第七話:怯え
「寝んぞ。それこそ無理にでもな」
レイリが俺を寝具へと押しつける。反抗を許さない語調と態度に、俺は唯々諾々と寝かしつけられた。
なぜこうなったかと言えば、それは、ほんの少しだけ前の話。
◇◇◇
「帝国軍の撤退を確認!繰り返す、帝国軍の撤退を確認!各自持ち場を離れず解散を待て!」
俺達が壁の下へと攻撃を打ち込む事を止めてから、数分。伝令が壁の上を走りながら、その情報を伝えてきた。
――終わった、と。そう考えるのとほぼ同時に、膝に痛みが走った。見れば、いつの間にか地面へ膝立ちになっている。どうやら気が抜けてしまったらしい。
隣ではレイリが、俺のそんな姿を見て小さく笑っている。
「まだあんま気ぃ抜くなよ?アタシが言うのもなんだけどさ」
「は、はは…うん」
肯定を返す者の、膝にも腰にも力が入らない。というか、いつの間にか両足の間に腰が入って、男としては少々情けない姿になってしまっている。というか、まるで少女だ。年齢と性別を考えればまだレイリの方が似合う格好。性格からしてありえないだろうとも思ってしまうが。
「とりあえず立てって」
無駄な事を考えている間に、レイリが手を差し出してくる。その手を強く握り、もう片方を壁に伸ばして、ようやく立ち上がる。
…どうにも、レイリの前では格好の悪い所ばかり見せてしまっている気がする。いや、俺が格好良かった時なんてほとんど、ほとんど無いのだが、それでもレイリの前では顕著だ。多分、レイリと一緒に居る時にばかり、慣れない事をしてしまうからなのだろう。
「終わり、なんだよね?」
「まだ絶対とは言えねえけど、あっちにも一回引いてからもう一回、なんて戦りかたする理由はなさそうだしな。そう思っていいと思うぜ」
「よかった…」
再び脱力しかけた体をレイリが支える。
今まで帝国が攻撃してきていた方の壁面を覗きこめば、少なくとも目視できる範囲に帝国軍の姿が無い事は確認できた。だがしかし、帝国軍側が持っていた灯もそこには無く、確認できる範囲など僅かな物だ。
先程の伝令が『解散を待て』と言っていた事を思い出し、どうやら追撃は無いらしいと思いつつ、呟く。
「これだけ遠いと『暗視』も割に合わないか…。」
「任せときゃいいんだよ、確認なんて。それよりほら、一回こっち見ろ」
「え?」
言われ、不思議に思いながらもレイリを見つめる。そうした時には既にレイリも俺の事を見つめていて、不思議と緊張する。
――それから十数秒。レイリは何も話さない。
「え、っと?レイリ?」
『どうしたの?』とも問いかけられないほどに真っ直ぐな視線。無意識のうちに唾を飲み、正面からレイリと向き合う。
しかし、本当にどうしたのだろうか。いや、レイリは俺にこっちを見ろと言ってきたのだから、ひょっとして、どうかしているのは俺なのか?
そんな不安を抱いて、レイリの視線が何を読み取ろうとしているのかを探ろうとした、まさにその時。
ゴオッッ!と、背後で大音量が炸裂し、熱と光をばら撒いた。
「うわッ…!?」
振り返りながら、レイリに当たらない軌道で後方へ退避。緊張の緩んだ体を無理やりに動かしたことで微妙に体が軋んだが、そんな事は気にしていられない。まだ戦いが終わっていないのならば、早く攻撃しないと――!
