第三十五話:守人の館
エリクスさんがレイリに追い詰められ、なんだかんだで俺達に頭を下げる事になってから数分後。エリクスさんを呼び捨てにする権利を何故かその場の全員が受け取ってから食事を終えて、少しずつ気分を落ち着かせ始めたこの場の雰囲気に乗じ、俺はエリクスさんに質問する。
「貴族街の方を探すとして、本当に手当たり次第にするんですか?俺も、ほとんどしなければいけないことなんてないので、それでもいいんですが」
「あー…と言っても、流石にそれはまずいしな。タクミ達にまで本気だしてもらおうとは考えてねえんだ。暇な時にやってくれりゃあそれで。ただまあ、探し方としちゃあ…この王都にも、例えば、ロルナンで言うぼるザフさんみたいな、守人が好きで好きで仕方がないってやつはいると思うから、聞き込みでもすりゃあ多少楽なんじゃねえかと」
「あ、待って待って」
そこで言葉を挟みこんだのは、少しの間かなり口数の少なかったミディリアさんだ。先程まで、何やら考えを巡らせるように顎に手を当てていたりしたのだが、それはもう終わったのだろうか。
「そういう事なら、私が協力するわ」
「…というと?」
「私にもいろいろ伝手はある、って事。という訳でエリクスくん?シュリ―フィアさんの居場所、知りたい?」
「と、当然!」
ミディリアさんの言い方は、どこかエリクスさんをからかっているようにも聞こえたが、エリクスさんはそれに気づいているのかいないのか、喰いつくように身を乗り出している。
まあ、こうなる事が分かっていてミディリアさんが嘘をつくとは思えない。となれば、から回を含んでいても、情報を持っているのは本当なのだろう。
「すぐに会えるとは限らないけどね、守人が集まる場所なら、何箇所か候補は挙げられるわよ」
――ミディリアさんから情報を入手したエリクスさんは、その瞬間に宿を飛び出して行きそうになっていたが、それをレイリが襟元を後ろから掴んで――二人ともとんでもない速度で動いていたような気がする――止めた。理由は単純に、調査を終えて大量に増えた荷物の処理が終わっていないから、だと。
そうして、二人の荷物を部屋にまで運び込む。俺は大量の本を持って言った。今まで見たどの文字とも違うそれは、例の大陸共通語というものではないのか、或いは達筆過ぎるのか――実際、ほとんど日本語を達筆で描いたような字体だった――は分からないが、俺が日本語に直されたそれを見る事が出来なければ、とても読む事は出来なかっただろう。実際、エリクスさんもそんな事を言っていたし。
…いや、俺もちょっと、使われている単語の選択も難解な物ばかりで、読めるからと言って理解できているとは言い難かったので、力になる事は少し難しかったかもしれないが。
ごたごたが重なってしまったせいか、俺達の宿も同じであるという事実はほとんど何の驚愕をもたらす事もなかった。…少し期待していたと言えば嘘になるが。
ともあれ、今はミディリアさんと別れて、守人たちが集まるという場所、その候補の一つへと足を運んでいる最中である。
その場所は、エリクスさんの予想通りに王都の中心部。それどころか、城にもほど近い、俺達はまだ行った事のない様な場所だった。実際、すぐ近くには王城との間に繋がる門が建っている。もしあの奥だったら、正式な用事を持っていない俺達は入る事が出来ず、それどころか不審者として兵を差し向けられる羽目になるとか。
そんな場所のすぐ近くを通る事に少し背筋を冷たくしつつ、更に先へと進んでいく。
そこに会ったのは、周囲にある物とよく似た、一つの屋敷だ。
庭先の柵を前にして、俺達は立ち止る。中庭には、これも周囲と同じく、自然が豊富な庭園が作られているのだが…その奥に見える屋敷の壁面や窓は、どうにも質素に見えた。他の屋敷にありがちな、華美や壮麗という形容は出来そうにないのだ。但し、丈夫さを求めた高級感ならば、多少は伝わってくるものだったが。
どちらにしろ、異質さを感じるのは間違いない。
「ここ、か…中だろうけど、流石に踏み入るのはまずいんじゃねえか兄貴、っておい!?」
