第三十一話:待機
腕を広げ、肺に空気を流し込む。
涼やかではあっても、冷たいとは思わない。冬だった昔と比べれば、体に丁度いい温度になったと言えるだろう。
「――さて、と」
振り向けば、宿の入り口でこちらを見つめるカルスとラスティアが。
二人は、一定の距離を保ちつつ俺の後ろについて来る気らしいのだ。そこにどんな意味があるのか分からないが、止める理由もないのでそのままにしておく。…楽しそうだ。
ギルドへと近づいて行くが、特にいつもと変わった様子はない。少し人通りは増えたが、それもいつもと同じ。という事は、まだレイリは帰ってきていないという事だろうか?よく分からなかったけど、集団の依頼だったみたいだし。
ギルドの扉に手を掛けて、ふと振り向けば、やはり二人はこちらを見つめていた。何やら頷いてきたので、大人しく中に入って行く事にする。あの二人、人格的には差がある筈なのにああいう所は似ているんだよな。やっぱりそのあたり、同郷だということも理由になるのだろうか。
「…レイリはまだ戻ってないよな」
周囲にいる冒険者は、いつもの通りに貴族宅の警護依頼を受けに行っているようだ。それを見ていると、唐突に情けなく思えてきた。
――いや、流石にこじつけだとは思うのだ。『奴隷取引なんかをしている貴族の家を守るなんて』という考えは。
だが、この町にいる冒険者のあり方を、少しだけ疑ってしまっているのも事実だ。
他の町において、冒険者という職業が最も求められているのは忌種討伐の筈だ。公共事業の手伝いなども依頼にはあるが、戦える実力のある冒険者に対して求めているのはそれだろう。
王都の周辺に、忌種はいないらしい。
一国の首都なのだから、恐らく根絶されたのだろう。忌種とは言え、生物なのだから、無限にわきだしてくるという事はない。それは分かる。
だが、忌種はこんな場所でなければ、それこそ何処にでもいるのだ。
貴族の護衛、という仕事が必要無いなんて事はない。不快感を抱いてはいるが、貴族の全員が腐敗している訳ではない筈だし、そうでなくても国家を運営しているのだから、守られて当然の存在ではある。
だが、それを目当てに冒険者が集まってくる、というのはどうなんだろうか。冒険者は『自由』だという話は聞いたが、…ちょっと受け入れられなかった。危険に飛び込んでいく事が恐いという思いは、俺の中にもあるものだったが。
――結局のところ、何となく気に入らないというのが答えなのかもしれなかった。彼らにも理由があるのかもしれないし、そもそも忌種を倒す義務が無い以上は、俺の思いも勝手な押し付けでしか無い。
「せめて、冒険者は冒険者、貴族を守るのは、ロルナンで言う近衛兵みたいな人達、って、仕事を分けられないものかなぁ…」
貴族宅にも兵はいたし、冒険者に頼るのは防御が過剰な気がする…と、そこまで考えた所で、考えているだけでは意味が無い類の事だという事に気がついた。
結局憤っているだけで、何かを変える力もなければ、『それでも』と行動を起こす気にもなれない。俺は腑抜けか。
「…ちょっと、なに黄昏てるの?」
その声が自分に掛けられたものだと理解するまで数秒。その時には、誰の声かという事も分かっていた。
「ミディリアさん!」
「おはよう、タクミ君。…どうやら無事だったみたいね。残りの二人は?」
その言葉を聞いて、少し焦る。
「す、…すみません。もっと早く顔を出すべきでした」
「本当よ。心配したんだから…って、あの二人は何であんなところにいるの?」
「観察、ですかね…俺の」
「何があったのよ…」
ミディリアさんの表情は最初、心配と安心が織り交ぜられたものだったが…今は呆れたような表情になっている。
いやしかし、子ども達の救出の件に関してはミディリアさんも知っていたのだ。昨日の朝にでも無事だという報告くらいはするべきだっただろう。失敗だ。
「それで、落ち込んでいるのはその関連?朝からギルドに来たのに椅子に座りこんだと思ったらそんなだもの。流石に気になるわ」
「…まあ、関連と言えば関連です。いろいろと思う事は有って…でも、あんまり意味無いのかなって」
俺がそう言うと、ミディリアさんは『聞かせてみて』と言ってきた。仕事中なのではないかと思ったが、どうやら今日は休日らしい。
なので、言葉に甘える形で、俺も話しだした。
「成、程ね…。うん、考えてる事は間違ってないけど、行動に起こしても意味は無いかな」
「…行動に、ですか?考える事が、ではなく?」