「ま、流石にな」
隣に立つレイリの声が、余りにも冷静だった。
それに驚き、次いで、壁の上に出来上がった火柱へと目を向ける。
熱と光。先程までそこに無かった事を考えれば、轟音の正体がその発生によるものである事も容易に分かる。
…だが、周囲の兵や冒険者達の反応は、俺とは趣の異なるものばかり。
「タクミは知らねえんじゃねえかと思ってたんだが…やっぱりそうだよな。うん、騙して悪かった」
「…えっと、レイリ、これは?」
「まあ、一種の戦勝式ッつうか、あれだ、瘴気汚染体の暴走の時、焼いたろ?あの辺から来ててな…」
何でも、その昔、人と人とが争わなかった――争っている余裕が無かった――時代。日々を忌種との戦いに明け暮れていた戦士達が、その忌種を浄化する炎を勝利の証として捉え始めたのだという。
それが今では、忌種の関わらない人同士の戦争でも勝利の証として扱われているという訳だ。成程、全く知らなかった。
「でも、騙したって何?黙ってただけで、騙してはいないんじゃ…?」
「いや、タクミの反応を見ようと思ってな。どんくらい参ってんのかって。まあ、結果としちゃぁ普通ッつうか、むしろいい方だったぜ?初戦であれだけやったにしちゃあな…それこそアタシがどうこう言えねえんだけど。兄貴の受け売りだし」
そう言いながら、レイリは歩きだす。階段の方へと。見れば、階段は既に何人もの兵が歩き始めていた。
「帰ろうぜ、もう何もねえよ、多分今日はな」
「…あの炎がでたら勝ちだから、解散の許可も表している、って事?」
「そう言うこった。…早く宿に行こうぜ。んで、すぐ寝ろ。明日は早起きな」
「え?で、でも」
「良いから、寝ろ。早起きつったって、今から寝んだから、ある程度多めに見てやる。アタシだって寝たいしな」
階段へと向かおうとしていた足が、宙へ浮く。レイリが俺ごと『雷然』で加速、階段を使わず地上へと向かい始めたのだ。
「自分でできるよ。『飛翔』」
そう言って飛ぶと、レイリは何故か笑った。
「何?」
「い、いや、なんか今のタクミ、ガキみてぇ…!」
「もう…そんなの今は良いでしょ?変になったって、さっきも言ったよ?」
まあ確かに、『自分でできる』と駄々をこねる子どもの様だったかもしれないが。流石にその表現は少し苛立たせられる物が有る。
「悪ぃ悪ぃ。ほら、さっさと行こうぜ」
そう言ってレイリは俺の腕を引きながら更に加速して宿屋へと突入。俺を寝所へと押しつける、という訳だ。
「ちゃんと寝ろよ?」
「分かったってば…。寝るから、もう扉閉めて」
「おう、じゃあまた明日な」
「また明日」
レイリが扉を閉めて、そのままどこかへ歩いて行く。部屋の中は完全な暗闇に包まれ、音も、俺の呼吸と鼓動のそれしか発せられなくなっていた。
寝返りをうち、うつ伏せになる。
――寝られない。
「…あー」
意味も無く、ほんの少しだけ声を出してみる。
当然、返事などは帰って来ない。部屋は静かなままだ。
落ち着かない。心臓の鼓動は緩まる素振りすら見せず、この体中に、暴れ出したい様な衝動が渦巻いている。
人を殺した。その衝撃は、その瞬間にも感じるものだが――それよりずっと、冷静になった後にこそ、心の深くまで染み込んでくるものらしい。
風の刃が肉も骨も断ち割り、血飛沫と共に更に下へと、敵を求めて飛んで行った光景を覚えている。
殺したのだ、何十人と。
今更悔やんでも彼等の命が蘇る訳ではない。それどころか、俺が戦わない事が、巡り巡って自分の命やレイリの命を奪う事に繋がっていたかもしれないのだから…いや、流石にその考えは自己防衛染みているな。卑怯だ。
あくまでも俺が選んだのだ。帝国軍の、敵である彼等の命を奪う事を。
だから、本当に今更なのだ。そんな事を悩むのは。戦争に参加している時点で逃げる事も出来ない。その上、レイリだって戦っているのだ。俺が下がるわけにはいかない。
――そして、また殺す。
「あー…!」
胸の中のもやもやを払うように声を上げるも、結局何も解決せず。それどころか一層鬱屈した気持ちが溜まってきたような気がした。
こんな状態で早起きなんて出来るのだろうか。そう想いながらも、無理やりに目を瞑る。
しかし、その時――頭上から、唐突に衝撃音が、静かな室内へと響き渡った。
「ヒッ…!?」
完全に弛緩していた意識に叩きこまれたその衝撃は、俺を飛び起こさせるには十分すぎる物だった。
――気付けば、壁際で息を荒げて震えていた。
周囲を見れば、何も異常が無いことくらいは分かる。今の音だって、上の階に戻ってきた冒険者が立てた音なのだろう。俺が声を出したから、という事もあり得る。
むしろ、音だけだったという事を考えれば、先程の火柱よりも随分とささやかな衝撃だったと、そうも言える筈だ。だがしかし、俺はすっかり怯えてしまった。
…思っていたより、重症かもしれない。身体ではなく、心が。
それが分かった所で、俺自身でどう解決すればいいのかは分からなかったが。




