第五十二話:神託
「お話が有ります。お疲れのようですが、出来る限りの事をしなければいけませんので…ごめんなさい」
目を覚ました俺の瞳は、白ばかりを捉えていた。頭が痛い。ここはどこだ?
――いや、知っている。ここは知っている場所の筈だ。それに、そう、今聞いた声は誰のものだ?
錆びついたままの思考をどうにか働かせて、今の状況を探る。そう、俺は、酒に酔って気絶して、…記憶はあいまいだが、部屋にはたどり着いていた筈だ。だとすればここは何処だ?
見回せば、一面が白。しかし、心当たりは有る――そうだ!
「ア、アリュ―シャ様ッ!?」
振り返った先、何時に無く真面目な表情で椅子に座るアリュ―シャ様がいた。
また神の世界へきている事、そして何より、今までで最も深刻そうな表情を浮かべたアリュ―シャ様の姿を見て、俺の意識は一瞬で目覚める。
「お久しぶりです、タクミさん。今日は、いろいろと伝えなければならない事ができましたので、お呼び立ていたしました」
「い、いえ、そんな風にかしこまらないでください。…それで、その」
てっきり、気絶したことでここへ来たのかと思ったのだが、アリュ―シャ様の口ぶりからしてそうではないらしい。
…そうしなければならないほど重大な何かが有ったと言う事だと思うのだが、神様にとってもそれほど重大な事って、何だ?そう思うと恐かった。
「タクミさんの死を招いた原因、神々の戦争は、アイゼル基準で数月前、遂にひとまずの決着を迎えました」
「…あ、おめでとうございます」
「ええ、私達の勝利ではあるのです。これで他の世界へと影響を与えるような事は無くなりました。…しかし」
勝利した、と言う割にはやはり、アリュ―シャ様の表情は暗い。それに、勝ったという報告をするのならこれだけ重々しい雰囲気を纏う理由が無いのだ。
次の一言をアリュ―シャ様が発するまでの間に、俺は無意識のうちに唾を飲み込んでいた。
「私達は、勝利を決定させるため、敵対する世界の神を殺しました。ええ、無数に。…数十年どころか、数百年以上は確実に発生していなかった程の密度で」
「…それは」
神による神の殺害。背筋の冷たくなるような話ではあるが、まだ分からない。
「神の遺骸は、死して後、自らを害した神の世界への呪詛と化します。タクミさんには、以前に伝えましたね」
「え?…ッ!!」
そこまで言われ、ようやく思い出す。
瘴気だ。神が死ねば、それは瘴気へと転じ、アイゼルで忌種を生みだす。
神の死がそれを引き起こす以上、大量の瘴気が生まれたと、そう言う事になる筈だ。
「先ほど伝えました通り、この度の瘴気発生量は数百年間の記録において発生の記録が存在しない物です。『賢静智深』様の仰るには、まだアイゼルに知性体が存在しなかった時代に一度だけ有った、と…つまりは、アイゼルに住まう生命にとって、初めて訪れる最大の脅威だと、言えます」
「そんな!…何か、無いんですか?忌種を発生させない方法が」
「瘴気を集め、液体、固体、とにかく何らかの形状に変化させ、隔離する。それが出来れば話は別でしょうが…無理でしょう。純粋に質量という問題で」
『大陸全体の体積と同じだけの穴があれば、或いは』アリュ―シャ様はそう言った。
「言い訳でしかありませんが…これ以上戦争が長期化する事は、致命的な歪みを生みかねなかった。そうなれば、世界ごと全て消し飛んでいた可能性も有ったのです」
「…瘴気が増えるって事は、忌種が増えるってことですよね、それも、今までにない程」
考えなくても、それは分かる。だが、その規模が問題だ。
