第二十五話:町の異変
「『風刃』!」
「下がってください、御主人」
「そんな事は分かっている!いちいち指図するな!」
言い争いながらも的確に動く男の冒険者の足元へ『風刃』を放つ。当てるつもりはない…が、当たらない。
表情が乏しく口調も落ち着いた女性の言葉が、俺の魔術が何処を狙っているのかを確実に説明してくるのだ。
数メートルという近距離で発射された『風刃』は、風である為に見にくく、更に高速で動くため、見切って避ける事などほぼ不可能なはずなのだが、…何というべきか、起句を唱えるより先には全て見抜かれているかのような、不思議な感覚を覚える。
だがしかし、いま求めているのは勝利ではない。後ろで戦っている皆に逃げる余裕が生まれた時、この二人を越えて、道の前側に逃げる隙を生み出す事だ。
…簡単に考えれば、道の端へと誘導するべきなのだろう。そうすれば逃げやすい。実に単純だが…前提としてするべきなのはこのくらいの事だろう。後は、この二人に隙を生ませる事と、闘争の瞬間を全員で統一することだけ。
さて現在、それがどのくらい成功しているのかといえば。
「いい加減観念するべきだな不審者!何に苛立っていたのか知らないが、目的も見えない破壊行為に出た時点でたかが知れてるんだよ!無駄!ほらどうする後ろは壁だぞ!」
「ご主人、少し前に出過ぎかと」
道路の端、一軒の家の壁に背中が突きそうなほど追いつめられていた。既に他の皆が通るに十分な空間が道には生まれているが、正直俺自身が逃げる方法を失いかけている。…完全に機を逸したのだろう。
「魔術の制御すら覚束ない奴にそこまで真剣な対処する理由もないだろ」
「いえ、それは甘すぎる想定かと。一撃で壁を壊すくらいの威力を出せるのに、この距離で尚狙いを定められないというのは、得意不得意の範疇を越えていますし」
「ああ、まあそれは…待て今、お前俺に甘すぎるとか言ったか?」
「チッ」
「お前は…!」
二人は俺の方への集中すら完全にまとまってはおらず、互いの言い合いで忙しそうにしている。だがそうしている間にも、こちらに背を向けたままの女性は皆の方へと魔術で黒い靄のような物で攻撃を続ける。それそのものの密度が高い訳ではないが、他の冒険者たちからの攻撃も相まって、そこまで余裕を持てている訳ではない様だ。
今俺が余裕を持てているのは、間違いなくこの二人に俺を活かして捕らえようという意志があるからだ。手を抜かれていると言い変えても良い。
―――脱出する方法としては、今のところ彼等に見せていない『飛翔』という切り札も有るのだが、その場合はきちんと、皆が逃げる隙を生んでからじゃないと駄目だろう。昔から、切り札というものは切った時点で効果を無くすとも言われているのだから、隠せる限り隠すべきだから。
「―――あ」
そんな事を考えていると、女性が唐突に、何かに気がついたかのような声を出し、そして魔術の勢いが少し弱まった。
皆がそれで闘争を始めたという訳ではなかったのだが、このままなら逃げようと思えば逃げる事も可能だろうという状況になっていた。
「なんだ急に、呆けた声を出すな」
「ご主人、ここにいちゃ駄目だ。きちんと仕事を果たす為に全力で戻ろう」
「は?戻るって奴隷取引場に、か?」
「ええ、依頼の内容を考えると、彼等を捕まえる事なんかよりよほど優先するべき事ができました。何故そんな事になるのかは不明ですが…ああいえ、とにかく急ぎましょう」
…何故かはわからないが、女性は男と共に取引場の方へ帰りたがっているらしい。―――その理由を問いただそうとする男性と、理由の説明を省いて移動を優先する女性との会話が行われている最中、完全に俺への注目は逸れていた。
通りの反対側にいるカルスと視線を交差させる。どうやらカルスも状況を理解してくれたらしく、声を上げてくれた。
「準備ができました!逃げます!」
「分かった!」
ドゥーシスさんとも意思疎通はとれているらしい。一瞬その声に意識を奪われた男女の陰から、俺は一気に走り出た。
男性は俺を止めようとする動きを一瞬見せたが、女性に窘められてそれも止める。―――そこまでして取引現場に戻らなければいけない理由って何だ?
