第四十九話:思い
上体を逸らし、振るわれた拳の衝撃を交差した両腕で受け止める。
エリクスさんから攻撃の防御方法も習ってはいたが――訓練以上に重い拳だ。間合いも拍子も測りきる事が出来ていない所に本気の拳を喰らえば当然の事だが。
ハウアさんは振り抜いた右手を引き、左の拳を突き出してくる。それを受け止めず、右側にずれて回避すれば、ハウアさんは体を捻って、風切音を撒き散らす右の後ろ回し蹴りを打ち込んでくる。
しゃがみ込んで良ければ、ハウアさんは跳躍、動けない俺に上から跳び蹴りを当てようと降ってくる。
その時、俺の元へカルスが駆け寄り、短刀を抜いた。勿論カルスも短刀でハウアさんを傷つけようなどとは考えていないが、それでもある程度脅しとしての効果は有ったらしく、ハウアさんは空中で体勢を変え、着地、距離を取る。
そうしている間にラスティアは『飛翔』で少し高所へ。ハウアさんが逃げられない様に牽制する。
「私から始めた事だけれど…やるのね?いいわ。分かりやすくて」
再び踏み込んでくるハウアさんから距離を取りつつ、どうやってハウアさんを取り押さえるかを考える。
いや、この場合は、多少無理やりにでも納得させなければならない。止めた所で、彼女の感情は今回の密偵だけでなく、貴族達にも向かっているのだから。
…とにもかくにも、説得するために取り押さえなければならない事に変わりなどはないが。
地面を『陥没』させても、それを先に察知されて、自分から足を突っ込み、壁となった部分をけることでより一層加速してハウアさんは近づいて来る。俺は、ハウアさんの命を奪いかねないような危険な魔術を使う事は出来ず、しかしハウアさんは、俺を昏倒させた所で止められると思っているのだろう、一撃、二撃と本気の拳を繰り出してくる。
ならばと『操風』、手入れされなくなったことで埃の散らばった地面から様々な物を巻き上げ、ハウアさんを取り囲むように吹き荒れさせる。
これにはハウアさんも目をはっきりと開けてはいられない様だ。獣人の鋭敏な五感でも、大通りからは離れて光源の疎らなこの場所では、薄眼で自由に行動する事は出来ないらしい。
「ハウアさん、きっと、もう何度も聞いたような事だとは思いますけど…それでも言わせて下さい。きっと、貴女の行動は、…何の意味も、産み出しません」
「言うわね。でも、それは違うわ…守るべきものすら守れない私自身を、ほんの少し慰める事なら、ね」
そう言いきるハウアさんの表情には、諦観の念が含まれているのが見て取れた。…自分の行動の意味を、自覚していると言う事だ。となれば、説得はかなり難しいだろう。俺としては厳しい言葉を使ったつもりだったが、それで堪えた様子すらないのだから、その意志は既に固まって――凝り固まっている。
取り押さえれば、そうでなくてもこのまま時間を稼げば、今日ハウアさんをあの場所へ向かわせない事は出来るだろう。だがその先はどうなる?ハウアさんがその意志を捨て去らなければ、きっといつまでも同じような事は繰り返される。この国の体制そのものが変わる事なんてそうはないだろうし、それこそ、帝国だってハウアさんにとっては広義の復讐対象に含まれているのだろうから。
踏み込みに合わせ『飛翔』高速で飛び越えるように彼女の背後を取り、空気の塊をぶつける。しかし彼女は左に跳躍、右腕で風を受け止めて、その勢いを利用しながら高速で俺の方に反転、跳躍して俺の腹を抉るように拳で打つ。
背骨を伝って頭部まで響いたその衝撃で、空中で制御されていた筈の俺の体すら跳ね上がる。
「ッ…!」
「手を抜きすぎね」
『飛翔』で距離を取ろうかとも思ったが、その視線を貴族街の方へ向けたハウアさんによってそれは阻まれる。カルスがすぐに対応、接近してくれたものの、俺だけがここから離れると言う訳にもいかないだろう。
ほんの僅かに後退しながら着地、ハウアさんの動きを見る。
既にラスティアさんが魔術による地表操作でハウアさんを翻弄してくれてはいるが、それでもハウアさんが致命的な隙をさらす事はない。目が薄眼になっているあたり、さっきの風で埃がめに入ったのだろうとも思えるが、それにしたって殆ど悪影響とはなっていないようだ。一体どうやって周りの状況を察知しているのか。
ハウアさんに対して本当の意味で本気を出す訳にはいかないが…それでも、このままではジリ貧。多少の無理を通す必要がある。
…いや、効果的かもしれない行動は有る。でも、本当にそんな事をしていいのだろうか?それは、ハウアさんの感情を侮辱するのとほぼ同じ事だろうに。
