第三十七話:一刻
――扉を開けて部屋に入ってきたのは、ふくよかな体形の男性だ。
「あ、あれ?客人が来てたのかな?失敬、失敬」
白い手拭いで額の汗を拭きとる様子は、言っては何だが体形的に『らしい』と思わせるものがあった。だがしかし、気さくそうな雰囲気は、こちらに親しみを抱かせる。
「シュリ―フィア・アイゼンガルド様にお会いしたい、と。後一刻はかかりますので、お招きしました」
少女はそう、今までと変わらぬ声量で告げた。だが、俺達に対してのものより柔らかな響きだったのは、彼の事を信頼していることの表れだろうか?
…やはり、この男性も守人、という事なのだろう。正直に言って強そうには見えないのだが、魔術士ならば筋肉の量なんかでは強さを把握する事は出来ない。
「ん…?えっと、皆さんはシュリ―フィアさんの知り合いなのかな?」
「あ、はい。以前、ロルナンで起きた瘴気汚染体の暴走事件以来です」
エリクスさんも、相手が守人であり、恐らく年上である事から敬語になっていた。その言葉を聞いた男性は、ああ、と言いながら胸の前で手を軽く叩き、
「聞いた事があるね。ロルナンで何人か友達ができたのだと。あれ以来シュリ―フィアさん、疲れた顔しなくなったし…うん、最近も仕事があったから、話してあげてね」
「は、はい。ありがとうございます」
何故かエリクスさんは、威圧的な態度を向けられたわけでもないのにひどく緊張した様子だ。
「じゃあ、僕はここで失礼して、と。また会ったら、その時はよろしくね~」
「は、はい、こちらこそよろしくお願いします!」
そうして、男性は出て行った。後に残されたのは、ようやく緊張から解放されたエリクスさんと、それを見つめて首を傾げる俺達。そして、何も変わらない様子の少女だけ。
…そう言えば、今の男性は誰なのだろうか?少女は勿論、知っている様子ではあったが。
「えっと…今の方は、どういう?」
俺は、殆ど思考と同時に少女へと問いかけを発していた。そのせいで若干言葉足らずになってしまったのだが、少女の方は意図を理解してくれたらしく、答えてくれた。
「オンドリッチ・ステミア様。王国北方に領地を構えるステミア侯爵家のご当主様です」
「侯爵家…貴族の方、だったんですね」
貴族にしては随分と気さくだ。いや、俺の勝手な想像でしか無いから、案外、貴族もあんな物なのかもしれないけれど。
しかし、貴族という事は、守人では無かったという事だろうか?守人では無くても、貴族ならこの館に出入りする事も可能かもしれないし…。
「ご当主、って…ステミア領は北方守護の要だろ?王都に来てても良いのか?」
「あ」
レイリの指摘でようやく気がつく。当主、つまり、その家で一番偉い人間。貴族の当主というのは、その領地を管理するという大事な仕事がある筈だ。王都はどちらかというと王国の南方にある。北方に領地があるのなら、そう簡単に帰る事はできない。
何か事件があれば、そうでなくても、領主が長期間不在というのはよろしくないのではないか?…なんて、詳しい仕事の内容を知らないままに考えてみる。でも、あながち間違ってはいない気がした。
しかし少女は、まるで質問の意味が分からなかったかのように首を傾げるだけだった。それは、そもそも「何故そんな事を聞かれるのか」が分からないような様子で。
それでも、数秒の間をおいてから、こう答えた。
「…オンドリッチ様は、すぐにでもご自分の領地に帰る事が出来ます。何の問題も無いんです」
「…すぐにでも?ああ、いや、答えなくても大丈夫だ」
何故そんな事が出来るのかは分からないが、大丈夫というのなら大丈夫なのだろう。
その頃には完全に茶を飲んでいた時と同じ、弛緩した空気が部屋を覆い始めていて――しかし、先ほどとは違って何もする事が無く、全員が黙り込んでしまった。
シュリ―フィアさんが来るまで、残り一刻は切った。しかし、こんな状況で耐えるのも変な感じだ…が、昼食を取った時にレイリ達ともかなり話をしてしまって、この状況で切り出すのにふさわしいような話題を想い浮かべる事が出来ない。レイリ達もそれは同じなのか、どこか居心地悪そうに身じろぎしている。
俺達よりも居心地が悪くなっているだろう少女も、何をしゃべるでも無く、また、部屋を退出するでもなく扉の側に佇んだまま。
…とりあえず、このまま一刻立ちっぱなしにさせておく訳にはいかないだろう。開いている椅子はあるのだから、そこに座ってもらうべきだ。
◇◇◇
「…あー、そろそろ一刻、くらいですか?」