追ってくる影が無い事を確認しつつ、細かい路地の奥へ奥へと四人で掛けてゆく。近くの建物の上からも小さく足音がしているが、恐らくこれがトアさんのものだろう。
少しずつ速度を落として、一分ほどしてから立ち止まる。
「結局、なんだったんだありゃあ…途中からおかしかったよな」
「はい、タクミが相手してた人達が騒ぎだしてから、こっちも慌ただしくなって」
「取引、現場に…帰った?」
「えーっと…俺が戦ってた二人の中、女性の方が『帰らないといけない』というような事を…あ、そうです。俺達を捕まえる事より『優先するべき事』が出来たと言ってました」
俺が彼らの行動について覚えている事を話すと、ドゥーシスさんは顎に手を当てて唸った。
「ううむ…。破壊工作しでかした相手を逃がしてでも優先しなければいけない事となると、…見つかったのかもしれないな、救出組」
―――成程、確かにそれは、俺達を捕まえる事より優先するべき事かも知れない。
「…助けに行かないと!」
「ああ、だが状況は見て行かないとな。助けるにしても方法が変わってくるし…トア!先に行って調査しといてくれるか!」
「分かりました!」
近くの家の屋上から顔を出したトアさんが返事を返し、すぐに頭を引っ込める。軽快な足音が去って行ったので、既に取引現場へと向かっているのだろう。
道を歩かずほぼ直線で移動できるというだけでもかなり速い。俺達もすぐに移動を開始した。
「まあ、見つかったにしても逃げ切ったのなら問題は無い。顔は子どもたち以外ばれていないし、なんだったら子どもたちの顔も変えられる。数日後には間違いなく脱出できるから…その間、王都内で潜伏出来れば俺達の勝ちだ」
「ならまだ、どうにかなりますかね…」
「うーん…なんだろう」
「カルス?」
カルスがどうにも歯切れの悪い反応を返してきたので、気になって振り返る。すると、どうにも納得がいっていない様な表情をしている事に気がついた。
自分に皆の意識が集まっているとカルスも気がついたのだろう。『勘違いかもしれないですけど』と前置きして、自分の考えを話し始めた。
「僕達の事より、ランストさん達を捕まえて、攫われた子どもたちをもう一度閉じ込める、という事を優先するのは分かるんです。ただ、いくらなんでも焦りすぎじゃないかって…変な言い方ですけど、子どもたちを捕まえなければいけない、なんて状況になっている訳でもないはずですよね?」
「…まあな。貴族側からの圧力が有ったのなら誘拐くらいはするし、取り返されたとなれば面子はつぶれるが…真正面から喧嘩売ってきたこっちを放置してまで、警備全員であっちを捕まえようとするのかといえば…」
「怪しい?」
「ああ、そうかもしれない。…想像と違う事態が巻き起こっている可能性もあるから、落ち着いて対処しろよ?」
固まって行く緊張感を深呼吸で揉み解しながら更には知って行くと、通りの向こう側―――取引現場がある方向が騒々しくなっている事に気がついた。
まだ数分は走らなければ到着しないほどの距離があり、更にその間には音を遮る家や、各々騒ぎ合う人達がいるというのに、間違いなくその方向で騒ぎが起きているのだという事が分かる。
…都合のいい事だけを考えるのならば、王都にいる衛兵達が奴隷取引に気がついて、取り締まりに来たのだという可能性もあるのだろう。だがしかし、いくらなんでも今更そんな楽観的な思考が出来る訳ではない―――それがあり得るのならこの事件は怒らなかった筈―――ので、即座に否定する。
起こったのは不測の事態。ランストさん達が見つかってしまい逃走中、というだけならばまだ対処の方法もあるのだろうが、可能性すら考えていなかった事態になっている可能性もある。何せ、ここまで声が届くくらいの騒ぎになっているのだから。
「報告します!」
再び走る速度を上げようとした俺達に、頭上からトアさんの声がかかる。
「取引会場にて忌種が出現!奴隷、客、主催者側を問わず襲っている模様!ランストさんとノカとホサが子供たちを連れて脱出したようですが、ヅェルさんとハウアさんは現場で戦闘中です!」
「なッ…!?推定される力量は!」
「最低でも中位忌種!ですが、動きが非常に巧みで、討伐の難しさはかなり上に行くかと!」
「…急ぐぞ!こんな町中でそんなのが暴れ出したら、衛兵や他の冒険者が集まるまでにどれだけの被害が出るか!」
ドゥーシスさんに言われるまでもなく、流石にそんな状況で逃げだそうとは思えない。早く向かおうと走り出した瞬間、
通りの向こう側から大勢の人々が、まるで濁流のように押し合いへし合い、前後不覚にでもなったかのように暴れながら走ってきた。…間違いなく、忌種から逃げているのだろう。安全だと思っていた町中で、相当に強いらしい忌種に突然襲われたのだ。冒険者ですら怯えるだろうし、ましてや日常的に忌種と出会う事すらない一般人では恐慌に陥るのも当然だ。
「…俺とトアでどうにか、逃げてる連中を落ち着かせる!タクミとラスティアが『飛翔』、カルスを連れて先に向かってくれ!」
「わ。分かりました!」
「『飛翔』カルス、手」
「うん。お願い二人とも」
カルスをラスティアさんと二人で引き上げ、『飛翔』して行く。途中、屋根から飛び降りてきたトアさんとすれ違うように家々より上へ出て、取引現場へと直進して行く。
まだ直接現場は見えないが、それでも伝わってくるものは有る。肌にちくちくとした痛みなどがそうだ。そこまで多く経験した訳でもないが何度か体感する内に分かるようになった、これが戦いの気配。
「ヅェルさん、ハウアさん…」
少しでも早く到着する為に、二人で息を合わせて『飛翔』の速度を上げて行った。
―――もう、一分もかからずに到着する筈だ。だが、それまでの間は誰も傷を追っていない事を願う事しか出来ないのが、とても歯痒かった。