気がつけば、レイリの制止を振り切ってエリクスさんが門扉に手をかけ、押しこんでいた。庭の中に無断で入れば、流石にどうなるか分からない。
「エ、エリクスさん、いきなりそれはまずいですって!せめて誰か来るのを待ちましょうよ!」
「いや、何っつうか、…すまん、体止まんねえわ」
「欲求抑えろ兄貴ッ!いくらなんでも思考が暴走してる!」
その声は聞こえている筈なのに、エリクスさんはふらふらと庭を歩き、その奥にある屋敷の扉へ腕を伸ばす。
――が、その動作は突如、腹部を中心にエリクスさんがくの字に折れる形で停まった。
「止めた」
そう呟いたのはラスティア。どうやら、魔術を使って――腹のあたりに空気の塊でも作った?――エリクスさんの動きを止めたらしい。一瞬呆然としてしまったが、エリクスさんを引き戻すなら今だと走って、その身体に腕を回し、引きずるように門の外へと向かう。最終的にはカルスとレイリも参戦し、どうにかエリクスさんを引き剥がす事が出来た。
レイリがエリクスさんを地面に座らせる。地べたに正座しているその様子は、酷く反省しているという事をこちらに伝えるには十分だった。見た目だけ、という事では無く、意気消沈したその気配からも伝わってくるのだ。
「…で、兄貴。何でそんな滅茶苦茶なことばっかりしてんだよ。いくらなんでもあり得ねえだろ」
「…おう、ちょっと落ち着いたら、分かるんだけどな。ただちょっと…気持ち悪いかも知んねえけど、足りねえんだ、シュリ―フィアさん分が」
エリクスさんが落ち込んでいるのは分かった。だから、その理由を聞いて、解決しようと思ったのだ。それはきっとレイリも同じだったろう。だが、俺を含めた全員が沈黙を選ぶ事しか出来なくなった。
――何だ、『シュリ―フィアさん分』って。
その衝撃からいち早く復帰して口を開いたのは、エリクスさんとの付き合いが短いからだろうか、カルスとラスティアの二人だった。
「…えっと、シュリ―フィアさん分、って言うのは、その、…何かの成分なんですか?
「個人から、摂取…?」
そう言ったラスティアの表情が、少し歪む。ここまではっきりとラスティアが感情を波立たせることも珍しいが、何を想像したのか。…いや、今はそんな事を考えている場合ではない。勿論、エリクスさんの発言を真正面から受け止めている場合でも無い。
そう、“ここまで悪化した病をどうやって治すのか?”という、エリクスさんの将来にとって本当に大事な問題が。
「…ねえレイリ、俺がロルナンにいた時もなかなかの惚れ込み方だとは思ってたけど、俺がいなかった間に悪化したの?」
「いや、すまん、アタシもこんなになってるのは初めて見た。…ある意味で兄貴が言ってる事も合ってるかもな、シュリ―フィアさんって言う大事な食べ物を食べなかったせいで、体にガタが…アタシまで訳分かんねえ事言ってるじゃねえか、くそ、忘れてくれ」
「うん、…一刻も早くシュリ―フィアさんに会わせるべきか、いっその事隔離するべきか。そのくらいしか俺には選択肢が無い」
「隔離したって、アタシ達全員がかかっても本気出した兄貴には勝てねえよ、癪だけどな。ならいっそのこと、シュリ―フィアさんに合わせた方がましだろ」
『万が一があっても、まあどうにでもなるだろうし』、と最後に付け加えられた言葉を考えれば、決して安心できる選択肢じゃない事は目に見えていたが。
尚、この会話にカルスとラスティアは付いて行けていないようだった。…俺も最初は、すべての事に手間取った物だけど、何時の間にやら順応してしまったな。二人も近い内についてこれるように――というか、俺を越えるくらいにはなっている事だろう。
そんな風にどこかまの抜けたことお考えていると、不意に、何かの軋む音が耳に飛び込んできた。その発生源は背後、エリクスさんが忍び込もうとした館のように思える。そして、恐らくその種類からして、扉が開いたのではないか?
いわゆる殺気という物を感じたわけではない、だが、何かが俺達の事を見ている様な気がして、俺はゆっくりと振り返る。
その視線の先、扉を半分だけ開けて佇んでいるのは、一人の少女だった。




