第五話:夜襲
【残酷な描写あり】(一応)
目が覚める。
周囲は暗い。まだ明るいうちから夕食も済ませて寝たから、どうやら一度は意識を投げだしていたらしい。
宿の外は騒がしい。周囲から冒険者達の声が消えたことで、それがより分かりやすくなっている。
「やっぱり、戦場…」
近くで寝ているエリクスさんに聞こえないよう、口元を動かすだけでそう呟いて、そっと状態を起こし、窓の外を見る。
宿の周囲の明かりは乏しく、町中で大きな光と言えば、俺達が入ってきた門と、中心部の建物と、そして、帝国側の壁際を照らす灯。
警戒のために行われているのか、或いは、帝国軍からの矢週に応じているのか。危機的な事態――要塞内への敵の侵入など――になれば、流石に俺達も寝てられないし、どこかが招集をかけに来るだろう。そうなっていない以上は、まだ待機していても問題が無い、という事なのだろう。
となれば、夜遅くに起きていてもいい事は無い。英気を養う、などと自分で言うのはおかしい気もするが、その為にも今は寝るべきだ。
「冒険者の皆さん、救援お願いしますッ!」
「――行くぞ」
宿の外から兵士の切羽詰まった声がしてから、エリクスさんがすぐ側に置いていた剣を持って立ち上がるまで二秒とかからなかった。
すぐに薄い装甲の鎧を胴体に着込み、外へと出る。
俺はと言えば、何が何やら分からないままに胸当てを付けようとするくらいしかまだ出来ていなかった。エリクスさんよりも前に起きていたというのに。
外へと駆けだせば、丁度レイリがこちらへ振り返っていた所だった。そのすぐ後ろでエリクスさんが戦いの行われている壁の方へと『雷然』で瞬間的に加速。すぐに見えなくなってしまった。
「急に敵が増えて、壁を越えられるかもしれないって話だ!アタシ達も早く行こうぜ!」
「うん。俺達には何をしろって!?」
『飛翔』と『雷然』。それぞれの加速方法で――レイリが俺の速度に合わせる形で――移動しつつ、レイリから情報を聞きだす。
「遠距離攻撃できる奴は壁の上からやれってよ!アタシ達も雷然を利用してやるしかねえ!」
「じゃあ俺達は壁の上に行けばいいの?」
「おう、つうか、そうじゃねえ奴もどっちにしたって上から何か投げ込む以外にやる事ねえけどな!」
壁の下まで到着すると、上へと続く階段にいた兵士が、今の戦闘状況を教えてくれた。具体的に言うと、この階段から上がった所が一番の激戦区だ、という事らしい。俺達へと一礼して、周囲の冒険者達と共に自分自身も階段をのぼりはじめた。
階段を上る、なんてまどろっこしい事はしない。出来る限り加速したまま壁の上に到着し。
――戦場を見る。
眼下の大地を埋め尽くすのは帝国軍。梯子を使って壁を登ろうとしてきたり、或いは、時代劇などで見た事が有る門を壊す為の杭(というよりはただの大木)を門や壁などにぶつけ、兎にも角にも要塞都市の中へと入ろうと躍起になっている。
どうやら、まだ突破されてはいないらしい。壁が壊されていない事は勿論、壁の上に帝国軍が上がってきているという事もなさそうだ。
「じゃあアタシはあの辺に積まれてる石投げつけてっから、タクミも近くで…タクミ?」
――だが、何より網膜にこびり付くのは、戦場の各所に配置された松明の炎を鈍く反射させるほど大地に満ちた、赤黒い血液。
王国軍の兵士が石を投げ込むたび、地面で大木を抱えていた人間が一人、また一人と、己の内側からそれを撒き散らし地に伏せてゆく。
或いは、兵士の放った魔術が梯子を上る者を吹き飛ばし、梯子その物すら破砕して、上っていた者だけでなく、その下にいた者達まで巻き込んで屍と変えていく。
いや、被害は決して帝国側だけではない。帝国軍が放つ矢や魔術は壁上の王国軍に突き刺さり、その命を着々と奪って行く。…俺が着地した場所だって、よく見れば血の跡がこびりついているのだ、常日頃からどんな激闘が繰り広げられているのかよく分かる。
要塞都市の内部、という意味では、さっきまで寝ていた宿と変わりは無いというのに――既にここには、死が満ちているのだ。
「おい!」
すぐ近くで兵士が俺にそう叫んだ事で、錯乱していた意識が、現実に戻ってくる。
「こんな所でしゃがみこんでんじゃねえよ!仕事すんのか、さもなきゃ落ちて死んじまえ!」
「行くぞタクミ!」
兵士から罵られながら、レイリに引き摺られていく。しかしそれも数秒の事。すぐに自分で立ちあがり、レイリと並走する。
「ごめん、変になってた」
