閑話二:亡国の町
「…で、ここがそうなのか?兄貴」
「ああ。寂れちゃいるが分かる。ここが…この屋敷が、俺達の最初の家だ」
風が通りを吹き抜け、砂埃が舞い上がる。とある屋敷の前で立ち止まった二人の人影は、煩わしそうに風上へ手を向けてそれを防いだ。
窓硝子も砕け、崩れた家すらあるこの町は、すっかり春になり暖かくなった今の季節ですら、見る者に寒々しい冬を想起させている。
通りには、なにも二人だけが存在している訳ではない。だが事実として、この町は寂れ切っていた。―――この場合、町がどうこうという問題ではなく、そもそもとして『国家』その物が寂れ…滅んでいるのだ。元々は首都として栄えていた町も、国が滅び、そして二つの大国に挟まれるという悪条件では滅びない訳はない。
この町は、その広大な面積を十数年前の滅びの時より野晒しにしたまま、結局誰の手に渡る事もなく時を経て来たのだ。
乾いた風に金髪を靡かせる少女は、記憶にない生家を前にして、想像していたよりずっと『感慨』という物が湧きだしてこない現実に何処となく落胆していた。
対して、少女より数歩屋敷に近づき塀に手をかけている青年の瞳には、誰が見ても分かる程に郷愁が漂っていた。
青年は屋敷の庭へ立ち入り、辺りを眺めつつ、古ぼけた扉へと手を駆ける。
「鍵がかかってる…わけじゃねえか。錆びついてんだな」
そう呟いた青年が扉を開けようと何度か力を込めると、金具の軋む音とともに少しずつ扉が開いて行った。
十数年間手入れされていなかったのだから当然と言えば当然なのだが、青年の記憶に有る姿と比べればそれは余りにも老朽化した姿である。彼の口から知らず知らずに、小さく溜息がこぼれる。
一方の少女も扉に手をかけて、中を覗き込んだ―――青年が開けた扉の正面から動かないので、中に入れないから。すると、中は彼女の思っていた姿よりずっと綺麗だった。
『綺麗』というと語弊が有るだろうか、年月を経た事によって埃は堆積し、蜘蛛の巣が部屋の隅に張っていたりもする。だが、簡単な掃除さえすればすぐにでも人が住める程度の汚れだ。どうやら、この家そのものはかなり頑丈に造られていたらしい。
「で、兄貴。何を取ってくるんだっけ?」
「ああ、いろいろあるが、嵩張らないから大丈夫だろ。時間もないから手分けして探そうぜ」
言葉を交わし、二人は屋敷の中へ足を踏み入れる。
青年は部屋が何処に有るのかという事を把握しているらしく、行動に迷いが無かった。一方、少女はきょろきょろと周囲へ視線をふりまき、落ち着かない様子だ。
青年が足元を確かめつつ階段の踊り場まで登った時、未だに一段目に足を駆けていなかった辺り、少女の意識が散逸している事が分かる。
「おいレイリ、自由時間は多くないんだぞ」
「分かった分かった。アタシも急ぐよ」
そう言って少女―――レイリが階段を駆け上がる。自らの兄が既に安全を確認していたからこその行動ではあったが、実際に階段は一度も軋みを上げずにその衝撃を受け止める。
そう言って二人が踏み込んだのは、二階の奥に有る小部屋だった。見るからに書斎と言った様相だが、細々としたものが多いせいか、どこか今までの部屋より汚れているようにも感じられる。
「この部屋と、一階の物置で探しものだ。判子やら書類やらは全部集めちまえ」
「じゃあこの部屋はアタシがやるよ。物置の場所わかんねえし」
「よし、なら後でな」
「おう」
そう言って立ち去る兄の姿を眺めつつ、レイリは部屋の奥へ入る。
机の上には書類などが置かれているかとも彼女は考えたが、そんな事はなかった。どこかに片づけられているのだろう。客を迎えるために設置されているらしき机共々、この部屋の中で最も整頓されている。
唯一目に付いた物も、妙に大きな鳥の羽根だけ―――と思いきや、どうやら筆記用具らしい。手元に置いた紙の左端から書き出せば、その羽先が顎に触れて使い辛いだろうにと思いつつ、『貴族は変なもの持ってるもんな…』と、記憶にない両親の事を想像する。
