第五十三話:温もり
――再び瞳を開いた時に移った白色は、布団のそれ。
自分がきちんと戻ってきたのだと言う事を確認した俺は、とりあえず立ちあがろうとして…身体に、違和感が有る事に気がついた。
身体の内部ではなく、外側に何かが乗っているようで、左半身がどうにも重い。
よく見れば、下半身は布団の外、と言うか、床に放り出されたままだ。何をやっていたのか、記憶が飛んでいる――いや、待て、どういう事だ。
視線の先、うつぶせで寝ていた俺の左足に、誰かの足が絡みつく様に乗っていた。俺の脚とは似ても似つかぬそれは、しなやかながら確かに鍛えられたものであり…そして何より、白く、綺麗な肌だった。
つまり、どう考えても男のそれでは無い。
記憶が刺激されるのと同時、首元へと誰かの吐息が吹きかかっている事にも気がついた。仄かな温かさが広がる。
心拍数の上昇は、未だに身体を布団へと押しつけたままだったから、余計に分かりやすかった。
「ん…」
寝言とも言えない程僅かに声を漏らした誰かは身じろぎし、ゆっくりと視線を向けていた俺の目の前へ、穏やかに光を発しているかのような金髪を垂らした。
…いや、誰か、じゃないな。
記憶は戻った。レイリだ。レイリが俺の肩の上で寝ている。
それは分かったが、さて、これからどうすればいいのか。
個人的には、どうにかレイリを自分の部屋へと連れて行き、そこで寝かせて何事もなかったかのようにふるまいたい。『そういう意味』で捉えるのなら実際に何事もなかったのだが、過剰反応して冷やかしてきそうなエリクスさんの存在を想うとこの状態を続けるのは悪手だろう。
だがしかし、そんな器用な真似ができるとは思えない。窓の外から見える空は白み始めており、王都の中に直接日光が入っていないとはいえ、もう朝なのだと言う事はすぐに分かる。
と言う事はレイリも、もうすぐ起きてくる筈だ。
まあレイリの事だ、そこまで動揺もするまい。などと思った時、変な体勢で寝た事によって背骨が痛みを発している事に気がついた。
まあ、もともと反っている様な体勢で寝ていた所に人が一人乗っているのだから当然だ。痛みを解すように一度身じろぎし…レイリの動きと重なる。
「ん…うぁ、もう朝か…」
そう言って、身体を持ちあげる為に手を下へと押し込む。
そこに有るのは俺の体だ。反ろうとしていた背中に対して逆向きの力が加わって――正直、かなり痛い。
「レ、レイリ、一回待って、落ち着いて降りて」
「は?…はぁ!?」
寝ぼけたままの虚ろな瞳が俺を捉え、そして、瞬時に見開かれる。
だがしかし、俺の言葉は上手く届かなかったようだ。レイリは落ち着く、と言う行為を無視して急いで起き上がろうとして腕に力を込め、俺もまた、その痛みから逃れるように体を動かす。
レイリを止めるためにも、痛みから逃れるためにも、このままうつ伏せで居るのは拙い。そう考えて身体の向きを変えて、
――レイリの右腕が俺の背中の動きに合わせて移動、右側へと流れ、俺を組み伏せる形に移行する。
身動きは、出来ない。レイリがもともと寝具に突いていた左腕と、さっき首元に突いた右腕の二つ、そして、正面にレイリ自身。動ける筈など無かった。
レイリの方も、動けなくなっているようだ。起きたばかりなのに動揺してしまう事態が多過ぎたせいで脳が情報を処理出来なくなったのかもしれない。
互いの吐息が触れあい、無意識のうちに呼吸を止めてしまう。…交わす視線を逸らせない。距離が近い、と言う事だけでは無く、だって、こんなに。
「…う、うおぁッ!」
そう言ってレイリは飛び起きる。両腕で寝具を押し、その反動で勢いよく立ちあがる。転んでしまわないかと心配になったが、意識が覚醒した状態ではこのくらいの事で体勢を崩したりしない様だ。
「な、ななな、…どういう状況だ?」
