも限らないから」
「あ、はい」
「それに、少なくとも次の昼まではおとなしくしてもらうから。じゃあ、そこで寝ている事だね」
そう言い残して、先生はすぐに別の患者の元へ向かった。そりゃあ、放っておいても勝手に治るような患者は優先順位落ちるよなぁ…と思っていると。
「ほんとに大丈夫かよ…酷かったんだぞ、山で血止めるって言ってたくせに、もう気絶してるし、アタシの背中まで血まみれになってるし」
「え、本当に?それはごめん…」
紅く染まった背中を見せつけようとしていたレイリだが、俺が謝ると「んなことに怒ってる訳じゃねえよ」と言って再びこちらへと視線を向けてきた。
「アタシ達を助けてくれたのは嬉しい。俺ならできるって自分から言い出すのも昔のタクミとは違う感じがしたし、それできちんとやり遂げたんだから、ちゃんと成長しようとしてくれてるってのも分かるからな。
…でも、そんなやべぇ怪我すんじゃねえよ」
「…いや、これはほら、誰も気がついてなかったってことなんだろうし、防ぐのは無理が有ったんじゃないかな、って…」
そう言いながら、ふと、視点を反対にしてみればよく理解できる状況なのではないかと言う事に気がついた。
レイリが怪我をしたとしよう。致命傷になっていたかもしれないくらいに酷い怪我であり、レイリは皆を助けるために戦ったけど、別の要因とは言え結果的にこうなった…。
――酷く辛かったので、ここはレイリの言葉に従っておこうと思う。と言うか、単純に考えて自分の背中でコンビが大量出血と共に気絶されたらそりゃあ肝も冷えるというものだろう。
心配を掛けてしまった。そう思って、出来る限り感謝の気持ちが伝わるよう、言葉を選んで会話を続ける。
「心配かけて、ごめん。ありがとう。今度からはもっと自分の安全に気を遣う…それで、互いに互いの危険にも出来るだけ察知する事にしよう。そうしたらきっと、今までよりは危険じゃなくなる筈だから」
「……おう、まあ、そうだな……分かったよ。だったら、タクミもちゃんとやれよ?」
「レイリもお願いね?きちんと二人で生き残るために」
「当たり前、だな…」
レイリはそう言うと俺が寝かされていた寝具の上へと腰かけて、その体制のままこちらをゆったりと見下ろすような体制になった。
「タクミはさ、今回の怪我、どのくらいで治るんだよ」
「え、…明日の朝になるよりは少し早く、くらいかな。多分そのくらいには傷もふさがってると思う」
「そうか…よッ」
俺の言葉を聴いたレイリは、何の気もなさそうに右手を挙げ――一息に、傷口の上へと振り下ろした。
「痛――」
叫び声をあげかけた口元はしかし、レイリにこれまた上から押さえつけられる事によって何の反応を返す事も出来なくなってしまった。
「やっぱ痛いんじゃねえかよ…良いか?」
俺の口と鼻をふさいだままのレイリが、更に少し身体をこちらへと傾けながら言葉を続ける。
「アタシにはそういうの隠すな。いいか?」
「…うん」
隠していたつもりなど全くなかったのだが…いや、心配かけないように、とは思っていたわけだから、もっと曝け出せという事なのだろうか。
レイリが顔を押さえ続けるせいでくぐもった「うぅ」という声しか出せなかったが、多分気持ちは伝えられたと思う。
「なら良い。兄貴も言ってたし、今晩はアタシもここにいてやる…っと」
俺が長時間の圧迫で密かな呼吸困難に陥っていたことにレイリはようやく気がついたらしく、軽く謝りながら手をどけてくれた。
少し息を整えてから、レイリがここに居てくれることに僅かな嬉しさを感じつつ――しかし、少しだけ感じる不安を言葉にする。
「もう戦いは始まってるんだよね…大丈夫なの?」
「ん?…アタシが行かなくても、とか言う意味だったら、流石に考え過ぎだぜ」
「そうかな…レイリはかなり強いんだし、そりゃぁ、ここに居てくれた方が俺だって安心だけど、個人で戦力としてとらえられるくらいなんじゃないの?」
「いや、流石にそれは、兄貴くらい強くねぇとあり得ねえだろ…。今回は規模が出けぇし、その分前みたいに壁の上で個人個人が好きかって攻撃できる状況じゃねえからな。冒険者みたいな尖った戦力よりは、整えられてる普通の軍隊の方が有用って話も聞くしな。それに」
「それに?」
「いや、別に変な話じゃねえんだけど…アタシ達はコンビだからな。冒険者がコンビと活動中なら、基本的にほぼ同時行動って話が有ったろ?あれと同じだよ。だからアタシもタクミがこうして居る限り待機って訳だ…分かったか?」
「…『ほぼ同時行動』って言うのを初めて聞いたんだけど、そうなの?」
「ん?…ミディが話してなかったっけか?いや、待てよ、あれは兄貴の時にアタシも聞いてただけか…?」
どうやらレイリとしても曖昧な記憶らしいが、実際に無傷のレイリが戦場に出されることなく俺と共にいるのだから、ある程度は常識として広まっている事なのかもしれない。
だが、その言葉の中には少し気になる事も有った。どうせ此処に居ても何ができるわけでもないから、それについて話を聞いてみる。
「『兄貴の時』…エリクスさんの時ってことは、エリクスさんにもコンビがいるんだよね?どんな人なの?」
よく考えれば、こんな質問を口に出す前にもう少ししっかりと考えるべきだったのだ。
「あー…あの人はなぁ…」
コンビは同時に行動するというのが基本とされている中、何故今まで一度もエリクスさんとコンビを組んでいる冒険者と出会った事が無かったのか。そこに思いいたれば、自然とその理由も察する事が出来ただろうに。
「兄貴が冒険者になってすぐコンビ組んだ人だから、あたしはあんまり会ってねぇし、覚えてもねぇんだけど…もう死んでるな」