思い描く両親像の基盤となるのは自分たちではなく、むしろ少し前まで住んでいた町の領主だったが、恐らくそう遠くはないのだろうと考え…ほんの少しだけ、彼女は辟易とした。
「悪い人じゃない筈だけど、自己顕示欲強いのは変わりなさそうだよな…」
なにせ、血が繋がっているのだから当然だ。善人の類である事に疑いはないが、少々うざったい所も有ったのだろう。そんな風に少女は想像した。
「と、仕事仕事。しゃきっと終わらせてからだな」
机の引き出しには何か仕舞われているだろうと考えて、一段目のそれを開く。すると、その中にはボロボロになった紙片が。
「ん?…げ、虫に食われてる。何が書いて有るかもわかんねえし…駄目だな」
そう言いつつ引き出しを閉めて、二段目に手を駆ける。すると、今度は鍵がかかっていた。
三段目を先に開けると、虫に食われた訳ではなかったが、用途の良く分からない物がしまわれている。
「えぇ、っと?…危な、これ武器か」
そこに有ったのは、細い金属の装飾品―――のように見えて、小さな刃の集合体のようなものだった。とても実用的とは言えないが、机の上などに置いておけば、それを武器だと理解する人間はいないかもしれない。
「変な物有るな…でも、判子も書類も無しか。いや…」
鍵のかかった二段目、無理やり抉じ開けるのもどうかと考えたレイリだったが、ここへ来る機会などそうないし、何より実家である。遠慮もいらないのだと判断して、力を籠める―――と、一気に抉じ開けた。
「…書類は、有るな」
幸運にも、そこに仕舞われていた書類には虫に食われたような痕跡もない。鍵がかけられていた事も考慮すれば、重要な書類がそこに有ると考えても良いだろう。
そう思ったレイリが書類を一纏めに掴み、取りだす。すると、引き出しの奥で何かが転がるような音が聞こえた。
中を覗き込めば、判子だろうか?石で出来た長細い彫刻のような物が有る。
取り出してみれば、それは龍の彫刻だった。その尾が触れる部分に有る台座の死がた和を除きこめば、また違う彫刻が為されており、そこに独特の汚れが染みついている事も分かった。間違いなく、判子である。
「…こんなもの握って仕事してたって考えるとなぁ、やっぱり自己顕示欲が」
やれやれ、とでも言いたげな口調でレイリは呟き、部屋の隅に有る物置にも目を付ける。
「あっちも見ておくか」
◇◇◇
「うわ、すっげぇ汚ぇ」
物置に踏み込んだ瞬間のエリクスの反応がそれである。
「いや、ここの汚さはそこまで変わったわけでもねえか…とはいえ、いくらなんでも何が入ってるかとか覚えてねえな。ほとんど入った事無かったし」
後ろ頭をポリポリと掻きつつ、物置の中を見渡すエリクス。
視界は物でごった返しており、目当ての物を探すどころか、奥まで物を探しつくす事すら難しそうだ。
「…まあもうしゃあねえ。手当たり次第外に出しゃいいか」
完全に目的のものとは違う、布団などが入った袋などを外へ投げ捨てつつ、エリクスは奥へ入る道を作っていく。
今彼等が探しているのは、決して自らの生活に必要なものではない。だが、放置しておくのも何だか勿体ないと感じたものだった。
…エリクスが持った郷愁の念がそうさせたと言っても良い。
彼等の実家はこの屋敷である。エリクス自身も、物心ついてから数年暮らしたか暮らしていないかという短期間しか住んでいなかったし、レイリは生まれた後すぐこの家を離れたせいで、全く記憶に残っていなかった。
滅んだ国での貴族という地位に未練などは全くない。だが、両親への情が消えるような事は全くなかった。何せ、レイリはともかくエリクスには両親との思い出がはっきりと残っているのだから。
――『一生傍にいたいと思える、そして、傍にいてくれる。そんな人を探しなさい』――。
それは、両親が彼に伝えた言葉。彼にとっては人生の目的の一つに数えられるものだった。
「探すだけなら、まあ…」
恋焦がれる蒼髪の女性を想い、今は他にやるべき事があるのだと再び集中するエリクス。
伝えられた言葉を意識する事が多くなった今、家族への思いも彼の中で大きくなっていった。
