第四十四話:成長
「――じゃあ、僕達はそろそろ出発するよ。三人とも、元気で。それと、気をつけて」
「はい。ランストさん達も、お気をつけて」
早朝、王都東部の門に程近い広場で、俺、カルス、ラスティアの三人は、王都から出ていくランストさん達教会の面々に別れを告げていた。
ランストさん達は、王都からもそこまで離れてはいない町で暮らす事にしたらしい。そこは獣人への差別が王国の中でもかなり薄いから、だそうだ。多分、俺達が王都に到着する直前に立ち寄った町と同じだと思う。
「…そうだ、ハウアはね、結局僕達と離れるという決意を揺らがせなかったよ。今は馬車の中にいるけど、町までにある村のどこかで下りるって。
だから、もしも王都でハウアを見かける事があったら、何気なくでいいから、声を掛けてあげてくれ。多分、そこまで直情的な事はしないと思うんだけど」
後半の言葉はかなり抑えられていた。ハウアさんに聞かれる事を恐れた、のかもしれない。
「それじゃあ、今度こそ。町に立ち寄る事があったら、僕達の所にも寄ってくれ」
「はい。…またいつか」
「会いに行く。多分、近い内に」
「僕が言う事じゃないかもしれませんけど…幸運をお祈りします」
「はは。…じゃあ、また会おう」
そう言ってランストさんは馬車に乗り込む。すると、合計二台の馬車はそれとほぼ同時に動きだした。
ランストさんが乗った方の馬車からはフランヒさんが顔をのぞかせ、二台を大きくおおっていた布をはためかせながらこちらへ手を振る。俺達も手を振り返すと、フランヒさんの奥、馬車の隅で蹲るハウアさんがこちらを見つめている事にも気がついた。
…だが、その視線に黒い意志など宿ってはいない。ランストさんが何時か言った通りで、ハウアさん自身は既に、何らかの踏ん切りをつけているのだろう。
街道をゆく馬車を、無意識のうちに踏み出した足で追いかける。だが、走ってもいない速度では到底追いつけない。
――別れは当然のもの。止めなければならない理由なんてないのだから、僅かな寂寥感で動くべきではないだろう。
意識して足を止めて、馬車が見えなくなるまでは腕を振り続け…そして、腕を下ろす。
「行っちゃったね」
「うん。…きっと、大丈夫だよね」
「もう、事件は、無い。…大丈夫」
二人と共に、ゆっくりと振り返って、翠月に続く道を戻り始める。
時間は常に前へ進み続ける。なら、いつまでもウジウジとしていい訳が無い。
まずは、エリクスさんの所に行こう。
――そう思って、翠月に到着すると。
「お、帰って来たか。じゃあさっさと朝飯食って、移動するぞ」
そう一方的に告げるエリクスさんが玄関前に立っていて、そのまま食堂へ押し込まれる。
そこでは、全員分の食事を机に並べるレイリの姿が。最も食事を取る客が多い時間からは少しずれているからか、席には余裕が有った。
「タクミはこれでいいとして、カルスとラスティアはこんな感じか?」
「え?…わ、うん。美味しそう」
「これは、好み」
「おお、良かった良かった。昨日食ってた内容から考えただけだけど、変なもん混ぜる事に成ってなくて良かったぜ」
「ほんとに好みだ…教えてたっけ?」
「二人はともかく、タクミの食事なんて何回も見てるしな。当然だろ?」
俺に対してレイリが用意したのは、米を中心として野菜系の総菜が多い、かなり日本風の食卓。選べる料理は脂がきつい物も有るし、俺も時にはそういう物を朝に食べてみたりもしたのだが…本当の好みは見抜かれていた、という事だろうか。
折角だからゆっくり味わいたいところだったのだが、エリクスさんとレイリが急かすので急いで食べる。
食べ終わった後は部屋で軽装に着替え、服の換えを持ってから再び外へ。必要な分の服しか持っていないと言うとエリクスさんが『追加しろ』と言ってきたので、ギルドで数枚購入し、そのまま――王都の外へ。
「という訳で、鍛錬を始める」
「…え?」
「いや、昨日タクミにいろいろ言われて、な。どう教えようかと思ったけど、教えるようなもんでもねえし…と考えた所で、レイリからも明日についての話を聞かされただろ?」
「で、さっき兄貴と話しあって、こういう流れになった。…えっと、タクミは良いとして、カルスとラスティアも巻き込んで大丈夫だったか?」
イマイチ状況が飲み込めていない俺を置き去りにしたままレイリがカルスとラスティアに問いかける。
二人の方を見れば、時に気負う事も無さそうに頷いていた。
「鍛錬、って、要は特訓ですよね?最近は動かない日の方が多かったので、お願いします」
「私も、体力、付ける。…魔術は、どう?」
「あー…アタシも兄貴も、魔術そのものはからっきしだからな…。なあ兄貴、魔術とかって教えられるか?」
「無理だな。昔のコンビなら出来たろうけど…お、シュリ―フィアさんに聞くか」
「シュ、シュリ―フィアさんもそこまで暇じゃないんじゃ…」
後、個人的に少しだけ顔を合わせ辛い。いや、それで会えなくなるのはさびしいので、きちんと謝りに行こうとは思うけど。
そんな事を考えつつそう言うと、エリクスさんはこちらを見つめてしたり顔に成った。
「とか言いつつ、今ちょっと顔を合わせにくいんだろ?大丈夫だって、シュリ―フィアさんもそんな後にまで引きずるような人じゃねえから」
「何でそんなこと分かるんですかエリクスさん…?って、今は良いですよ、もう。結局、鍛錬って何するんですか?」
そう、この場での本題はそれだろう。
王都の外、見渡す限りの平原に出てから始める修行――まあ、間違いなく体を動かす類の事だろうけど、実際のところ何をするのか。
「おう、そうだな…俺達はいつも通りに『雷然』の修行しようかと思ってたんだが、今回はお前らも含めて、ちょっと動きを確認しようかと思いなおした」
「動きの確認、ですか?」
「ま、今のところどんな事が出来んのか、って事だよ。タクミはともかく、そっちの二人に関しちゃ完全に分かんねえ…ああいや、ラスティアちゃんの方は魔術士だったよな」
そう言いながら目を逸らすのは、昨日腹に喰い込んだ空気塊の記憶が蘇ってきたからだろうか?
