第四十話:庭園
その後も事あるごとに謝ってくるシュリ―フィアさんに「気にしないでください」と言い続けていると、遂にエリクスさんが目を覚ました。
エリクスさん自身も何が起きたのかさっぱり分かっていなかったようだが、説明を受け、状況そのものは理解する。
――そして、硬直。
『…』
正直、周囲に佇む俺達にとってもいたたまれない時間だ
何故って、それはもう、エリクスさんにとっては、想定とは違い過ぎる再会を果たしてしまい出鼻をくじかれた形になるし、シュリ―フィアさんだってそうしてしまったが故に引け目が有る。
だが、エリクスさんからは何か、動こうとしている気配を感じる。何か一言発する事が出来れば、きっと会話うぃ続けていく事は出来るはずなのだ。…そのきっかけが無いというだけで。
それでも、エリクスさんなら。
そう信じて待つ事約一分、遂にエリクスさんが口を開いた。
「その…お久しぶりです、シュリ―フィアさん」
…何やら恥ずかしそうにして後頭部を右手で掻きながら、そう告げる。
かしこまったその様子は、普段のエリクスさんの事を考えると非常に違和感が有る。というか、エリクスさん自身も俺達には見られたくないのではないだろうか。
などと俺が考えた時、レイリがそっと立ち上がった。そのまま、扉の所に佇んだままの少女の元へと向かう。
「ちょっと出てきても大丈夫か?庭とか見てみたいんだが」
「そういう事なら、私が案内します」
恐らく、レイリも俺と同じことを考えたのだ。現に俺達の方へ軽く目配せしてきた。それは一瞬の事で、露骨になりすぎないようにという気遣いも感じられる。
「そういう事なら、俺も行くよ。敷地が広かったし、庭木も綺麗に整ってたから、もっと近くで見てみたい」
便乗。そうとしか呼べない行動を取って、レイリの所まで歩いて行く。すると、カルスとラスティアもついて来てくれたので、どうやら二人きりの空間をつくる事が出来たようだ。
◇◇◇
「常緑樹で揃えることで、一年中緑の景色を楽しめるようになっております。勿論、草花は季節ごとに特色のある物を用意、皆さまが風景に見あきる事のないようにしております」
少女の説明を聞きながら、胸の痛みを覚える。
――口から出まかせ言うんじゃなかった!
現在俺達は、庭を回りながら、各所の説明を少女から受けている。俺としては正直な所、外へと出るための方便として『もっと近くで見てみたい』と言ったのだが、少女はそれを本気のものとして受け取ったのだ。
勿論、悪いのは俺の方だ。嘘をつくとは思われていなかったのだろう。
そのうえ、口ぶりからして庭を整えているのはこの少女らしいのだ。心なしか今までよりも声が弾んでいるよう出し、まさか「嘘でした」「冗談でした」などとは言える筈もない。
…ここはもう、仕方がない。少女を傷つけない為にも、興味が有るふりを貫かなければならない。
背後からレイリ達の冷たい視線が俺に向けられている様な気もするが、それについても今はどうしようもないのだ。
「でも、常緑樹で揃えた、って事は、木そのものをどこかから取り寄せた、ってことですよね?」
「はい。館が設立された当初に、皆さまのお力をお借りして、ですが。…そうですね、問題は木そのものだけでは無く、それが育つ為の土壌や風土がこの土地とは異なっておりまして。
風景そのものは質素なものですが、その実、周辺のどの邸宅よりも手の込んだ庭であると自負してもおります」
少女はとても饒舌になっていた。彼女にとってこの庭はかなり思い入れのあるものらしい。こうなってくるといよいよボロを出す訳にはいかないと焦りもするが、今の説明で本当に興味も抱き始めた。
『皆さま』というのはシュリ―フィアさん達守人の事なんだろうけど、守人の力を借りて作った庭というと、酷く壮大なものに思えてきた。
この少女が関わっているという事は、この庭が出来たのはそこまで昔でも無い筈だ。となれば、かなり育った木を運びこむ必要が有った筈だが、…もしかして、前にシュリ―フィアさんがロルナンに来た際に使ったという『転移』を利用したのだろうか?言葉の意味は勿論分かるが、何がどうなれば実行できるのかもわからない。凄い話だ。
風土が異なるというのも、魔術によって調整されているのかもしれない。そう思うと、庭の奥、森になっている部分から吹く風の温度は少し寒いようにも思えてくるから不思議だ。
「館その物が回転した場合も植物に傷がつかないようにもなっています。そのあたり、私個人では調整も出来ず、歯がゆい思いをする事も有るのですが」
「へえ…え?回転?」
