第五十話:後押し
「タクミ殿はやはり、純粋事象型が苦手なのだな…」
「はい…。魔術で出来る事は増えましたけど、あれはどうにも」
「ラスティア殿はこちらの方がより才覚を示しているようだが、な。…さて」
ハウアさんをどうにか説得したあの日から、二日。俺はいつもと変わらず、シュリ―フィアさんに魔術の稽古をつけて貰っていた。
シュリ―フィアさんの言う『純粋事象型』というのは、魔術を大まかに分類する時、使われる“事も有る”言葉らしい。
俺が苦戦してどうにか身につけた『炎弾』もそれ、他には、ラスティアさんの『切開』もそれに当たる。
『炎弾』はそこに無い炎を作り出しているし、『切開』は、例えば、俺の『風刃』が空気で刃を作り出すことで何かを切断しているのに対して、『切開』は、切るという工程を挟まずに、切られたという事象だけを瞬時に引き起こしている。
双方に長所と短所があり、どちらも使える事にこした事はない、とラスティアさんが言う。
「以前聞いたが、とても硬い糸を切ろうとした時に『切開』が通じなかったというのは、ラスティア殿がその糸の硬度を実際より弱いと誤認していたからという可能性が高い。事象を引き起こす為に放たれた形なき力が、それを実現するためには足りなかったという事だ」
蜘蛛娘さんのいた島での出来事だとは思うが、シュリ―フィアさんの説明からは完全な理解を得る事は出来なかった。シュリ―フィアさんは自分の説明が下手だからというが、実際の所、俺の発想が覚束ないからではないだろうかとも思う。
ともあれ、魔術における俺の訓練方向は、以前から変わっていないとも言える。だがしかし、『炎弾』を使えるようになった事からも、一歩一歩着実に成長しては行けているのだという自信は生まれてきた。
「昔、とある横着者が『調理』という魔術を作ろうとした事すらあったという。そうなれなどとは…絶対に言わないが、実現可能だと言う事は肝に銘じ、諦めないよう挑んでほしい」
「はい」
そう言われながら挑むのは、…なんだか懐かしい、魔法陣製作。
だが、ラスティアやナルク夫妻からするように言われたそれとは手法が違う――決められた陣を、起句の一言で魔術的に作り上げる、という荒業だ。
この場合、荒業だという認識で居るのは俺だけらしい。以前ロルナンで見た馬車などに彫り込まれた冷却の魔法陣などの広く使用されている、また簡素な魔法陣は、訓練した魔術士が業務として製造している物らしい。…不思議な単純作業も有った物だと、変な関心を持った事は記憶に新しい。
「『刻印:冷却』」
以前までの俺であれば、金属を削る工程を踏んでいた事だろう。だがしかし、今やるべきはその方法では無く、魔法陣が完成するという結果を導きだす事だ。
削り出す訳でも無く、かといって、金属を凹ませたりするわけでも無い。…ただ、そうあれと、金属の形状を強制的に指定する感覚。
出来上がったそれは…やはり、シュリ―フィアさんが用意してくれた完成品と比べると、堀が浅いと言わざるを得ない。これでも効果は出るらしいのだが、稽古の結果として満足できるものでは無いのだ。
「ふむ、以前よりは随分と上達したようだが、やはり苦手なのだという印象は、某から見ても拭えぬな。
純粋事象型を鍛えておけば、他の魔術においても事象を現実化する際の確実性を上げる事も可能となろう、急げとは言わないが、諦めるでないぞ」
「はい、頑張ります。…それで、ですね?シュリ―フィアさん」
少し集中が緩んだ隙に、突飛な思考が俺の中から湧き出す。
「何だろうか、タクミ殿?雰囲気からして、修行の事とは関わりのない事のようにも思えるのだが」
「ええ、まあ。そこまで深く考えなくても良い事なんですが…エリクスさんの事って、どう思いますか?」
それは、――とんでもない質問だったのかもしれない。
午前の訓練、午後の稽古、その両方で疲労した頭で無ければ、きっと思いつくことさえなかっただろう恐ろしい発想。口に出した無意識の間でさえ、『そこまで深く考えなくても』と一歩予防線を引いているあたり、それを口に出す事を俺は恐れていたのだろう。
数秒して、恐る恐るシュリ―フィアさんの方を見れば、「ふむ…」と小声で呟きながら、顎に手を当て視線を斜め下に向ける真面目な表情が見えた。深く考えている、間違いなく。
更にその向こう、驚愕に目を見開くラスティアの表情も見える。この数カ月で、ラスティアさんの感情表現も豊かになってきたように思えるのはきっと、気のせいではないだろう。
そんな現実逃避をしている内に、シュリ―フィアさんの中で答えは出たようだ。
「ふむ、エリクス殿は…そうだな、以前も行った事だが、頼りがいのある男、という印象が先に来るな」
分かっていた事だが、嫌われていない事に内心で安堵する。…むしろ、頼れる男というのは女性にとって好感を持てる部分なのではないだろうか?