だから、この町の――正確には、この町の均衡に有る遺跡を中心とした地域の――調査を行うという知らせが有った時はレイリを巻きこんで一も二もなく参加した。
「ま、レイリは乗り気じゃなかったが…」
正確には、興味は有ってもエリクスほどではない、といった雰囲気だった。両親の事はエリクスの話でしか聞いていない彼女は、しかしそれで悲しい思いをした事はなかった。それは、最終的に辿り着いたロルナンでの生活が、実母の妹でもある貴族の手助けも受けて順風満帆だったという事もあるし、エリクスがレイリの事をよく気にかけていたという事もあるのだろうが、その結果として両親への思い入れが少なくなってしまった事には少々エリクスとしても思う所は有った。
だが、それは仕方のない事だろうとも思う。何せレイリは両親という者を知らない。『知らない相手の事を思い続けてほしい』なんて願望が無茶苦茶な事は、考えなくても分かる。
「…開いてみるか」
物置の奥、風呂敷に包まれたものを発見する。長方形のそれは、もしかしたら大量の書類を一纏めにしたものかもしれないとエリクスに思わせた。
そして、その予想は的中する。
「お、古いけど当たりじゃねえか。かなりの量も有るし…ん?」
だが、エリクスは訝しげな視線をそれに向ける。
その書類には、確かに文字が書かれていた。きちんと整った書体だという事も分かる。
しかし―――。
「読めねえ…」
そこに書かれていた字は、エリクスの知識にないものだった。
現在、新たに発見され、細々とした交流の始まった新大陸以外の土地―――つまりこの大陸の中に置いて、文字と言語は統一されている。
それ以外の文字が存在していない訳ではなかったが、やはり、エリクスには全く見覚えのないものだった。
これだけの量が有るのだから、全く知られていない文字という事もないだろうと記憶を絞るが、この国で暮らした経験のあるエリクスの記憶にも全く引っ掛かるものはない。古い紙に書かれている以上、既に失われた文字なのだろうかと予測を立てるも、そんなものが保管されている理由に心当たりはなかった。
「昔の文明を調査した、とか―――いや、いくらなんでもそこまで古い紙じゃねえな。だとしたらこんな保存方法じゃ朽ちてるっつう…」
そんな事を呟きながら紙束を掴んで眺めていると、突如として見覚えのある文字が視界に入った。
―――『雷然』。
そのたった二文字を見て、エリクスは驚愕する。
「あれと同じ文字か!」
『という事は、これを描いた人物とあの本を書いた人物は同一か…?』エリクスはそう想像したが、それ以上の事を知る事は出来ない。そこに有る文字を読む事が出来ないのだから当然だ。
だが、エリクスはその書類に魅力を感じた。使いこなす方法は分かっても、何故出来るのかは分からない自分たちの技術『雷然』。その秘密を知る方法が有るのではないかと考えたのだ。
「これも持って帰るか…。意外と荷物多いな」
エリクスは風呂敷を再度包み、部屋の外へ運び出す。―――物置の中には、まだまだ大量の物が眠っていた。
◇◇◇
「ま、こんなもんだな。兄貴の所戻っか」
レイリは両腕に荷物を抱えて、立ちあがった。
既に戸棚の中は漁りつくしており、めぼしい書類などは全て確認していた。
一度荷物を机に置き直してから、戸棚を一つ一つ片付けていく。住んでいる人が誰もいないとはいえ、整頓されていた者を荒らして放置する、という行為をしようとは思えなかった。
「…ん?」
その作業もほぼ終わりを迎えようとしていた時、彼女の瞳がある物を捉えた。入り口側の壁と戸棚に挟まれるように、布でくるまれた薄く大きな何かがある。
書類にしては、大きい。板くらいの厚みだが、何故そんな物が書斎に置いてあるのかは分からず首を傾げるレイリ。
「なんだこれ…」
引きずり出し、そして布をめくってみれば、そこに有ったのは絵。
「ああ、美術品か。有りがちだな。…高級品だったりするか?」
