第二十八話:違和感の正体
突きだされた掌を避けて懐に潜り込み、手に握った小型の刃でその脇腹を抉る―――が、失敗。僅かな血潮で、その肌に線を引くだけの結果に終わる。
(とはいえ、上々の結果。一対一の状況でなら、俺はこの男より強いと判断してもよさそうですね)
ヅェルが後ろに下がると、同時に男も距離を取る。
「…お前達の目的は何だ?いや…所属は?何故ここを襲撃したのか、正直なところ私にはわからない」
距離を取った事で産まれた一時的な戦闘停止状態に、男が声を挟みこむ。内容は単純な問いかけだ。男にとって、この状況が発生した理由が理解できないらしい。
―――例えば、ヅェル達が子供を奪い返した所をこの男が目撃していれば、或いは、ハウア達が魔術で姿を変えていなければ、男にも今回の事件が起こった経緯を理解する事が出来ただろう。だがそうはならなかったし、そもそもヅェル達にとっても不測の事態が連続しているのだから、誰にもこんな状況を予想する事は出来なかったに違いない。
「問いかけられた所で、答えるわけにはいきませんよ。…ああ、そうですね、あなた達の行いを快く思わない組織のものです、という事を伝えてみましょうか?」
ヅェルの言葉に帰ってきたのは、『そんな事は分かっている』と言わんばかりの溜息だった。大きな音で吐かれたものではなかったが、男が感じた落胆を周囲に伝えるには十分すぎる役割を果たしたらしい。
(さて…、出来ればこの男を捕まえるなり殺すなり、何らかの対処を先にしておきたいところですが…そろそろ忌種も対処されそうですし、冒険者が戻ってくれば流石に危険です。時間を稼いで、ドゥーシスさんが合流したあたりで離脱するのが正しい判断でしょうか?)
「これで私も逃亡一択だ。やれやれ、良い商売を見つけたと思った途端にこれだからやってられない」
「本当の意味で『良い』商売では無かったからでしょうとも。悪行は長続きしません」
ヅェルと男は軽口を交わしつつ、互いの出方を窺っている。
短期的には時間を掛ける事で有利になるのは男だったが、長期的に見れば、大勢の衛兵たちが訪れるだろう事からもヅェルの方が有利だ。
ヅェルは、冒険者達が合流した状態での戦いで自分に勝利は無いと判断しているが、それは時間稼ぎすら出来ないという意味の言葉ではない。勝ちを狙わず動くのならば、時間稼ぎくらいは十分に出来るだろうという心算だった。そもそもドゥーシスは合流予定だし、今は少し離れた所にいるが、カルスも彼に協力して戦っている。
―――総合的に不利なのは、男の方である。
さて、ヅェルと共に戦う為にこの場へ残ったカルスが今何をしているのかと言えば。
「こ、これ意味あるのかな…?」
物陰に隠れ潜み、冒険者達と戦う忌種の元へ浄化の力を流し込んでいた。
それはヅェルからの『少し危険ですが、忌種による被害拡大は防がなければなりません』という言葉を聞いた後に彼が取った行動だ。冒険者達と今から合流して戦うにはもう戦闘が過熱しきっているし、かといって堂々と浄化の力を人前で使う訳にもいかなかったから、こうしてだれにも見つからない様に浄化の力を使う事になっている。
だが、風に吹かれて漂って行く浄化の力はごく微量だった。白い光を放つ浄化の力は、日中ならまだ目立たないが、それでも大量に流せば目に付く。
カルスの事をよく知らない冒険者たちならば『魔術です』とでも言い訳が出来たのかもしれないが、ヅェルにはもう自分が魔術を使えない事は話してしまっていた為、こんな形でしか協力できていなかった。
「せめて状況を見て、おかしな事が有ったらすぐに報告できるようにしないと駄目だよね…」
そう考えながらカルスの見つめる先、腕を一本切り落とされていこう劣勢の戦いを続ける忌種が大きく跳び去って体勢を立て直した。
「…足が四本に腕が二本、合計六本って、何だか虫みたいだな。毛が生えてるし、動物にしか見えないのに」
忌種が大きく動いた事で浄化の力は届かなくなった。カルスは見つからない様に細心の注意を払いながら、浄化の力を風に上手く乗せられる場所を探して移動を始める。
―――それが終わったのは約五分後、ヅェルの元へとドゥーシスが到着した時だ。
「来たぞ!どうなってる!?」
「助かりますよ。すみませんが、今は無事に離脱することを優先したいと思いますので、この男と戦っていてはくれませんか?」
いくらなんでも、明確な敵であるこの男がはっきりと聞いている場面で相手の名前を出す訳にはいかないという事を二人は理解していた。
「了解、そっちはどうする?」
「もう一人に脱出すると伝えて来なければいけませんから」
そう言ってその場を離れるヅェルと変わるようにドゥーシスは前へ出て、男と対峙する。
男は一瞬、ヅェルを止めるべきかと迷ったようだが、今の会話は彼自身にも聞こえるようになされているのだという事を思い返して、動きを止めた。