「まあ、アタシも最初はあんなんだったし、それは良い。だが仕事しねえとどうしようも無えぞ!やるときゃやる!じゃなきゃやられる!」
そう言いながらレイリは石の積まれた台車を、壁の端、帝国軍が攻めてくる方へと押して行き、その中から幾つかの石を掴み上げ、『雷然』を利用した速度上昇――教本を読み解いた事でレイリも操れるようになった――を付与、その腕を一選させ、彼女の眼下にひしめく帝国兵目がけて投げおろす。
それとほぼ同時、くぐもった呻き声と、何かが崩れていくような音が鈍く響き、次いで、更に下にいる帝国軍の叫び声もが響き渡った。
それを碌に確認することなくレイリは振り返り、俺の方へと歩み寄る。
「今は、まだやらなくてもいい。でも覚悟は決めてくれ。そうじゃなけりゃ、自分を騙せるくらいの言葉を胸に持て。…アタシは、タクミと生きて帰りてぇし、戦うのなら、タクミと一緒が良い。頼む」
そう言って、再びレイリは、投石を続けた。
怨嗟を織り交ぜた悲鳴が連続し、次第に、その悲鳴も感覚が開いて行く。レイリの投石によって、帝国の兵が、少なくともこの一角において、殲滅され始めている。
――つまり、それだけ数多くの帝国兵を、彼女がその手に掛けているという事。
知らないうちに、俺は顔を俯かせていた。情けない。
俺は、昨日何を想っていた?常に俺より前に立っているレイリに対して…そう。
「『対等に、なりたい』」
今すぐ、は、どれだけ勇気を振り絞っても、無理だろう。それは、現実として理解できる。
だがそれでも、目の前の物を恐れて立ち止まるだけで辿り着けるような場所に彼女はいないのだ。
足を踏み出せ、顔を上げろ。そうしてやっと、彼女の背中を見る事が出来るのだ――!
「『風刃』!」
不意にレイリへと迫った矢を切り落とし、その隣へ立つ。
「…俺もやる。今、無理やりにでも、隣で戦う」
「…よし、やろうぜタクミ」
まずはこの場を生き延びる。覚悟も後悔も、今はその先に投げだしたままで。
◇◇◇
特殊な、湾曲した刃を無理やりに『雷然』で超高速に回転させ、壁の下に犇めく帝国軍へと向けて投げつける。
その間に飛んでくる矢や魔術の雨霰を回避し、その発射地点を推測しつつ詰め込まれた石を投げる。
再び壁際に戻ると同時、下方から跳ね上がる様に刃が手元へと戻ってきた。
「上々、か。レイリの件と一緒に発注かけといてよかったぜ」
隣に立つ兵へと片手をあげて断りを入れた後、エリクスは数歩後退した。そして、手中の血に濡れた刃を見つめる。
彼の言った通り効果は上々。まさか投げた武器が戻るなんて事象が起こりうるとは思わなかった彼だが、今はその情報を書に纏めた祖父と、それを読み解いたタクミへと感謝しておくことにしたようだ。
「つっても下向きだと負担がな…平地の方がやりやすいか。横着はしねえ方が良い」
そう言いながら視線を、自らの妹とそのコンビが戦っている筈の場所へと向ける。
自然、その表情にはわずかな綻びが見られた。
「順応すんのが早ぇな…。今は良いけど、後は不安か?ま、どっちにしろこの場は切り抜けられそう…ッ!」
エリクスの視線の先、燐光と死を振り撒いて落下する石と風の刃に向けて、数多くの矢と魔術が向かって行った。
瞬間、自らの失策をエリクスは悟る。
(この場で一番目立った攻撃してた俺が下がったのと同時にレイリ達の攻撃量が上がったから、対処される優先順位が上がっちまったか…!?)
彼の預かり知らぬ所ではあるが、この時、丁度他の遠距離攻撃を可能とする冒険者や兵の多数が僅かに後退してしまっていたのだ。より強力に、そして派手に攻撃を重ねていたレイリとタクミの元へと帝国軍の攻撃が集中するのは実に当然の事。
エリクスの『雷然』は高速で移動できるが、しかしこれほどに人と攻撃が飛び交う中をその速度で通過するのは自殺行為。さらに言えば、それでも初撃の着弾を防ぐにはあまりに遅い。
せめて攻撃が重なる事のないように、その矢や魔術を放った者達がいる場所へと、今まで以上の攻撃を繰り出すエリクス。周囲の兵たちも攻撃を再開したことで、レイリとタクミへ向けた攻撃はかなり収まったようだが…しかし。
(二人の攻撃が続いて来ねぇ…くそがッ!どうなったってんだ!)
心配に感じつつも、自分自身が大きな戦力であるが故に、まだ持ち場を離れるわけにはいかない。それを理解できているエリクスは歯噛みした。
五の月十九日、日付が変わったばかりの月七刻。突如として攻勢に打って出た帝国軍は、未だ戦意を失っていない。




