第四十一話:侵入者
森の奥には妙にまぶしい場所が有った。屋敷は門の側以外は壁で囲まれていた筈だし、そうでなくても光の向きがおかしい…何せ、真横からなのだ。屋敷の壁も、王都そのものの壁も貫いて来る光なんて、シュリ―フィアさんの魔術じゃあるまいし。
そう思いながら近づけば…ぶら下がっていたのは多数の鏡だった。
「ここは農園です。野菜は勿論ですが、食用に使う鳥や、植え替え前の花などもここで育てています」
「農園…という事は、鏡は日光を取り入れる為に?」
「はい。王都内部、それも貴族街となれば、日照時間は非常に短くなってしまいますから。ですが鏡を掛けておき、角度などの手入れをしておけば、昼間の間は余すことなく太陽光を取り入れる事が出来ます」
…ここまでするのか、凄いな。いや、商店で買えば済む話な気もするのだが。
まあ、家庭菜園の本格的なものと考えておこう。
それ以降は、森の植生の話へと移って行った。途中でレイリが、更にその後カルスとラスティアが合流した結果、少女の説明も加速して行く。声量が小さいままだろうと力がこもれば人の耳には届く物なのだと知った。
なんでも、王国北東部の植生を再現しているらしい。聖教国と、北部の小国にも近い場所から持ってきたのだと針葉樹、広葉樹…これだけの数を用意するのは、守人の手があれば難しくはなかったかもしれないが、手間はかかった事だろう。
そんな事を考えつつ歩きまわっていれば、いつの間にか屋敷の入り口側へ。最後の方に語られた食物連鎖関係の詳しい話については、動物や昆虫の固有名詞が乱舞していたせいで殆ど頭には入っていなかった。
「皆様、長らくお付き合い頂きありがとうございます。これにて当邸の案内を終わらせていただきます」
いつの間にか観光客を相手にするガイド役のようになってしまった少女に礼を言って、再び解散。
しかし――。
「俺が言うのもなんだけどさ、そろそろエリクスさんの様子見に行った方がいいんじゃない?余りにも動きが無いというか」
「…確かにな。まさかとは思うが、兄貴がまだ黙りこくってたら事だし。よし、いっちょ戻るか」
という訳で、屋敷の中へ向かう。
もしもレイリの言葉通りになっていれば、最悪だ。そう考えつつ開いた扉の奥からは、楽しげな声がかすかに聞こえてきた。
思わず二階の方を見上げる。方向、そしてその声音からしても、エリクスさんとシュリ―フィアさんに違いはなさそうだ。
「…意外と、良い雰囲気?」
「何話してるかは分かんねえけどな…」
かれこれ一刻。どうやら、エリクスさんは上手くやったようだ。いや、シュリ―フィアさんから話したって可能性も多いに有るのだが。
「えっと、エリクスさんは、シュリ―フィアさんの事が好きなんだよね?」
「うん、一目惚れらしいよ」
「一目、惚れ…大変そう」
「ま、アタシの知る限り初恋だろうしな。…うわ、言ってて変な感じする」
「『うわ』とか言わないであげてよ…ん?」
階段の踊り場まで登った頃、急に二人の声が大きくなった気がして見てみれば、二人がちょうど部屋から出てくる所だった。
やはり、楽しそうだ。時折笑いあいながら、何かを話している。
と、シュリ―フィアさんが階段を上る俺達に気がついたようで、声をかけてきた。
「皆、帰ってきたか。某とエリクス殿は庭の方を回ってくるが故、隙にくつろいでいてくれ。すまないな、同時に行動出来れば一番良かったのだろうが」
「いえ、気にしないでください。どうぞごゆっくり」
「ああ、また後で」
そう言って、エリクスさんと共に階段を下り、屋敷の外へ。
…関係が良好なのは間違いない。だがしかし、あれは…。
「完全に友達って認識だった」
「『同時に行動出来れば一番良かった』、かぁ…。シュリ―フィアさんに悪気なんてねえだろうけど、あれ言われた瞬間兄貴の目が若干曇ったぞ」
「それでも楽しそうだったのは…あれが一目惚れの力?」
「諦めない心は、大事」
俺を含めて皆、好きかって言い過ぎな気もする。だが実際、今の会話は余りに恋愛とは遠いものだったから。
「ま、シュリ―フィアさんの言う通りにゆっくりしとこうぜ。そろそろ暗くなってくるし、そこまで遅くもなんねえだろ」
「そうだね、じゃあ、さっきの部屋に――ん?」
…屋敷の外の雰囲気が、変わったような気がした。
いや、エリクスさんとシュリ―フィアさんの二人が放つ雰囲気が変わった、というべきだろうか?