「…やれやれ、そういう事なら仕方無い。そちらの策に乗ろう」
「お、何のことかわからんが、本当にいいのか?こっちには見逃す理由、無いんだが」
「それはそうだが、まあ、こちらにも伝手は有るという事。後一つ仕事は残っている」
互いに重要な事は隠しながら話し合う二人。最早この場で戦っていても両者ともに得が少ないのだから、こうなるのは当然の事だ。
ドゥーシスは『望みは薄い』と心の中で考えつつも情報を引き出す為に質問を重ねる。
「伝手やら仕事やら、一体何が裏に有るってんだ、こんな黒い商売しやがって…」
「それを話す訳がない、とだけ言っておこう」
言外に手を引いている者は居ると告げる男の言葉を受けたドゥーシスが『分かってやってやがる…』と内心で下を巻いていた時、早くもヅェルがカルスを連れて帰ってきた。
「さあ、行きましょうか」
「ああ、あ、あのでかい忌種はきちんと討伐しておけよ、迷惑だからな」
「そうさせていただきますよ。後ろ盾が無くなってしまいそうですし」
「あ、あのヅ」
『ヅェルさん』と名を呼ぼうとしたカルスの口を押さえて、そのままヅェルとドゥーシスは外壁の外へと出て行った。
後に残ったのは男と、弱り始めた忌種と、負傷者も現れ始めた冒険者たちだけ。
「さて…急ぐか」
◇◇◇
五人、五人…そうか、五人。
教会の一階、大人達が寝泊まりしている部屋に有るベッドへハウアさんを寝かせ、皆が待っている礼拝堂の方へラスティアさんと歩く俺の頭の中では、その言葉が何度も蘇っていた。
教会へと帰って、ランストさんがフランヒさんを呼び出して、そして現れたフランヒさんの顔に浮かんだ感情が喜びではなく疑問だった時、違和感が発生している事は勘違いではないと分かった。
それで、思い出したのだ。あの日、男がここから攫って行った子供たちは、五人では無く七人だと。
「ラスティアさんは、気がついてたの?」
「…悲しい事が、有ったって事には」
「…そっか」
気がつかなかった。ハウアさんの様子がおかしいのは、全て足の怪我から来るものだとばかり思っていたのだ。
よく考えれば分かった筈なのだ。長い付き合いが無いとは言え、ハウアさんが痛みくらいであそこまでおかしな調子になるような人じゃないということくらいは。
大丈夫だろうか、俺が言った言葉は、ハウアさんの心を更に傷つけたりしなかっただろうか。
それを考えても答えを出すことが出来ないのは、自分が相手のことを余りにも理解できていないからなのだろうか?
「タクミ」
「…何?」
「まず、ランストさんから詳しい話を聞いてから」
「…うん」
礼拝堂に入ると、待っていたのはランストさん一人だった。ハウアさんを連れていく時に、フランヒさんには子供たちを部屋に連れていって休ませるように伝えていたからだろう。
「来たか」
「はい」
「ハウアの様子はどうだ?」
「…寝かせてあげたら、すぐに目を瞑りました。本当に眠っているかどうかは、分かりませんけど」
「そうか…」
身も心も疲れきっている筈だが、あれだけ足を痛めていてすぐに眠れるとは思えない。多分、一人になりたかったんだろう。
「…その、何が有ったのか、聞かせてくれませんか?」
「…ああ」
語り出すランストさんの表情は、当然のことながら辛そうだ。いや、子供たちと言葉を交わした事のない俺ですら胸が痛いのだ。ずっと子供たちと暮らしてきたランストさん達は一体どれだけ苦しんでいるのだろうか。
「…間に合わなかったんだ。子供たちを全員助けるためには、一昨日の夜までに行動を起こさないといけなかった」
そう切り出した話の内容は、ランストさん達自身が既に起こってしまった結果を知る事しか出来ない立場に有ったからなのだろう。怒りと悲しみに満ちてはいても、どこか諦念に塗れた口ぶりだった。
その全てを聞いた俺は、眩暈がするような感覚に襲われた。
―――子供二人が死んでいた、という事は予想していた。行方不明という可能性もあったが、それならきっと、ハウアさんやランストさんは無理をしてでも探しだそうとするだろうから。
だが、それが『忌種の餌にされたから』だなんて、一体どう予想して、どう納得すればいいというのだろう。
孤児院から無理やり子供をさらったばかりか、子供たちを忌種の餌にする。何処が狂えばそんな決断ができるのか分からない程に残忍な行為だ。
…子供を食べたのは、あの時奴隷取引場で暴れていた大きな忌種なのだろう。あそこにいたという事は、あの忌種は王都の地下空間で飼われていたという事だ。…しかも、あっけなく外へ出て暴れ出す様な杜撰な管理で。
そもそも、忌種を人が住む町中へ連れてくるという時点で到底理解のできない行動だ。それに餌として人の子供を食べさせるなんて…。
ランストさんの説明によって生まれた重い沈黙の時間は、フランヒさんが礼拝堂の入り口で立ち止まり、さらにその後、ヅェルさんとカルス、ドゥーシスさん達が帰ってくるまで払われる事はなかった。




