第二十三話:誘引
「あの冒険者達、同じ調子でこの建物を回ってるみたいだから、次の集会で別の見回りと同時に俺達の攻撃を見る事ができる瞬間がある筈です。その時に魔術での攻撃をする、という事で良いですか?」
「ああ、それで問題ない。という事は…後一分くらいか。準備頼むぞ」
ドゥーシスさんへ、カルスやラスティアさんと共に見つけた警備の癖と、それから考えた騒ぎの起こし方を伝え、許可を取る。
会話を聞いていたラスティアさんと目配せを交わし合い、不自然に思われないよう普通に歩きながら、『重風刃』の準備を始める。
この魔術は、『風刃』を重厚にしたものだ。そんな一言で説明できる物なのだが、準備には時間がかかってしまう。瘴気の壁を壊した時のような、本当に追い詰められた緊張感と危機感が無ければ、一瞬で使うということは不可能だろう。それは、子どもたちの救出を目前に控えた今でも同じだった。
風が吹き始める。それは、周囲の空気が俺の指定する一か所に集まり、刃の形へと凝縮されて行く過程で巻き起こったもの。もしもそれに色が有って、俯瞰する事が出来たのなら、渦を巻くように見えている事だろう。
地面から二メートルほどの高さで固まっていく分厚い風の刃は、しかし、動き出せばいつもの大きさまで纏う風を無駄に散らしてしまいそうな儚さが有った。
これをすぐに使えない理由のうち、一番大きい物はこれだ。…短時間で空気を纏めると、安定しない。中心に元の『風刃』を核のように残し、その周囲に空気の壁を纏っているだけの不安定なものしか出来ないのだ。
「タクミが、壁を、壊しきれなかったら、私が、そこに、追撃。そうじゃ、なかったら、門の、装飾を、狙う」
「分かった。…じゃあ、もう少しして冒険者達が来たら、『重風刃』を使う。準備お願いね」
「うん」
ラスティアさんとの打ち合わせを終えて、『重風刃』を纏め上げつつ辺りの様子を窺う。
客の多くは今も取引場の中だが、外にも少しは居る。その多くは既に奴隷を連れ帰っているようだが…見た目としては高級な服を着せられているので、奴隷には見えない。ここが奴隷取引の現場で有り、更にこの服を着せられる現場を見なければ、きっと誰も彼等を奴隷とは見ないだろう。流石に、何の隠ぺいも無しでこんな事をやっている訳ではないという事なのだろうが、そこまで多くの衣類を用意するという事だけでも、この行為をやめる意思がない事が分かって、非常に不快だ。
―――刃を鋭利に研いで行く。
そんな貴族と奴隷達の中、周りへと視線を送る者達がいる。観察すれば違和感を感じるような彼等は、冒険者ではない、奴隷取引側の警備だ。
彼等は基本、持ち場を動かない。数歩で移動できる範囲から出ずにうろうろしているだけだ。だが、視線は不審者を確実に探している。実際のところ、俺達も怪しまれてはいるかもしれない。何も行動を起こしていないから何もされない、というだけで。
―――刀身の形状と、どうしても漏れ出ていく風を利用して、より素早く、力強く飛んでいくように工夫して行く。
ただ、もしそうだったとしても、それはむしろ好都合なのだ。俺達が行動を起こした時、すぐにこちらを犯人だと理解してくれるから。
そうこうしている内に、曲がり角から冒険者の警備が出てきた。あれは、最初に参加を表明した筋骨隆々な一団だろう。者を投げること以外に遠距離への攻撃方法はなさそうなので、かなり安心する。
―――完全に形状が安定、渦巻く空気の流れも、嵐の前の静けさを示すように静まって行く。
冒険者達と警備員の距離が近づくまで、息を止めて待つ。高まった緊張感が、行動を起こすべき一瞬を逃さない筈だと信じて、待つ。
すると、次第に辺りの音が不思議なほど消えて行った。次第に、視界に映る物も、冒険者、警備員、刃を打ち込むべき壁の三つだけになって行く。
そして、冒険者の先頭に立った男が、警備員へとおちょくるように片手を上げ、笑みを見せた瞬間。
「―――『重風刃』!」
ごう、と音を立てて、風の刃が周囲の空気を軋ませながら飛び立った。
その周囲に立つ人たちの服を荒々しく風ではためかせ、気の弱った奴隷や貴族達に短い悲鳴を上げさせる。