確証はないが、この場にいる全員が怪訝そうに扉の方を見つめている時点で、何かあった事はほとんど確実な気もする。
「ちょっと行くぞ。兄貴、一体何やらかした…?」
「エリクスさんが何かしたって決まった訳じゃないよ…。ともかく、言ってみないと始まらないね」
「…緊張?」
「お客さんが来た、とかだったらいいけど」
カルスの発言は、カルス自身が楽観だと分かっているような口ぶりだった。
――だが実際、予想の内容としてはそれが一番正しかったのかもしれない。
視線の先、先程までとは違って背筋を完全に伸ばし、門の方を見つめるシュリ―フィアさん。エリクスさんはその数歩後ろで立っている。
…何か戦わなければならない事が有ったとすれば、エリクスさんはたぶん、後ろに下がってそのまま待機という事はしない筈だ。そういう意味では安心しても良いかもしれない。
「門の外…馬車停まってんな。見た目的には貴族っぽくもないし、誰が来たんだ?」
「門は、開いてる。シュリ―フィア、さんは、もう誰かと、話してる?」
「…誰がいるのかは完璧に見えねえな」
「仕事、ですか?凄く背筋も伸びてますし」
「守人としての仕事か…こんな風に依頼されるものなんだ」
いや、依頼という形で仕事を受けているとは限らないのだが。どうにも思考が冒険者のそれに染まっている。
皆でシュリ―フィアさんの方を覗き込みながら話をし始めて一分ほど、シュリ―フィアさんが会釈するように首を振ると、そこから立ち去る影が一つ。
何処にでもいそうな男性だったが――だからこそ怪しくない。町中を今の男性が歩いていたとして、俺はきっと気がつかないだろう。言っては悪いが、特徴のない顔だ。
立ち去ったシュリ―フィアさんの元へとエリクスさんが駆け寄る。シュリ―フィアさんはそのまま館の方へと歩いて来て、俺達へと話しかけた。
「エリクス殿は仕方ないにしても、余り覗き込むものでは無いぞ」
「す、すみません。雰囲気が変わったので、何かあったのかと」
「うむ、まあ、『何か』あったのは事実だが…某から聞きたい。この中に、奴隷商という言葉を聞いて何か思い当たる事が有るものはいるか?」
「え?……はい」
俺が答えるより前に、視線は俺に集中していた。カルスとラスティアの二人も、ほぼ同時に返事をする。
「そうか…某の所に来たのは、それに関する報告だ。某自身に何かをしろという訳でもないが故、少し訳を考えていたのだが、成程」
「報告、って言うと、どのような?」
「帝国関連で王国に伝えた話とも関わるから詳しい事はいえぬが…概要としては、どこかの貴族の屋敷に、帝国からの密偵が奴隷の身分で入り込んだらしい。それを手引きしたのが、王都で違法な取引を繰り返していた奴隷商だ、とな」
「…それって」
カルスとラスティアの方を見て、頷きあう。
帝国の密偵という物に心当たりはないが、違法な取引をした奴隷商とは関わったばかりだ。その男も今は逃げ回っているだろうから、様々な犯罪が露見するのも当然だろう。その中の一件が大きく取り上げられたという事なのだろう。
だがまさか、あの事件についてこんな場所で話を聞くとは。想定外だったからか、妙に心拍数が上がっている。
「しかし…些か不快だな。再会したばかりだというのに、タクミ殿との関わりを既に把握されているとは。少し、気を付けた方が良い。彼等が貴殿らに直接被害を与える事はないと思っていいが、少しの間監視はあるだろうからな」
そうシュリ―フィアさんに言われて、きょろきょろと周囲を見渡すものの、何処にも人影は見当たらない。俺程度が探して見つかるようならそんな仕事は務まらない、という事なのかもしれない。
だが、監視を付けたのがヅェルさんのいる組織ならば、多少は安心だ。子どもたちを助けようとしただけで、帝国関連と関わりが無いという事は知っている筈だから。
「少しだけ話を聞けるか?何、皆が悪事に手を染めたわけではないのは承知の上だ。某の方には回って来ない情報が多過ぎる――聖教国で何が有ったのか、という事も知りたいのでな」
そう言われ、屋敷の奥へと再び足を踏み入れる。
…シュリ―フィアさんには話しておくべきかもしれない。奴隷取引の事についてもそうだが、聖教国であった事、――邪教の事について。