だが、成程…確かに必要な事かも知れない。王都にいる限り、大規模な動きで忌種を倒しに行くような事にはならないと思うけれど、何時事件に巻き込まれないとも限らない。
集団行動している可能性が高いのなら、互いのできる事を確認しておくべきだ。
「じゃあまずは俺達からだな。と言ってもまあ、俺もレイリも似たようなもんっちゃあ似たようなもんなんだが」
そう言ってエリクスさんは、腰の剣を抜いて片手で持ち、その腹をもう片方の手のひらで弾ませ始めた。
「獲物は剣、当然接近戦だ。まあ、その辺の冒険者よりは俺もレイリも巧く扱えてると思う…敵がいねえから解り辛ぇだろうが、こんな感じで」
そのまま、剣を振る。二度、三度…いや、実際には何度だったのだろうか?視認する事も出来ないほどの早さで腕が閃き、風が音を立てる。
エリクスさんが動きを止めた頃には、俺、カルス、ラスティアは口を小さく開けたままになっていた。もしも今のエリクスさんと正対すれば、一瞬たりとも耐える事は出来ないと自覚したからだろう。あるいは、同じ接近戦を主とするカルスには別の事を感じさせたのかもしれないが、どちらにしろ、エリクスさんが自分より強いと思った事に間違いはない筈。
いつの間にか、レイリも剣を抜いていた。『あたしは兄貴程じゃねえけど』その言葉と共に振られた剣は、確かに視認する事は出来るものだった――柄の部分が、僅かに。
「どっちにしろ速いよ…」
「いや、これくらいは修行したら出来るようにはなるって」
レイリは簡単そうにそういうが、鵜呑みにするべきではなさそうだ。『修行』と一言で行っても、どれだけの期間を費やす事になるのやら。
「それじゃあ、次はタクミだ」
「分かりました。…えっと、水場が無いので、とりあえず『風刃』だけで」
確認を取ってから、集中、起句を唱える。
風が束ねられ、刃を形作って行く。それは、俺にとってはもう見慣れたものだったが…これでも強くなったのだと、内心ではレイリとエリクスさんに対して見せつけるような思いも有った。
そして、放つ。
王都の周りはロルナン周辺とは違い、かなり草も短く切られてはいたが、それでも膝ほどの高さまで生えている部分は多い。そこへ向けて飛んだ『風刃』は、草むらの果てまで幅広く、草高を足首の高さにまで揃えて行った。
「こんな感じです。……どうですか?」
「おお…威力上がったな。昔はもうちょっと距離も足りてなかったし、狙いも甘かったのに」
「レイリが言うならそうなんだろうな…何か新しい魔術とかは有るか?」
「…あ、有るには有りますけど、今までの派生が多いです。ここに水場が無いので、『水槍』を使う事も出来ませんし」
「あー、成程な…。…どうなんだ?魔術士的な観点がねえから、それでいいのかもよくわかんねえ。やっぱシュリ―フィアさんの所行くか」
「タクミ」
エリクスさんの発言が何処に収束するのかを察して小さく溜息をついていた俺を読んだのはラスティアさん。
「『飛翔』は?」
「…あ!えと…エリクスさん、忘れてました、もう一つ」
そう告げつつ、すぐさま『飛翔』。時同じくしてラスティアも飛ぶ。
「…おお」
「飛んでる…浮いてんのか?」
「今は、移動してないだけですけどね。使い過ぎて慣れてましたけど、あの後で一番変わったのはこれです」
そう言いながら、ふらふらと飛んでみる。すると、エリクスさんが何かを思いついたようにこう言った。
「ちょっと全力で飛んでみてくれねえか?ああ、速さって意味で」
「分かりました。…じゃあ、さっきの草むらまで」
見つめるのは、先程『風刃』で斬り飛ばした草むらの端。そのまま全力で飛んでいく。
時間にして五秒ほどで到着して振り向くと、エリクスさんが腕を組み頷いているのが見えた。なので、再びそちらへ戻る。
「結構速れな。…ま、分かった。ラスティアちゃんはどんな感じだ?」
「…そこ、見てて」
ラスティアさんが指さしたのは、エリクスさんから少し離れた地面。
「『切開』」