「絶忌戦争…アイゼルでそう呼ばれた二十数年前の事件は、私達の優勢を決定づけたある大勝から引き起こされたものです。今回の瘴気発生量は、少なく見つくろってもその十倍」
「十、倍?」
呆気にとられる俺をおいて、アリュ―シャ様は着々と話を進めていく。
「十倍の瘴気がもたらす忌種の膨大な発生に対して、アイゼルに住む彼等は、勝てます。勝てはするのです」
勝てると言う言葉を聞いているのに、語尾が不穏で、全く安心など出来はしなかった。
「忌種と言う脅威に対抗するため、種としての能力は上昇、結果的には、冒険者や守人と呼ばれる忌種に対抗する力も生まれました。例え大量でも忌種は忌種、絶忌戦争でも折れず即座の復興を成し遂げた人類は勝利します。
ですが、それでも、今回のそれはあまりに規模が大きく、また、…恐らく、最初に忌種が現れる場所すら、一定では無い」
「…それは、どういう事ですか」
考えれば分かる事すら、脳が思考を受け付けなくなって、理解が出来ない。アリュ―シャ様は一瞬下唇を噛んでから、こう言った。
「絶忌戦争において、忌種は人里から離れた場所…自然と瘴気が元から集まっていた場所で発生しました。つまり、発生から人類への攻撃までに時間が有り、それだけ対策も打てたと言う事です」
「そうではない、と?…まさか、町のすぐそばで、いきなり強力な忌種が現れる、と言う事が有るって言うんですか!?」
「可能性としては、大いにあり得ます。町の中で、と言う可能性でさえ」
「…対策、なんて、うてるんですか」
「人々の避難と警護、一時的な戦力の結集と、それによる人類にとっての安全圏形成、そこを中心に反撃…という手段が、最も安全かと。それでも尚」
アリュ―シャ様の言葉が、『多大な犠牲を生むでしょう』と続く事は、考えなくても分かった。分かるほど、酷い状況だった。
つまり、人類が追い込まれるのは確実、と言う事だ。守人の力は通用する、と言うふうにも聞こえるが、それだって集めなければ安全は保障されないと言う事でもある。
「そうして、生き残っても…今と同じ繁栄がそこに有るかどうかは、分かりません。無い可能性の方がずっと高いでしょう。人同士が争い合えば、尚の事に」
「…少し前に、戦いは有ったそうです。解決したとは言い難いですし、工作もまだ行われているみたいです」
「ええ、人も神も、争いを止める事は等しく難しい…」
そう言ったアリュ―シャ様は俺へと視線を合わせて、何かを思い出したように軽く背筋を伸ばし、そして、突然申し訳なさそうな表情になった。
「タクミさん、私がこの情報をあなたに伝えたのは、あなたにこの情報で人々を助けてもらおうと思ったからでは、有りません」
「え…?」
「解決をアイゼルに住まう者達へと投げうったとしても、その責任は、せめてそこでとどめておかなければなりません。ならば、もともと巻き込まれて命まで奪われてしまったタクミさん達を、再び巻き込む事などは出来ません」
「で、でも、この情報は伝えなきゃいけないんじゃ」
「この情報は、タクミさん達の様にアイゼルへと渡った方達だけに渡している訳ではありません。『聖陽白浄』様、『蒼光覇伐』様、『賢静智深』様、『深淵裁審』様、『月煌癒漂』様の五柱、及びその下に連なる神の子孫、常に神の血の入らない相手との血縁を結んだとして三代目までの血の濃さを持つ方には…多少時期はずれるでしょうけれど、それでも、十日間以内には神託として届けられる事になっています」
何だか壮大な話だったが、とりあえず、かなり広い範囲に情報は伝わるようだ…いや待てよ?