赤面し、動揺しながらも、どうにか声を荒げることなく問いかけに転ずるレイリ。
「落ち着こう、思い出せる筈」
などと冷静に言っては見るものの、俺は内心、相当に焦っていた。
理由としては二つ。一つは、思い出した結果、レイリをこの部屋に運び入れたのは俺だと言う厳然たる事実が存在していると言う事。俺に思考能力はもう残っていなかったような気がするし、レイリだって完全に寝てしまっていて、過失の度合い的には同じようなものだと思ったのだが。
もう一つ、こちらは、もっと単純な感情の問題として。…俺が抱いていいものとは思えない物だが、そう、純粋に。
――見惚れていた。至近で見たレイリの姿、その魅力に、そして何より――綺麗な瞳。透き通るような、しかし、何処までも吸い込まれていきそうなそれに、俺は完全に見惚れていたのだ。
気がつかれないよう、そっと唾を飲み込み、それがまた、自身の思考を自覚させる。
「酔って、上がって…それで何でタクミの部屋なんだよ!」
「レイリが寝たから運びいれられなかったのと、俺も意識が無くなったから。うん、それだけ」
深呼吸して、どうにか最低限の落ち着きを取り戻してからそう伝える。その反対に、レイリはそろそろ憤りの頂点へと辿り着きそうでもある。
まあ、起きた事としてはそれだけなのだ。何故酔った夜中より目覚めてからの方が衝撃的な事が多いのか、全く以って不思議な事ではあるが。
「…ッ!ああもう!…いいか、一回だ、一回だけ聞くぞ。正直に言えよ…?」
レイリはそう言った後、ゆっくりと息を吐きながら左腕を俺の方へと伸ばし、指で差してくる。その行為には不思議な重みがあり、こちらの焦りを吹き飛ばした上で緊張させてくる。
違う意味で唾を飲み込み、言葉の続きを待ち受ける。
「ア、アタシに、だな…な、何もしてねえよなッ!?だろ!?」
…一瞬、再び思考が止まった。
再度復活した脳で考えをまとめる。うん、なんというか。
「してない。心配しすぎだって。俺最低すぎるでしょ、そんなの」
いや、レイリは女の子だ。『そういう事』に対しての警戒心が強い事は当然で、むしろどちらかと言えば褒めるべきだろう。あんまり性別の差とか気にしない所も有るように感じていたし。
だがしかし、コンビとしては複雑だ。まさか眠った状態のレイリに俺が何やら不埒な真似を働こうとしていたと思われるとは。
――正直自分の部屋に連れ込んでいる時点でその疑いは免れるものでは無い気もしたのだが、実際に何もなかったのだ。状況だけで見れば、俺の方がレイリに押し倒されたくらいである。
レイリの方も、どうやら意識を失った時と比べて、特に変わった所が無い事に気がついた様だ。次第に落ち着いて来て、むしろ落ち込んでいく。
「…すまん、その、変な疑いかけたな」
「いやまあ、最終的に信じてくれたから問題はないけど…その、さ。今ちょっと、それとは別で気になる事が有って」
レイリはかなり大声を出した。…それは、つまり、周囲にも声が響いている可能性はとても高いと言う事。
単純に宿泊の妨害だが、この宿はしっかりとした造りだから、そこまで声が漏れていると言う事はないだろう。
――隣の部屋以外ならば、だが。
「右隣はレイリの部屋、だからまあ、良いとしよう。左隣は…」
そう言った時、レイリのすぐ後ろ、廊下へと繋がる扉が叩かれた。
すぐに近づき、開ける。そこに立っていたのはカルスとラスティアの両名、何やらこわばった表情の二人が何を言いたいのかは察せたので、すぐにレイリと二人で中へ引き入れ、説明、及び騒ぎ過ぎたことへの謝罪を行う。
――だが、二人が来た理由は俺達が騒ぎすぎた事などではなかった。
レイリの方をちらちらと見ながら、最初に口を開いたのはカルスだった。
「そのさ、夢、って言うのかな?」
――その一言で、状況を理解した。
多分五章のコメディー()は打ち止め。