「はい」
◇◇◇
都合のいいことばっかり言ってたはずのタクミが、いつの間にか少女と盛り上がり始めたのを見て、レイリは何処となく苛立っていた。
「何やってんだタクミ…」
だが、気にしてばかりもいられないと一度エリクス達がいる部屋を見上げる。離れては見たものの、二人は上手くやれているのかどうか。今更喧嘩になったりすることもないとレイリは思ったが、それは決して、エリクスが上手く仲を発展させることの証拠になりはしない。
むしろ、恋愛関係においては経験が皆無なのは間違いないエリクスに任せるのも失策なのではないかと考え――自分自身も同じだという事に気がつき、溜息をつく。
レイリ自身、自分が恋愛をうまくできるなどとは考えていないのだ。というより、恋愛感情を抱いた事がそもそもない。それを考えれば、むしろエリクスの方が一歩先んじている。
苛立ちは募るばかりだった。
「…あの、レイリさん」
「ん?」
だが、背後からカルスが話しかけてきたことで、レイリはその苛立ちを隠す。
「どうかしたんですか、その…苛々しているみたい、って言うか」
しかし、カルスが話しかけてきた理由がそこに有るのであれば、隠す事に意味はなかった。
観念するように肩を落として、カルスと、その隣のラスティアの二人と自分の間にはまだ距離が有るのだろうとそのしゃべり方から感じ取りつつ、レイリは話し出す。
「レイリで良いって。で、だな…。なんかこう、いまいち上手く回ってねえって言うか、兄貴とシュリ―フィアさんの方も気になるし、タクミはタクミで…いつの間にか森の中入って行ってやがる。
もっとアタシが、兄貴の方かタクミの方か、どっちかだけでもちゃんと上手く行かせられりゃ良いんだけど」
「…もっとうまくって、例えば、どんなふうに?」
「んー…まあ、それが分かればこんなに悩んでないんだけど。妹としてもコンビとしてもなぁ」
何の気なしに呟いたレイリは、しかし、その発言に『情けない』と続けそうになった事に気がつく。
(…情けない、か。…いや、別にあたしが解決しなきゃいけない問題って訳じゃねえだろ)
「うーん、エリクスさんはともかく、タクミはあれで、レイリさ、と、同じような考えをしているんじゃないかな、とも思うんだけど」
悩み始めたレイリに、そんな言葉が届く。
言葉を詰まらせつつそうしゃべったカルスは、真正面からレイリに見つめられ…防御するように両手を首まで持ち上げ、掌をレイリに向ける。防御とは呼べない、反射的な動きのようだが。
(攻撃されるとでも思ったか?タクミにもしてねえのに…してねえよな?)
その様子にどこか記憶を刺激されるレイリだったが、振り返る事を止めて、カルスの言葉の真意を問う。
「同じような考え、って言うと?」
「え、えっと、それは…」
「情けない、と」
別段厳しくなったわけでもないレイリの視線に、しかし気圧されるカルスの横から、ラスティアが一言。
――レイリにとっては全くの図星。知らず、口元から「う」と小さな音がこぼれる。
「情け…いや、何だ?口に出してたか?」
「ううん、でも、タクミを見た時、苛立ちだけじゃ、なくて、ちょっと、落ち込んでたから」
「…分かるもんか、そういうの」
そもそも、レイリ自身がその時はまだ自覚もしていなかったのだ。自分が感情的である事は知っていても、外に出していない感情を察せられる事が多い訳ではないレイリとしては動揺を禁じえない。
(いや、タクミもそういう所あったっけか…いや、流石にラスティアの方が上だわ)
瘴気汚染体がロルナンで報告された頃の事を思い返しつつ、ラスティアとカルスの方へ向きあうレイリ。
「まあ、多分そういう事だよ。だからって解決策が有るわけじゃなし、兄貴の方は放置だよ」
「で、タクミの方は?」
「…まあ、見に行くか」
渋々、といった雰囲気でタクミの消えた森の中へ向かうレイリ。その後ろ姿を見送る二人には表情の差がありありとあらわれていた。
つまり、少しだけ疲れた顔をするカルスと、むしろその分活き活きとした笑みを浮かべるラスティアだ。
「レイリさん…良い人なのは分かるけど、ちょっとドキドキするな、話し方が強い、というか」
「そう?私は、仲良く、やって行けそう」
「…ラスティアさんはあれだね、順応性?が高いというか」
「さん抜く」
「あ」
「…良い人なら、問題ない。それに、町を歩いていれば、分かる。レイリくらいは、普通」
「話し方?…慣れるべきは僕の方か」
そんな話をしていた二人も、レイリが森に足を踏み入れる頃には、同じ場所へ向かって歩き出したのだった。




