第四十六話:仲直り
どうやったのか一瞬で水浴びを終わらせた女性陣と共に王都へと帰還、その後は昼食と相成ったのだが…。
「すまん、俺もう行くわ。昨日と同じ所だから、じゃあな!」
そう言って、昼食を掻き込んだエリクスさんは早々に立ち去って行った。
「シュリ―フィアさんに時間があるか、とか、全く確認してなかったみたいだよ」
「そんなんで大丈夫なのかよ…今日はもう終わりかも知んねえな、これじゃ」
そう呟くレイリは、いつの間にかかなり食事が進んでいる。皿の上からはもう八割方料理が消えているのだから、かなりの速度だ。
それを見ている俺は、…正直、ほとんど食事が進んでいない。
二刻以上殆ど全力で走り続けていたのだから、正直なところ当然だと思う。長距離走としての走り方では無かったのだ、あれは。
それと同じ理由で、カルスもほとんど食事に手をつけられていない。ラスティアさんは、倒れたと言っても俺達より一刻速く、少しは体力が回復していたからだろう、少しずつではあるが食べる事が出来ているようだ。
「あー…あんま無理しない方が良いぜ?正直、こんな訓練むちゃくちゃだからな」
「と、…言うと?」
カルスが聞くと、レイリはその疲労困憊な様子に痛ましげな視線を向けてから、こう言う。
「アタシがついて行けんのは、昔から兄貴とずっと体動かしてたし、最近は雷然の修行も含めて今までよりも動いていよいよ体力がついてきたからだ。タクミがおかしいのは置いとくにしても、カルスとラスティアはどっちも単純な体力を鍛えて来たようには見えねえ。二、三年頑張ったくらいじゃ普通はあんな体力つかねえんだ」
「…無茶、苦茶?」
「おう。それでもまあ、その後に休みを入れることを徹底するなら限界までやるのも有りなんだけどな」
少しだけ呆然とした表情を浮かべたラスティアさんに、レイリが少しだけ慌てて注釈を入れる。
エリクスさんが行った過酷な鍛錬が各々の胸にそれぞれの感情を抱かせているのだな、と理解して――どうにか、無理やりにでも食事を終える。
だがやはり、急いで動く気にはなれず、ゆっくりとあの館へ向かう。
そうしてたどり着いた館の門前では、エリクスさんとシュリ―フィアさんが立っていた。
いや、その視線が俺達に向けられている事を考えれば、待っていたと表現する方が正しいだろう。
…シュリ―フィアさんに対しては、やはり謝る必要があるだろう。
自分の意志を貫けるようになろうと近いはしたものの、いくらなんでも昨日のあれは、自分の意思で動きすぎた感を否めない。
駆け寄って、その青い瞳を見つめる。そして――、
「すいませんでした!」「すまぬ、某は頭に血が上っていた!」
――大きく上げた謝罪の声に、シュリ―フィアさんのそれが被せられた。
地面を過ぎて後方が見えるほど全力で下げた頭を上げれば、シュリ―フィアさんも同じように頭を上げていくのが見えた。
…つまりそれは、シュリ―フィアさんが俺に頭を下げていたという事で。
「え、あ、…き、昨日のは俺が悪かったんです!シュリ―フィアさんの事を考えず言うだけ言って」
「…いや、昨日の某は、貴殿の言葉に激情を抱いてしまったのだ。だが考えてみれば、貴殿がそれが死にその情報を伝えた事が、悪意によるものであった筈もない。――となれば結局、感情に呑まれて某が貴殿に当たり散らしてしまったのだ」
そう言って、シュリ―フィアさんは再び頭を下げようとする。
流石にそんな事をされる訳にはいかない。先に膝をついてシュリ―フィアさんの頭より下に移動、全力で止めて、頭を上げてもらう。
「俺、シュリ―フィアさんがあれだけ邪教の事を憎んでいたって事を知っているのに、何も考えずにあんな事を言ってしまって――感情で動いたのは俺です」
「だが、某は先達である。なればこそ、貴殿の発言を冷静に受け止める必要が有ったのだ」
シュリ―フィアさんはそう言って譲らない。どうすればいいのかと心中が混乱の極地へと至りかけたその時、エリクスさんがこう言葉を挟む。
「このままじゃ埒が明きません。互いに謝ってるのに、このまま言いあい続けてちゃあどうしようも有りませんから、…そうですね、互いに謝罪を受け入れて、冷静になってみるのが良いんじゃないですか?」
それは非常に理知的な判断で、この状況でエリクスさんが思いつくとは失礼ながら思えないような言葉だった。
だが、シュリ―フィアさんのこの態度を見た時から既に考えていたのかもしれない。何せ、俺達がエリクスさんと別れてからここへ来るまでに一刻以上の時間がかかっているのだから。