『自分が見ても高級かどうかは分からない』という現実はとりあえず横に置いて、興味の赴くままに布を剥がして行くレイリ。エリクスと約束した時間まではまだ少し時間があったが故の行動だろう。
比較的暗い色の絵具が使ってあったので、どうやらそこまで明るい雰囲気の絵という訳ではないらしいと彼女は感じていたが、少しずつ絵がよく見えるようになってくると、その印象も変わってくる。
白い靴、白い服。女性だと分かるその姿は、椅子に座っているらしい。隣には、儀礼用の黒い服を着た男性も経っている。
その男性の後ろには、金髪の少年。まだ幼く、少々恥ずかしそうにしているものの、描き手を見つめているのだろう瞳には勝ち気な性格が現れている。
三人の後ろにも人影があるが、まだどんな人かは判断できない。但し、服と体格からして男なのは間違いなさそうだ。
外へとつながる窓からは日光が差し込み、先程まで感じていた暗い雰囲気などどこかへと霧散してしまった。
「…これ、まさか」
浮かび上がる予感と欲求のままに手を動かし、勢いよく全ての布を剥がす。
後ろに立っていた男は、白髪の老人だ。但し、体つきは大樹の様にがっしりとしており、かなり体を鍛えているという事がこの絵を見ただけで分かる。
少年がすがりついていた男性は、黒髪だ。だがしかし、恐らくは父親なのだろう。隣で椅子に座る女性の方へと手を当てている。絵全体の雰囲気からしても、間違いなく家族全員を描いたものである。
椅子に座る女性の神は、金髪だ。どうやら子どもたちの髪色はこの女性から遺伝してきたものらしい。
――そして、その胸元には、布でくるまれ、優しく両腕で抱かれた、同じく金髪の赤子。
「この、子…この娘は」
レイリは手を伸ばし、赤子にそっと触れる。
最早確信があった。この赤子は自分だと。そして、赤子を抱く女性こそ、自分の母親なのだと。
彼女は決して、記憶にない両親の事をずっと探し続けたりした訳ではない。記憶になくても辛いと感じた事はなかったし、両親がどんな人だったのかを兄や叔母から聞きだそうとした事もほぼ無いと言っていい。
だから、この絵を見ても、辛さや嬉しさなどの明確に表現できる強い気持ちを抱いた訳ではなかった。
――ただ、心のどこかが落ち着くような。ほっとしたような感覚に包まれるだけ。
それは、自分が覚えていなくても、家族と共に過ごした時間が確かにあったのだと知れたからかもしれない。
兄に言われても、叔母に言われても。実感など湧かなかった家族の姿が、しかしここにはある。
それだけで、胸に暖かな何かが宿る気がした。
◇◇◇
「荷物多いなお前」
「兄貴こそ、なんだそれ」
互いが見つけた荷物をまとめて合流した二人の感想はほぼ同じ。相手の持つ荷物が異常なほど多い事だった。
レイリは手に書類を抱え、その上にハンコをおいている。ここまでは良いのだが、小脇に抱えた一枚の絵のせいで非常に歩きづらそうだ。布で包まれているとはいえ乱暴に扱えば容易く壊れてしまうだろう事が分かっているからこそ、動きも非常に慎重になる。
対するエリクスは、荷物が大きすぎる事を悟ったのか、籠のような物に入れて背中に背負っている。それでも足りず、手でも風呂敷包みを持ち、更には腰に長い剣を吊っていた。いつも使う剣とは別に、である。
「なあ兄貴、その剣なんだよ」
「物置に有った。錆びてるから使えねえけど、彫刻の当たりが多分うちのとおんなじだから、一応確保しとこうかって思ったんだよ」
「錆びてる剣とかまじで使い物になんねえ…」
二人は互いの荷物に対して言い合いをしながら、町の外、派遣された調査隊が拠点としている平原へと向かう。
レイリは足取り軽やかに、エリクスはどこか名残惜しそうに向かう先、平原では遺跡の調査をしていた人々も馬車へ乗りこみ、王都への帰還準備が為されていた。
ネット小説大賞に挑戦してみました。(一次選考を突破できればうれしい)
それと共に、ちょっと前提になってる設定をなくそうかな、とかも考えたり。それをなくしてもストーリーが変わらない設定って、多分いらないですよね…?




