第二十七話:傷
三人同時に地面へ降りて、そのままハウアさんの元へと駆け寄る。周囲はまさしく死屍累々と言った様相で、現に今も大型の忌種と警備として雇われている冒険者達が戦っているのが見える。
倒れ込むハウアさんの足は腫れていた。怪我をしたらしい。
「タクミさん達、どうして此処に―――いえ、今は一刻を争います。今すぐハウアさんを連れてここから退避してください」
「は、はい!ヅェルさんは?」
後ろから聞こえてきたヅェルさんの声に振りかえり、返事をする。
ヅェルさん自身も、ハウアさんほどではないにしろ傷を負っているのではないだろうか?少なくとも服は破れている所も多く、残っている部分もほぼ泥だらけというありさまだった。間違いなく打撲による負傷は有る筈だ。
だがしかし、そんな俺の内心を知ってか知らずか、ヅェルさんはいつも通りの雰囲気を取り戻して俺達に言葉を続ける。
「いくらなんでも、ただ背中を見せて逃げるだけでは危険な相手が居ましたので、対処を」
「危険な相手、ですか?あ、あの忌種―――」
冒険者達と戦う大型の忌種は、…辺りの惨状からするに相当に強力な個体だったのだろうが、その肩口から生えた腕の一本をたった今切り落とされていた。
危険な相手なのは間違いないが、ヅェルさんが俺達と一緒に逃げたとしても折って来れるような状況ではない様な気がするのだが。
「いえ、そちらではありませんよ。…先程あの男を吹き飛ばしたのは、タクミさん達ではなかったのですか?」
「え、あの男の方が危険なんですか…?」
俺としては、男がハウアさんにかなり危険な一撃を入れようとしていた所を目撃して、『飛翔』中で微妙に鈍った精神力のまま、ろくに集中もせず未完成の『風刃』を勢いのまま当てて吹き飛ばしただけだったのだが―――あの男、奴隷取引側の人員が、ハウアさんが怪我をした所を見計らって隙をついたのでは無く、むしろそこまで二人を追い詰めた張本人だったのか。
それに俺が気づいた事と時を同じくして、男も立ちあがった。その視線は真っ直ぐとこちらを見据えていて…。
「あの男、確か…」
「ええ、そうですよ。ついでに言えば」
「子供たちを攫った犯人でも、ある」
そう言いながら両腕で体を支えて上体を起こすハウアさんに手を差し伸べる。
「ラスティアさん、ハウアさんをどこか遠くに連れて行こう」
「うん」
「ヅェルさん、僕はここで手伝います」
そう言ったのはカルスだった。
「いや、カルス君も先に離れていてください。途中で分断されるような事態になれば危険ですから」
「いえ、僕としてもほとんど何もしないままでは気が済まないんです。ハウアさんを連れていく事に僕の力は要りませんから、せめてここで」
「―――しかし」
言い渋りながら男の突撃を受け止め、取っ組み合いになるヅェルさん。その間に俺とラスティアさんはハウアさんと手を繋ぎ合い、その身体をもう一本の腕で固定、簡単には落ちないようにした。
足払いをして、自分は敵の動きを利用して浮かぶように距離を取ったヅェルさんは、迷っているらしき光を瞳の中に宿していた。
「…ならせめて、ドゥーシスさん達が到着するまでは。実戦を経験している人と交代するまで、僕も援護に努めますから」
「…分かりました。タクミさんはラスティアさんと共に、ハウアさんを連れていってください。できれば、その間に他の人と合流、現在の状況について説明して頂けると助かります。ドゥーシスさんかランストさんが良いですね」
「分かりました!『飛翔』」
「分かった、『飛翔』」
ラスティアさんと共にハウアさんを抱えたまま飛び立ち、外壁を越えてからは悩んだ結果、低空飛行を始めた。
さっき見た人の流れからしても間違いなくこのあたりの住民たちは皆避難したのだろうが、それでも奴隷取引側の関係者なら離れようとはしないかもしれないし、それが警備員なら、現場から空を飛んで立ち去る不審者を見逃すような理由など何一つないだろうからだ。
手負いのハウアさんを抱えている以上、俺達の攻撃手段が体を使わない魔術だという事を考慮しても、戦いは避けた方が良いだろう。
「まずはさっきの道に行こう。同じ道を通っていれば、ドゥーシスさんとも合流出来るかも知れない」
「うん」
「…そっちは、外部攪乱組は、どうだった?」
そう問いかけてきたのは俺達の腕に抱かれて飛んでいるハウアさん。
「冒険者達に、追いつかれたりも、したけど、皆、無事」
「そうか…。なら、良かった」
「…も、もしかして、ハウアさんの方は」
「………いや、潜入組に目立った怪我人はいない。ああ、私以外は、だけれど」
歯を食いしばりながら話すハウアさんの額には脂汗が浮いていて、足の痛みが強くなっている事が俺にも理解できた。
体の傷を治すような魔術を使えればいいのだが、生憎俺もラスティアさんも、そんな魔術は使えないし、見たこともない。逃げた後も、少し状況が落ち着くまでは応急処置を施す事しか出来なさそうだ。
…ハウアさんに負担がかからない様に、あまり喋らない様にしよう。ラスティアさんも同じことを考えたのかもしれないが、俺達三人の間には今、静寂が広がっていた。
そのまま道を進んでいると、ハウアさんが突如、口を開いた。
「…ねえ、何か、話しかけていてくれない?」
「え、でも…」
「お願い」
「え、ええと…」
何故そんな事を求めてくるのかは分からなかったが、ハウアさんの口ぶりは、例え理由があっても無下にすることを許さない様な響きを伴ってもいた。
一人で決断を出す事も出来ずにラスティアさんに視線を送れば、…何故か、ハウアさんの方を見て目を見開いているラスティアさんの姿がそこにはあった。僅かに震えているようにも見える。
「…ラスティアさん?」
「…タクミ、話をして。出来れば、何も、関係ない事を」
『関係ない事』と言われても、そう簡単に思いつくものではない。ハウアさんと日常的な会話をした事は、無いとまでは言わなくても、多いとは言えないし…本当に、ハウアさんが知らない様な話でもしてみようか?
