第二十九話:前を向いて
「…ランスト、私」
「フランヒか。…子供たちは?」
「私がいないと不安って言っていたけど、疲れていたのね、皆すぐ寝ちゃったわ…」
礼拝堂の中、子供たちとハウアさんを除いた全員が集まったのを見計らってか、フランヒさんがランストさんへと話しかけた。
「そうか。…なあ、フランヒ」
「ううん、分かってる」
二人の会話は、傍から見ていると何を伝えたいのか分からないものだったが、…視線を交わしたり、逸らしたりを繰り返す二人の間では、きっと通じ合う何かが有るのだろう。
俺はそっと移動して、ヅェルさんの所へ向かう。
「ヅェルさん、あの後どうなったんですか?」
「こちらに帰る事を優先したので、男や忌種をどうこうする事は出来ませんでしたね」
「…という事は、忌種は今も暴れてるんですか?」
「いえ、警備の冒険者達がなかなか優勢に戦っていたので、そろそろ息の根も止まる頃でしょう」
なら、町への被害はこれ以上ないと考えても良いのだろう。―――それでも、失った命は還らず、元凶の男はどこかへ逃れる。
「…今回の事件は大きくなりましたから、多少はこちらの、教会と王の発言力を強められるとは思いますが、それも根回しが必要ですからね。私はランストさんと話をした後、戻らせてもらいます」
「そ、…そうなんですか」
ヅェルさんも、今所属している組織に帰って、本来の仕事を始める事になるのだろう。
当たり前の事だが、胸中に喪失感を得ている今は、そんな事すら辛く感じる。
「ラスティアさん、タクミ…」
「カルス…」
「…もう、話は、聞いた?」
「うん、ヅェルさんから…」
カルスも落ち込んだ様子で俺達の方に歩いてきた。そのまま三人で固まって、声が漏れないように小声で話し出す。
「どうすれば、助けられたのかな…」
「時間が、足りなかった。…でも」
「うん…少なくとも、その日にヅェルさんは居ただから、俺達が」
そこで、口が止まる。
それ以上の事を口に出しても良いのかと、そんな無意識の逡巡が押さえつけているのだ。
「僕達が、潜入すると決めていれば…かな?」
「…うん」
迷っていた俺だが、カルスには俺が言いたい事を見抜かれていたらしい。いや、ラスティアさんも同じことを考えていたのだろう。その言葉に驚いた様子はなかった。
「覚悟が無かったから、足手纏いになってたかもしれないけど…それでも、子供たちが皆無事な間に、潜入と救出に必要な戦力を集められたのかもしれない、って」
「…それは、余りするべきじゃない仮定だよ」
―――向かい合いうつむいていた俺達から見えない場所で俺達に話しかけてきたのは、さっきまでフランヒさんと話していた筈のランストさんだった。
「そもそも、当日以外は到底集団で忍び込めないような状況だったらしいからな…どうしようもなかった。三人とも、そう考えていればいい」
「そう考えていればいい、なんて…」
「頼む。…そもそも、君たちは自分から手伝ってくれはしたけれど、僕達の事に巻き込まれただけでもあるんだ。そんな君たちにまで辛さを味あわせるわけにはいかない」
…ヅェルさんの言い方は、俺達に言い返させないためのものだった。
少しだけ冷静に考えるのなら、ヅェルさんの言う事は正しいのだ。多分俺も、この事件が起こる現場を目にしなければ、ここまで本気で助けようとは思わなかっただろうから。
―――でも、もう此処まで関わっているのに、今更なかった事にするのなんて無理だ。
だがしかし、ランストさんは俺達への気遣いとしてその言葉を口にしたのだ。それをなかった事にするのもまた感情を悪くする。
…だから、それそのものは受け入れても、すぐに孤児院その物と関わりを断つ訳ではないんだと示したい。
カルスとラスティアさんと目配せし合う。口には出さずとも、その意志はどこか通じ合っている様な気がした。
「…ランストさん、助かった子供たちは、どんな調子だったんですか?」
「体に傷はほとんどない。だがやはり、心の傷は大きいだろうな。フランヒの話では、どうにか今は皆寝ているらしい」
…流石に、子供たちに会いに行ったりするのは非常識だな。今日助けられた五人とは面識もない。それどころか、今の状況で知らない大人―――子供たちから見れば―――に近寄られるのは恐怖を煽るばかりだろうし。
「ランストさん、よろしいですか?」
「…ああ、これからの事を話そう」
ランストさんはヅェルさんの方へ歩いて行った。多分、王都を脱出する事などを話し合うんだろう。
「…王都からも、いなくなっちゃうんだよな」
他の町に移った後は、流石にすぐ会いに行ける訳ではなくなる。王都に長く留まる事が危険である以上は、近日中に脱出する筈だ。
「…タクミ」
「カルス?」
カルスが押し殺したような声で俺に囁く。
「生き残った子供たちだけでも安全な街に、って考えるのは当然だと思うんだ。それは、早くしないといけないんだとも思うけど…うん、その、こんな言い方はおかしいって分かってるけど。
―――こんなに後味が悪いままで、良いのかな?」
「…良く、無い。…良くないけど」
「うん。…もう、どうしようも、無かった。それに、これ以上は」
ラスティアさんは、そこで言い澱む。
自分の中に既に言葉は出来ているけれど、それを伝えてもいいのかどうか。それを悩んでいるように、俺には見えた。
だが、数秒立って、意を決したように再び口を開く。
「…今、泣いてる、フランヒさんを、もっと傷つける」
言われて、俺とカルスは咄嗟にフランヒさんの方へ視線を送った。
少し前までランストさんと話しあっていたフランヒさんは、今は床に膝を突き、礼拝堂の奥、ステンドグラスで作られた窓に祈りをささげているように見える。