結局固まった空気を改善する事が出来ずに一刻程が経過した。皆、カルスの発言を聞いて我に返ったように視線を上げる。――レイリは眠そうだった。
「もうすぐ帰ってきます。…出迎えに行っても、良い頃合いです」
「よし、行ってくる」
少女の言葉に即座に反応したエリクスさんは、止める間もなく扉の外へ。すぐ、階段を駆け降りる音と、玄関の扉を開け放つ音も聞こえてきた。
「じゃあ、俺達も…エリクスさんの後方で待機してようか」
「ああ、流石に邪魔する訳にもいかねえだろ。…また暴走したら止めるけど、シュリ―フィアさん相手ならどうとでもするだろうし」
そんな話をしつつ、部屋を出る。先程の騒々しさとは一転、既に館の中は静かだった。オンドリッチさんはまだ館の中にいる筈だと思ったのだが、…いや、一人でいるなら騒ぐ事もないか。
しかし、階段から見える一階は明るい。窓だけではなく開け放たれたままの扉からも日光を取りこんでいるからだろう。それでも声が入って来ないという事は、シュリ―フィアさんはまだ帰還していないという事。
「シュリ―、フィア、さんって、どんな人?」
階段を降りながら、ラスティアさんからの問いかけの答えを探す。
「うーん…えっと、聖教国で会ったスウィエトさんの娘さん、って話はしたよね?」
「うん、守人で、強いって事も」
「…どんな人、か。…レイリ、なんか表現する方法ある?」
性格についての事を聞いているのだろうとは分かったが、さて、どう表現すればいいものか。…珍しい、という言葉が思い浮かんだが、それでは到底伝わりはしないだろう。強いて言うのなら『格好いい』なのかもしれないが、しかし、そればかりでは無いのも分かっている。
レイリも唸るように悩んだ後、階段を降り終えてからこう言葉を発した。
曰く、『格好いいが、どこか抜けている所も有って、優しい人だ』と。
「まあ、容赦ない時も有るには有るが、基本的には滅茶苦茶良い人だ。アタシ達がいた町にボルゾフって言うおっさんがいるんだけど、その人が守人好きでな…そうなった理由がよく分かるよ」
「…良い人」
「うーん、じゃあタクミ、ちょっと違う方向に質問。…シュリ―フィアさんって、どういう戦い方なの?」
「え?」
カルスの質問を不思議に思ったが、しかし、まあ別に、おかしな内容でも無いかと考えなおす。守人という存在がどんな戦い方をするのか、興味があるのだろう。
「スウィエトさんと同じ魔術士なんだけど、…違うのは、スウィエトさんは威力の小さい魔術を大量に使っていたけど、シュリ―フィアさんは…」
「…えげつねえ威力の一撃、だよな」
「…えっと、ちなみにレイリさん、それはどのくらいの?」
「レイリで良いって。…そうだな、前に事故で、本気の一撃を真正面から見た事があるんだけど、…視界が全部真っ白になって、あれはもう」
「う…」
気がつけば、俺の口からは妙な声が漏れ、脳裏にはあの日の光景が蘇ってきた。当時は様々な事が有りすぎて恐怖を引きずる事もなかったが、今思い出してみれば、あれはこの世界に来てから一、二を争う命に危機だったのではないだろうか。
それほどまでに、視界を埋め尽くす極光の衝撃は忘れがたい。瘴気を狙って動き、森の木々すら回避して見せたあの魔術ならもしかして、俺達の事も回避したのかもしれないが、それにしたってもう二度と経験したくないと思うには十分な光景だった。
「…えぇ?」
「ううん…」
だが、実際の光景を目にしてはいない二人は、上手くその光景を思い浮かべる事が出来ていないようだった。…というよりは、信じ切れていないのかもしれないが。
そうして、外に出ると。扉から十数歩先にエリクスさんが立ちつくしている姿が見えた。シュリ―フィアさんの姿はないが、どこかに移動する事も考えられないような状態なのだろう。その気持ちはよく分かる。
「ほらレイリ、エリクスさんだって俺と同じ事してるじゃん」
「あー…確かにな。…まあ実際、アタシもそんなもんなのかも知んねえけど」
何故かカルスとラスティアが『ん?』と異口同音に疑問を発していたが、何を考えていたのかを聞く事はなかった。
――ちょうどその時、門の前に馬車が止まり、中へと入ってきたからだ。
「シュリ―フィア・アイゼンガルド様がお帰りになられました」
少女の声は小さく、しかし、エリクスさんにまで届くくらいの声量ではあり。
それを聞いたエリクスさんが何をするのかも、分かりきった事ではあっただろう。
「――シュリ―フィアさーんッ!」
全力で駆けだすエリクスさんの背中を見つめて、俺達は。
『ああ、やっぱり止めないと駄目なのかもな』と、失礼な諦観を抱いていた。
双方ともに無自覚