ラスティアさんの口から起句が紡がれると同時、地面が大きく裂けた。草や土を切り開いて生まれたそれは、俺の足先から腰くらいの長さと深さを持っているように見える。
「攻撃は、この魔術。決めた場所を、切り、開く」
「…何と言うか、タクミの『風刃』よりもこう、絶対に両断するって感じが有るな」
「私のは、それを、求めている、から」
はっきりとは分からないのだが、恐らくは、俺の魔術は風で刃を作り出して飛ばすものであり、ラスティアさんの魔術は決まった物を切る魔術である…という事なんだろう、多分。
…やっぱり俺も、シュリ―フィアさんから聞ける限りの事は聞いた方が良いな。
「カルスの方は、魔術士じゃないよな。見たところ、獲物はその短刀…俺達のとは違うから、ちょっと判断はつけづらいんだが」
「そう、ですね…。えっと、僕としても、相手がいないとやりづらいんです。なので、軽くでいいんですけど、エリクスさんの方から僕に切りかかってきてくれませんか?」
そう言われたエリクスさんは、数秒の間動きを止めて、その後、俺とラスティアさんの方へ窺うような視線を向けてきた。
いやまあ、それは確かに。さっきエリクスさんの素振りで眼を見張っていたのはカルスも同じだったのだから、対処する方法が有るのかどうかを疑いもするだろう。
しかし、問題はないのだと信じて、俺は頷き返す。すぐ側では、ラスティアさんも同じようにしていた。
「じゃ、じゃあやるが…いいのか?」
「はい。…えっと、速度はあのままでも良いので、今は練習という事で、切るのは上段から、真っ直ぐ下にお願いします」
「…よし、分かった。じゃあ行くぞ」
そう言ってエリクスさんはカルスの前に立ち、剣を大きく振りかざす。カルスも集中しているようで、身じろぎ一つしない。緊張も…少しは含まれているのではないだろうか?しかし、視線はエリクスさんの剣に向かい、伸ばした腕の先で手首を曲げて短刀の先端を自分の方へと向ける独特の構え。準備は万端なのだと、見ているだけで分かる。
そして、エリクスさんが態勢をわずかに前に崩した――ときには既に、手にした剣を振り切っていた。
もしもカルスが何もできなければ、冗談のように一刀両断されていたのかもしれないと思わせるほどの剣圧。だがしかし――現にカルスは、エリクスさんの斜め後ろにいた。
見れば、両者ともに悔しげな顔をしている。
互いに一歩距離を取って、武器をしまう。最初に口を開いたのはレイリだった。
「すっげ…あれ受け流すとかできんのか」
それは、エリクスさんの剣をカルスが受け流したという意味なのだろう。カルスの戦い方は分かっているのだから、それは想像がつく。
だがしかし、その動きそのものは全く見えないほどの早さで行われたものだった。レイリが見えたのは、それこそエリクスさんの剣筋を見慣れていたからだろう。
――正直なところ、本能を利用したカルスの戦い方があれほどとは、思っていなかった。エリクスさんほど強い相手と戦っていなかった、という事が有るにせよだ。
「受け流された、いや、むしろ勢いを速められたのか?」
「僕としては、そのつもりです。…本当は短刀を持ったまま回り込むつもりだったんですが、動きを逸らされましたけど」
「そのくらいも出来なきゃ面目立たねえよ…」
そう言いつつエリクスさんはこちらを向いた。
「一通り見た感じだと…予想以上の戦力、ってところか。タクミ、ラスティア、カルス。全員、まだ自分が一番強く成れる環境で戦ってる訳でもねえし、実際はこれよりも上だろ?」
そう言われれば、確かにそうだ。『重風刃』も使っていないし、『水槍』も…『刃槍嵐舞』も、正直に言うと軽々しく使う気にはなれないが、今見せたわけではない。
ラスティアさんも、カルスも、本気を出してはいても、本領を発揮したとは言い難いだろう。
――だが、それはエリクスさんとレイリも同じな筈。
「じゃあ、俺達ももう少し…というか、レイリはタクミに見せるッ言ってたな」
「おう。まあ、何だ。兄貴よりは劣るけど、今回はアタシから見せるぜ、タクミ」
レイリはそう言って、俺に不敵な笑みを向けてきた。