「…そうか、そうだな。…それではもう一度、すまなかった、タクミ殿」
「い、いえ…ごめんなさい、シュリ―フィアさん」
再び互いに頭を下げて、それで終わり。
冷静になった頭に、『貴族街では騒いではいけない』という、昨日シュリ―フィアさん自身が言っていた言葉が蘇ってきたものの、きっとそれより俺達との事を大事にしてくれたのだろうと考えると、とても嬉しくなった。
「それでは、もう一度話を詳しく、聞かせてくれるだろうか?」
「はい、お願いします。…今度は、もう少し詳しく話します」
◇◇◇
「…ふむ、集団行動していた狼型の獣、か。それは、貴殿にも襲いかからなかったのだな?」
「はい。俺が姿を現した時には既に離れていたので、気がつかれなかった可能性もありますけど」
「いや、それは、あの時ロルナンにも現れたものなのだろう?嗅覚が発達していたようだし、森の中では強い風も吹いてはいまい。存在は気付かれていたと思うぞ。そして、それでも尚、となれば――『聖獣』である可能性も、否定は出来まいな」
昨日話す事が出来なかった事を含めて、シュリ―フィアさんに説明する。
互いに熱くなる事は無かった。俺は記憶を呼び戻し、シュリ―フィアさんからの問いかけで、それをより精細なものにしていく。
「…結局の所、絶対の確証を得る事は出来ない、か。…その視点を持って、邪教の者達から何か情報を引き出せれば、或いは」
「あの司教は、俺が王国に帰る事を伝えると、王国にいる別の司教に話を伝えるとか、そんな事を言っていました」
「ならば、タクミ殿の下に再び現れるということもあり得る、か。…しかし、他の司教か。聖十神教には現在…司教位階は八人、だったな。これは…」
「聖十神の数を考えると、あり得るかもしれませんよ」
「どの神を特別重んじる、という事もなかったのだがな。しかし成程、途端に重みが増してくるではないか」
「遭遇した際、どんな質問をすればいいでしょうか?」
「そうだな、それも考えておく必要があるし…できるだけ、タクミ殿個人では動かない方が良いだろう。念のため、という事ではあるがな。…ふむ、某もできる限り同行するか」
シュリ―フィアさんはこともなげにそう呟くが、俺にとってその発言はとても驚きだった。
「え?…良いんですか?というより、大丈夫なんですか?」
「任務が入れば、無理だ。だがしかし、各種報告等も昨日中に終了した。となれば、某も只無下に時間を費やすより、有意義に動きたいと思う者である」
「それは…正直に言って、とてもありがたいです」
だが、実際に何時彼等が接触してくるかは分からない。それがずっと先ならば、シュリ―フィアさんがその時にいないという可能性もかなりありはするだろう。
それでも、その時に聞くべき事や対応を先に考えられるのならば、これ以上に無い。
――ずっと話の流れを確認していた皆は、ここでようやく一息ついた。
「夜中はどうします?奴らがタクミの所に来るなら、人目につかない時間を選ぶと思いますが」
「ふむ…某が貴殿らと同じ場所で宿泊、というのは難しい。かといって、貴殿らをこの屋敷に呼び込むのもまた、な」
『されど、夜中こそ怪しむべきであるのは確か。うむむ…』とシュリ―フィアさんは唸る。そして、名案が有ったのか、視線を上げて微笑む。
「よし、某は偽名を名乗る事としよう。体裁さえ整えれば問題はない筈であるからな」
「…というと?」
「ふむ、偽名を名乗り、貴殿らと共に過ごすという事だ。…宿暮らし、という事で良いのだったな?」
「はい。翠月という宿に」
「ほう、翠月…少し前に通りかかった事が有るな、あそこか」
得心したとばかりに数度頷いたシュリ―フィアさんは、『準備を整えてくる』と言って部屋を出た。
「…よし!」
そう叫んで満面の笑みを浮かべるのはエリクスさん。いや、確かに喜ばしい事なのだが、些か――多分に――不純な動機が含まれている様な気が。
「ん?なんか…ん?シュリ―フィアさんもあの宿泊まるっつうことか?」
「話に、入れなかった…」
「僕達には分からない言葉が多過ぎる…」
三人は、いまいちこの話の内容を理解する事が出来なかったようだ。俺だって、皆の立場だったら分からなかったと思う。結論が出ていない事が多いのだから尚更だ。
「あとは、あれだ。シュリ―フィアさんに魔術の修行を頼む事」
「…シュリ―フィアさんなら、頼めばひきうけてくれるんじゃないかとも思うんですけど、でも、それはあまりよろしくないですかね?」