「三代目まで、って、具体的にどのくらいいるんですか?」
「タクミさんがいらっしゃる大陸における三大国には、最低でも六十名。そのうち一カ国、特に新興の強い国には、百名以上いらっしゃいます。その内の多くが国内の要職についている以上、戦いは、最低でも一時的に鎮静化してくれる筈だと想定しています」
「…要職…なら、大丈夫、何でしょうか」
「ええ、きっと。…私達がタクミさんへと情報を伝えたのは、あなた達がこの状況で命を落とさない様に、です。天寿を全う出来るようにと相応の力を授けておいて、こちらの行動でそう出来なくするわけにはまいりませんから」
「…つまり、この情報を利用して、生き残れるようにと?」
「はい。…これですら、私達以外の、神として在る間に人の身を持たない神々の元からアイゼルへ向かわれた方には伝える事が出来てはいませんが、それでも」
そう言うアリュ―シャ様からは、いわゆる“誠意”と言うものが感じられた。本来神様から人間である俺へ向けられることなどあり得ない様なそれは、思い返せば、初めて出会ったときから向けられていたものだったように思う。
結果的には思い上がりだったのかもしれないが、世界の危機とも言えるような事を、自分だけが知らされ、そして救わなければならないのかと考えた結果生まれた恐怖は消えた。しかし、自分だけ逃げて生き残ろうとは思わない。守人の様に強くない以上は戦場の端で奮闘する事しか出来ないだろうけど、それでもがんばろう。
「瘴気によって忌種が現れるまで、あとどのくらいですか?」
俺がそう訊くと、アリュ―シャ様は頷いて、それから、手元に光の膜を浮かべた。
宙に漂うそれには、どうやら情報が書き込まれているらしい。字を読もうと思ったが、酷い頭痛を感じたので目を硬く閉じた。
「…恐らく、一月から二月ほどかかるかと。どれだけ遅くても、これから三か月以内に始まります」
「準備期間としては、少ないのでは…」
「人員の整理は、守人と言う体制によって実現、各国の協力体制を築くためには、むしろ長い猶予は毒でしか無いのです」
確かに、そうかもしれない。個人とは違い、国という視点で見える事は全然違ったものなのだろう。戦いでは無く、むしろその先に有る利益を求めるものなのだろうから。
…大丈夫、きっと何とかなる筈だ。そう信じて、準備を進めよう。
「…俺、出来る限りの事は頑張ってみる事にします。アリュ―シャ様、知らせてくれてありがとうございます」
「…それは、有りがたいのですが。でも、どうしてです?」
アリュ―シャ様はそう言って俺の事を不思議そうに見つめる。
その問いかけに対する答えは、とても簡単な事だ。俺自身がそうしたいと思ったから、それだけ。なら、何故そうしたいと思ったのか?
「一度死んで、アリュ―シャ様から次の機会を貰った時、思ったんです。『後悔しない人生を送りたい』と。それは、結局のところ、自分の行動を振り返った時、恥ずかしくない様に進みたい、ってことです。
…だったら、後ろで隠れている事なんて出来ません。きっと戦いの中では俺なんて小さな力でしか無いんだと思いますけど、それでも、力になれるのならば、なるべきだし、なりたいんです」
「そう、ですか。
…これは、私がタクミさんを見縊っていた、と、そう言う事なのでしょうね」
俺の言葉を聞いたアリュ―シャ様は、自重するようにそう言った。
「い、いえそんな。俺だって、昔ならそうしてたでしょうし」
「成長を見抜けなかったのなら、同じ事ですよ。私も神なのですから。…ええ、謝罪せねば」
そう言って、アリュ―シャ様は俺の前に進み出て、膝立ちになる。「やめてください」と声を掛けても聞き入れられる事は無く、今まで以上に威厳に満ちた声が、ゆっくりと発せられた。
「『聖陽』の下で産まれし第一の眷族『聖銀弓姫』、このアリュ―シャ、神の身と言う貴きに驕り、人たる御身を侮った事、ここにただ、陳謝を」
アリュ―シャ様からの真面目に過ぎる謝罪を前に立っている訳にはいかず、座り込み、頭を下げる。何と言っていいかはもう、分からなかった。
「あ、うあ…あ、頭をお上げください、アリュ―シャ様。俺はそんな事気にしてないですから」
「…御身の寛大さに、感謝を」
そう言って再びアリュ―シャ様は立ち上がり、うっすらと微笑んだ。
…もう、今の緊張感を感じる必要はない、と解釈しても良いのだろうか?神様から頭を下げられるとか、アリュ―シャ様が実際に信仰を集める神様だと知った今ではもう、とんでもなく心臓に悪い。
「…そろそろ、時間ですね。ご健闘、お祈りしています」
確かに、少しずつ意識が朦朧としてきたようにも思う。
「はい、きっと…」
決意と共に瞳を閉じて、それが最後だった。