『強風か?』そんな風にこちらを見据える警備と冒険者の間を、勢いを全く減衰させずに通り過ぎたその刃は、狙いを寸分違える事無く壁へ命中。一瞬の均衡すら許さず一撃で、その壁に大穴を開けた。
「な、んっ」
「…何者だっ!」
突然の事態に驚き、硬直する警備とは違い、すぐに俺の方へ視線を飛ばしてきたのは冒険者の方だった。
「『切開』『切開』」
追及が俺個人へと向きそうになる直前、ラスティアさんの魔術『切開』が二連続した。
それは先程の説明とは違い、警備と冒険者の足元を大きく切り裂いた。そして、見せつけるように右腕を掲げるラスティアさん。
「挑発なら、こっちの方が、良い」
「あ、…うん。そうだね、確かにその方が、あっちも分かりやすいかも」
「馬鹿言ってないで二人とも動くぞ!もう来てんだからな!」
そう言って背中を押すドゥーシスさんの言う通り冒険者が先頭になって俺達の事を追い掛けてきているのが分かった。
先頭に立っている男は、先程の冒険者集団の中、どちらかというと後ろに並んでいた男だ。動揺が少なく済んだから、先にこちらへと動く事が出来たのかもしれない。
「待て!何者だ!」
そんな問いかけに答える事は当然、出来はしないのでただ走る。
身体能力としては、俺以下だが、『飛翔』を使わないラスティアさんよりは早いと言った程度。既にラスティアさんも『飛翔』での逃走に切り替えているので、単純な速度勝負で追いつかれる事は無くなったと考えていいかもしれない。
俺、トアさん、カルスの三人が後ろを走っていた。本気を完全には出さず、俺達を追う冒険者に諦めさせないように走っているのだが…なかなか加減が難しい。丁度いい手の抜き方というのは、意外と分からない物だ。
一番体力が無いのはトアさんなので、途中で戦闘へと出てドゥーシスさんと交代、途中で離脱するという事になっている。その後は先程と同じく屋根の上へ昇り、場合によっては弓矢で援護してくれる手筈だ。
「トアさん、そろそろ」
「…そう、ですね。お願いします」
前へ出たトアさんのかわりにドゥーシスさんがこちらへ並走を始めて、更には知る。ドゥーシスさんはこういう仕事に慣れているのか、時折速度を緩めては、何やら小型の、釘のような物を投げて相手を牽制している。
そんな事をしたら余計に差が開いてしまうのではないかとも思ったのだが、それによってむしろ相手が意地になっているようで、俺達への追跡が緩む事は無かった。
―――『重風刃』を撃ちこんでから十分ほど。町をかなり走って、取引現場からもかなり距離はとれた。
「トア!そろそろ離脱しとけ!」
「はい!」
そうドゥーシスさんに返事を返したトアさんは、次に俺が曲がり角を曲がった時には既にいなかった。
「タクミ、カルス。ちょっと聞いてくれ」
「なんですか、ドゥーシスさん」
「何か作戦ですか?」
「いや…もう少ししたら、前側から敵が来る。軽くぶつかる事になるが、目的は逃げることだってことを忘れるな」
「回り込まれて…?」
「わ、分かりました。…よし、僕も変にこだわらないようにしないと」
何時敵が現れても良いように警戒しながら、少しだけ走る速度を上げる。
後方以外に敵の姿は見つけられないが、しかしもう近くまで来ている筈なのだろう。そう考えながら角を曲がったその時。
「止まれ!」
俺達の進路を断つように二人の冒険者が立ちふさがる。片方の男は手に杖を持っており、魔術士だという事が分かる。付き従うように数歩後ろで佇む女性の姿も見て、彼等が取引現場の警備依頼を受けたもう一組の冒険者だという事を思い出す。
彼らとの間に、横へと迂回出来る道は一つだけ。だが…。
「あっちには別の…恐らく警備員が待ち構えている。この二人を抜いて逃げるぞ。道が広いから、それが最善手だろう」
「分かりました。それじゃあ俺が」
「僕は後ろを足止めする!」
「私も」
行動方針を決定して、互いの相手へ走りだす。視線の先、杖を構えた男の前へ女性が立ちふさがるように飛び出てきた事を確認しつつ、魔術の狙いを定めた。