「レイリ殿は勿論、タクミ殿たちにとっても、一種の師として仰げる対象ではあるだろう。そう出来る技量と、懐の深さも感じられる。あの気さくな性格もまたよい物だ」
今の所、好意的な印象ばかりが発せられている。問いかけに怯える必要は、特になかったかもしれない。
その背後では、安心したかのようにラスティアが魔術の稽古を再開していた。エリクスさんに対して硬かったラスティアの態度も、数カ月共に過ごすことでずっと軟化している。
「そう、それに、…これはタクミ殿達皆に言える事ではあるが、某にとっては数少ない友人である。守人は、信頼できる仲間であるが、楽しみあえる友であるかと言えば、そうではないが故にな」
…しかし、恋愛感情が有ると言う訳では、無いようだ。エリクスさんに対しての好感情は常に増加しているようだが、それが恋愛感情に向かない以上、エリクスさんの望みは叶わない。
これに関してはまあ、エリクスさんがシュリ―フィアさんを意識させると言う事を怠っているのが悪いのだ、と言う事にしておく。
「ああ、それに、エリクス殿は某が王都に帰ると伝えた時、自分も王都へ、と言ってくれたのだ。実際にこうして訪れてくれたのは、自惚れでなければ、某の事を想っての事であろう。なかなかに感慨深い事だ」
「え?…あの、『想って』って言うのは、具体的に言うと?」
そう言うと、シュリ―フィアさんは僅かに頬を赤く染めた。…いやいや、まさか、その反応は…まさか。
胸中で謎の興奮が生まれる。これは――正しく、野次馬根性。人の恋路に関わると馬に蹴られて死ぬらしいが自分が馬になるとは。
その思考が再び訪れた現実逃避以外の何物でも無い事に気がついた時には、シュリ―フィアさんは話し出していた。
「うむ…恥ずかしい話だが、某、エリクス殿やレイリ殿と離れる事に、寂寥感を得ていたようでな。あの時はタクミ殿が海に流され、町の被害も大きいと散々な状況だったと言うのに、全くもって、某の不徳の致すところではあったのだが…それは、エリクス殿に読み取られていたようだ。
エリクス殿にとっても、勿論、タクミ殿を失ったレイリ殿にとっても大変な時期だったと言うのに、エリクス殿に気を使わせてしまったのではないか、とな。
守人として、そうでない者には気高き姿を見せねばならにと言うのに、あの町で出会った者達にはそうでない姿ばかり見せている様な気がしてならぬ。そのうえ、某への心配でエリクス殿達に不安を掛けてしまったのだ、某はもう、居た堪れないことこの上ないのだ、実際」
そう言ったシュリ―フィアさんの顔は、いつの間にか、落ち込んだような表情に変わっていた。
その発言も、全体的には自嘲と呼んでも間違いではないような内容で――そうではないだろうと、強く思った。
「シュリ―フィアさん、エリクスさんが、シュリ―フィアさんの事を心配したという思いだけで王都まで来たと思いますか?」
「…どういう事だ?それは」
俺の発言により激しく反応したのはラスティアだ。当然、まさかエリクスさんの思いまで伝える気かと疑う視線を俺へと向けてくるが――いくらなんでもそんな事はしない。台無しにも程が有る。
だが、シュリ―フィアさんにとってのきっかけを与えることくらいは良いだろう。絶対に確信には触れない様に、しかし、シュリ―フィアさんの思い込みに揺らぎを与えることを求めて、言葉を紡ぐ。
「心配だったという感情は、確かにあったのかもしれません。ですが、エリクスさんはだから王都に来たんじゃない。シュリ―フィアさんと一緒にいたいと思ったからこそ、自分で着いて行こうと考えた筈です。…失礼を承知で言いますが、そんなエリクスさんに対して『居た堪れない』なんて思いで向きあうのは、それこそ失礼だと、俺は思います」
「…むむむ」
シュリ―フィアさんはそう唸って、俯いてしまった。
さて、俺としては、どうにも言い過ぎてしまったような気がする。特に最後、俺がシュリ―フィアさんに対して『失礼だと思います』などと言えた立場か?自分で言った事だが、どうにも愚かしい。
ラスティアは、何やら頷きをこちらへと送っている。納得してくれたのかと思ったが…もしかしてあれは、ラスティアとカルスが俺と共に王国へ来てくれた事に関して同じ事が言える、と言いたいのだろうか?
深読みのしすぎかもしれないが、二人からまだ俺が遠慮しているように見えると言うのなら、それは改めるようにしよう。…個人的には、聖教国を出る時に同じ事を言われて、遠慮等の感情は払拭したつもりではあったのだが。
「いや…確かに、そうであろうな。エリクス殿は、何かあるのならきっと口で伝えてくれる筈。エリクス殿の態度に含む所が無いのなら、某こそ、ありのままの態度で接するべきであったか。
…タクミ殿、忝い。某はエリクス殿の好意を、これまで無碍にしていたらしい」
「いえ、それは、エリクスさんにきちんと接する事で、返して下さい」
「…うむ、そうだな。まずは、今宵の晩餐か」
そう言ったシュリ―フィアさんは、表情を引き締めた。…とても都合のいい想像をしていたような気もするが、その表情では恋愛に発展するまでの道筋が遠いように思えてしょうがなかったので、蛇足だと思いつつ質問を重ねる。
「…えっと、一応聞き直しますけど、エリクスさんに対して悪感情はないんです、よね?」
「む?当然の事を聞き返すでないぞタクミ殿。あれだけ某を想ってくれる相手の事をどうして嫌えようか」
そう事も無げにシュリ―フィアさんは言いきって、魔術の稽古が再会される。
その友愛の感情が、恋愛の感情へと変わればいいものにと思いつつ、魔法陣を再び作成する。
――心なしか、彫りが深くなったように思えた。