「ええ、それを考えないようではどうしようもないけれど、今行動しても何も変えられないもの。…と言っても、人の心理に結び付いてるような問題だしね。構造に手を入れないと、変えられるような問題じゃないわ」
「はあ…」
「『それでも変えたい』って考えて、その道を目指すのなら大事な事。でも、そうじゃないのなら気にしすぎちゃ駄目ね。重荷ばっかり背負ってもどうしようもないもの」
ミディリアさんは俺の言葉に対して真摯に答えを出してくれているのだと思うが、俺には上手く理解できなかった。
悩み過ぎれば毒、というふうに解釈しておく。それは、ミディリアさんの言っている事と食い違ってはいない筈だからだ。
「はい、この話はここまで。いい加減にしゃきっとしないと駄目よ?」
「…そうですね。こんな顔で再会するとか、流石にあり得ないです」
軽くのけ反り、頬を両側から軽く叩いて意識を切り替える。
ミディリアさんの話を聞きに来ていたらしき二人が何故か再び離れて行ったが、それは気にせずミディリアさんへ質問する。
「それで、ミディリアさん。レイリは何時ごろ帰ってくるんですか?」
「予定通りならそろそろ帰ってくる筈だったんだけど…まだ王都に入ったって報告もないから、まだ待つ事になるわね。流石に数刻もすれば帰ってくると思うけど」
そう言いながら、ミディリアさんは俺の隣の椅子に座った。
――それを見て、ようやく理解した。
「そっか、ミディリアさんもレイリを待ってたんですね」
「ええ、仕事中に抜け出す訳にもいかないから休暇を取ったのよ。あ、私まだ朝ご飯食べてないから何か注文するけど、大丈夫?」
「あ、はい。俺はもう宿で食べてきましたから」
ミディリアさんが軽食を取った後、まだレイリは来ないという事を伝えたら素直に近寄ってきた二人――もしかして、緊張してる?――と共に一つの机を囲んで、話をしていた。内容は、ミディリアさんから二人へ、レイリとエリクスさんについての説明だった。
ミディリアさんはどうにも、俺が二人の事について上手く説明できていないだろうと思っているらしい。それお察した俺は内心『そんなに心配しなくても、きちんと説明してるのに』なんて考えていたのだが、ミディリアさんの説明を聞いていると、成程、俺が単純にその場その場で思い出した思い出を口に出しているのとは違い、性格や人格について分かりやすく説明しているようだった。
その内容も正しいと思える物ばかりで、どこか悔しかったので俺も途中から参戦する。
「いや、レイリだって怯えたりする事はあるんですよ?普段は自信満々だし、それに見合った実力も有るって言うのは勿論ですけど」
「そのくらいの事は分かってるわよ。私がレイちゃんと何年友達だと思ってるの?タクミ君の経験なんか邪比べ物にならないんだから」
「そ、それはそうですけど…でも密度では勝ってますから」
ぐぬぬ、と唸りながらそう呟くと、ミディリアさんが勝ち誇ったような顔でこちらを見つめてきた。
レイリのコンビとしてこのまま負けてはいられないと、首を前傾させつつ疲れた目でこちらを見つめる二人に続きの言葉を発そうとした時、ミディリアさんにギルドの構成員が声をかけてきた。制服を着たその男性、どうやら仕事中らしい。
「あの、ミディリア先輩。どうやら例の調査隊が王都西門から入ってきたようです」
「本当?何か、事故の報告は挙がって無かった?」
「はい、冒険者や調査員から負傷者は出てないと」
「そう…ありがとう、仕事中に悪かったわね、助かったわ」
「い、いえ。また何か有りましたら、気軽に申しつけてください!」
そう言って、その男性は足早に去って行った。
「聞いた、タクミ君?」
「はい、レイリとエリクスさん、もうすぐ帰ってくるんですよね」
「ええ、半刻もすればギルドに顔を出す筈よ」
――レイリと会える。
今の今まで、嬉しいとは思いながらも、既に安否確認が取れていたからか収まっていた感情の波が、一気にアラブり出したような気がした。
待っている事も出来ず立ち上がる。さっきまで向かい側に腰かけていた筈の二人が壁際に移動していた事に軽く驚いたものの、それ以上の事を想う事すら出来ず歩きまわる。
「ちょ、ちょっとタクミ君落ち着いて、座って、座って!」
ミディリアさんの言葉を聞いても、逸る気持ちが身体を突き動かして止まらないのだ。これから半刻、いったいどうやって待てばいいのだろうか。再会は、余りに待ち遠しかった。
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