「そう言えば、ハウアさん。俺、明後日、冒険者としてコンビを組んでいる娘と再会する事になってるんですよ」
…この状況と関係なく、そしてハウアさんが知らない話、…それを考えた時に思い浮かんだのは、レイリの事だった。
今日の為にこの数日間忙しく動いていて気にする暇もなかったが、明後日にはレイリが王都に戻ってくるのだ。それが口を突いて出たのは、無意識のうちにそれを待ちわびていたからなのだろう。
だが、ハウアさんにとっては知らないどころか、それこそ興味のない話題かもしれない。…でもまあ、それでいい。負担をかけたくないのは事実なのだから、むしろ本当に関係ない事を話すべきだろう。
「再会、って…どうして?コンビが、いるなら、普通、一緒じゃ、無いかしら?」
「とある事件で、俺が海に落ちて聖教国の方まで流されてしまって、それ以来離れ離れです。最近は、ギルドで手紙のやり取りをする事が出来たんですけど」
「そう、それは…大変だったのね。でも、良かったじゃない」
ハウアさんは疲れ切った様に弱弱しい声で俺へ話す。正直、黙っていた方が体に障らないだろうにとは思うが…気力の問題だとすればやはり、頼みを無下にする事は出来ない。
出来る限り明るい話題で、暗い気持ちにさせないように心掛けながら話を選ぶ。
「はい、良かったです。もしかしたらもう二度と会えないのかも、と思った事も有りましたけど、聖教国でも良い人達と出会えましたし、こうして王国に戻って、レイ…彼女と再会できるんですから」
「『彼女』…?もしかして、コンビで有りながら、恋仲でもある、なんて、こと?」
「ち、違いますよ。恋愛関係じゃないです」
茶化すようにハウアさんはこちらを見つめていたが、その顔には結局、隠しきれない疲労感と…後悔に似た何かが浮かんだままだ。出来る限り早く、休める場所に送り届けてあげないといけないだろう。
「でもまあ、諦めなければ何時かは良い事もあるのかな、って思えましたね。最近、一番良かった事だと思います」
「…そ、う」
「え…?」
何故か、ハウアさんの反応は唐突に暗く重い物に変わってしまった。
「どうした!?」
突如俺達に声を掛けてきたのは、進行方向にある曲がり角から勢いよく走ってきたドゥーシスさんだった。
かなり急いできたからなのかもしれないが、背中にはトアさんをおぶっている。
俺とラスティアさんは、口々にドゥーシスさんへと今の状況を解説した。ハウアさんが負傷した事、忌種以外にも敵が現れた事、ヅェルさんとカルスがその対処をしている事、そして、それをドゥーシスさんとランストさんに伝えるように言われた事。
「―――よし、俺が先に向かって手助けする。トア、お前はランストさん達が逃げた方向が分かるだろ?案内して、ノカとホサを連れて追ってこい」
「分かりました。それでは行きましょう」
そう言ったトアさんの後ろを進んでいく。
「このあたりにはもう敵がいない筈です。忌種が出現したという状況は広まり始めていますので、今怪我人を連れて飛ぶ姿を見られても、負傷した仲間を運ぶ冒険者としか見られないでしょう。どうぞ、屋根より高く飛んでより早く移動しましょう」
「わ、分かりました。上がります、ハウアさん」
壁を蹴って建物の上へと飛び乗ったトアさんの元へと『飛翔』して、ランストさんがいるらしい方向へ急ぐ。トアさんは方向だけならば完璧に把握していたらしく、たったの数分でランストさん達の元へ合流する事が出来た。
「ハウア!?大丈夫か!」
「ランストさん、ハウアさんを休ませる事が出来る場所は有りませんか!?」
「怪我を、してる」
「…教会まで連れて行くしかないな。…僕達はこれから教会へ戻ろうと思っている。タクミ君達が良ければ、ハウアと一緒に来てくれないか?」
「…ラスティアさん、どうする?俺は行こうと思ってるけど…」
「…ハウアさんを、運ぶなら、私は、いた方がいい。カルスなら、大丈夫」
俺が言いたかった事は、言う前からラスティアさんに筒抜けだったらしい。
「分かりました、急いで教会に向かいましょう」
「ああ」
「すみません、私はノカとホサを連れて現場に向かいます」
トアさんはそう言って、ノカさんとホサさんの所へ向かった。ノカさんとホサさんは五人の子供たちを抱えている。
「ハウア、怪我をしたのは何処だ?」
「両足」
「なら頼む、一人か二人胸に抱えてくれ。僕も三人が限界だ」
「…分かった。今は動けないから、私の所まで運び上げて」
ハウアさんが二人の子供を抱えたのを確認して、俺達は再び『飛翔』で浮かび上がる。ランストさんも片腕に一人ずつと肩車に乗せた一人の合計三人を既に確保している。
…何か違和感がある様な気がした。
だが、まずは教会へ移動するべきだろう。俺達は急いで教会へと向かった。