迷うまま、一歩前へ出る。ハウアさんは教会の門前でカルスと戦いを繰り広げている――が、双方共に一度も攻撃が当たらない。カルスの短刀、ハウアさんの肉体、最早密着するような距離で攻撃を繰り出しあっても尚、俺が考えを巡らせる間で変化を作る事はなかった。
カルスは、短刀に関しては当てようとしていないだろう。だがしかし、足払いやひじ打ちなど、エリクスさんとの訓練で鍛え上げられた体術で幾度も攻撃は繰り出しているのに当たらないのは、それだけハウアさんの技術が卓越したものであると言う事を示す。
決め手のないこの現状、時間稼ぎだけで終わらせるか、ハウアさんの意思を確かめるか。
「『陥没』『隆起』『掘削』『操風』『拘束』」
ハウアさん本人が俺に攻撃できない距離から、魔術を連続使用。ハウアさんを翻弄したのとほぼ同時、巻き上げた砂を使って地面へと足を縛りつけようとするも――寸前で察知され、より拘束の甘い足で地面と拘束具との連結部分を踏み砕かれる。
…この数カ月で実現した魔術の中、傷つけることなく人を取り押さえる為に作りだした魔術だったが、ハウアさん程に実力が有ると殆ど時間稼ぎにもならない、という事が判明した。
だがしかし、止まってはいられない。なぜなら、俺を見るハウアさんの瞳に再び強い感情の色が宿ったから。
カルスの足を踏みつぶすように突き出した右足は、それを事前に察知したカルスによって回避される。だがしかし、それを利用してハウアさんはカルスと距離を取り、着地と共に再び俺へ向けて鋭く跳躍、反転しつつ蹴りを繰り出してくる。
「何が、したいのかしら」
左足が伸び切っていない間に、それとすれ違うようにハウアさんの左側へ。しかし、追撃するように右手の裏拳が俺の顔を目指して飛んでくる。
「『障壁』」
しかし、その腕は宙で何かに押しとどめられた。寸前に聞こえたのはラスティアが起句を唱える声、視認できなくても、今、俺とハウアさんの間には壁が有るのだろう。
ハウアさんは一瞬右手を痛そうに見つめたが、すぐに視線を俺へと戻し、壁の端を掴むや否や、それを支点に身体を跳ね上げ、俺の側へと体を飛ばしてくる。
「本気で止めようと言う気が感じられない」
「…本気で、止めます」
躊躇していたが、仕方がない。正直な所ハウアさんの感情がどうこうという以前に、俺自身が常識として、その行動からえられるだろう二つの結果、そのどちらに対しても躊躇ってしまうのだが――もう自棄だ。
自分の意思を通して、そのうえでハウアさんも助ける為に、やってやる。
ハウアさんから再び距離を取り、走って数歩移動。追ってくるハウアさんの位置が、ちょうど俺と教会の建物の間になっている事を確認して。
「『炎弾』」
炎の玉、拳よりほんの少し大きいそれをハウアさんへと向けて飛ばす。その速度は速い――がしかし、ハウアさんなら余裕を持って避けられるだろうと言う程度のもの。当然ハウアさんは余裕綽々と言う様子で、体を少し反らし、その肌に熱気を受けつつも回避、俺への最短距離を詰めようとして。
「後ろ」
その言葉で、完全に硬直、即座に振り向いたハウアさんの目には――教会の扉、木製のそれへと向かって行く『炎弾』が、はっきりと映った。
「――ァア!」
爆発するような踏み込みと同時、周囲の埃を巻きこんだからか視覚化された風を引き裂く様に、ハウアさんは炎弾へと疾駆する。
炎弾が教会の入り口、屋根と柱で囲われた空間に辿り着くまでの約二秒で既に、ハウアさんは炎弾へと並び――更に前進、扉を守るように立ちはだかり、振り上げた拳を叩きつける。
――きっとこうするだろうと思って、火力は最大限に抑えてはいたものの、それでも魔術が事象として呼び起こした炎、それを腕だけでかき消すとなれば、外側から中心、そのまま反対側へと貫きとおし、完全に形を無くす必要がある。
当然、火傷は必至だ。ハウアさんはその手を押さえて蹲り、しかしそのまま、俺へと敵意のこもった瞳を向けてくる。
…まあ、当然か。ハウアさんの思いを利用する形で痛打を与えた事になるんだから。
でも、だからこそ伝えられる事がある。…こうして形にした今なら、きっと理解してくれる筈だ。
「何故…教会を、狙ったの?貴方は『後ろ』と言った。あれは、私にこれを気付かせる為でしょう?」
「はい」
「…何故か、と聞いているのよ」
「単純な話です。…あなたは、自らが負傷し、その手で復讐を行えなくなる事より、この教会を守る事を選ぶ人だ、と信じていたから」
ハウアさんは、教会の皆が自分の事を心配している事には気がついているだろう。それでも自分を許せないから、教会の人達より、この何も残らない復讐の道を選んだ――と、思っている。
「どうしてそう思ったの?」