「頼んで聞いてくれる事なら、問題はねえだろ。まだ遠慮しすぎなんだよな」
そう言われると言い返せない。頼んでみてから考える事にしよう。
などと思っている内に、シュリ―フィアさんは帰ってきた。手には杖と、荷物。但し、そこまで量は多くなさそうだった。
それを不思議に思ったのが伝わったのか、シュリ―フィアさんはこう言った。
「余り格式高くない服、というのが数枚しかなくてな。数日のうちに、それを含めて購入すればよいだろうという事だ」
「そう、ですか。…それで、ですね。出来ればシュリ―フィアさんに、頼みたい事が有りまして」
シュリ―フィアさんはそれを聞くと、一瞬少しだけ目を見開き、次いで微笑む。
「先ほどは、某ばかりが得をした――ああ、情報を得たという意味でな?であるからして、某が応えられる限りの事は叶えよう。望みは何だろうか?」
そう告げるシュリ―フィアさんの顔は、聖母という物を想起させる程美しい物であり、俺の後ろで皆が感嘆の溜息を吐く音が『ほう…』としてきた。
エリクスさんの顔が凄い物になっていたが、俺の方を見ているシュリ―フィアさんには見えていないようだ。良かった。
「ま、魔術の修行を、つけてほしいんです。あの、俺だけじゃなくて、ラスティアにも」
皆まで言うなとばかりにシュリ―フィアさんは鷹揚に頷き、それを受け入れる。
「全く、某の得た情報の重大さと比べれば些事ではないか。その程度の事でうろたえるでない」
「まあ、これで互いに変な気遣いとかは、終わりです。貸し借りを返したって事で、これからは今まで通りの関係に戻りましょう」
「ふむ、それはそうか」
エリクスさんの言葉を聞いたシュリ―フィアさんは、俺に手を差し出してくる。
きっとそういう事なのだろうと考え、俺はその手を取り、握った。
「これにて仲直り、という次第だ。良いな、タクミ殿」
「当然です、シュリ―フィアさん。これからも、よろしくお願いします」
そう言いあって、まさしく仲直り。シュリ―フィアさんの背後に移動したエリクスさんが嫉妬の視線を俺に向けてくるのだが、間違いなく恋愛感情は含まれていないので止めてほしい。
するとシュリ―フィアさんがエリクスさんの方に振りかえった。表情を見られる一瞬前に真面目な者に戻したエリクスさんだが、その実かなり焦っているようでもある。
「シュ、シュリ―フィアさん?」
「エリクス殿、貴殿の御蔭でこうして、妙な柵に縛られる事が無くなった。感謝する。貴殿は頼りになる男だな」
そう言われ、エリクスさんは硬直、口をパクパクと動かし始めた。
シュリ―フィアさんは楽しげに部屋を出て行ったので、もう移動を始めようという事なのだろうが――エリクスさんにとって、シュリ―フィアさんから『頼りになる男』と言われた事は、かなりの衝撃だったらしい。
「エ、エリクスさん。その…良かったですね」
「…おう」
蚊の鳴くような声でようやくそう言ったエリクスさんは、歯車の錆びついた機械のようにぎこちない動きでゆっくりと部屋を出ていく。かなり動揺しているようだが、次第にあれが純粋な喜びに変わって行く事だろう。
「じゃあ、行こ?」
「うん、タクミも…ってあれ?」
カルスは何に戸惑っているのかと思ってそちらを見れば、エリクスさんとほぼ同じだけ動揺しているレイリがいた。
口をパクパクさせ、うわ言の様に『上手く、行きそうだと…?兄貴が…?』と呟いているのだが、流石に失礼という物ではないだろうか。いや、兄妹間に失礼も何もないのかもしれないが。
「ほら、立って。もう帰るよ」
「お、おう…すげぇ…」
自分の兄が恋愛を少しずつでも進められている、というのは…レイリにとって、そんなに衝撃的な事だったのだろうか?
「エリクスさんはそうだけど、シュリ―フィアさんはまだ恋したって訳じゃなさそうだし、落ち着いて?」
「あの、タクミもちょっと辛辣なんじゃあ…?」
カルスはそういうが、これは事実だろう。シュリ―フィアさん自身に気になる人などがいなければ、最も先を言っているのはエリクスさんかもしれないが。
レイリはようやく正気に戻り、きょろきょろと周囲を見回してから、こう一言。
「家族が、増える…!」
「兄妹そろって気が早すぎるんじゃない?」
その後は、怒るレイリをなだめつつ、翠月への道を必死に変えるだけで、今日という日は終わってしまった。
――どちらにしろ明日からは、厳しい鍛錬の日々が続くだろう。覚悟を決めて、本気で頑張ろう。