ステンドグラスには、白く輝く太陽や地へ飛ぶ龍、蒼い光の柱など様々な物が形作られている。それは、聖教国で聖十神についての概要を聞いた今では、それぞれの神を指し示している物だという事が分かった。
だとすれば、フランヒさんが願いをささげているのは中央より少し下、小さく朧に白い光を放つ無数の人魂が流れ着く場所に佇む神、―――命回帰だろうか。それとも、命回帰の元へと向かう子供たちの魂を思っての事なのだろうか。
人の心を知ることなど出来ない俺には、フランヒさんが咽び泣く声を抑えるように体を抑えて震えているのを見続ける事しか出来なかった。
◇◇◇
陽は傾き、王都の早い夜が近づいて来る。
「また、明日、来ます」
「僕が言うような事じゃありませんが、子供たちも、ハウアさんも、ゆっくりと休んでください」
「…ランストさん。王都を出発する日時は、決まりましたか?」
魔術を解いて本来の姿に戻った俺達は、教会の外に立っていた。
俺達を見送ってくれるランストさんへ二人が挨拶している中、俺はランストさんへと問いかける。
「ああ、間違いなく四日後には。早ければ三日後の朝にもこの町を出る事になるだろう」
「…その時には俺達が見送りに行きます。ランストさん、その…」
『言っても良いのか?』と逡巡する。場合によっては酷く心を逆撫ですると分かっていて―――それでも尚、聞かずにはいられなかった。
「大丈夫、ですか…?」
…本当の意味で大丈夫な訳が無い。
ランストさんは教会の大人の中では、今も一番落ち着いているが…それでも、誰とも話していない時、ふとその表情には影が差していた。
自分が教会の代表者だからと気丈にふるまっているのだろう。そうでなくても、ランストさんにとってもこの事件は余りにつらい出来事の筈。ハウアさんもフランヒさんもランストさんへ辛い思いをさせるような事はしない筈だが、ランストさん自身はそれでも、自分だけでいろいろな決断をしていくような気がして。
だから聞いた。その答えがどうであれ、俺の力では簡単に思いを変える事は出来ないだろうと分かってもいたが。
「…程度によるけど、ね」
ランストさんの口ぶりは、落ち着いたものだった。
「今はきっと、僕が耐えるべき時だ」
「でも、それでランストさんばかりが重荷を背負う事になってしまったら」
「そうはならないよ。…辛い事は、今回が初めてじゃない。でも、そのたびに僕と、フランヒと、ハウアと、そして子供たちでその重さを分け合って前へ進んできたんだから」
ランストは礼拝堂の方を振り返り、そのまま言葉を続けた。
「フランヒはさっき、祈りをささげていただろう?…そうだ、命回帰様にまつわる、人の魂が死んだ先について知っているか?」
「…い、いえ。聖十神教については、神様の名前くらいしか知らなくて」
「何だ、そうだったのか。…命回帰様の元へ、死後の魂は向かう。その時、善行を沢山積んだ魂たちは神々の元へと送られ、清く美しい生活を一生送って、再びこの地へ舞い戻る。
悪行も善行も、特筆するべきものが無い者は、そのまま、この地に還り、別の命として孵る。あの子たちは良い子だったが、善行を積んだとまでは言えなかった。となればきっと、すぐにどこかで新しい生を受けるんだ。―――それはきっと、忌種に食べられたりするよりは良い一生を送れる場所だろう。
そうやって、あの子たちは幸せになって行く。この世界は、何時かはその行いが報われるように出来ているから。
―――そう考えて、僕達自身も前を向いて行くんだ」
………俺達は、ランストさんの言葉に聞き入るばかりだった。
聖十神教徒として、ランストさんの中にはその考え方が深く根付いている。それはきっと、孤児院で過ごしてきた子供たちにとっても同じ事だろう。
多分、地球に住んでいた頃の俺は、こんな事を聞いても『結局、死んだ子供達は帰ってきてないじゃないか。神に祈った所で…』なんて覚めた考えしか持たなかったのだろう。それはきっと、自分が神を信じていない事よりも、神の事を本気で信じている人とのかかわりが無かったからだろうとも思う。
いない物による救いを信じるなんて馬鹿らしい。現代に生きる人の心の中、そんな思いはきっと多い。
だが、俺は知ったのだ。ランストさんやフランヒさんのように神様を深く信じている人の事を、そして何より―――本当に実在している、神様という者を。
ランストさんの言う通りの救いは、きっと齎される。
それに気が付いて、そして、それを受け入れたランストさんの姿を見た俺達は、どこか温かな安心感に包まれていた。
「―――ただ、それでも不安は有る」
しかし、ランストさんの言葉で意識がスッと冴えわたる。
「不安、というのは?」
「ハウアだ。…彼女は、孤児院で世話をしている子供たちの死に出会うのは初めてなんだ。彼女が来て一年半、いざこざは有っても、事件に発展する事はなかったから…きっと僕達より、負った傷は深くて辛いものだろう」
「ハウアさん…」
「治療をすると共に、一度孤児院から離れて落ち着いた方が良い―――そんな決断を下すかもしれないんだ。もしもハウアと出会ったら、その時は変に気を使わず、普通に話しかけてやってくれ」
『彼女は、自分で傷を深く抉ってしまうから』ランストさんはそう言って、俺達と別れて教会の中へと帰って行った。
王都は闇に染まり始める。
今日は辛い事が沢山有った。だが―――それでも、俺の心の中には、暖かくて仄かに明るいものが宿った気がした。
次から閑話が入るのですが、今週末に模試があり、更に来週から期末試験、終わった後は修学旅行と行事が積み重なっているので、更新速度が落ちると思われます。申し訳ございません。