「ハウアさんは、教会の子どもたちを守るために必死になっていました。少なくとも、俺が知っているハウアさんはそうです。…だったら本当は、ハウアさんだって、復讐なんかより、皆を守る事を選びたいはずだって考えました」
だって、そうだろう?ハウアさんは子どもたちを守るために戦っていたのだ。その子ども達を奪った者を恨むのは当然だが、それ以上に、子ども達を――その記憶の残るこの教会を守るためにこそ、より力を振るう筈だ。
「…どうして、そう、思ったの?」
「…ハウアさんが、俺ですら分かるくらい、優しい人だからです。…あなたの力は、教会の人達を守るために使うべきだ、なんて俺は勝手に思いますけど、…ハウアさんだってそうしたいって思っているのは、今まさにあなた自身が証明してくれたのだと、思っています」
ラスティアが地面へ降り、こちらへと近づいて来る。俺とハウアさんの会話を聞いていたカルスもだ。
「…でも」
ハウアさんの視線が、揺らぐ。これまでずっと、俺を睨みつけていた瞳には戸惑いに似た感情が溢れだしているようだ。
…きっと、考え直させる事は出来たのだろう。それでも、今、重ねられるだけの言葉を重ねたい。
「子供達は、親を求めるものですよ。きっとハウアさんも、あの子たちにとっては、大切な親の一人の筈です」
「…安全、らしいけど、何が起こるかは、分からない。だから、…守ってあげる、べき」
カルスが、ラスティアが、各々の思いをハウアさんへと伝えていく。
そのたびに小さく震えるハウアさんは、まるで小さな子供のようだった。――きっと、ハウアさんもまた、心という意味で、守られるべき人なのだろう。
俺達より少しは年が上の筈だが、ランストさんやフランヒさんと比べれば五つは年下に見えるハウアさんは、きっと、あの二人にとっては守るべき対象の一人でもあったのだ。
「もう一度、ランストさん達と、話し合ってみてください」
「…でも、数年は帰らないから、って、言ってきたわ」
視線を完全に背けたまま、ハウアさんはそう呟く。その語気は何処までも儚く、自分でもその言葉では抵抗できないと分かっているのだろう――何よりも、自分自身の意思に。
「そんな事、気にする筈が有りません。どうしてそう思うのか、なんて聞かないでくださいよ?ハウアさん自身が、一番分かっている筈なんですから。…………それでは、これで」
もう大丈夫、ハウアさんはもう、自分の気持ちに気付けた筈だ。
そう思って、二人と共に教会の敷地の入口へ向かう。その途中、背後からハウアさんが、精一杯気勢を取り戻した声を俺達に向ける。
「わ、私が、『赫獣魄栄』の言い伝え通り、爪牙を武器とし戦う可能性は有るでしょう?放置していいと?」
…だが、余りにも迫力が足りない。それに、構ってほしくて言っているかのようだった。安心と共に、気の抜けるような感覚に襲われる。
「タクミ!…無視をしないで貰える!」
その声を背に受けながら、教会の敷地を抜け、通りを宿へと向けて歩いて行く。
その途中、ラスティアが小声で問いかけた。
「そろそろ?」
「うん、お願い」
ラスティアが頷いて、一瞬瞳を閉じる。これできっと、ハウアさんの火傷は治った筈。…傷を負った後に使った魔術が、その効力を多いに表しているだろう。
ラスティアがこの魔術を使えて、本当に良かった。使える人間そのものの数が少ない中、ラスティアはかなり高水準の治癒魔術を使えるようになったらしい。
「…何だか、今凄くほっとしてる」
「ほっと?ああ、ハウアさんを止める事が出来たしね」
「うん、それも勿論なんだけど…成長したって実感がえられた、って言うのかな」
「それは、分かる。…今までは、何ができるのか、知ってる人とだけ、戦ってたから」
ラスティアさんの言う、戦いについてもそう。でも、俺にとっては何より――。
「お、帰った帰った」
翠月からちょうど出てきたレイリと出くわす。レイリは、俺達の表情から何かを読み取ったらしく、歯を見せて笑い、
「ほら、早く入って何が有ったか聞かせてくれよ!みんなまだ分かってねえんだから」
そう言って俺達の背中を押してきた。
中に入れば、食堂には俺達を待っていたシュリ―フィアさん達だけ。他の客はもう食事を終え、自室へと帰ったらしい。
「皆、ようやく帰ってきたようだな。…それでは、その表情の理由、語ってもらおうか?きっと、良い肴になる故な」
そういうシュリ―フィアさんの手には、酒に入った器。見れば、その隣に座るエリクスさんも酒を準備している。それでも顔に赤みが差していないのは、…俺達が帰ってくるまで待っていてくれたということか。
「はい、えっと…」
――ちゃんと、自分の意志を貫けました。




